右と左

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世の中には知らない事がたくさんありますよね。
もともとぼくは政治的な人間ではないし、国政なんてものは政治家がうまくやってくれればいい事だしその為に税金を払ってると思ってるんだけど、マスコミに表出する政治の話題はあまりにも酷いし、でもその酷さに翻弄されているうちによくわからない法律が可決されたりして、気がついたらなんだかわからないうちに自衛隊は軍隊になって海外に武器を持っていったりするようになるのはいくない!と思い、いろいろと本を読むようになりました。
知識としては浅いですが、知らないなりに考えていこうと思っています。

憲法9条の問題となると、とかく「護憲」か「改憲」かって話に要約さるように「右」と「左」にセパレートされてしまう。その対立構造のみでは溝は決して埋まらないわけで、だいたいにおいて「右」だから改憲、「左」だから護憲、って判で押したように決めてしまう事には違和感があった。いや、もっと根本的に言って「右」と「左」の対立構造自体もよくわかっていなかった。

で、それまで曖昧にしか捉えていなかった「右翼」「左翼」という言葉についてきちんと考えるきっかけになったのがこの本。

434498000X右翼と左翼 (幻冬舎新書)
浅羽 通明
幻冬舎
2006-11

by G-Tools

読んだのが半年前なので内容を正確には覚えてはいないのだけど、フランス革命をはじまりとする民主主義の移り変わり、右翼と左翼という言葉の指すところも時代によって移り変わっていく様子が丁寧にわかりやすく書いてあった。

「保守」と「革新」がその意味するところであるならば、政権が変われば立場は逆転するわけで、これほど相対的で曖昧な言葉は無いと思う。それをきちんと踏まえて使用するならいいのだけれども、そもそもの「右翼」「左翼」という言葉の出どころを無視して単なるレッテルとして使われると、その本来の意味は崩壊する。なんとなくのイメージだけが先行し、本来の意味から離れたところで言葉だけが一人歩きしている状態。それって、ほかのいろいろな言葉にも当てはまる事なんだけれども、言葉を各人のイメージだけで捉えてしまうことは、解釈がその人その人に委ねられ、誤解が誤解とさえ認識されないままに進行していくことにつながる。小泉政権時の「改革」という言葉もそうだったし、「自己責任」なんて言葉もまさにそう。特に、国が使う言葉には用心したほうがいい。論点をすり変え、感情論で国民を煽るのは政治の常套手段だから。


で、半年前に読んだ本を今回記事にしたのは、そういう右と左の対立構造自体の浅はかさを、的確に指摘してくれた文章を先ほどネットで目にしたから。

マガジン9条 中島岳志さんに聞いたより以下抜粋。
保守も革新も、その真意をちゃんと示さないまま対立構造だけができてしまったために、両陣営が単なる「アンチの論理」だけで動くようになってしまったというのが、戦後日本の政党であり言論界だったんじゃないかと思うんです。

 つまり、基本的に左翼は「自分たちはマジョリティではない」という感覚を持ってきました。それは政権政党がずっと自民党だからだし、農村に行けばまだまだがんじがらめの村落社会がある。俺たちマイノリティは頑張ってこんな社会を倒さなくちゃいけない、と考えてきたわけです。だから保守勢力を批判するというのがそのアイデンティティだったんですね。
 一方で、保守もまた自分たちをマジョリティだとは思ってこなかった。言論界や教育界はすべて左翼に牛耳られていて、自分たちは脇に追いやられているという感覚を持っていて、だから左翼に対する「アンチ」を示すことが、保守なり右なりの証明だと思ってきたわけです。

 だから、安保闘争を革新勢力がやるとなれば、「アメリカにくっつけ」と主張するのが保守である、ように見えた。また「9条を守れ」と左が言えば、「改憲」と言うのが保守だとか、わけのわからないことになっているわけです。アンチの論理でやっているうちに、根本的な自分たちの依って立つ理念とか、政治思想の筋とは何なのかというのが見えなくなっちゃってるんですよね。だから「右だ」「左だ」というのが罵倒用語になっているわけで。


政治の報道に触れた時に例外無く感じる’中身の無い’感、足の引っ張り合いを顧みると、なるほど確かにそうだと思う。ぼくなんかもけっこうアンチ気質の強い性格(ひねくれ者)だと自分でも思ってるんだけど、この’アンチの構造’っていうのは至極簡単に物事をわかったつもりになれる、手っ取り早い方法。わかりやすいから。でもアンチの論理だけでは本質が見えない。


先日、山形県の県知事選で現職をやぶって新人の吉村氏が当選した。この保守的な土地柄の山形で驚くべき事だと思うが、これはリベラルな気運が高まったというよりも、現職知事に対するアンチな気運が高まった結果だと思う。個人的に吉村氏には期待しているが、いつまたひっくり返るかわからない脆弱な支持基盤であるような気もする。

選挙で’民意’を問う。という。
かつての小泉劇場に国民が翻弄されたように、’民意’はフラフラ。形だけの民主主義の中では、「わかりやすさ」の裏側まで見ないと’民意’は簡単にコントロールされる。作られた’民意’に政局が一喜一憂する選挙ゲームはもううんざりだ。

選挙に行こう。
選挙が近づく度にくり返されるフレーズだが、中途半端な世間のムードに流されて投票するくらいなら行かないほうがマシだと思う。’一票’に’民意’が込められるのだから。
ちょっと前までぼくはそう思っていた。

それでもやっぱり国政を変えるのは選挙しか無い。
ぼくはいまはこう思っている。
自分の頭で考えて、そして選挙に行こうと。

右と左

右と左 2009.03.25 Wednesday [政治・メディア] comments(0)
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米大統領就任式

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眠い目をこすりながらテレビで見ました。

海の遥か彼方の出来事とはいえ、
テレビの画面を通して熱気と興奮が伝わる
とても盛大な式典で
さすがアメリカはこういう演出が上手い(いい意味で)。

でも演出以上に感動を呼んだのは
オバマ氏の表情や立ち振る舞い
そしてそれに共鳴する市民の圧倒的なオーラ。

現場に集った人たちは200万人とも言われていますが
そこにいる誰もが、オバマ氏の掲げる「変革」を信じ
子どものように期待に目を輝かせているように見えました。

とてもポジティブで素晴らしい就任式だったと思う。
(4年前のブッシュ再選の時は数千人規模の反対デモがあり
 ピリピリした雰囲気の中での就任式だったそうで)


 (画像は産經新聞より)

オバマ氏の言動や表情を見ていると、つくづく思います。
アメリカはついに「大統領らしい大統領」
「リーダーらしいリーダー」を立てることが出来ましたね。

民意とは離れたところで行われたブッシュ政権で
他国からは非難の目で見られ、広がる経済格差・差別問題など
つらく長い冬の時代を耐え忍んで来た多くのアメリカ国民に
本当におめでとうと言いたい。


これから真の民主主義が始まるでしょう。
かつて世界が憧れた「自由と平等の国」アメリカが
再びその光を取り戻すことを心から期待します。

ヤフーニュース:オバマ政権
時事通信社:オバマ政権


翻って日本。
漢字の読み間違えがどうのこうの。
ニュースで伝えられるのは足の引っ張り合いばかり。
あまりの幼稚さ、論点のズレに愕然とする。

党派を超えた大胆な人材起用で、民主的に政策決定を行いたいという
オバマ新政権の爪のアカでも煎じて飲んで欲しい。

米大統領就任式

米大統領就任式 2009.01.21 Wednesday [政治・メディア] comments(0)
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米大統領選

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米大統領選がいよいよ開票。
大方の予想通りオバマ氏優勢のようで、初の黒人大統領が誕生するのも時間の問題かと思われます。

なんだかんだでこういう新しいリーダーが出てくるのはアメリカのすごいところだと思う。ぼくら日本人が思う以上に人種差別の根強いであろうアメリカで黒人の大統領が誕生するのは、ものすごいことなんじゃないかと、ものすごい歴史的ターニングポイントになりそうな気がする。アメリカが変わるということは世界が変わるということ。そうなって欲しいと思う。

改めて政治方針なんかをまとめてあるページを見てみたのだけれども、イラク戦争への対応やエネルギー問題への取り組み(経済政策の事はよくわからないけど)等、両候補が見事なまでに正反対であるのが非常にわかりやすく、これもアメリカ的だなあと。21世紀の国の在り方を考えた場合、それはもう僕は明らかにオバマ氏を支持する。知性的な物腰や佇まいからも新しい風を予感させるし。今までのアメリカ式仕組みが見事なまでに破綻して様々な膿が明るみに出たいま、大統領が新しくなるというこのタイミングにも運命的なものを感じる。

対日政策ももちろん変わるだろう。親日である共和党の方が日本にとっていいという意見もあるが僕はそうは思わない。そこで語られる国益は、一握りの裕福層にとっての国益でしか無いからだ。ブッシュの親日ぶりなんてのは自分の利益しか見ていないのは明らかで欺瞞に満ちていて気持ち悪いだけだった。たとえアメリカから突き放されても、そろそろ自分の足で立たないと日本という国は滅びてしまうんじゃないか。解散総選挙がいつ行われるのかわからないけれども、次回の選挙は真剣に投票しようと思う。一度も市民革命の無かったこの国にも本当の意味での民主主義が生まれる事を願う。


追記:オバマ氏が当選したようです。さあ、どうなるアメリカ。わくわく。


米大統領選

米大統領選 2008.11.05 Wednesday [政治・メディア] comments(0)
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メディア・リテラシーの必要性

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今日も朝からワイドショーでは不穏なニュース。
江東区潮見のマンションで女性が行方不明になっていた事件で、
容疑者が逮捕された。供述によると背後から追い掛けて殺害、
遺体を切断し流して遺棄したとされる。

事件後、近隣住民として報道陣のインタビューに答える姿が
何度も繰り返し流されていた。

へらへらと笑いを交えながら「不審者は思い当たらない」などと
饒舌に受け答えする様子は、これが殺害直後のものだと思うと
かなり異様に映る。変質者。残忍。計画殺人。

誰もが恐怖感、嫌悪感、不快感を覚えたはずだ。
僕もそう思った。気持ち悪い。

ただこれがあまりに典型的な放映のされ方だったので
別の意味での気持ち悪さも感じた。
この映像を見たならば容疑者に強い不快感を覚えるのは当然だ。

だって、感情に訴えるように作られているから。
恐怖を煽るようなBGMやナレーション・編集で
容疑者がいかに“普通でないか”を強調する。

危険人物による猟奇的殺人事件!
わたしたちの日常と隣り合わせに潜む危険。
また危機感のみを煽る事件がひとつ誕生したわけだ。


ワイドショーで焦点が当てられるのはあくまでも、
殺害後に平然とインタビューに応じる姿=変質性であり、
遺体をどうやって遺棄したのか=サスペンス性である。

容疑者と女性の繋がりや動機といった部分は全く見えてこない。


メディアが“わかりやすい絶対悪”という存在を必要としていることがよくわかる。
わたしたち常人には到底理解できないような、
何があろうと絶対に許されない、
罰されて当然の、
わたしたちとは違う、
誰の目から見ても悪人、としての犯人が。

メディアが必要としているということは即ち大衆が必要としているということ。
対岸の火事として、善悪の一元論で安心して叩けるような犯人を。

(しかもまだ犯人ではなく容疑者の段階でも、だ)

犯罪は決して許されるべき事ではないし、
犯人を擁護するつもりも全くないけれども
じわじわと侵蝕して、全ての思考を右へならえと
誘導する媒体はもっと怖いと思う。

ぼくたちはごく簡単にメディアに影響される。

2009年から裁判員制度が始まるが、
プロである裁判官のように多くの人を見てきた経験が
圧倒的に少ない一般市民が、人を裁くというのは相当に危険だと思う。
民主主義は成熟した民衆の下でしかあり得ない。


普段なら、また怖い事件か。。で終わっていたであろう
朝のほんの10分ほどの何気なく眺めていたテレビに対して
そんなことを思うのは、昨日、森達也の著書を読んだからかもしれない。
この人は、とてつもなくひねくれていると思うし、とても誠実だと思う。
ドキュメンタリーに公正中立はあり得ないと名言しているが、本当にその通りだと思う。
書評を含めて後日また書きたい。

メディア・リテラシーの必要性

メディア・リテラシーの必要性 2008.05.26 Monday [政治・メディア] comments(2)
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