内田樹×高橋源一郎対談集『沈む日本を愛せますか?』

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内田樹さんと高橋源一郎さんによる床屋政談『沈む日本を愛せますか』ロッキングオン刊。雑誌『SIGHT』上にて政権交代直前からはじまり現在も続いている二人の対談連載をまとめたものです。本人たちが「床屋政談」と言っているように基本的にヨタ話なんだけど、ものすごく本質を突いた視点のものの考え方が、わかりやすいことばで語られていて、めちゃめちゃおもしろいです。ぼくはこの連載を知ったのがちょうど政治に興味を持ち出した頃であり、何度もため息を漏らしながら、ああ、いままで誰もこんな説明をしてくれなかった、政治ってこういうことだったんだと感嘆しながら読んでいたことを覚えています。



これまたちょうど同時期にツイッターを始めて様々な人をフォローしていく中で、タイムラインを流れる言葉を追いかけているうちに感じたことがあります。政権交代後のこの一年半で、この国の政治言語は飛躍的に変化したんじゃないかということ。『SIGHT』の対談を読んで、いままで誰もこんな説明をしてくれなかったと目から鱗が落ちる思いでしたが、そういったモノの見方が日本中にどんどん浸透していって(マイノリティなりにも)コンセンサスを形成していっているんじゃないかと。対米追従でしかものごとを考えることの出来ない日本人としての気質とか、記者クラブの存在もそうだしマスメディアのあり方とか、そもそも選挙とか民主主義って何だったのかとかね。

この対談からも、政治言語の変化が伝わってくるように思います。その典型が、小沢一郎に対する評価。類い稀なる動物的カンを持ち、選挙にはめっぽう強いが、政治的理念のない人。政権交代前後の対談では、内田樹さんもそのような人物評をしていました。よくわからない人ってことだと思うんですが。それが直近の対談では、小沢・鳩山っていうのは「対米独立」だったんだよねと。そして「対米独立」こそが日本における最大の政治的イシューだとはっきり言っています。

ツイッター等を利用している人たちの間ではもう既知の事実となりつつありますが、この当時には、日本という国を成り立たせているこんな簡単な基本構造さえも、きちんと説明できる政治言語がととのっていなかったということです。だからぼくはそれまでこんな説明をしてくれる言説に出会ったことが無かったし、政治のこともよくわからなかった。ところがたった一つのこの基本構造を知ったとたんに、様々なことがするするとつながり絡み合ってきました。知的好奇心をくすぐる経験でもありました。

逆に言うと、それほどまでに、小沢一郎の語る言葉っていうのは封印されてきたということですよね。誰にもちゃんと伝わっていなかった。識者にも、一般市民にも、届いてなかった。記者クラブを介在することでマスに届けられる情報は歪んでしまっていた。インターネットの普及によって、そういった媒介を通さずに届けることが可能になりました。

日本は主権国家でない。アメリカの属国である。対米独立を唱えると鳩山政権のように潰される。対米従属の既得権益は、財界や官僚、マスコミという強大な力を持っている組織である。…いままでそんなことが表に出ることはなかったわけです。知られると困る訳だから、小沢一郎の語る言葉っていうのは封印されてきた。そのために、ぼくらは政治に関心を持つことを剥奪されました。野党は揚げ足取りに終止し、マスメディアがそれを助長する。政治に関わる人たちが、政治言語を貧しく矮小化することで、ほんとうに大事なこと、ほんとうの民主主義というものの意味から目を反らせてきたんですね。

何にも期待していない。どうせ変わらない。そういう前提でしか政治に向き会えないのは、日本が主権国家でないから。そのことに一億数千人が目を反らせてきました。変化を恐れているのは、ぼくら自身なのかもしれません。「どうせ、たいした変わらないから」という諦念があったから、安心して政権交代が出来たのかもしれない。民主党が政権を穫ることで、日本が抱える根本的構造がドラスティックに変化することを真剣に考えて投票した人がどれだけいたでしょうか。

いま、政治言語が変わりつつあります。誰も直面したことのない時代に突入している。55年体制で使われてきたような旧来の政治言語は通用しません。マスコミの操る政治言語と、ツイッター上での政治言語がどんどん乖離しています。党員資格を停止されているにもかかわらず、いまだにマスメディアが政治を語る時には必ず小沢一郎が出てきます。賛同するか否かはともかくとして、小沢一郎を語るときに「対米独立」を焦点にしなければどんな論説も全く意味をなさないと思います。いままで忌諱してきた、この事実に目を向けないかぎりは、話がはじまりません。ぼくは、小沢一郎の語る政治言語をもっともっと聞きたいと思います。一有権者として。 或いは同じ土俵の政治言語であるならば、異なる主張も聞きたい。どーでもいい揚げ足取りじゃなく、国民の生活を語れよってこと。その上で方向性の違いが出てくるのは当然なんだから。多様性の担保こそが民主主義の根幹です。

あれ?話がずれちゃってぜんぜん書評になってないけどいいよねべつに。

内田樹×高橋源一郎対談集『沈む日本を愛せますか?』

内田樹×高橋源一郎対談集『沈む日本を愛せますか?』 2011.02.17 Thursday [読書] comments(0)
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『モテキ』とSAKEROCKと練習問題

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4063522598モテキ (1) (イブニングKC)
久保 ミツロウ
講談社
2009-03-23

by G-Tools


モテキ』の作者、久保ミツロウさんが女性だと知ってすごく納得しました。

昨夜、久しぶりに新しいマンガでも開拓してみようかと、近所のゲオで借りてきて読んだマンガ2冊のことです。たまたま選んだその2冊、『モテキ』と、かわぐちかいじの描く『僕はビートルズ』がみごとに対照的で。

ビートルズのコピーバンドである主人公たちが、ビートルズのデビュー前年にタイムスリップしてしまい、ビートルズの曲を自分たちの新曲として発表する(そこで本家ビートルズはどう出るのか?)というお話の『僕はビートルズ』。いかにも少年マンガ的なストーリーで楽しげなんだけど、いかんせん、かわぐちかいじが描くと、ふるい感じになっちゃうんですねえ。やっぱり感性が、なんというか、生真面目といいますか、ストーリーの突拍子の無さに比べて、ディティール的なところが、おもしろみに欠ける気がしました。…というか、あまりに「かわぐちかいじ的」なんですね。団塊の趣味まるだしで、そこは世代的には共感できない部分なのかなという気がしました。

『モテキ』は、女のコにもてたくてしょうがない男のコ(といっても30代手前の草食系男子)の妄想を描いた恋愛もの。なんだけど、主人公だけでなく登場人物すべての感情の機微・ゆれ動きが、こまやかに描かれていて、これは(特に女性側からの視点って)少年マンガには無い世界なんですよね。あ、ここでこのセリフが出るんだ、なるほど〜、っていう場面が何度もあった。少なくとも、ぼくが少年だった頃の汗くさい少年マンガには、このように女性の心理を描いたマンガは無かったように思います。ミツロウというペンネームで勝手に男性を想定し、少年マンガコーナーにあったんで、てっきり男性をターゲットにしたマンガだと思っていたので、実際に読んでみて意外だったのです。で、気になったのでネットで検索してみたら久保ミツロウさんが女性だと知り、納得したところなのでした。

真っ先に思い出したのは、内田樹さんの「世の中には少女マンガを読める男性と読めない男性が存在する。」という言葉。『街場のマンガ論』でこの文章を読んだときは、ああなるほどなあ(ぼくも読めない側だったなあ)と思っていました。先にも書いた通り、ごちゃごちゃとめんどくさい人間関係だとか、感情の機微・ゆれ動きみたいなものは、ぼくが少年だった頃の少年マンガには存在しませんでした。基本、ドガーン!バゴーン!の世界だから。

妹や姉がいる人はまたちょっと違うのかもしれませんが、男兄弟で育ち、男子校に通っていたぼくは基本的に脳みそがオトコ仕様になっていたんですね。少年マンガっていうのは、この「オトコ脳」のニーズに応えるものなんだと思います。だからオトコ脳が理解できないものは基本的に描かれない。冒険活劇、宝探し、戦い、出世立身、汗、友情、くだらないギャグ…恋愛が描かれたとしても、それはオトコ脳の中での妄想に終始するのが定番でした。

だから、少女マンガっていうのはオトコ脳では理解できない世界で。もし少女マンガに傾倒するような男のコがいたとしたら、それが理解できないオトコ脳の男のコからは揶揄されるに決まっています。少女マンガと少年マンガは、それだけ分断された世界だったんです。かつては。(ついでに言うと、アメリカのティーンエイジャーにおいて、ヨーロッパ的なものを嗜好する男のコはゲイ扱いされがちである。と、これも内田樹さんの指摘です。少年マンガって「アメリカ」で少女マンガって「ヨーロッパ」なんですね。これもナットクだったなあ。)

でもそれは、かつての話になりつつあるような気がします。
この『モテキ』というマンガが、分断から共生への時代の流れを象徴しているように思うのです。すなわち、少年マンガでありながら同時に少女マンガでもあるという…とても新しい感じがしました。


ここでちょっと脱線します。
オトコ脳のことを書いて、いまわかりました。ぼくがリベラルを自称しつつも、右翼にも左翼にも共感できないわけ。むかしの左翼、60年代の「反戦」活動って、いわゆる「反」戦なんですね。反戦活動というそのもの自体が、ドカーン、バゴーンの世界なの。要はベクトルが違うだけで、右も左も同種のイデオロギーだったんですね。白か黒か。善か悪か。正しいか間違ってるか。勝つか負けるか。
つまり、ドガーンバゴーン的なオトコ脳が支配する父権社会っていうのが強権的に存在していて、それに対するアンチの構造としての反戦やフェミニズムが存在する。それはやっぱりドガーンバゴーンなんです。活動や運動っていう、旗を挙げて鼓舞するアジテーションが先行して、そこには生活感がないわけです。たぶん、結婚して子どもが産まれて、むかしのオトコ脳ではなくなったぼくは、そこに違和感を感じていたんだと思います。

右翼だろうが左翼だろうが、平和を願う気持ちにはたぶん変わりがないと思います。ではなんで上手くいかないのか。それは、お互いが2者択一的な、極端思考の脳みそを持っているからではないかと。

内田樹さんの著書にはじめて触れたとき、ぼくは目からウロコが落ちました。
それは、論理が明晰だったからでも、感情に訴えかけられたからでも、精神論を鼓舞されたからでもありません。脳みそをほぐしてくれたからです。おそらく生まれてはじめて、ドカーンバゴーン以外で、ものごとを説明してくれる人に出会ったからです。


はなし戻ります。
いや実は、マンガ1冊を読んだ時点でそう思ったわけではなくて、次の日に久保ミツロウさんが女性だと知り、さらに「ほぼ日」での座談会を読んで、どんどんその思いが膨らんでいったんです。この座談会がとってもおもしろかった。

→ほぼ日|愛と言うにはちょっと足りない。『モテキ』をめぐる、とても自由な座談会

糸井さん、ハマケンさん、久保さん、森山さんのかけ合いがとても楽しい。教科書には出てこない、だけどもとても大事なことを正直に放談している。ここで糸井さんが言ってる「練習問題が多いですよね、いま。」っていうのがすごくわかる気がします。考えることが多すぎるようになりました。考える材料が増えたから。情報がどんどん入って来るから。練習問題が多く、研究熱心ないまの子は、必然的に「考える」クセがついていると思います。だからハマケンさん、森山さんという20代のふたりは大人なんですね。『モテキ』という作品が生まれて、それが男性にも女性にも読まれてっていうのは、必然かもしれない。

最近の男はナヨナヨして…根性がなくて…とかいう意見をよく耳にしますが、それっていわゆる団塊世代の「オトコ脳」で理解できないっていうことで、実は若い人たちっていうのは、ぼくらよりずっと賢いんじゃないかと思います。ぼくはそう思った方がわくわくするなあ。自分の子どもの世代には世界はどうなっているんだろうって。


上記座談会の中で、はじめてSAKEROCKというバンドのことを知りました。さっそくYoutubeでPVを視聴してみました(SAKEROCK / 会社員と今の私)。座談会の中でのハマケンさんのキャラとシンクロして、いっぱつでファンになりました。

この、なんともいえない、愛すべき「トホホ感」。白か黒か、善か悪か、正しいか間違ってるか、勝つか負けるか、という2者択一型の思考からハミ出した世界。アンチではなくオルタナティヴ。これがいまの時代の「感じ」じゃないかなあ。みすからに内在する「トホホ感」を認め、ある意味であきらめるというか、共生していくという覚悟。それを確認する俯瞰的視点をもっていなければ、こういうPVは作れないと思います。センスいいです。

練習問題をすればするほど、人は「極端」や「分断」よりも「共生」へと向かうんじゃないかと思います。世界はそういう方向へ向かうはずです。たぶん。


『モテキ』とSAKEROCKと練習問題

『モテキ』とSAKEROCKと練習問題 2010.12.02 Thursday [読書] comments(0)
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ぐるりのこと / 梨木香歩

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はじめは「西の魔女が死んだ」だった。清冽な世界観に引き込まれ、一気に読んだ。泣いた。
ストーリーや、ラストのエモーショナルな展開に泣いてしまったが、ぼくがこの物語を好きになった理由は別のところにある。それは物語の土台となる、登場人物(おばあちゃん)の暮らしぶりの美しさ。梨木香歩という作者のバックグラウンドが垣間見れるような気がして、他の小説にも手を出した。「からくりからくさ」、「りかさん」、「家守奇譚」、そしてとどめは「沼地のある森を抜けて」。ぶったまげた。「西魔女」で見た美しさだけではなかった。生きることについて、叡智へのまなざし、その深度が半端ではない。くらくらと目眩がした。いったいこの人には、どういう世界が見えているんだろうか、そう思った。ちょうど映画が公開された時なので、2年程前のことになる。



エッセイ集という括りに惑わされ、長らく“積ん読”状態だった本書を、今宵、何気なくめくった。
またまた、ぶったまげた。すごいな、この人。むずかしい時事問題も、ご近所トラブルも、街で見かけた光景も、友人との会話や旅先での体験も、すべてが叡智として、ぐるり、ぐるりと繋がっている。連なっている。いや、ぼくにはまだ、この本のことをうまく書けるだけの「知」の素養が無い。まとまらない。

ただ頭の中を、ぐるり、ぐるりとなにかが駆け巡っている。その感覚を書き留めておきたくて、この筆をとった。

ぐるりのこと / 梨木香歩

ぐるりのこと / 梨木香歩 2010.07.04 Sunday [読書] comments(0)
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蓮舫「一番じゃなきゃダメですか?」

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あ〜あ、こんな本出しちゃって、調子こいてるなあ。
とか言われるでしょうね(ぼくもちょっと思った)。挑発的なタイトル。

事業仕分けを一躍メジャーにした「一番じゃなきゃダメですか?」発言(正確には、「世界一じゃないとダメなんですか?2位じゃダメですか?」)。
ニュースでこの発言部分しか見ていないので、果たして、蓮舫氏がどのような真意でそう言ったのか、またその場に適切な発言だったのかはよくわかりません。でも、ぼくがこの言葉を聞いてまず感じたのは、「ああ、わかる」という共感でした。これは、おそらく世代によって受け止め方が異なると思います。右肩上がりの経済成長を続ける日本を肌で感じた戦後世代と、バブル崩壊後の現実を多く見て来た世代。

自民党の石破茂氏は「みんなで努力して、もう一度、世界で一番働く日本にしましょう!」と街頭演説で訴えているそうです。ぼくはこの考え方には共感できません。石破氏に限らず、自民党の方々は、経済は永遠に成長し続けると思っているみたいですが、ぼくはそのような神話を信じません。そのような神話を体感してきた世代でもありませんので「よみがえれ」とか「立ち上がれ」とかも思えません。

欧米列強に追いつけ追い越せ、と仕事ひとすじでがんばってきた父の世代を否定する気はありません。そのおかげで現在の日本があることも事実です。そのことには感謝しつつも、いつまでも同じやり方を繰り返すのには限界が来ているのもまた事実だと思います。経済的な豊かさが、必ずしも幸せと一致しないことを肌で感じる人が多くなっている。仕事と家庭、どっちが大事なの?なんて愚問ですが、家庭に重きを置く生き方を選ぶ人が多くなっている、そんな気がします。蓮舫の発言は、そのような価値観の転換が起きていることを象徴する言葉だったと思うんです。


・・・と、ここまで書いたのは、あの発言からぼくが勝手に汲み取っていた思いであり、実際に蓮舫さんはどのような意味で「一番じゃなきゃダメですか?」と言ったのか。その真意が本書にてわかるかなと思い、読んでみました(6月18日まで、PHPのサイトにてなんと全文無料公開なのです)。

本書より
メディアの世論のリードの仕方だけではなく、どういうふうに政治が行われているのか、行政はどういうふうに仕事をしているのかを全部見せてしまう情報公開って大事


事業仕分けがもたらした功績は、事業の仕分けによる予算調整そのものよりも、とにかく「政治の可視化」を実行した点にあると思います。内田裕也氏が一般傍聴席に現れ、「ロックンロールミュージシャンがもっと政治に関心を持たなきゃ、次の世代に伝わらない」というメッセージを残したことは、まさに「知ること」の重要性を表しています。

仕分けの第2弾は、行政刷新会議による「官製公式中継」をやめ、民間のネット配信企業による公式中継が行われました。その結果、大手メディアによるテレビ映像が、いかに恣意的な編集、捏造が常態的に行われているかを多くの人が知ることになりました。マスメディアがエスタブリッシュメントに牛耳られている以上、インターネットが無ければこのような可視化は出来なかったでしょう。また、行政刷新会議の公式ページからニコニコ動画やUSTREAMといった民間サイトへ直接リンクが貼られるという、フレキシビリティも今まではあり得なかったことです。ネットの政治利用は、どんどんやって欲しいと思います。

本書より
ちょっと有名になりましたが、「私の話も聞いてください」という女性の方もいらっしゃいました。独立行政法人国立性教育会館の理事長さんですが、あの方の話は、事前に十分聞いていたんです。いかに男女共同参画が大事で、女性の指導者がこの国で頑張ってきたか。その話を、私たちも否定はしていない。
ただ、どうして東京ドーム2個分もある敷地で、交通の便が悪い、最寄りの駅から歩いて30分というところに・・・(中略)日本全国に男女共同参画センターはもう300ケ所以上あります。(中略)それぞれの持っているアーカイブ機能の情報を共有したほうが、よほど費用対効果の高い、男女共同参画になるんじゃないですか?
こういう話し合いをさせていただきたかったのですが、ここも食い違ったまま、残念ながら前には進まなかった。


「私の話も聞いてください」という人は、だいたい人の話を聞きません。仕分けの映像に映る蓮舫の姿が痛快だったのは、単に口調が強いとかテレビ映えがするとかいう以前に、国民目線での疑問点をちゃんと指摘してくれたからです。みんな、うすうす分かってはいたと思いますが、独立行政法人とか公益法人だとかの天下りの実態が、こうして白日の下に曝け出されたという点は、大きな転換点だと思います。

本書より
みなさん方に必ず見せる。税金がどういうふうに使われているのかをお伝えするように、お金の使い方を決めていきたい。そのための、事業仕分けでもあるんです。


考えてみれば、こんなの当たり前のことなんですが、今まではそうじゃなかった。
有権者は、ぜーーーんぶ、政治家に丸投げ(政治家は官僚に丸投げ)して、マスコミから流れてくるお仕着せの政治的イシューに沿って、その内実は詳しく知ることもなく(知るための手段も、知ろうという発想さえもなかったかもしれません)、ただ論評したり文句を言っていればよかった。確かにそれでも、この国の政治はそれなりに回っていた時代もありました。政治家と官僚が結びついて、それなりにこの国を動かしてきた。

しかし、「おかみが何とかしてくれる」時代はもう終わってしまいました。長い間の官主導が、官依存になり、密室で既得権益を守ろうとする体質になってしまったことは、先ほども述べた通り、天下りという実態に現れています。儲けるところが儲けることによって、おこぼれが下々まで行き渡る(トルクダウン理論が通用する)時代では、もうない。

ちなみに埋蔵金というのが基金のことを指していると、ぼくは本書ではじめて知りました。知らないでいることがたくさんあります。このように、政権交代で「情報公開」の窓は開きました(民主党がどこまで「見せて」くれるかは、まだ進行中であり、ぼくはまだ良い悪いの判断はできませんけれども。)。次は、有権者がこの窓から、ガンガン覗いて入って行く番です。

本書でも触れられている少子化対策にしても、社会保障制度の問題にしても、もはや「おかみが何とかしてくれるもの」ではありません。居酒屋で渋い表情をして、いったいどうしてくれるんだ、なんて訳知り顔でうんちくを語るだけでは、何にもならない。だって、誰かが「正解」を差し出してくれるものではないんです。シロートでいいんです。シロートが、じぶんの生活のために、であるからこそ、じぶんの頭で考えることにこそ意味がある。

蓮舫さんは自身の半生をふり返ってこう述べています。

本書より
育てられた家庭環境がそうさせるのかもしれません。母と父の影響です。父から、自分の意見を持つように教えてもらったのがすべての出発点で、意見を持つということは、それに対して自分も責任を持つことである、と。
誰かとぶつかった方が、衝突を回避するより学ぶことが多い。相手がより正しければ、自分の意見を引っ込めればいいだけのことなんです。


以前、高橋源一郎氏が「政治的アクション・政治的言論」に関して原則とすべきと考えていることをツイートしていました(→こちらにまとめています)。この原則は、ぼくもたいへん納得できるし、そのようにありたいと思っています。蓮舫さんは、この原則が自然に身に付いているようです。特に「相手がより正しければ、自分の意見を引っ込めればいいだけのこと」ってすごいと思います。日本人は、これがなかなか出来ないんですよね。自分が正しいと思いたいし、正しく無いと言われるようなリスクを冒さない。世間が「正しい」と思っているような風に乗っかって(空気を読んで)うろうろする。世間が「正しい」と安心する。その世間って何なんだというと、実体の無い虚像だったりするんですけど。


さて、本書を読み終えて、蓮舫という人物は、政治家である前に、双子の母であり、実体験から「じぶん」の頭から出て来る言葉を使う人である(彼女が政治家を目指したのは、台湾での無血革命=2000年の政権交代をジャーナリストとして取材し、「国民は政治を変えることができる」という実体験を持ったからだそうです)と、ぼくは感じました。子育てをちゃんとしてきた人の言葉と、そうでない人の言葉が、ぼくは自分も子育てをするようになって、わかるようになった気がします。子ども手当が、親の酒代やパチンコ代に消えてしまう、なんてことを言う人は子育てをちゃんとしていない人の台詞です。蓮舫さんは、自らが子育てをすることで感じてきた、子どもを生んだり育てたりする上での、この国の問題点を持ち込もうとしているように見える。

政治が、子どもの未来をつくるものであるならば、有権者である「ぼく」もまた、じぶんの言葉で、それらを咀嚼していきたいと改めて思ったのでした。それは、「世界中の子どもたちのため」とかいう崇高で出来もしないことではなく、目の前の息子のためだけに。きわめて利己的かもしれませんが、ぼくはそれでいいと思っています。そこから始めないと、始まらないと思っています。


蓮舫「一番じゃなきゃダメですか?」

蓮舫「一番じゃなきゃダメですか?」 2010.06.17 Thursday [読書] comments(0)
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「悪」と戦う / 高橋源一郎

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一気読みした後、しばらく放心してしまった。
なんというスケールの小説。

内田樹氏が「疾走する文体」と評していた通り、冒頭から繰り出される言葉のリズムに引き込まれ、ものがたりの世界に連れて行かれる。ランちゃんとキイちゃん兄弟の無垢な感性。親と子が紡ぐものがたり。パラレルワールド。

高橋源一郎が「小説」にこだわる理由がよくわかりました。
小説でなければ出来ないこと。小説でなければ、ぼくはいまこのように放心して眠れず真夜中にブログなんか書くこともなかったでしょう。高橋さんは、自身が小説を読む理由をこう述べています。

高橋源一郎twitterより
小説の、というか、芸術の「論理」は、「地上の論理」ではないはずだ、ということです。仮に、それが商品として流通していようと小説を読む。そこに「わからない」なにかがある。そこには、ゴルゴダの丘に登ったクレージーな男がやったことと同じなにかがあります。地上に生き、そこで死んでゆくはずのにぼくたちにとって理解できないなにかが。だからこそ、ぼくたちは、懲りずに明日もまた小説を読むのです。


本書には、とてもたくさんの「わからない」なにかがありました。そして、それは抱きしめたくなるほど大切ななにか、のような気がするのです。そういう小説には滅多に出会えません。

『さようならギャングたち』以降の作品はあまり興味を持って読めなかった(前衛小説家というイメージだった)のが、ここ最近の高橋さん、ツイッターでのつぶやきでもそうなんだけど、なんというか、溢れている。まるで馬鹿なほど、溢れている。そしてぼくは、まさにそこに共鳴するんです。まさに、いま、同じような経験をし、(たぶん)同じような気持ちを体験しているから。子どもの可愛さを、可能性を、肌で感じるから。この人の発することばに、共鳴するんです。


マホちゃんが最後に言った台詞にガーンとなりました(ぼくもまた鈍感でした)。
ぼくたち夫婦にとって、それはとても大事なことでしたから。
ああ、これはたましいのものがたりだったんですね。


隣でくーくー寝ている息子を抱きしめたい気持ちになりました。



追記:
コーフンした勢いで源一郎さんにツイートしたらお返事いただきました。
ありがとうございます。いますぐ抱きしめてあげてください! RT @singstyro @takagengen 『「悪」と戦う』拝読しました。隣でくーくー寝ている息子を抱きしめたい気持ちになりました。一気読みでコーフンして眠れませんので、一言お礼を。

その夜は息子の寝息を聞きながら、しあわせな気持ちで布団にもぐりました。

「悪」と戦う / 高橋源一郎

「悪」と戦う / 高橋源一郎 2010.06.07 Monday [読書] comments(0)
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民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか? / 神保哲生

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「政権選択選挙」

今回の総選挙を前に、しきりに強調されている言葉。
50年以上も政権交代が起こらなかった(細川連立政権の一瞬だけはありましたが)事が、政治の腐敗と、政治への不信・無関心を呼んだ事は間違いありません。かくいう僕も政治家には何の期待もしていなかったし、関心が無かった。政治・政策よりも政局ばかりに焦点が当てられたマスコミの報道に触れる度に、あんな気持ちの悪い世界は自分とは関係の無い世界だと思ってました。そのくせに小泉内閣のパフォーマンスには何も判らず踊らされたクチです。無知でした。その結果として今、格差社会を肌で感じるようになったからこそ社会保障問題に関心を持つようになったのは皮肉な事ですが。

当たり前と言えば当たり前なんですが、各党がマニフェストを発表し、その政策によって国民の支持を仰ぐという、そもそも選挙が行われる至極真っ当な目的に今回ようやく焦点が当てられた気がします。僕もそうですが選挙を前に、各党の政策や基本姿勢をきちんと勉強した人は多いのではないでしょうか。ただ、マニフェストを見ただけではどのような国づくりを目指しているのか判りづらいものです。僕はこの本を読んで、民主党がやろうとしていることを知りました。割と中立的な立場で書かれているので読みやすく参考になりました。

民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか? / 神保哲生

民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか? / 神保哲生 2009.08.24 Monday [読書] comments(0)
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ヒバクシャになったイラク帰還兵 劣化ウラン弾の被害を告発する / 佐藤真紀

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イラク帰還兵であるジェラルド・マシューは針で刺すような偏頭痛をはじめとした体の不調を来す。また帰還後に産まれた娘は右手の指が無いという先天的な障害を持っていた。ジェラルドはこれらが戦地に於ける劣化ウランの影響だとの疑いを持ち、軍に検査の要請をするが「あなたの娘の障害は劣化ウランとは関係がない」という判で押したような返答が帰ってくるだけだった。軍は劣化ウランの危険性さえも認めようとはしない。2005年9月、8名のイラク帰還兵とその家族がアメリカ合衆国陸軍省を相手に裁判を起こす。劣化ウラン兵器のイラク戦争での使用、劣化ウラン兵器の人体に対する危険性を知りながら、イラクに従軍した兵士に対して何ら警告を与えず、防御の為の措置を講ずることもなく汚染にさらし、帰還後も正確な診断をすることなく適切な治療をおこたったことに基づき、損害賠償を求めた。



僕は本書ではじめて「劣化ウラン」の存在を知ったのだが、湾岸戦争やイラク戦争で「劣化ウラン弾」という兵器が使用されたという事実を知っている人はどれだけいるのだろうか。その兵器が使用後も放射性を持ったまま放置され、ジェラルドのように前線ではなく武器の回収作業によってさえも被爆する危険性があるということを。そもそもが現地へ派遣される兵士でさえも「劣化ウラン」という言葉を知らない人が殆どだというのだ。いつだって被害を被るのは指揮を執る人間ではなく現場の人間だ。それだけに現場を知る人たちの声こそが、政府やペンタゴンの発表よりも生々しく真実を語っているように思う。政府に反する声を挙げることは多大な困難を伴う。ジェラルドは劣化ウランの訴訟を起こしてから、それまでの友人たちが全く連絡をくれなくなったそうだ。それでも自らの体験をもとに劣化ウランの恐ろしさを伝え続けることが兵器の廃絶につながると信じ、声を挙げ続ける決意をしたジェラルド夫妻に胸を打たれた。

日本では自衛隊派遣が問題になったが、後方支援として現地に赴いた自衛隊の人たちも被爆している可能性はあるわけで、しかしそういう危険性が論議にのぼることはまず無い。国家としてのアイデンティティだかイデオロギーだか知らないが、そのために犠牲になるのは必ず現場の人たちなのだという想像力を持たないと取り返しのつかないことになる。ウランの半減期は44億6400万年。イラクでは湾岸戦争後、先天性障害を持つ子供が急増しているそうだ。戦争の現場を知る人たちは必ず戦争の恐ろしさを語る。戦争を知らない世代ほど勇ましい。

ヨーロッパでは同様の帰還兵や家族に対する補償が認められた例が幾つもあり、さらにベルギーでは今年6月に、劣化ウラン弾禁止法が施行された()。日本は相変わらず様子見、というかアメリカ追従の姿勢を崩さない。日米関係がある以上率先して禁止の旗は振れない、というわけだ。そこまでして保とうとする日米関係って何なんだろう。

ヒバクシャになったイラク帰還兵 劣化ウラン弾の被害を告発する / 佐藤真紀

ヒバクシャになったイラク帰還兵 劣化ウラン弾の被害を告発する / 佐藤真紀 2009.08.03 Monday [読書] comments(0)
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グラウンド・ゼロがくれた希望 / 堤未果

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9.11以降、世界は変わった。

今となっては誰もがそう言えるだろうが、僕がそのことに気づいたのは恥ずかしながらここ1年ほどのことだ。きっかけは森達也の「いのちの食べ方」(これも良い本なのでいつか感想を書きたい)これ以降色々な本を読むようになり、世界が違って見えて来た。普段ニュース等で伝えられる事実は、物事の一面を映したものにすぎないこと、真実というものは多面的なものであるということ。

9.11以降、いよいよ世界の二分化が進んでいる。それはかつての冷戦構造のようなイデオロギーの二分化ではなく、もっと原始的で生々しい殺るか殺られるかの世界。強者対弱者の世界。報復あるいは自衛という名の下に戦争をけしかける強者、対して弱者にはテロという手段しか無いという状況。国際関係は緊迫感を増し、八方塞がりで解決の糸口も無いように見える。そしてもっとも怖いのは、僕のようにのほほんと暮らしてきた一市民にとって、そういう世界の構図すら見えていなかったことだ。9.11からもう8年が経つ。その間に起きたイラク戦争もアフガニスタン爆撃もパレスチナ紛争も、どこか遠くの世界で起きているニュースの上だけの出来事だった。自分とは関係の無いことだった。自衛隊派遣の問題もよく解っていなかった。でもそれでは駄目だったのだ。自衛隊はこの国の問題だ。それは憲法の問題に大きく関わってくるし、「戦争」というものをどう捉えるかに大きく関わってくる。全部自分に返ってくる問題だ。選挙での一票が戦争を、人の生き死にを決めると言っても過言では無い。

9.11以降、ヒステリックに報復を叫ぶ声が大きくなった。報復感情を煽ってブッシュ政権は8年間続いた。今の北朝鮮に対する日本の感情もこれと似た構図だ。報復感情というのはわかりやすい。これに対して理性的に待ったを唱える声もまた出て来た。アメリカは共和党にNOを突きつけた。北朝鮮の拉致問題では当事者である元家族会事務局長の蓮池透さんが「拉致」という著書を出版した(具体的内容はこちらも参照)。報復感情というのはわかりやすいけど、なんかおかしいぞ?と思う人が増えていていると思う。それが9.11以降の世界の二分化。



9.11以降の世界情勢を分析することは、いわば誰にでも出来る。この本が、かつてなく僕の心を揺さぶったのは、彼女がまさにその9.11の現場(隣のビル)に居合わせた本人であるからだ。事件後、ショックでPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥った彼女がいかにしてジャーナリストを志すようになったのか。女性の感覚で回想される数々の出来事は、全てが実体験であるがリアリティを持つ。また明晰な論理というよりも、女性的な感覚で書かれた文体であるためにかえって真に迫ってくるものがある。

そして僕はこの本で泣いた。
それは帰国後、彼女が通訳を務める酒田市での講演でのフランク・ドリル氏のスピーチなのだが(内容は伏せておきますが)、ものすごく深い一言であり、核心を付く言葉だと思う。この講演の場に居合わせたかった。。。平和都市宣言をしている酒田市では毎年平和講演を開催しているようなので、今後チェックしてみたい。


改めて振り返ると、ロックが好きでラブ&ピースに憧れる“なんとなくリベラル”だった僕が、明確なリベラル的考えを持ち始めたのは、本書の著者をはじめ渋谷陽一や森達也、蓮池氏のように、何かおかしいぞ?を発信し続ける人たちの影響であり、その草の根活動には敬意を表したい。
現在でも紛争が続く現場ではNGOとして武装解除にあたる日本人もいる。
世界には、知らない事がたくさんあります。

グラウンド・ゼロがくれた希望 / 堤未果

グラウンド・ゼロがくれた希望 / 堤未果 2009.08.01 Saturday [読書] comments(2)
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宇宙兄弟 / 小山宙哉

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'このマンガがすごい'ランキングで上位にあったので気にはなってた。
(1位の「聖☆おにいさん」はいまいちだったけど。)
創夢館で借りてきて4巻まで一気読み。おもしろかった。

いわゆる少年ジャンプ黄金世代、友情・努力・勝利のマンガで育った身としては、最近まともに読めるマンガがほとんど無くて、嗚呼わたしも年をとったのかなあなんて思ったり、でもアキバ系の萌え系っていうの?やたら女の子ばかりのマンガ(アニメ?)は絵柄自体が生理的にダメだし、あの少年ジャンプでさえも萌え系の香りがするのは気持ち悪くて、最近の少年マンガとは感性の断絶感がありマンガ自体あまり読まなくなっていたんだけど、この『宇宙兄弟』は久しぶりにおもしろいと思った少年マンガ。

1巻はギャグも空回ってる感じでいまひとつだけど、徐々に練れて来て3巻あたりでぐんぐんおもしろくなる。なによりも、友情・努力・勝利というもはや捨てられたかに見えた青臭い気質が根底に見て取れるのが嬉しい。熱血主人公。ベースは熱血なんだけど熱血すぎないところ,かるい感じ、その距離感が現代的で心地よい。ちょこちょこ挿まれるギャグもスパイスとして効いてる。

とにかくシニカルで虚脱感を感じるマンガが溢れる中で、夢とか希望とかを大まじめに描くのは気恥ずかしいけど、こういうのが正統派の少年マンガだと思うなあ。若い人にはこういうのを読んで欲しいな。

4063727327宇宙兄弟 3 (3) (モーニングKC)
小山 宙哉
講談社
2008-09-22

by G-Tools


ところで、創夢館が5/6で閉店するとのこと。
コミックのレンタルをたまに利用していたので残念。
でも改めて見てみたらDVDの在庫とかかなり少なかったんだね。
数年前のマックスバリュー閉店に続き、
バイパスのこっち側が寂しくなっていくなあ。。。
芸工大生は不便じゃないのだろうか。

宇宙兄弟 / 小山宙哉

宇宙兄弟 / 小山宙哉 2009.04.02 Thursday [読書] comments(0)
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激論!「裁判員」問題

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5月には実施される「裁判員制度」。
書店などでは、反対意見の題名を冠した著作をよく見かけます。
そもそもなぜこういう制度がはじまるのか、国民にはほとんど知らされていません。公式サイトには「より国民の理解しやすい裁判を実現する」ためと記されていますが、いまいちよくわかりません。ぼくも以前はこの制度に反対でしたが、この本を読んでみてすこし考えが変わりました。



「プロである裁判官のように多くの人を見てきた経験が圧倒的に少ない一般市民が、人を裁くというのは相当に危険だと思う。」
これは、以前ぼくが裁判員制度に対して危惧していた点です。これは今でも変わりません。なにか事件が起こった時、メディアによる論調の一元化とそれに伴う実態のない世論というものに気味の悪さを感じています。ニュースは被害者感情を煽るワイドショー的な報道ばかりになり、加害者には報復をという厳罰化、一億総検察化、間違ったことの言えない空気。無意識のうちに刷り込まれている“世論”的感情に、一般の人は簡単に影響されると思うからです。

ところが、本書を読んで驚きました。
そういった“世論”に左右されるのは、むしろ裁判官のほうだというのです。すなわち一生に一度きりの裁判員よりも、この先も仕事としての裁判をしていかなければならない裁判官のほうが、世論に逆らった下手な判決は出せないのだと。これには納得してしまいました。さらに、現行の刑事裁判がいかにずさんで問題の多くあるものであるかが述べられています。ちなみに本書は裁判員制度に賛成の立場と反対の立場からのお二人による対談になっていますが、現行の刑事裁判への批判はお二人とも共通しているようでした。確かに、刑事裁判がどのように行われているか、その実情なんて全く知りませんでしたし、知りもせずに制度に反対していました(世論なんてその程度の浅はかな感情論によって形成されるものだと改めて思います)。

賛成派(といっても全面賛成というわけではなく様々な問題点は改善しなければならないという上での意見でしたが)の高野隆弁護士は、国民が裁判に参加することにより、今までの裁判で多発していた冤罪が減らせるのではないかと期待しています。確かに、現在の裁判が本書で指摘されているようにお役所的な病巣を抱えているものであるならば、一般裁判員のほうが事件を真剣に考えるものかもしれません。であるならば、司法改革の柱のひとつとしてのこの制度も、意義のあるものになり得ると思います。

個人的なことを言うと、ぼくは死刑制度には反対です。そもそもが人が人を裁くという事自体にも疑問を感じています。もし自分に裁判所候補者の通知が来た場合にどうしたらいいのか、考える糸口になりました。

激論!「裁判員」問題

激論!「裁判員」問題 2009.02.28 Saturday [読書] comments(0)
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