特定秘密保護法案が可決されて思ったこと

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12月6日夜、特定秘密保護法案が参議院本会議で可決された。



拙速に採決を急ぎ、強行的な手法で法案を可決させた与党であるが、これだけ多くの著名人が反対を表明する法案が、かつてあったんだろうか。それこそ「有識者」の多くが反対している。

「特定秘密保護法案に反対する学者の会」は、わずか数日で3000名を超える学者の賛同を得た。3日に行われた記者会見では、様々な識者が同法案の問題点について語っている。内田樹さんのブログに全文書き起こしが掲載されているので一読されたい。

12月3日の「特定秘密保護法案に反対する学者の会」記者会見 - 内田樹の研究室
特定秘密保護法への学者の会からの抗議声明 - 内田樹の研究室

また、「特定秘密保護法案に反対する表現人の会」でも、数日で1万人を超える賛同者が集まった。ぼくもデザイナーとして賛同した。
高畑勲、山田洋次らの呼びかけで結成された「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」には、宮崎駿、是枝裕和、吉永小百合、大竹しのぶら日本を代表する映画人の賛同が集まった。

条文はこちらから読める(特定秘密の保護に関する法律)。が、こういう官僚文章にアレルギーのあるぼくには、何を言わんとしているのかほとんど理解できない(ほんとに、生理的にダメなのだ)。条文を読まずに批判するのはおかしいと言う人もいるかもしれないが、だいたいそう言う人も読んでいないだろう。法律の素人である市民ひとりひとりがすべて条文を読み込む必要があるとは、ぼくは思わない。そのために専門家がいるわけだから。(だから、どの専門家が自分の肌感覚に合っているのかを普段から意識して観察し、信頼できる専門家を自分なりに心得ておく必要がある。)

はっきり言って、問題がありすぎてどこから説明したらいいのか途方にくれてしまうのだ。ぼくは、この法案の問題点を、論理的に、端的に他人に説明できるだけの頭脳も労力も持ち合わせていないので、各自で調べてみることをおすすめする。ちょっとググればいくらでも出てくる。

特定秘密保護法の問題点について、政治学教員の岡田憲治さんはこうまとめている。(出典
・特定秘密の指定について恣意的な運用が可能であること
・行政府の権限を無限に拡大する恐れがあること
・情報開示の方法と原則について明確な規定を持っていないこと
・第三者のチェックが周到に排除されていること
・条文の中に共謀罪とほぼ同等の規定がこっそり書き込まれていること
・「適性検査」という信じがたい人権侵害規定が含まれていること
・想定されている同盟国(米国)に対して無力なこと
・罰則規定が重すぎること

法律であるのに、定義が曖昧である(そのくせに罰則は重い)というのが、キモである。平川克美さんのツイートを引用する。

この法案のキモは、誰も指摘していませんが、一望監視システムと同じところにあります。この法案の不備が指摘されていますが、不備であればあるほど効果があるのです。実際に法適用される必要もない。ただ、法案があればよい。それだけで、誰もが疑心暗鬼になる。
法律というものは、常にその侵犯の最低ライン(マージナルライン)を明示することで成立します。時速40km制限は、侵犯の最低速度はここですよと示している。基本的人権は人間的な生活の最低ラインを示している。しかし、特定秘密保護法にはその最低ラインがないのです。権力にとって、これほどコストがかからずに、効果が大きい法律はないのです。
この法律はあちらがわからはこちら側が丸見えだが、こちら側からは鏡のように自分しか見えない。この非対称性がこの法律のキモだということです。(以上引用

特定秘密保護法が恐ろしいのは、それが権力側に都合よく利用されるという理由ももちろんあるが、「出る杭を打つ」というカオナシのような国民性と符号するからだ。自分はこんなに我慢している。だから我慢してない奴が許せない。他人に我慢を強要し、声を上げるものを全力で引きずり下ろそうとする。
警察国家というものは、国家権力による横暴だけではおそらく成立しない。誰もが疑心暗鬼になり、隣人を監視する社会、相互不信といった心象が広がったときに、監視社会は成立し得る。日本には、村八分という伝統もある。集団(多数派)に個が埋没したときに、いかに恐ろしい同調圧力が生まれるかは多くの人が少なからず経験として知っているはずだ。

§



法案の中身だけではなく、その可決までのプロセスにもこの法案の恐ろしさが表出している。というか、与党がいかにしてこの法案を可決させたかというその行為そのものが、この法案がいかにして運用されるかを物語ってる。

11月26日、特定秘密保護法案が衆議院で強行採決されてから、わずか10日あまりで参議院で強行採決されるまで、国会がいかにして運営されたか、嫌というほどツイッターでまわってきた。恐ろしい、おぞましいその現実を、嫌というほど知らされた。
往年の自民党世代である野中広務氏は「戦争の足音が聞こえてくる」と、秘密保護法案を批判している。いまの自民党は、往時の自民党ではない。「自民党」という括りや、右翼や左翼といったカビの生えた価値軸でものごとを見ようとすると本質は見えてこない。

12月4日、国会は徹夜で行われ、深夜3時、何の落ち度もない民主党籍の委員長2名が「野党の委員長なんて必要ない」という理由で、与党の賛成多数により解任された(2013.12.04-2013.12.05 真夜中の国会 - Togetter)。きわめて野蛮な、数の暴力に他ならない。集団(多数派)に個が埋没したときの横暴なる人の姿だ。議会の存在を否定するような、こんな国会を世界が見たら誰が日本を民主主義国家だと思うだろうか。野蛮な法案を野蛮なやり方で押し通す野蛮な国だとしか思えないだろう。

わざわざこんな深夜に委員長を解任するという暴挙。衆人環視が無ければ、権力は必ず暴走する。真夜中の国会はそれを如実に示している。彼らが何をやろうとしているのか、分かっていながら、反対する声が上がっていながら、それを止める手だてが無い。ほんとうにどうしようもない歴史の目撃者になってしまった。

正直に言って、こんな歴史の目撃者になんかなりたくなかった。生来めんどくさいことは嫌いな性質だ。しかし、知ってしまったからには目を背けられない。こんな異常な国会運営を強行する人たちに政権を与えてしまったのも我々なのだから。シニカルに構えていえれば事が過ぎ去るという時代はもう終わったのだ。


§



「特定秘密保護法」を、戦前の「治安維持法」をなぞらえる向きもある。ぼくも直感的に同じ匂い、相似性を感じる。あるいはアメリカの「愛国者法」と比較してもいいかもしれない。

政治社会学者の栗原彬氏は「監視されるべきなのは、行政府であるのに、逆に、市民が、とりわけ、異議申し立てをする市民が、取り締まりの対象になっていく」「これは現代の治安維持法です。治安立法なんですよ。ナチの全権委任法に限りなく近いんです。行政府が、これは特定秘密に触れているというふうに判断すれば、何でも取り締まりができる」と述べている(出典)。

治安維持法 1925年制定。28年の改正で最高刑が死刑に。41年の改正により予防拘禁(犯罪の恐れのある者を、犯行が行われる前に拘束し犯罪を未然に防ぐ)制度が導入。権力に従わせる法律として暴威をふるう。拷問による虐殺・獄死194人、獄中での病死1503人、逮捕・投獄者は数十万人。

1945年、治安維持法はGHQの指令により廃止された。逆に考えると、GHQの介入が無ければ存続していたのかもしれない。日本人には、秘密保護法のようなモノを望んでしまう体質が無意識のうちに潜んでいるのだろうか?

であるならば、稀代の悪法と云われる治安維持法がいかなるプロセスで成立し、どのように運用され、改正され、社会にどのような影響を与えたのか、その歴史を知ることに大きな意味がある。1979年生まれの若き学者、中澤俊輔氏による『治安維持法 〜なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』は、まさに今読むべき本ではないかと思う。



同書のコピーより。「言論の自由を制限し、戦前の反体制派を弾圧した「稀代の悪法」。これが治安維持法のイメージである。しかし、その実態は十分理解されているだろうか。本書は政党の役割に注目し、立案から戦後への影響までを再検証する。1925年に治安維持法を成立させたのは、護憲三派の政党内閣だった。なぜ政党は自らを縛りかねない法律を生み、その後の拡大を許したのか。現代にも通じる、自由と民主主義をめぐる難問に向き合う。」

§



12月6日、参議院での採決についても記しておく。本会議に先立つ特別委員会での質疑を、ぼくはネット中継で見ていた。

共産党の議員や福島みずほさんはこういうとき本当に頼りになる。強度が違う。維新の議員はアリバイ作りのための質疑。議事録上では慎重意見ということになるだろうが、喋り方で分かる。(民主党・みんなの質疑は見れなかった)
その後、元自衛官の自民党議員による質疑。国民の不安、誤解やミスリードを払拭するために、説明していく必要があるんですよ、と森大臣に詰め寄る。森大臣は野党に対する答弁と違って、たいへん流暢に答える。これが絵に描いたような茶番でほんとうに気持ち悪かった。そうだそうだ、と拍手喝采するヒゲの隊長。
突如「石井浩郎くん」。立ち上がり、何の脈絡もなく委員長のもとに駆け寄る石井議員。複数の議員も詰めより場内は騒然。「ダメダメ」の声が響く。何が起こっているのか分からない。委員長の眼前で紙キレをピラピラさせる議員。なにこれ?と思う間もなく散会。ツイッターで知るまで、採決されたとは分からなかった。

後で動画をよく見たら、石井議員が委員長に駆け寄り場内騒然としている中で、ヒゲの隊長が自民党の議員に、立て立てとゼスチャーしていた。騒然として委員長の声も聞こえない中で、自民党の議員が立っていた。それに対する確認も何もなかったが、あれが「採決」ということなんだろう。驚いた。めちゃくちゃだ。「強行採決」というより「不意打ち」だ。学級会の多数決より酷い。


写真はthe guardianより



法案のマズさもさることながら、本当にやり方が汚い。圧倒的多数を誇るはずの与党が、こんな不意打ちみたいな汚いやり方をしないと通せない法案って何なんだろうか。こんなことして恥ずかしくないのだろうか。どこが「美しい国」なのか。立ち上がった自民党の議員は、これが「採決」ですと、胸を張って言えるのだろうか。

委員会議事録には、審議打ち切りの緊急動議も委員長による採決・可決の宣言もいっさい記録されていないそうだ(出典)。反対派・賛成派で受け取り方は異なれど、「強行採決」という言葉が独り歩きしている。しかしながら、「どうやって採決されたのか」「そもそも採決と言えるのか」が明らかになっていない現状ってすごくないか。国会がどのように運営されているのか、実はぼくはまるで知らないのだ。


同日夜、民主党は内閣不信任案、および森大臣に問責決議案を提出するが、他野党とのまとまりに欠けたこともあり時間稼ぎにもならなかった。こうして特定秘密保護法案は、参議院本会議でも強行採決され、可決された。

§



民主主義の発展や人権擁護に取り組む米財団「オープン・ソサエティー」は、特定秘密保護法が国家秘密の保護と開示に関する国際基準を「はるかに下回る」とし、「日本の一歩後退」を示すことになると懸念する声明を発表した。「21世紀に民主的な政府が検討した中で最悪の部類」とまで表現されている(出典)。

JNNの世論調査によれば、特定秘密保護法の国会審議について85%の人が十分ではなかったと考えている。同法の成立を「評価する」は28%、「評価しない」は57%。安倍内閣の支持率は54.6%だそうだ(出典)。

最低の法案が、最低のやり方で決められた。そう感じざるを得ない。

森雅子担当相は、「成立後は、あらゆる手段を使って必要性と懸念に対する説明を丁寧にしていきたい」と述べている。これから、多くの懸念はミスリードと認定され、報道は政府が示唆するような「正しい」伝え方をすることが求められるだろう。というか、採決前の質疑で元自衛官の自民党議員がそう言ってた。「報道機関にミスリードさせないようにする」。また同党の礒崎陽輔議員は、法案に反対するキャスターの意見を、中立義務違反であるとツイッターで述べている。反対デモはテロと本質的に変わらないと発言した石破幹事長も同じ体質である。

もう決まったんだから、いまさらイチャモンつけてんじゃねえよ。ネガティブなことばかり言いやがって。だったら対案を出せよ。そのように言いたくなる人も増えるだろう。それに対して萎縮する人も増えてくる。こんなこと言ったらミスリードになるんじゃないか、誠実な人であればあるほど発言を躊躇するようになる。そういった空気が醸成されることを、この法律は望んでいる。

これからは、抵抗することそれ自体が難しくなるということは覚悟しておかないといけないだろう。

§



後の自分のために、いま考えていることをもう少し噛み砕いて記録しておこう。

最近、自民党が強権的に事を推し進める際に自己正当化として用いるのが「サイレントマジョリティの信任を得た」という台詞だ。だけどこれは確かめようがない。なんせサイレントなんだから。あえて言うなら「高い支持率」がその根拠になる。しかしシングルイシューに的を絞れば、これは必ずしも当てはまらない。特定秘密法案に関しては、世論としても慎重論のほうが多かったはずだ。しかし与党は、「高い支持率」を、「サイレントマジョリティの信任を得た」と解釈して事を進める。

国会とはそういう理屈が通る場所であるということが今回痛烈に分かった。自民党の拙速で強引なやり方が発するメタ・メッセージは二つ。一つは、数に勝ればなんでもできるということ。もう一つは、反対意見はノイジーマイノリティとして片付けられるということ。

ところで、自民党の強権的なやり方の根拠となっている「高い支持率」であるが、前回の選挙で積極的に自民党に票を投じたのは約二割にすぎない。それで過半数を超える議席を得る圧勝となったのは、小選挙区制という選挙制度の問題である。これはよく理解しないといけない。なぜなら選挙制度を変え得るのも、選挙で選ばれた政治家であるからだ。たとえば、議員定数の削減という「身を切る」改革がどんな結果をもたらすか、言葉のイメージだけではなくきちんと想像しないといけない。比例区の定数を減らしたらますます少数意見は反映されにくくなる。「なんとなくよさそう」「やってくれそう」といったイメージだけで信任するのは無責任な大人だ。

ぼくがいちばん不可解なのは、二割の得票率でありながら、しかも個別の政策での支持は決して高くないのに、過半数を超えるという内閣支持率である。これはいったいどういうことなのか。
個別の政策についてはよく分からないけど、「なんとなくよさそう」「やってくれそう」だから支持されているという現象なのではないかと思う。とくに、選挙に行かなかった人たちが。二割の得票率で過半数の支持率とはそういうことだろう。

アベノミクスでも生活水準は上がらず、秘密法案のマズさが露呈してくると、安倍政権の支持率は下がってくる。選挙に行かずに「なんとなく」現政権を支持していた人たちは、べつに自民党を支持しているわけじゃない。政治に無関心であるか諦観しているか忌避しているかだけだ。その時に、彼らがますます政治に失望し、忌避し、さらなる「サイレントマジョリティ」を形成するのかどうかがターニングポイントになる。

であるならば、やるべきことはおのずと見えてくる。
サイレントマジョリティとは、与党への全権委任状に他ならないのだということを、選挙に行かない人たちに知ってもらうこと。そして、秘密法案はまさにそのようにして強行されたのだということを理解してもらうことだ。つまりそれらを伝えることだ。自分の言葉で。

数年前までぼくも完全なるノンポリ、無関心層だったので、そう思う。反対デモを「テロのようなもの」「嵐」と切り捨てる態度って、実はぼくらノンポリが共産党の人たちに向けていた視線(或いは泡沫候補に対する蔑視)そのままだったのだ。このことはよく反芻しよう。

自民党が今回の国会で見せた醜悪な姿は、集団(多数派)に埋没した時の個の姿だ。誰でもそうなり得る。民主主義を望むならば、ぼくたちは政治的立場の異なる相手とも対話しないといけない。相手を論破するためではなく、どこが違ってどこまでが同じであるのかを確認するために。互いに妥協できる落とし所を探るために。そのためには、ツイッターで定型的な言葉を拡散してもあまり意味がない。隣人に、自分の言葉で語らないといけない。だから今回起こったことと、それを通して自分が感じたことを、自分なりに覚えておくことはとても大事なのだ。

§



参議院での採決をめぐる攻防、反対デモの盛り上がりは、石破幹事長に「テロと本質的に変わらない」、安倍首相に「嵐」と言わしめるほどに大きなものであった。それはたしかに一時的な盛り上がりであったのかもしれない。けれども、こんな時に盛り上がらないでどうする。こんな時に平易を装うようなシニカルな態度にいったい何の意味があるのか。

特定秘密保護法(に限った話ではないが)に対する、いろいろな「人々の反応」を冷静に分析してみせるのは結構だが、いちばん大事なのは自分がどう感じるかだ。自分の問題なんだから。

特定秘密保護法に反対している人々は、反対「勢力」を拡大するために無関心層を懐柔して取り込もうとか、そういう「運動」としての反対活動には興味がないのではないかと思う。それよりも、ひとりひとりが自分の頭で、自分のこととしてこの法案のことを考える人が増えてほしかったのだ。意味も分からないまま「反対派」に多数を取り込むような行為は、たとえ短期的に効果のある行為であったとしても、長期的に考えると逆効果だ。自分の頭で考え、自分の身体で行動する日本人がひとりでも多く増えることこそが、民主主義の国をつくることにつながり、特定秘密保護法への「抵抗」になる。

今回デモに参加した人の多くは、「やむにやまれず」飛び出した人たちであると思う。デモに意味があるかないか、なんてしたり顔で見物することのほうが意味がない。國分功一郎氏によれば、「デモとは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである。テーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないと主張する人はデモの本質を見誤っている。デモの本質は、その存在がメッセージになるという事実、メタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。このメタ・メッセージを突きつけることが重要なのだ。」(出典


奈良美智さんは、絵を描くときに下書きをしないそうだ。
奈良美智さんのツイートより
自分は下書きとかしないので、いっつもぶっつけ本番で描いていく。
何を描くかもわからず、何かが見えるまで、ただただ手を動かしていく。
途中はこんな感じで、何も見えない・・・

で、いっつもひとり叫ぶ 「あしたはどっちだ!?」


下書きのない真っ白なキャンパスに、筆を下ろすのは勇気がいる。だいたいの場合、どうしてやろうかと雑念が入り一筆目を躊躇してしまうからだ。一筆目をどう入れようかという雑念は、他人からどう見られるかというプレッシャーと表裏一体だったりする。そうするとますます怖くなる。下書きしたくなる。

明日がどっちに転ぶか分かっていたほうが人は安心できる。安心したい。下書きしたい。奈良さんはなぜ下書きしないのか。なぜ「あしたはどっちだ」と身悶えしながら手を動かし続けるのか。
「何を描くかもわからず、何も見えないまま、ただただ手を動かしていく」ことではじめて「何かが見えてくる」からだと思う。そしてそれは、下書きからは決して見えてこない何かなのだ。自分が思い描く「下書き」なんて、ものすごく了見の狭い思い込みの世界にすぎない。奈良さんはそのことを知っているから下書きしないのだと思う。現実の世界は、明日がどっちに転ぶのか誰にも分からない。ただ手を動かすしかないのだ。

デモに行く人は、用意周到に下書きをしていってるわけではない。明日がどっちに転ぶのか分からないことを承知の上で、それでもやむにやまれず飛び出しただけだ。手を動かしただけだ。意味や結果ではなく、「群衆が街中に出現すること」それ自体がデモの本質なのだ。そうすることで初めて見えてくる世界というものがある。「行動」と「知」は地下水脈でつながっている。

アーティストがなぜ作品をつくるのかというと、「そうせずにはいられない」からだ。商業的価値軸では判断できないし、言葉で簡単に説明できるならそもそも作品なんかつくりはしない。「そうせずにはいられない」から街頭のデモに飛び出した人たちのことを、「何の意味もねーよw」などと嘲笑する行為は慎みたい。それは自分の尺度での「意味」でしかない。未だキャンパスに描かれていない「意味」もあるのだ。

子供の絵の何がいいかって、それはもちろん、下書きが無いから。下書きから自由だ、と言ったほうがいいかな。ぼくはそういう絵を見てるとわくわくする。


§



特定秘密保護法が可決された翌日、ぼくのツイッターのタイムラインは不思議なほど穏やかなトーンであった。もちろん与党の理不尽なやり方や、同法に対する懸念は相変わらずある。けれども、それらは怒りに任せてというよりもっと冷静なトーンであった。施行されるまでは1年あるし、反対世論はこれから高まるだろう。3年後には衆議院選挙もある。

悪夢のような「真夜中の国会」実況中継ツイートが流れる深夜のスマホの画面の中で、作家の佐々木中さんのツイートに胸が沁みたことを思い出す。

佐々木中さんのツイートより
みんな、おやすみ。明日は闘争だ。よく寝て、英気を養って、あいつらを叩き潰すんだ。あいつらをあの場所に居させたのは俺たちだ。なら潰すことだってできるはずだ。子どもたちが自由な世界で遊ぶ夢を、今夜は見よう。われわれにも夢がある。


子どもたちが自由な世界で遊ぶ夢ーーー。おなじ夢を見ている人がここにもいる。そう思うだけで少し救われた。デモに参加するのは、おなじ思いを抱く人たちがここにもいるということを確認するためでもあるだろう。

ほんとうにどうしようもない歴史の目撃者になってしまった。それでも、ぼくたち大人は、来るべき子供たちに希望を紡がなければならない。どうしようもない時代だからこそ、意識的にそうしなければ、数の暴力であっというまに消されていく時代だ。この両手に、子供たちの小さなぬくもりを感じている、そのぬくもりを知ってる大人たちは、いま希望の灯を点けないといけない。それぞれの持ち場で、それぞれ自分の言葉で、希望の灯を紡いでいかないといけない。そう思った。

平田オリザ氏の言葉を借りれば、日本はレジスタンスの時代に入ったのだ(出典)。レジスタンスは常にアンダーグラウンドでしか有り得ない。だから、意識的に希望の火を紡がなければならない。アンダーグラウンドであることと、レジスタンスであること、そしてポジティブであることは矛盾しない。やれることをやればいい。疲れたら休めばいい。

和合亮一さんのツイートより
真の 政治の季節が 必ず到来する
それまで あきらめずに したたかに しなやかに


岡田憲治さんの記事も紹介しておく。とてもいい文章だと思う。

祭りの後にするべきことについて 〜大切なこと3つ〜

そう、しなやかに。鋼のように。

§



特定秘密保護法案が可決された翌日、ぼくは久しぶりに実家に足を運び、これからについて両親と話をした(実はこれがいちばん苦手なのである)。それから家に戻り、妻が作った美味しい料理を食べて、少しだけビールを飲んで、家族でくだらないテレビ(エンタの神様)を見て笑った。じわじわと幸せを感じた。

本を読み、音楽を聴き、映画を観る。ごはんを食べ、たまにビールを飲む。子供らと遊ぶ。家族と話をする。仕事は自分からやっていく。やるべきことをやる。そんな気分になった。遅ればせながら。

シニカルに構えていれば事が過ぎ去るという時代は終わった。明日をつくるのも自分でしかないのだ。今までよりもずっと楽しんでやるという覚悟(やけくそじゃないよ)が必要だ。レジスタンスはポジティブなほうがいい。


岡田憲治さんの言うように、「SNSは、日々の記録をデータベース化させるのに絶好のメディアであり、記憶装置である」。この記事は、ここ数日の自分のツイートをまとめたものだ。もうすでに忘れていたようなこともある。だからこうして、ここに記しておく。

特定秘密保護法案が可決されて思ったこと

特定秘密保護法案が可決されて思ったこと 2013.12.09 Monday [政治・メディア] comments(1)
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いやいや、なに言ってんの!?おかしいでしょ! (2014.06.07)

読んでない!?ただの一般大衆で始終するならともかく、アナタ政治語ってんだよ!他人に政治の事で説教してんだよ。なのに努力は気に入った他人が言った事に同調するだけ?
読んでないとかお子様じゃないんだから、最低限のスタートラインに立つ事はしましょうよ!
そんな幼稚な考えじゃ大局的な視野を持てるはずがない。間違いなく思想が偏った人間と
の仲良しごっこで終わります。
アナタがしたいのは民主主義な議論じゃなくてお友達との馴れ合いじゃないの?










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