とり・みき『Mighty TOPIO』と『風立ちぬ』

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東日本大震災復興支援を目的に企画された作品集「僕らの漫画」に収録された、とり・みき『Mighty TOPIO』は、漫画という媒体の可能性を感じずにはいられない、珠玉の短編だ。全8ページ。




震災と原発事故に真正面から向き合ったギャグマンガというのはそれだけでも珍しい。

幾度も幾度もザセツと失敗をくり返してきた、メンマ博士の夢のロボット開発。博士が何度目かの稼働スイッチを入れたその瞬間、大きな地震と津波が研究所を襲う。瓦礫の山と化した街。2年半前にテレビや新聞で目にした、あの光景だ。そんな中、「ある力」によって動力源を与えられた博士のロボット「トピオ」は、復興のお助けをすることになる。

シンプルなタッチのイラスト、抑制された筆致で、あの瓦礫からの出来事がテンポよく描かれる。風刺の利いた台詞は、日本人なら、あるあると頷いてしまう展開だ。

そして、思わず息を呑むラスト2ページ。
被災地の瓦礫を、その高度な能力で片付けてしまったトピオが、「君にしかできない仕事だ」と告げられて、向かった先はーーー。

ラストに向かう8コマには台詞が一切入っていない。あの出来事から何十年後、何百年後の世界であろうか、そこに至るまでのストーリーを、台詞のない8コマが雄弁に物語る。その末に訪れる景色を、モノクロでありながら色鮮やかに描く。想像力が喚起され、読み終わった後には、これほんとうにたったの8ページだったのか?と思わず確かめてしまうくらい、まるで一編の映画を観終わったような余韻に浸ることになる。なんという表現力。

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とり・みきが『Mighty TOPIO』のラスト2ページで描いたもの、それは宮崎駿が『風立ちぬ』で描いたものと同じ質感を持っている。

『風立ちぬ』についての論評で、内田樹氏は、宮崎駿が描きたかったのは「物語としては前景化しないにもかかわらず、ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの」ではないかと指摘している(参考)。これには大いに共感する。ぼくも映画を観て同じ質感を感じたからだ。

「あの時代」ーーーそう呼ぶしかないくらい、その時代のことをぼくは知らない。実感としてはもちろんのこと、知識としても、語り継がれた物語としても、ほとんど知らない。同じ国なのに、まるで別の国で起きた出来事のように、断片的な情報でしか、知らない。であるはずなのに、スクリーンに向き合っているうちに、知らないはずの、その国の出来事、というか景色が、人々の息遣いや仕草が、まるで子供の頃に記憶した景色であるかのように懐かしく思えてくるのだ。
車窓から見える、里山の萌えるような緑とか、土埃の舞う街並みとか、石ころの混じったぼこぼこの散歩道とか、この時代に生きたことはないのに、そのすべてが有機的で美しくて懐かしかった。全編から立ち上ってくる鮮烈なノスタルジーが、風のように美しく、愛おしさに溢れた映画だった。

『風立ちぬ』を観て感じた「懐かしさ」とは、内田氏の言う「私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのもの」なのだ。
1976年に生まれたぼくは、映画で描かれた「あの時代」の「時間の流れ」は知らない。けれども、少なくとも現在の「時間の流れ」よりはゆったりとしていた自分の子供時代のことを思い出し、映画の景色と重ね合わせていたのかもしれない。あるいは、これからの時代、ゆったりとした「時間の流れ」を味わうことが難しいであろう自分の子供たちのことを頭に浮かべながら。

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とり・みき氏が『風立ちぬ』について書いた記事がある。
「風立ちぬ」戦慄の1カット - とり・みきの「トリイカ!」(日経ビジネスオンライン)

同記事中でとり氏は、「「風立ちぬ」はエゴイスティックな映画だ」と述べている。「作家や職人の、家人や世の大事や、ときには顧客すら省みない、いや、省みないように見えるエゴ」がそのまま作品に反映されているという点で、とり氏はこの作品に共感すると言う。エゴイスティックであるがゆえに「恐ろしいほど孤独で美しい」この作品が「大好きだ」と言う。

ぼくも共感する。共感すると言うとり氏の文章にも共感する。「大好きだ」と言ってしまうこの人が大好きだと思う。

『風立ちぬ』は、宮崎駿が描きたいものを描いた作品だと、とり氏は言う。それと同じように、ノーギャラで描かれたという『Mighty TOPIO』には、とり氏が描きたいものが描かれているとぼくは思う。とり・みきが『Mighty TOPIO』のラスト2ページで描いたものと、宮崎駿が『風立ちぬ』で描いたものが、同じ質感を持っているのは、偶然ではあるまい。

戦争や震災という、圧倒的に残酷な現実を前にして。それらによって失われてしまった景色を美化したいという、単なる懐古趣味でもない。戦争や事故を殊更に憎むわけでもない。ある意味では、その片棒を担いでいるのだ。大いなる矛盾の中で、ロマンチストだとか、幻想だとか言われようが、それを描かずにはいられない。そういうことだと思う。

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ちなみに『Mighty TOPIO』が収録されている「僕らの漫画」は、2011年3月末に東日本大震災復興支援を目的として企画され、iOSアプリでリリースされた。必要経費を除くすべての収益は震災遺児・孤児の育英基金に寄付される。27人の漫画家が無償で描いた漫画は全28作品、総ページ数380ページ、すべて描き下ろしと気合いが入った作品集である。現在は書籍化もされている。



普段それほど熱心に漫画を読まないので知らない名前ばかりだったが、味わい深い作品が多かった。ぜひご一読を。
それから、ぼくにこの漫画を教えてくれたumaimaiさん、ありがとう。

とり・みき『Mighty TOPIO』と『風立ちぬ』

とり・みき『Mighty TOPIO』と『風立ちぬ』 2013.08.20 Tuesday [読書] comments(3)
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うまいまい (2013.08.21)

こちらこそ、共感していただけるんじゃないかな〜と思ってオススメしたコラムやマンガを、こんな風に昇華していただいて、とても嬉しく思います。
「風立ちぬ」は、私も先週観てきました。(同じく夫婦で。しかも2人で映画観たの初めてっていう初心者っぷり。)
「破裂」に向かう、かなしい物語だなあ・・と、思いながら観ました。

山やま (2013.08.21)

あら〜、初めての映画館デートですか。いいですね、初々しくて。
かなしい物語・・そうですね。残酷なまでにかなしい物語でもありました。
観る人によってさまざまな感想を呼ぶ作品っていうのは、観る人の知識や体験やバックグラウンドに左右されるということであり、観る人の想像力に問いかけるということでもあり、つまり作中において分かりやすい説明が少ないというのは、解釈を委ねるということであり、作り手が観る人の知性を信じているということでもあり、そういう作品がぼくは好きなんだと・・・町山さんの解説(youtu.be/S8LBzoSx430 )を聞いて、ああぼくは分かっていないことがたくさんあるんだなあと知り、改めてそう思いました。

山中 (2016.12.27)

こんにちは🌞。今日は保育園の餅つきということで、待ってる間に改めて拝読しました。もう何年も経つのに、今更だと思われるかもしれませんが汗。漫画本さっきポチりました。届くのが楽しみです










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