マイケル・ムーア『キャピタリズム』

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なんか既視感があるなあと思ったら、前にもいちど借りていた。そのことを忘れて自然に手が伸びたのは、時代の要請かもしれない。アメリカに遅れること数年、ここ日本でも現在、いわゆる「リベラル派」のトレンドは、資本主義への懐疑的視点にある。地球上の資源には限りがあり、少子高齢化が進み労働人口が減りゆく中で、先進国が永遠に経済成長し続けることは可能なのか?社会保障は持続可能なのか?自由競争原理によって市場が淘汰されることで安価で良質なサービスが提供されていく一方で、安価で良質なサービスを提供するために搾取され犠牲になっている人たちがいるのではないか?グローバル企業の台頭で、私たちの生活はほんとうに豊かになるのか?私たちの消費行動ひとつひとつが、資本主義の暴走に加担しているのではないか?

いま日本でも、都市に就職することを避け、里山で農業を始める若者が増えているのは、巨大市場の中で自分が「消費者」という記号に取り込まれるのを忌避する本能的行動だと思う。かつて、若者がチャラチャラするのは、特定のイデオロギーに取り込まれないための身体的知恵であったように。

マイケル・ムーア『キャピタリズム』が公開されたのは2009年。主にそこから数年前のアメリカのすがたが描かれている。「資本主義こそが、これまでアメリカを豊かにしてきた、そしてこれからも豊かにする最善の道である」と、当時の大統領ジョージ・W・ブッシュが語るシーン。彼の言葉が思い描くような、ウォール街の大胆な「規制緩和」が、どのような結果をもたらしたかはすでに歴史が示している。サブプライムローンに端を発する世界金融危機が起こったのが2007〜08年。低所得者層が夢見たマイホームは、国民の税金によって救済された銀行により、あっという間に差し押さえられた。


著者 : マイケル・ムーア
ジェネオン・ユニバーサル
発売日 : 2010-05-26



1%の富裕層が、95%の層全ての所得を足したよりも多くの富を所有しているという指摘は、いまではよく耳にする。Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)運動とは、まさしく文字通りウォール街(1%)に対する市民(99%)の声であった。民主主義を押しつぶそうとする資本主義の暴走に対する、民主主義を守ろうとする、実践しようとするレジスタンスであった(参考)。

アメリカの圧倒的な格差社会は、ジャーナリストの堤未果氏によるベストセラー『貧困大陸』シリーズでも克明に描かれている。日本とアメリカの関係を語る上で、このシリーズは必ず読んでおかなければならない一冊だと思う。


著者 : 堤未果
岩波書店
2008-01-22
著者 : 堤未果
岩波書店
2010-01-21
著者 : 堤未果
岩波書店
2013-06-28


彼女が同書でレポートした「庶民にとってのアメリカ」が、『キャピタリズム』では現実の映像として写される。

銀行により家財を差し押さえられる現場。実際に差し押さえの現場で作業を行うのもまた労働者であり、なんて酷いことをするのという声に対し、彼らは彼らにも自分の生活があるのだと言う。ムーアの父親がかつて勤めていたというデトロイトGMの工場跡地は、「豊かなアメリカ」の現在の姿を象徴しているかのように寂寥とした風景に変わっている。花形職業というイメージのある飛行機のパイロットの現実は、バイトや小遣い稼ぎをしなければ生活ができない程の待遇であるという。彼らは空を飛ぶのが好きだから続けてはいるが、いまのままでは安全性が確保されるはずもないと嘆く。もちろんこれも自由市場が招いた価格競争の行く末。民営化の波は刑務所にも及ぶ。外観の見た目がいかにもクリーンで子供に優しそうな民間の少年院「PAチャイルドケア」では、「教師に暴言を吐いた」「家庭内で皿を投げた」等という理由で連れてこられた少年たちに対して判事はあらかじめ有罪が決められているかのように説教する。受刑者が多いほど儲かる仕組みになっているため、房を空けないように刑期が延長されることもあるという。それも法的手続なしで。大手企業では末端の従業員にまで生命保険をかけている。保険金の受取人は企業側だ。長年ウォルマートに勤務していた男性は、同じく同社でパートをしていた妻を若くして亡くしてしまう。会社が守ってくれると信じていた男性に残されたのは、10万ドルの医療費とふたりの子供だけだった。ウォルマートは彼の妻の死によって8万ドルの保険金を手にしている。社員が死亡すると儲かる。企業にとっては、下りる保険金の額が高くなる“若い女性”ほど、儲かるという理屈になる。

アメリカの、行き過ぎた資本主義が招く強欲、冷酷、非人間的な「現実」は、ここでは書ききれないほどだ。『キャピタリズム』や『貧困大陸』ではその一端を垣間みることができる。胸くそが悪くなるような「現実」ばかりで、そのむかし日本人が憧れた「自由と平等の国アメリカ」は、もうそこには無い。できれば直視したくないと思ってしまうだろう。

『キャピタリズム』も『貧困大陸』も、遠いアメリカの出来事を描いた作品ではない。これらの作品が描く「庶民にとってのアメリカ」の現在のすがたを知って、「アメリカって怖いな〜」で終わってしまったらちょっと残念だ。日米安保もTPPもぼくたちの生活とすべてつながっている話であるからだ。日本でも格安の航空券が手に入るようになった。長距離バスの事故により運転手の過酷な労働環境が明らかになったこともあった。刑務所を民営化するという話が出たこともあった。TPPでアメリカが欲しいのは自由な競争なんかじゃない。自国の99%を食いつぶしてしまったグローバル企業が新たな市場を必要としているということだ。

「資本主義こそが最善である」と規制緩和を推し進めたジョージ・W・ブッシュが、いかにも大根役者のように原稿を読むのが丸分かりであった白々しい「演説」を見て、うわあ、これ安倍首相そのものじゃんと思ってしまった。世界金融危機から5年、日本はアメリカの後追いをしている。ウォール街にて首相がドヤ顔で演説したアベノミクス。しかし「大胆な規制緩和」で喜ぶのは、金融市場だけである。「財政出動」で潤うのは大手ゼネコンだけである。いくら傀儡にすぎないとはいえ、ブッシュも安倍晋三も「1%」のための政治をしているのは明らかである。ぼくたち庶民は、いつか自分も「1%」に入れるかもしれない、努力すれば必ず報われる、夢はきっとかなう、と言い聞かされて育った。いまもどこかでそう思っているし、それが間違いだとは思わない。けれども「1%」側には、そんなつもりは毛頭ないのだ。そのことはきちんと認識しておく必要がある。

§



いままでの、資本主義 VS 社会主義という構図だけではものごとを説明しきれなくなっている。劇中に登場するキリスト教の司祭は、資本主義は民主主義に反すると語る。いまや、これは敬虔な宗教者だけの見解ではない。フランスの文化人類学者エマニュエル・トッドも同様の指摘をしているし、内田樹氏や平川克美氏など日本の有識者が世界のグローバル化についての考察を語るようになり、また彼らの著作が売れ始めたのはここ数年のことだ。同じことを感じている人が、同時多発的に増えているのだと思う。

はじめの話に戻るが、都市に就職することを避け、里山で農業を始める若者が増えているのは、巨大市場の中で自分が「消費者」という記号に取り込まれるのを忌避する本能的行動だと思う。行き過ぎた資本主義に対するアンチテーゼであり、自らの身体活動を通した自らの手の届く範囲でのレジスタンスだ。

§



ここに書いたような話は、世界的な潮流であり、数多くの識者が語っているし、多くの人が肌感覚として感じていることではないかと思う。ちょっとググれば、もっと詳しく書いてある記事はたくさん出てくる。それを超えるような見聞を持っているわけではないので、単なる印象論として、誰も指摘しないようなことも書いておく。

前回観た時は気にもとめなかったのだけれども、今回『キャピタリズム』を観て個人的に引っかかったのは、カーター元大統領の演説シーン。ほんの少し挿入されただけで、演説そのものが心に響いたというわけではないのだが、その後の大統領選でレーガンが圧勝、俳優出身のレーガンはテレビ映えのする「明るく強いアメリカ」を打ち出し、資本主義を推し進めたという経緯を知り、それまで名前しか知らなかったカーターのことが気になった。レーガンが圧勝し「明るく強いアメリカ」を打ち出したのは、カーター政権への反動ではないかと感じたからだ。

簡単にググったところによれば、人権を尊重し軍事費を削減したカーターの外交は弱腰外交と揶揄された。内政の失敗もあり、レーガンに大差で敗れ1期で失脚。「人権外交」を掲げたカーターは大統領としては実績を残せなかったが、退任後に積極的に平和的な外交活動にコミットし続け、ノーベル平和賞を受賞。「史上最強の元大統領」、「最初から『元大統領』ならよかったのに」と、賞賛と半ば皮肉をこめて国内外のマスコミに呼ばれた。

似てないだろうか?鳩山政権と。カーターの理想主義っぽいところやバッシングのされ方なんかが鳩山さんと似てるんじゃないかとすごく思った。政界引退後も平和活動にコミットしようとしている点も。それから、鳩山政権(民主党)への反動で、安倍政権(自民党)がネオリベ的な政策を推し進めている点も。日本はアメリカの後追いをしている。アメリカを知ることは、日本を知ることでもある。ジミー・カーターのことをもっと知りたいと思った。彼が何を主張し、アメリカ人は何を期待し、何に失望したのか。鳩山由起夫のことをもっと知りたいと思った。彼が何を主張し、日本人は何を期待し、何に失望したのか。

日本人は民主党に何を期待し、何に失望したのか。当の民主党自身がそれを総括できていない以上、4年前に票を投じた有権者自身がそれを顧みないといけない。ぼくは北欧の社会に憧れを抱いているが、日本ではそれは実現しないだろうと諦観もしている。じゃあ近づくことはできるだろうか。だとしたら、何をどう変えていけばいいのだろうか。そこを明確にできなければ、次世代にバトンを渡すことができない。

ムーアはこうも言っている。「1%にも99%にも等しく同じ一票の選挙権が与えられている。彼ら(1%)はそれを怖れている。」だからもっと成長できる(経済成長と人間的成長を敢えてダブらせたりして)と夢を見させるわけだ。しかし資源には限りがある。少子高齢化も解決していない。これから先進国が目指すべきは、成長戦略ではなく成熟戦略であると、ぼくも思う。行き過ぎた資本主義に疑問を抱くことは、資本主義を全面否定することではない。要はバランスの問題だ。かつてアメリカで反戦を訴えたヒッピーたち、ウォール街のOccupy Wall Streetに集まった人たち、そして里山に向かう若者たち。彼らが見ているものと、そう遠くない気がする。

マイケル・ムーア『キャピタリズム』

マイケル・ムーア『キャピタリズム』 2013.12.26 Thursday [音楽・映像] comments(4)
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山中 (2013.12.27)

共感します。キャピタリズムは僕もDVDに録画しててたまに見ています。何度見てもショックです。
僕も北欧の福祉政策に感心していたし民主党にも期待していた側なので最近の政策路線がほんと残念です。でも、だからどうすればいいのかというと、若干民主主義にというか選挙という制度にも呆れ気味でよくわからないでいます。まだまだいろんな事を学ぶ必要があるのかなと思っています。が元がぐうたらなんで。。机は積ん読の山なのですけど。
失礼しました。

山ざわ (2013.12.27)

政権交代という、日本の憲政史上に残る出来事に立ち会えたことは、その後の迷走も含めていろいろなことを考える上での原体験になったと思っています。ぼくの場合はたまたま子供が生まれて政治に関心を持つようになった矢先の政権交代だったので、なおのこと。まだたったの数年なんです。だから、これまでずっと政治についてマジメに考えてきた人とはバックグラウンドも違うし、感じるところも違うかもしれない。分からないことがたくさんあるし、知りたいこともどんどん出てくる。知れば知るほど絶望したくなることが多いけれども、ぼくにとっては、あの暑い夏の政権交代こそが原体験であり、やっぱりそこを考えていきたいと改めて思いました。

山中 (2013.12.28)

民主党の政権交代の時、僕はまだ某電機の技術職員でした。選挙の時、組合の組合長から「君たちのような若くて大変な人たちこそ暮らしがよくなる、賃金が上がるから。」というような話をされて、確かに少ないお給料とどんどん長くなる残業時間に「暮らしが少しでも良くなれば…」というありきたりな思いで民主党に投票しました。その後の僕は結局、子育てと仕事とのバランスが取れず退職しました。僕にとっての政権交代はそういうありきたりな理由の投票動機で、結果的には何も変わらないまま、子育てと向き合うということを選択しました。僕にとっての政権交代は、ほんとに無知の極みのようなもので僕にとっての原体験というものがあればそれはその時の選択、子育てだろうと思います。社会や労働環境に縛られないで妻とともに穏やかな生活、子育てをやりたいと。
今はそういうような事を考える暇もなく、憲法や平和というものさえ変わりそうな状況に腹が立っています。
民主党の政権交代の時に読んで感動した「成熟日本の進路」という波頭さんの言葉が今でも頭から離れないです。

山ざわ (2014.01.13)

山中さんが選択した子育てという進路は日本の男性ではマイノリティな選択だし、それ自体が大きな原体験になっているのではと想像します。というか、そのような決断をされた山中さんのことを、いつもすごいなあと思っています。仰る通り、ワークライフバランスについて考えるような時間的、金銭的な余裕がほしいですね。時間的、金銭的な余裕の無さが考える時間と選択の余地を無くしていると思います。










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