行列のできるイオンモール

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トイザらスが入っているということもあり、週末にイオンに行くことがあります。その度に、この田舎にまあこれだけ人がいたのかと驚きます。まるで此処にしかお店が無いかのように市内中の人が集まり、大駐車場はいつも満車。店内を行き交う人々も、買い物を楽しんでいるというよりは、タスクに追われているという感じで、人混みが苦手なぼくはその場にいるだけでヘトヘトになってしまいます。

たしかに、子供連れにとっては便利であることは確かだし、それなりに利用もするわけで、イオンモールのすべてを否定するつもりはないけれども、生来のひねくれ者としては、やっぱりなんだかつまらない。イオンモールに限らず、マックスバリュや、ヤマザワや、おーばんであろうが同じ種類の虚しさを感じてしまう。

グダちゃんのツイートより
@sasakitoshinao 私のような若い世代だと田舎の人ほど恐ろしいほど「地元の人懐っこい買い物」をしないんです。田舎に住んでいるいとこや大学の地方出身の同級生から話しを聴くと「地元の商店街に足を運んだ経験」がそもそもないです

@sasakitoshinao 地方の若者はみな、生まれつきジャスコやユニクロがあるんです。そういう全国チェーンありきで生きているんです。外食だって、本来は地元のB級グルメを食べるはずが、味気ないフードコートが青春の味です。バイトの店員はブラックなはずです

@sasakitoshinao 平成の、特に2000年代以降の地方は私たちが本来想像するような郷土色の豊かなふるさとではなく、外国のようになってしまっています。東京以上に「消費文化に閉じ込められた空間」になっているんです。哀しいけど、これが現実です


考えてみれば、いまの若い世代にとって「地元の商店街」なんてものは、そもそも存在しなくて、歩いて行ける圏内にあるのはコンビニとドラッグストア。リアル店舗では、ジャスコやユニクロ以外の選択肢が無い。あったとしても、金銭的に選択できないか、そもそも全国チェーン以外のお店があるという発想すら出てこないか。囲い込まれてるなあと感じます。

かくいうぼくも、「地元の商店街」に触れて育ったわけではありません。小さい頃は2〜3年で転校をくり返していたし、それも中途半端な田舎街ばかりだったので、親は大手スーパーで買い物するのがデフォルトでした。だから、商店街が生きていた頃の「昔はよかった」と懐かしんで回想できる立場にはありません。


グダちゃんのツイートより
@sasakitoshinao 茨城県出身の友人を地元の個人経営の写真屋に連れて行った時、まるで説教前の子どものように怯えていたのを思い出します。不思議だったんですが、考えてみれば平成の田舎生まれの若者は「全国チェーンの店員」と「親しい同級生・家族」以外に接する機会がないわけです


ぼくはむしろ、こちら側の人間です。「地元の人懐っこい買い物」というのは苦手だし、だからこそ憧れもあったりする。

イオンモールが賑わいを見せる一方で、山形市にも個人で経営する小さいながらも個性的なお店がぽつぽつと出来てきてもいます。そういったお店で、店主と話をしながら買い物をするのは、全国チェーン店での買い物とはまた別の種類の充足感があります。そういう豊かさっていうのも、やっぱりあると思う。



なぜ田舎に、どこも同じような「大型全国チェーン」が出来て、地元商店街が衰退するのか。それは、田舎に住んでいる住民がそれを望んだからです。田舎は東京になりたかった。テレビに出てくるような東京と同じものが欲しかった(それは正確には「東京固有のもの」では無いわけですが)。

ぼくが中学生の頃に、はじめて山形にコンビニが出来ました。通学途中のそのコンビニで、おにぎりを買い食いするのもちょっとした冒険でした。それから「マクドナルド」が出来て、「モスバーガー」や「ミスド」が出来て、「ユニクロ」が出来て、「ヤマダ電器」や「ニトリ」が出来て。便利で、お手頃で、見た目に清潔感のあるそれらのお店は、いまも変わらぬ賑わいを見せています。

無闇に都会(テレビで見る世界)に憧れる若者は、そういった「チェーン店」が出店するたびに、「山形もがんばってる」なんてことを言っていました。チェーン店が都会のモノだと思っていた。それがふつうだったし、たぶんいまでもそう思っている人が多いのであろうことは、チェーン店が出店する度に行列ができるという光景を見れば分かります。

ある時から、ぼくはこの「山形がんばってる」という言葉が嫌いになりました。勤務先の東京から帰省していた友人が、山形にチェーン店が出店する様子を指して、例のごとく「山形がんばってる」と。その時になんだかひどく居心地の悪い気持ちを覚えたのです。「がんばってる」って何だよ、と。

別に、山形が「がんばってる」わけじゃない。全国チェーン店が出店するのは、大手企業が市場を開拓しているだけです。彼らにとっては、消費市場があればそれでいいわけで、それが「山形」である必要はどこにもありません。消費効率が悪くなったら撤退するだけの話なのです。


Punished Ryo1206さんのツイートより
イオンが出来る→商店街死す→イオンが撤退する→何も残らない
という田舎殺しの必殺フルコース


田舎に住んでいるぼくら自身が、「山形がんばってる」を求めてきた結果が、地元商店街の衰退と行列のできるイオンモールなんだなと、いまにして思います。くり返すけれども、山形が「がんばってる」わけじゃない。全国どこに住んでいても、全国同じものが手に入るということが良いのか悪いのかはまた別にしても。

山形は空気も水も美味しいとか言いながら、大手スーパーに並ぶのは企業の都合でどこからか輸送されてきた野菜であって、地元民がいちばん地元のものを食べていなかったりする。地元の農家にぜんぜんお金を落としていなかったりする。自分たちの手の届くところに経済圏を作れていない。

ああ田舎なんだなあと思うのは、周りの人たちが、買い物をする際のものさしが定量的な尺度でしか語られないということ。どこのお店が安かった、だの、コスパだの。あるいは美味しいと評判だの。ものさしが自分の中に無くなってしまっているんですね。外から測れるものでしか、価値を判断できなくなってしまっている。グダちゃんさんの言う通り、哀しいけれど、これが「消費文化に閉じ込められた空間」という現実なのだと思います。

これって実は、買い物とか経済圏だけの話じゃなくて、世界的なグローバル化と歩みを同じくして日本に輸入された新自由主義的な価値観のもとで、人々が、あらゆるものを「消費」文化のものさしで測ろうとする傾向は至るところで見られます。

政治に対する無関心というのもそこに由来するのではという想田和弘氏の指摘は言い得て妙だと思います。
「おまかせ民主主義」の正体は「消費者民主主義」である。 - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda

政治は「サービス」であり、有権者はそれを受けるために投票と税金という「対価」を払っているのだ、だから「つまらぬものは買わぬ」という態度になる。消費者には責任は伴わない。主権者として政治に参加するという責任を放棄する「おまかせ民主主義」とはつまり「消費者民主主義」なのだ。

なるほど、思い当たる点がたくさんあります。商品の「消費の仕方」さえも、全国チェーンのマニュアルに沿った形のイオンモールに行列ができるわけですから、政治の「消費の仕方」だって、中央発でマーケティングされるのは当然のことです。B層なんていう嫌なカテゴライズもありましたね。でもそのマーケティングが結果を支配している現実があります。

東京都議選での自公圧勝という結果を受けて、想田さんはこうつぶやいています。

想田和弘さんのツイートより
政治を左右するのが流行だとすれば、やはり日本の有権者は民主主義を「消費モデル」でイメージしているのではないか。少なくともこの傾向は「消費者民主主義説」を補強する。消費者民主主義では、いま売れている商品(=政党・人)に人気が集中する。


たしかに、世論調査って「いま売れているもの(=政党・人)」を宣伝するためのものになっています。開票1秒で当確の出る速報も、「どうせ結果は決まっている」という空気を演出するのに一役買っている。行列のできる店にはさらに行列ができ、ひとたび悪評が立つとたいして味も違わないのに閑古鳥というのは、ありがちな光景です。その心理をくすぐっているなあと。「自分が」その店の味を好きなのかどうか、よりも「皆から評価されている(=都会のチェーン店なら鉄板)」かどうか、で決まっちゃうんですね。


世界的なグローバル化、グローバル企業による世界のフラット化によって、今後もローカルなものが駆逐されていくという流れは避けられないでしょう。田舎では、選択肢の無いリアル店舗にわざわざ行くよりも、インターネットでショッピングしたほうがよっぽど多様なわけで。いち利用者としてAppleやGoogleはやっぱり好きだし。

ぼくは未だに音楽をデータで買うことに抵抗があるのですが、それでもCDはAmazonでポチることが殆どです。そもそもCDショップ自体が無くなってるし、あったとしても、お決まりのモノしか置いてない。店頭ではじめてジャケットを手に取って、試聴してみて、新たな出会いが、なんてことは出来ないわけです。そういうのは事前調査としてネットで済ませて、店頭では決め打ち(予約)しないといけない。それじゃあ、お店で買う意味も無いわけで、CDショップって、無くなるんでしょうね…。

おこづかいを握りしめて、はじめて一人でCD屋さんに行って、どきどきしながらB'zのシングルを買ったのを、懐かしく思い出すとともに、それは単なるおじさんの思い出であって、いまの若い世代にとっては、データだろうがCDだろうが関係ないし、店頭で買おうがネットで買おうが違いは無いのかもしれないなあと思ったりもしています。ただ、ぼくらはまだ店頭での買い物も経験してきましたが、ぼくらの子供らはCDショップが「無い」のがデフォルトになるわけだよなあと考えると、少し複雑な気持ちにもなります。

そう思いつつも、結局ぼくもAmazonでポチっとしているわけで、それがすべてだよなと…。



追記:速水健朗さんのこの本、読んでみたいです。

現代都市と、いまどきのショッピングモールは、少しずつ姿を変えながらにじり寄る関係にあり、近い将来、どこまでが “都市” で、どこから先が “ショッピングモール” なのか分からなくなってしまうだろう。つまり、ショッピングモールについて語ることは、現代の都市について語ることでもある。



追記:続編的な記事を書きました。→ショッピングモールとパティ・スミスと漂白される時代

行列のできるイオンモール

行列のできるイオンモール 2013.06.25 Tuesday [食・生活] comments(0)
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