なにを基準に投票するのか問題

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参院選まであと3日。
ネット選挙解禁によって投票率が上がるとは思いませんが、公示後もこうやって気にせず選挙のことを書けるという点において、ネット選挙解禁はよかったなあと思います。

と同時に、懸念していたように、意見の相違による対立構造の可視化、反目し合う勢力への非難の応酬も多く見られます。まあ、その手のいざこざはネット解禁以前からありましたし、民主党が政権交代する直前の自民党による怪しげなネガキャンがかえって反発を招いたことも思い出されます。選挙でのネガキャンといえば、アメリカなんかではもっと露骨らしいですけど。

対立構図の激化によって、知りたいことがかき消えてしまうのは残念だなあと思います。どっちが正しいとかどっちがデマだとか、そういうことよりも、単純にあなたの考えが聞きたいと思う。

内田樹さんのツイートより
参院選選挙戦後半になって、だんだんネガティブキャンペーンが苛烈になってきました。「・・・を落せ」というタイプの政治的発言を見る機会がここに来て増えてきましたけれど、僕はこういう文型で政治を語るのは「なんか肌に合わない」です。個人的趣味なので、一般化する気はないですけど。

発言が過激になるのは、基本的には有権者の判断力を信じていないからです。だから、驚かそうと思って、大きい声でずばずば断言する。どうして静かな声で情理を尽くして説くということができないんでしょう。そんな選挙ができている国は世界のどこにもないのかも知れないけれど、それでも。


個人的な趣味としてたいへん共感します。たしかに選挙は「戦い」であり「おまつり」であるのかもしれませんが、どうもあの「レース感覚」は好きになれない。個人的にめっちゃ支持したい候補者がいたとして、街頭でその人や選挙カーに会ったとしても、手をふったりはしないと思います。

じゃあお前は徹底的に各候補の政策を吟味して、比較検討した上で、クールに選んでいるのかと問われればそうでもない。「政策」で選ぶのか、「人」で選ぶのか、という命題に対してぼくは答えを出すことができていません。


上記の内田さんのツイートをきっかけに、とあるツイ友さんからメンションをいただきました。そこから展開していった会話がおもしろかったのでまとめてみます。村上さんとぼくとは支持政党が違います。だけど政治の話題についてはフランクにメンションし合える間柄でもあります。そういう距離感って貴重だなと思いつつ。


村上:
近い問題意識を持っている人の間で、いくつかの解決策となる候補がある場合が一番集約が難しい状況になるなぁと思います。問題について考えれば考えるほどそうなる、というのは本当に難しいです。
あまり考えてない人とか、逆の考えの人っていうのは説得の仕様もあるんですが、例えば保育園を増やしたいね、というふうな近い問題を抱えている人同士の場合「保育園を増やします」といってくれる候補者が複数いると投票先が分かれてしまうという。
そこで苛烈な言葉が出てくる状況になってくるとつらいなと…。どうでもよさそうなマジョリティは安穏と当選していき、何とかしたい人同士はともすれば反目したうえに共倒れ、みたいな。でも、選挙は通過点、という気持ちを忘れないでいきたいなぁというところです。

山澤:
ふむ、そうなると野党は結集せよという話になっちゃうんですかね。ぼくの場合は「苛烈な言葉」が生理的にダメなんです、選挙に限らず。たぶんそういうこと。
昨日、政策マッチングの「えらぼーと」なんてものをやってみたんですが、あんま参考にならないなと。いや、ほぼ合ってるんだけど、なんか足りないというか、こんなんで決めれないぜと。
「政策の言葉」だけでは投票原理にならないんじゃないかと。例えばマック赤坂は今回マトモなこと言ってます(えらぼーとならたぶんマッチングするはず)が、(自分が都民だとしても)投票しようとは思わない。じゃあいったい何なのか。

村上:
人それぞれ、なにかが響くんでしょうね。それが分かれ道とすると、あまりにも人の根本部分でのジャッジすぎてなおのこと一致させるのは難しいってことになっちゃいますね…。まあ、それで健全な状態とは思います。

山澤:
いや、そういうことだと思いますよ。「感覚」なんじゃないかなーと。感覚っつっても、直感だけじゃなくて、ロジックも含めた上での、肌感覚。
ロジック「だけ」では他人を説得できないのも、そういうことだと思うんです。やっぱり体験とか体感がないと理解できないし。「論破」で人は変わらない。

村上:
そういう意味ではどぶ板ってやつは意味があるんですよねぇ。程度が問題なのと、それ「だけ」じゃダメだろと思いますが。
「政治的な意見をかわすこと」がタブー視されてきているのはやはり同調圧力っていうか村社会というか、内田さんの本にも同趣旨の内容があった気がしますが、かなり打破が難しいのだろうなー。あと自分自身が否定されるかのように感じちゃう、のはなぜですかね?

山澤:
「政治」と「自分」が切り離されているからじゃないですかね。やっぱり昔は政治は「利権」で動いていたから、政治の話=利権の話だった。自分は「利権」には与してないということを殊更にアピールしようとする心理が「無党派層」という括りなのかと。

村上:
なるほど。それは面白い!そういうことかも。
なるほどなるほど。今でも、ちょっとした要求として「保育園を」とか言ってもかつての利権イメージがついてきちゃう、ということもありそうですね。「権利ばっかり主張して」にもつながりそうな。
まあ政治の方向性も音楽の趣味と同レベルでいいんじゃないかというあたりをスタートラインにできるとすごく気が楽になります。

山澤:
あ、それすごく分かります。個人の政治的見解の違いなんて、昼めしマクドナルドにする?モスバーガーにする?それとも思い切って寿司?くらいの選択の違いでしかないです。スタバ行く?デモ行く?くらいの感じになるといいなあ。(現在の自民党にはそこまで寛容に思えるほど心が広くないですが…)

村上:
それについて(編注:自民党)は、たとえて言うと「パンクかヘビメタかpopか」ではなくて「音楽が好きかどうでもいいか」という分かれ道部分に該当するかなと。好きか嫌いかだと大枠で簡単に分けられますけど、どうしてもジャーマンメタルは許せないとか、そういう。あ、ジャーマンメタルは一時大好きでした。

山澤:
ぷぷっ。そうですね。音楽について語ることじゃなくて、JASRACについて語ることになっちゃいますね。


ぼくは今回、比例区での投票先を決めかねていたのですが、先日Youtubeで三宅洋平さんの唄う選挙演説を見て、この人に決めました。それまでべつに注目していたわけでもないのに、自分でも驚くほど、すっとそう決めた。彼が主張する政策についての細かな点については吟味していないし、主要な政党に属さずにたった一人で国会に乗り込んで政治家としてどこまでやれるのかは分かりません。彼の主張をもっと吟味しなくていいのかという気もするし、たぶん調べていったらまた迷うことになると思います。荒削りだし。

それでも、ぼくは自分の感性が感じたヴァイヴを信じることにしました。「政治のことば」が変わっていくことに期待して、一票を投じるつもりです。そういう投票の仕方もアリってこと、じゃないかと。


SOH BUNZOHさんのツイートより
よく選挙で「入れたい人がいない」「誰に入れたらいいかわからない」という意見を耳にするじゃん。どうしても分からない人は、極端な話顔で選んじゃってもいいと思うんだ。ポスターとか、街頭演説とか、政見放送とかで顔ぐらい見るでしょ。その印象を信じて一票、はアリだと思う

そりゃ政治は言葉よ。ロジック大事よ。政策大事よ。でもな、いきなり勉強して政策の是非検討しろっつったって分かんない奴はいっぱいいるだろう。そういう人らに「君たちは勉強が足りない、民主主義社会の成熟した市民たるために云々」つったってんますます投票したくなくなるに決まってんじゃねえか。

見た目で選ぶ、なんて言ったらいかにも安易な選択に見えるだろう。でも「こいつは自分にとってよさげな事をしてくれそうか、安心して政治をやってもらえそうか」を顔とか印象だけで本気で選んだら結構大変だよ。頭使うというより、五感使うよちゃんとやったら。

そして、そういう選び方をした候補者と、それこそロジックを詰めて、政策におかしなところがないか、ごまかしがないか、できもしなさそうな事言ってないかを検討した末に選んだ候補者とに大きな違いがあるとは、俺は思えないんだ。意外と似た感じに落ち着くんじゃないかな。

繰り返すけど、この方法が一番いいとはもちろん言わないし、やっぱり色んなことは知っておいた方がいい。でもね、「知らないから」「分かんないから」「関係ないから」で選挙行かないよりは、「あ、この人良さげ☆」で一票入れた方が絶対いいです。


顔とか印象だけで本気で選んだら五感を使う、とか、五感で選んだ候補とロジックで選んだ候補に大きな違いはない、という指摘に同感です。ぼくはものごとを考える基本として、感覚を優先させる人間です。文章を書くにも、ああこの感覚を表現するには…と逡巡しながら言葉に落とし込んでいく感じ。言葉がぽんぽん出るタイプではありません。だから、五感とロジックを近似値に持っていきたがるのもぼくの個人的趣味で、一般化はできないかもしれませんが。

選び方は人それぞれでいいと思うんです。ロジックでも五感でも、選び方は何でもいいから「自分で選んだ」という経緯があれば、その候補者が当選しようが落選しようが、その後どうしていくかを見ていく気になります。あるいは当選した対立候補の言動をチェックしていく気になる。投票という行為からはじまるわけです。


「政治」と「自分」は切り離されたものではありません。つながっているものです。自分は「利権」には与してない「無党派層」であることを殊更にアピールする必要もない。だってそれふつうのことなんだから。「べつに○○を支持するわけじゃないが」という枕詞をいちいち付けるのもめんどくさい。そのときどき毎に支持する政党が変わるなんて、べつにふつうのことじゃないですか。それを「無党派層」と呼ぶんですかね。じゃあ逆に「支持」って何なんだろう。

「おらが村に」利権という便宜を図ることで、投票を呼びかけるような時代はもう過ぎ去ったんです。若い世代にまで利権を分配できるだけの財力がもうこの国には無いんだから。だから選挙の主流は「風」になりました。
既得権側からしてみれば、利権でコントロールできない若い人たちには「無党派層」であることを自覚してもらって、政治に幻滅して無関心でいてもらうか、あるいはテレビが演出する「風」に乗ってもらうか。できれば、自分の頭で考えてほしくはないんですよ、「有権者の判断力を信じていない」わけだし。

顔でも選べないというなら、「風」に乗ったっていいから、いちど投票してみるといい。
で、だいたい失敗するわけです。そこで、じゃあ自分のロジックや五感のどこがダメだったかを検証して補正していけばいいだけの話です。というか、それこそが大事。投票はスタート地点でもあります。投票してみてはじめて分かることもある。

「若者の投票率が〜」と言うけど、若者の多くが賢い選択をするわけじゃありません。いくら「選挙に行こう!」と訴えても、どうせ投票に行く人は行くし、行かない人は行かない。「棄権はオール・イエス」というのも事実。若者の投票率が低いほうが都合がいいのも事実。だけど、若者が投票に行けば未来は変わる!とか過剰な期待を押し付けるのは儚い幻想だと思います。そこに自分の勝手な期待を込めているんならやめたほうがいい。まずは投票に行ってもらって、そこからやっとはじまるというぐらいの段なのです。だから誰がどこに投票しようが恨みっこなしです。

個人の政治的見解の違いなんて、昼めしマクドナルドにする?モスバーガーにする?それとも思い切って寿司?くらいの選択の違いでしかないんだから。そのときの気分や、フトコロ具合や、メンバー(家族構成)によって変わることだってあるわけだから。誰にとっても旨くてコスパも最高なメシなんて存在しない。立場や環境が変われば、見え方が変わってくるのは当たり前です。自分がジャーマンメタルは嫌いでも、ジャーマンメタルが好きな人もいるということは理解したい。だって音楽好きであることに変わりはないじゃないですか。自分の趣味と違うからといって見下したり、ましてや改心させようとか懲らしめようというのは筋違いですよね。



ということを踏まえた上で、現在の自民党は「政策の違い」で括れる範囲を逸脱しています。だいたいにおいて、首相自らが、自説に反対する人々を「左翼の皆さん」とか「恥ずかしい大人の代表」と侮蔑の言葉で見下してしまうのは、政権与党の態度としてまずいでしょう。ジャーマンメタル好きを否定しているわけで、それって音楽好きの態度でしょうか。「ねじれ解消」しないと政治が前に進まないと言うのも、反対意見と対峙するだけの甲斐性が無いと言っているようなものです。対立構図が強調されることで、情理を尽くした小さな声はかき消えてしまう。

安倍政権の高支持率の理由は経済政策だと言われます。だけどぼくの周囲に景気が上がる気配なんてぜんぜん無い。何をもって、もう少し辛抱すればアベノミクスの恩恵にあずかれると信奉できるのかがぼくには理解できません。改憲についてはもっと深刻です。石破幹事長は、国防軍の中に軍法会議の設置を盛り込むことについても言及しています。自民党改憲草案でググってみれば、現在の自民党が憲法のイロハをも理解していないことが分かります。現在の自民党は、かつて国民政党として君臨した自民党と同じではないです。保守政党でもない。

想田和弘さんのツイートより
自民よりマシな政党がないから自民に入れるって言う人は、自民の政策を知らないのだろうか。例えば憲法を改悪して、国民の人権を奪おうと本気で考えている政党以上に酷い政党があるとでもいうのだろうか。


一般論として、憲法を改正する必要があるというのは「感覚」です。自民党の憲法改正草案を知ることは「ロジック」です。「感覚」と「ロジック」の両方が必要です。一般論と個別事項をごっちゃにしてはだめです。改憲草案を一読もせずに、一般論として改憲に賛成だと言っただけの声だとしても、世論調査では「改憲に賛成」にカウントされます。それは自民党の改憲草案に賛成だというふうに受け取られます。音楽について語っているのか、JASRACについて語っているのか、きちんと確認したほうがいいです。

自民党や維新の会がやろうとしているのは、民主主義の無効化です。ぼくは政策的にみんなの党には賛同しないけど少なくとも話は通じそうな気はする。そこが決定的に違う。みんなの党と生活の党あたりで左右軸を展開して二大政党制やるんなら話分かりますけど、自民党と民主党を左右軸で語る意味ないです。政策の違い云々以前の軸自体がズレてんだから。だから、たとえば「原発を止めたければ自民・公明・維新・民主・みんな以外の党に入れろ」というのは間違ってはいないけれども、彼らを一緒くたにして敵視してしまうのはまた別問題だとも思うのです。

そこの軸がズレてさえいなければ、多少意見の違いがあっても「政治的な意見をかわすこと」はできるはずです。できるだろうか。できるといいなあ。少なくとも、ぼくは十何年か後になって、自分がこの人に投票したということとその理由を自分の子供たちにちゃんと説明できる人に投票したいと思います。


なにを基準に投票するのか問題

なにを基準に投票するのか問題 2013.07.18 Thursday [政治・メディア] comments(2)
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名無し (2013.07.26)

一応、みんなの党も、ドイツ行ったりして脱原発の仕方学んだりして、熱く脱原発訴えてるのですが・・・信用ないですかね(´・ω・`)

山やま (2013.07.27)

そうでしたね。柿沢未途さんの(デンマークだったかな?)現地レポ(ツイ)読みましたがよかったです。「脱原発」や「脱官僚主権」に関しては期待できると思います。










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