橋下徹氏が政治家になった理由

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もうこの人は終わりなんだなと思うと、哀れになるだけで、不思議と腹が立たなくなってきました。

アメリカにも激怒された、橋下徹大阪市長による慰安婦発言に端を発する数々の詭弁。同氏は発言を取り消そうとせず、「誤報された」とか「日本人は読解力不足」などと言って自己正当化を図っていますが、その詭弁術は目に見えて劣化しており、論旨がおかしいのは明らかです。彼のそういうレトリックを小馬鹿にしたり軽蔑したりするのは簡単ですが。いまもって「マスコミの伝え方が悪い」とかいう擁護の意見を少なからず目にすると、ああなるほど日本人は読解力が不足してるという点だけは当たってるなと。

橋下徹氏は69年生まれのテレビ世代。政治家に転身する前からテレビに出ている姿を見ていると、テレビの世界が好きなんだろうなという印象はあります。もちろんぼくなんかもテレビ世代なわけで、彼を選んでしまう日本人も含めて、ある意味、時代の申し子なのではと。橋下現象とは、橋下氏個人の問題だけではないはずです。

いまはまだテレビ世代が大手を振る時代。橋下徹氏はその最後の砦なのかもしれません。欺瞞がボロを出して崩壊している。なぜこうも恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言ってしまうのか。そして、日本人はなぜそういう人たちを選んでしまうのか。橋下現象とは、橋下氏の欺瞞であると同時に、ぼくら日本人自身が作ってきた社会というものが抱える欺瞞を見せつけられているような気もするのです。


で、ぼくがどうしても分からないことがあるんです。橋下さんって、どうして政治家になろうと思ったんだろう。だって、あれだけの詭弁術があれば、金儲けなんていまよりぜんぜん出来てただろうに。地位、名誉?政治家ってそんなに地位や名誉のあるお仕事なんでしょうか。っていうか地位や名誉ってそもそも何なんだろうと考えると訳が分からなくなったり。テレビでちやほれされたい? それだけ?

もちろん本人に訊かなければ分かりませんし、訊くつもりもありませんが、橋下現象って、なぜその現象が起きているのかという出発源を考えると、不思議だよなと。

ツイッターでリプライいただいたご意見を幾つか紹介します。

ひっさんより
僕ら大阪人も橋下さんが選挙に勝ったことより、彼が政治家を選んだことのほうがある意味解りません。収入は以前のほうがはるかに多いはず。一つ考えられるのは市管理の賭博と風俗の利権を狙ってるのか


府知事を辞めて市長になったわけですよね。なぜか。大阪都構想を実現するため、二重行政を解消するためというのが一般的な認識とされています(参考)。もちろんこれは橋下氏の言い分です。読解力があれば俺の正しさが分かるはずだという主張をそのまま読解する人は読解力がないということを、彼は身を以て教えてくれたので、こういうのはまず疑うクセがついてしまいました。

ぼくは大阪府や大阪市の実態を知らないし、生活実感も無いので、大阪都構想というものがどれだけの妥当性と実現性を持つ改革案なのか、よく分かりません。平松邦夫前大阪市長は、大阪府・市の水道統合頓挫について「二重行政の問題ではない」と言っています(参考)。この辺りは、他所から論理戦を傍観していてもどちらに理があるのかはたぶん分からないと思うので、あまり追求しません。賭博と風俗の利権がちらついているのかどうかも知らない。

ただ、「収入は以前のほうがはるかに多いはず」というのは、そうだと思うんです。政治家なんかにならなければ、彼の「心理戦で絶対負けない交渉術」はボロを出さずに、もっと大きな利権にあずかれるだけの才能があったと思うんですよね。だから、彼が欲しかったものは「利権」ではないように思えます。じゃあいったい何なのか、というのが、ぼくの疑問の出発点です。

知事と市長のどっちが偉いなんてことはないでしょうが、市長への転向は「改革のために敢えて降格した」という印象を与える結果にはなっているような気もします。「利権」ではないとしたら、やはり「政策実現のため」だろう、と思うのは推論として的外れではありません。けれども、これまでの橋下さんの発言を振り返っていくと、自分が置かれた論戦状況によって、その場だけ正しいことを言い続けてきたということが見えてきます。結果として、言ってることがコロコロ変わり、発言が簡単に撤回されることもしばしば。実現したい政策が先ずありきであるとはとても思えません。


村上研治さんより
著書によると権力欲がすごいみたいです。
橋下氏曰く「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。
自分の権力欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければいけないわけよ。
ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!嘘つきは政治家と弁護士の始まりなの。」


橋下さんのこの言葉はこの著書からの引用みたいですが、すごいですね。これが彼の「本音」なのだとすると、慰安婦発言にも通じるように「本音を言って何が悪い」的なメンタリティなんでしょうか。こういうことを本に書いておいて、それで実際に政治家になっちゃうって、たいぶ錯乱しているように思えますが、大丈夫なんでしょうか。

彼の言う権力欲、名誉欲っていうのは何なんでしょう。政治家ってそんなに権力あるのかなあ。そんなに名誉なお仕事かなあ。いまどき政治家が「イケテル」なんて思ってる若い人はいないでしょうし、権力や名誉のために政治家になろうと思うなんて、相当に古い感覚じゃないかと思うのですが、橋下さんってそんなに古臭いメンタリティをお持ちなのでしょうか。まあたしかに、発言の端々から男尊女卑的な感覚が垣間見えますし、石原慎太郎さんと同調したりしているので、そっち寄りの価値観をお持ちなんでしょうが、それにしても。「茶髪の風雲児」などともてはやされた時期もありましたが、それって単なるヤンキーって意味でしかなかったのかなあ。“日本社会にヤンキー文化が拡大している”という斎藤環氏の記事は興味深かったですが、その中で斎藤さんは「維新の会はヤンキー色が濃すぎる」と述べています。これは同感で、その辺りを合わせて考えると、実際に権力や名誉が欲しいというよりも、「権力や名誉が欲しいとぶっちゃけて言う俺ってかっこいい」っていう精神構造だったりするのかな、とも。


ɐʞoɐƃɐu ɐʎuıɥsさんより
「変えたい(既成のものを壊す)」と思ったんじゃないですかね。それはとても「快感」です。←批判一辺倒で言ってるわけではありません。


なるほど、「快感」。個人的にはこれがいちばん納得のいく理由ですね。

橋下さんがこれまで展開してきた「論戦」は、ぜんぶ自己正当化のためのレトリックです。自分以外はみんな既得権になっちゃうし、誤報したり読解力の無い相手が悪いことになる。どっちが正しい、どっちが悪い、そういう話ばっかり。彼の言葉から、大阪市民の顔はぜんぜん見えてこない。ほんとは政策なんてどうでもいいんです。そこに暮らす人の息づかいなんてどうでもいい。
「論戦に勝つこと」それ自体が目的化してしまっているのではないか。怒涛のツイッターはそれを象徴しているように思えます。

なぜ「論戦に勝つこと」それ自体が目的化するのか。それが「快感」だからです。
なぜ「改革」は支持されやすいのか。それが「快感」だからです。

どっちみち橋下徹氏が政治家になった本当の理由なんてたぶん理解はできません。ここに書いてあることは、ぼく個人のお気楽で勝手な妄想です。だけど、ああいう人物が出てきて、そしてそれなりの支持を得てきたっていうのは、橋下氏がとくに金や権力の権化だったとか、理解し難い変人だったというだけではなく、時代感覚的な要因もあると思うんです。橋下現象とは、テレビ世代の隆盛と終焉とでもいうか。

テレビ番組がつまらなくなったとよく言われます。ぼくもそう思います。説明過多で、とにかくやかましくなったと感じます。台詞にはテロップを流して、効果音を付けて、ワイプを付けて、もうゴテゴテにてんこ盛り状態。1秒たりとも静寂が訪れないようにしている。静寂が無いということは、視聴者が「考える時間」が無いということ。「どういうふうに考えたらいいのか」、さらには「どういうふうに感じたらいいのか」までもテロップや効果音で説明してくれるんだから。静寂があって、地味で、考えさせられるような番組、受け手である視聴者の感性に委ねるような番組は好まれない。刺激的でパッと目や耳を引きつけるもてはやされる。それが「快感」だからです。

「快感」が要請する衝動に沿って番組作りを続けてきたのがテレビの世界であり、その延長線上に橋下現象があるのではないかと指摘しつつ、誰か戦後のテレビ史と政治史を絡めた考察をしてくれないかなと他人任せにして終わります。





追記(5/23)

橋下さんの「日本人は読解力が無い」から文脈を読めなくて誤報をするのだ、という主張は、猪瀬直樹東京都知事の「真意が伝わっていない」とまったく同じ心理から出てくる言葉ですよね。「俺が本当に言いたいことはそういうことじゃ無かったんだ」と「事後的に」釈明する。「真意はそこじゃない」と事後的に釈明することで前言をうやむやにできるならば、何でもかんでも無茶苦茶なことが言えます。「そんなこと思っていなかった」という言い訳を大のおとなが繰り返している光景は見苦しいです。

この、「真意はそこじゃない」と事後的に釈明する心理って、「いまの自分はほんとうの自分じゃない」と自分に言い訳をする心理と似ているように思います。「いまの自分はほんとうの自分じゃない」から、自分探しに出る。ほんとうの自分はもっと出来る。明日になったら本気出す。いまここにある自分から目を逸らして夢見るような心のクセって、ぼくにもあるよなと思うんです。

いまここにある現実は「ほんとうの姿」ではない。
最終処理が決まっていない原発は「ほんとうの姿」ではない。いつか本気出して最終処理を決める。だからとりあえずこのままで。
沖縄ばかりに負担を押し付ける米軍基地は「ほんとうの姿」ではない。いつか本気出して解決する。だからとりあえずこのままで。

戦争に敗れ占領下にあったという事実から目を逸らし、その後も対米従属が今日まで続いているという事実から目を逸らし。いまここにある現実から目を逸らそうとする心のクセ。見たくないものに蓋をして、その現実が無かったことにすらしようとする心理っていうものが、戦後日本人の特徴なのかもしれないなと。都合の悪いことをフレームアウトさせるテレビ番組の作り方もまったく同じ傾向にあります。

戦後のテレビ史と政治史を絡めた考察を誰かしていただける際にはそんなことも踏まえていただけるとありがたいです。


橋下徹氏が政治家になった理由

橋下徹氏が政治家になった理由 2013.05.22 Wednesday [政治・メディア] comments(2)
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うまいまい (2013.05.23)

ほんと、なんなんでしょうね。
囲み取材拒否→再開の流れを見ても、「注目されたい欲」が異常に高いですよね。(そんな名前の欲があるのかどうかわかりませんが。※自己顕示欲・・?でしょうか。少し違う気もしますが)

常に勝ちか負けかの2択、しかもその勝ち負けは、数字でしか判断できない人。

知事になる少し前に、光市の事件で他弁護士の懲戒請求を煽動していましたけど、自分の発言によって、実際に懲戒請求を申し立てる人が、その数字が、増えていく、そういう快感を、選挙や政治にも感じたのかもしれないなあ・・と、今ふと思いました。

山やま (2013.05.23)

「注目されたい欲」っていうのは確かにあるでしょうね。男子どもがバカなことをやり続けるのって、だいたいがそういう欲だと思います。そうやってバカをやる自分が楽しくなってくるんですけどね。

ぜんぜん関係ないですけど、男児の下ネタ好きってなんなんだろうなと、今ふと思いました。べつに誰かを辱めたいわけじゃなく、ちんちんと言うこと自体が愉快なんですね。ほんと、なんなんでしょう。










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