映画「立候補」その後 我ら平成よ、刮目せよ

 このエントリーをはてなブックマークに追加 TOPSY
公開から9日間連続の満席となった映画「立候補」。感想ツイートも続々流れてきますが、「とんでもなく良かった」「今年いちばん」「傑作」との声が多く、これからも話題を呼ぶことは間違いないと思います。(ぼくの感想1感想2

絶好調の同作ですが、予期せぬ意外な(?)ところから正念場を迎えています。

映画「立候補」facebookページより
いよいよ正念場!

映画「立候補」ですが、正直次の手に困っています。というのも出演者の参院選立候補で期せずしてバーチャルな状況になりプロモートの展開を大きく見直す羽目になってしまいました。
幸い観客のあたたかいご支援により公開劇場は連日大盛況。でも選挙後から始まる拡大公開が宣伝できない事態に陥っております。


何が起こったのかというと。7月4日に公示され、7月21日に投開票が行われる、この度選挙期間中の参議院選挙に、この映画の主人公をはじめ泡沫候補2名が立候補したのです(参考1参考2)。この事態を受けて、公式サイトはこんなことになっています。



この映画が「特定の政党や候補者を支持・応援する映画ではない」ことは、本編を観れば分かります。実際にぼくは、観終わった後、感動したけれども、あの人に投票したいとは全く思いませんでした。

映画「立候補」facebookページより
映画「立候補」は人生においての夢を諦めかけている人や、
踏み出す一歩にためらっている人を応援します。政治に限らず
すべての立候補者を称え、励ますことを目的とした映画です。

先ほど、17時に2013年参院選の届出が締め切られました。
映画「立候補」の出演者が2013年参議院議員選挙に立候補しました。本作は特定の政党や候補者を支持・応援する映画ではないとの立場から、また選挙の公平性を鑑み、今後7月21日の投票日まではウェブサイト等の宣材物から候補者の肖像・氏名を一旦削除します。なお公示前に掲示・領布された宣材物についてはその限りではありません。皆さまのご協力とご理解をお願いします。(明るい立候補推進委員会)


選挙期間に入ると、こういう「自主規制」を念頭に置かなければならない状況って、めんどくせーなーと思います。逆説的に、選挙とは「利権」で動くものであると言ってるようなものですよね。


数年前に劇場上映された『選挙』の再上映をめぐり千代田区立・日比谷図書館で起きたごたごたについて、想田和弘さんが考えたことを書いています。
日比谷図書館での『選挙』上映が一時中止された件について - 観察映画の周辺
千代田区の見解に対する僕の疑問と見解 - 観察映画の周辺

実際にこの映画が上映されることで損なわれる何らかの利権構造が存在するのかどうか、この事件の真相はたぶん解明されないままになるでしょう。想田さんもそこを追求したいわけじゃない。あるんだか無いんだか分からないけれども、それを先に汲み取って「自主規制」しようとする空気こそが、おかしいのではないかと言っています。きわめて同感です。

選挙前に選挙について語れない「空気」について - 観察映画の周辺より
今晩のJ-wave生出演中にも申し上げたのだが、「選挙前なので放送では政党名や候補者名を言えない」という放送各社の自主規制ガイドラインは全くおかしいと思う。選挙前だからこそ、報道機関は具体的な政党や候補者の政策や体質について詳報し議論すべきではないのか?


このガイドラインは、ぼくらの「思考」に枠組みを付け加えます。ほんらい政治とは、自分の生活実感から出てくる思いや願いであるはずなのに、利権の勢力分布を推し量ることが主眼になっていく。自分はそういう利権勢力とは関わりがないということをことさらにアピールしたくなる(無党派層という訳の分からないカテゴライズはそういう忌避感から生まれたものでしょう)。だから「選挙活動」には近づかないようにしとこう、となるし、「政治」には関わらないほうがいいし、よく分からないとなる。だから、選挙が近づくと大きくなる「政治的」な声は、真面目くさった声ばかりになる。きれいごとばかりになる(あるいはきれいごとばかり言ってはいけない、痛みに…云々という類いのきれいごと)。嘘こけっての。ふだんちゃらちゃらへらへらしているくせに、選挙のときだけまじめくさった顔をする意味があるのか。

だから政治が嘘ばかりになるんですよ。

ほんとはぐうたらなのに、みんなガンバッてるからとか、ガンバらないと怒られるからっていうので「ガンバリます」キリッって無理して作ってきたのが、これまでの日本経済を支えてきた「男社会」だと思うんです。その精神構造がブラック企業の存在を許している。ほんとはできないのに、やりたくないのに、「できます」「やります」つって。そうやって後戻りできなくなっていくという構図の象徴が原発なんだろうなと、ぼくは思っています。だから責任の所在が曖昧になる。「できない」ことを認めないのは、強さの証明ではない。



ということを踏まえつつ、氏の街頭演説を見てみました。

2013/07/05 【東京】「世界に先駆けて永世中立国宣言を」〜東京選挙区 スマイル党 マック赤坂候補 街頭演説(第一声) - IWJ

ぶっ。 こらこら、選挙で遊ばない。
これが率直な感想。

「言ってることはマトモじゃないか」という声もあります。たしかに、「世界で唯一の被爆国である日本は世界に先駆けて永世中立国宣言をすべき」「恒久平和」だのマトモなこと言ってるんです。だけど、それがちーっとも本気に見えない。見えないところが、逆にすごい。なぜハンストなのか。

映画「立候補」の木野内プロデューサーはこうつぶやいています。

木野内哲也さんのツイートより
1年半付き合って大好きな人なんだけど、やっぱりこの人に票を入れてはいけないと思う。ちゅーか、まじで上映していいのか悩む。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/88977


大好きだけど投票はしないという感覚、すごくわかります。なんなんでしょうか、言ってることがちっとも本気に見えない、この軽薄さ。ガンジーに関する蘊蓄の薄っぺらさ。だけど憎めない。っていう、石田純一的な立ち位置。こういう人が「いる」というだけで救われる人がどれだけいるか。

同時に、ぼくはこう考えました。氏の出で立ちを見て、「おいおい、選挙で遊んでんじゃねーよ」とぼくも第一に思うわけですが、まじめな話、選挙で遊んじゃだめなのでしょうか。やっぱり、まじめくさった顔をするべきなのでしょうか。例えば、ぼくらは「遊び」を仕事にしているような人を羨むわけです。そういう人に政治家になってほしいとすら思ったりもする。政治家とは、ぼくらの代表です。ぼくらはどういう社会を作りたいのか。まじめくさった顔してウソをつく人と、どう見ても遊んでる人と、どっちがマシなんだろう。


「私は政見放送だけの男ではない」うん。「Youtubeだけの男でもない」う、うん。「インターネットで投票できたら私は5人のうちの1人に入ります」…お、おう。

っていうか、この人、めっちゃ映画に影響受けてるじゃないですか(笑)。
あれだけ本編を観ても分からなかった、供託金300万円を払ってまで立候補する理由についても、さらーっと言っちゃってるし。映画の宣伝してるし。

氏の今回の変化は、映画の影響だとぼくは思います。現実が先なのか、映画が先なのか。フィクションなのか、ノンフィクションなのか。その境目が現在進行形で入り組んで融解してきている。なんですかこれ。

木野内哲也さんのツイートより
参院選の立候補届け出が先ほど閉め切られた。映画「立候補」に出演する2人が国政に名乗りを上げた。ドキュメンタリー映画の特性なのか、映画という領域が現実とフィクションの差を余裕で越えている。

スクリーンに映り込む光と影が非現実世界だと誰が決めたのだろう。緩やかにプログレスする映画「立候補」。我ら平成よ、刮目せよ。我々は未だ真の現実を味わってはいない。


映画「立候補」は、現在進行形なのです。劇場の100分だけでは完結しない。

刮目しましょう、候補者を。
刮目しましょう、自分の生活を。

そして、できれば一票を投じてみたほうがいいと思います。それは「政治」を、「自分ごと」「自分の生活」に引き寄せる行為です。その結果が、7月21日では完結しないことは言うまでもありません。

映画「立候補」その後 我ら平成よ、刮目せよ

映画「立候補」その後 我ら平成よ、刮目せよ 2013.07.08 Monday [音楽・映像] comments(0)
このエントリーをはてなブックマークに追加TOPSY









url: http://yamachanblog.under.moo.jp/trackback/549
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...