ごまかしの美辞麗句(給食・ワクチン)

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数日前に、「福島県産の野菜を給食に取り入れる市町村には食品購入費という補助金が出る」という情報がタイムラインに流れてきました。もともと学校給食には胡散臭さを感じていたので、充分あり得る話だと思いましたが、それにしても、よりによって子供の給食に汚染された可能性のある食材って…なんなんでしょうこの国。子供の健康より、生命より、経済活動が大事だと宣言しているようなものです。なぜそこまで子供を軽視するんでしょうか。

ちなみにソースは「福島民友」だったようで、福島県の方針だそうです。こちらに詳しく書いてあります。
福島県、来年から福島産の野菜を給食に取り入れた市町村に補助金!県外産使用は適応外 - 正しい情報を探すブログ

学校給食のお題目としてよく挙げられる「食育」っていったい何なんでしょう。子供のためだと言って、しょうもないスローガンばかり掲げて、実際にやってることは自分らの経済活動なのです。大人たちって、そうなのです。それはもう、震災前のずっと昔からそうだったのです。

元豊島区議会議員の橋本久美さんが、「学校給食はいつも政治利用されてきた」と言っています。共感する部分が多かったので、こちらにまとめました。
橋本久美さんの学校給食に関するツイートまとめ - Togetter

原発事故以降、政府と東電の発表が信じられないということも手伝って、世の母親たちは子供の食事を作るのに神経をすり減らしています。自身も6歳の娘さんを持つ橋本さんは、小学校に食材の安全性と弁当持参の有無を確認しただけでモンスターペアレンツ扱いされると言います。自炊の食材をチェックするだけでも労力なのに、さらに学校給食が同調圧力となるならば、これは相当なストレスです。というか、おかしいですよね。子供に食べさせたくないという親の任意が、白い目で見られるなんて。


ぼくが学校給食に胡散臭さを感じるようになったきっかけのひとつが、速水健朗氏の『ラーメンと愛国』に記載されていた或るエピソードです。同書はラーメンをめぐる変遷で戦後史を考察するという、とてもユニークな本です。なぜ日本でラーメンが国民食となったか、その原因のそのひとつとして戦後の食料不足とアメリカの小麦戦略があったことが挙げられています。その中で学校給食の話もちらっと出てきます。以下引用(要旨)。

速水健朗『ラーメンと愛国』より
戦後、重度の食糧難に陥っていた日本に、食糧援助という形で真っ先に手を差し伸べたのはアメリカの慈善団体だった。援助の物資は、衣料や食料、医薬品などで、ララ物資と呼ばれていた。ララ物資は46年から52年まで継続的に届けられ、これによって困窮から立ち直った人々は数多く存在する。

日本中の小学校で学校給食が維持されたのは、ララ物資以外にもアメリカから小麦などの援助物資が届いたからである。当時、アメリカの小麦農家は大量の余剰在庫を抱えていた。国内市場では供給過剰。このままでは小麦の価格が暴落し、農家は大きな損失を抱えかねなかった。
米陸軍のガリオア資金も日本への給与分は7割がアメリカの余剰農産物の購入に充てられた。日本が小麦を購入する見返りとして、アメリカは学校給食として使う分の小麦を無償提供した。こうした小麦の無償提供には、純粋な慈善精神から生まれたと思われるララ物資とは異なる意図が含まれていた。

戦争が始まると大量の兵食が必要になる。戦時下のアメリカ農家は大型の農機具を購入し農産物の大量生産に乗り出していた。だが戦争が終わると、規模を拡大した農家はその生産力を持て余す。国内の小麦市場は暴落しるが、持て余した生産力をいまさら縮小させるわけにもいかなかった。こうした事情を抱えたアメリカ農務省は、中長期にわたり余剰穀物を海外に輸出する策を考えざるを得なくなっていく。

余剰穀物は、まずはヨーロッパへの食糧援助という形で利用されることになる。これは単なる人道援助ではなかった。共産主義陣営の拡大阻止が、ヨーロッパへの食糧援助の目的である。第二次世界大戦で戦場となり、爆撃によって都市の生産機能が失われていた欧州諸国は疲弊していた。多くの軍事力を温存していたソビエト連邦はこれに乗じることで勢力を拡大できる。それを食い止めるためにアメリカはヨーロッパの西側諸国の一刻も早い経済復興を見据えた援助を行った。
この欧州復興のためのアメリカの援助がいわゆるマーシャル・プランと呼ばれるものである。マーシャル・プランにはもう一つ、アメリカの欧州市場への進出という目的もあった。だがマーシャル・プランは52年で打ち切られる。朝鮮戦争の勃発である。アメリカの余剰農産物は再び戦地に回された。だが、この戦争が終わると、アメリカの小麦農家は再び大量の余剰在庫を抱えることになった。この頃すでに欧州諸国の農業は復興を果たしていた。そこでアメリカの余剰小麦は、新たな売り込み先を必要としていた。

農業会をバックに持つアイゼンハワー大統領の指示のもと、全米製粉協会のボールズ調査団が世界中を調査した結果、余剰穀物の販売先として最もふさわしいと結論づけられたのは、日本であった。余剰農産物処理法は日本をターゲットとした形で法案が通過し、日本が主たる交渉相手となった。
日本は、余剰農産物処理法に基づいた二度の協定締結で総額720億円の余剰農産物を購入。その約半分を小麦が占めていた。余剰農産物処理法によれば、購入した国は、すぐにその代金をアメリカに支払う必要がない。それどころか、被援助国は農産物を国民に売って得た代金を自国の経済復興支援として使えることになった。自国の産業発展のためにアメリカが低金利で資金を貸してくれるのだ。食糧までセットにして。

ここで起きた問題の一つは、日本の小麦農家が壊滅的な被害を受けたことである。安価なアメリカ産の小麦に対して、国内の小麦農家は価格競争で太刀打ちできなかった。
もう一つの問題は、大量に購入した小麦の使い道である。日本が余剰農産物協定を締結した主たる目的は、復興資金の借り入れである。小麦はあくまでおまけに過ぎない。米を主食にしてきた日本人にとって、大量の小麦は手に余る代物だった。日本政府は小麦を国民に消費させなくてはならなかった。

小麦の使い道は、日本政府単独でなく、アメリカ農務省と日本の各省庁が共同で取り組むことになった。余剰農産物交渉における政府間の話し合いには「粉食奨励費」という項目が存在した。つまり小麦食の普及を促すための広告宣伝費が設定されていたのだ。アメリカ農務省は当時の額で4億2000万円の資金をもって、小麦食を普及させるキャンペーンを行った。これには日本の厚生省、農林省、水産省、文部省などがそれぞれ外郭団体をつくることで手足となって動いたという。特に厚生省は「栄養改善運動」としてパン食奨励運動の旗振り役を務めた。

1954年の「学校給食法」の施行によって、全国の小学校でパンと脱脂粉乳による給食が実施されるようになった。「パン又は米飯、ミルク及びおかずである給食」と定義づけられているが、実際には完全にパンを中心としたものが四半世紀続いた。米飯が用いられるようになったのは70年のこと。
食糧事情が悪く、育ち盛りの子どもたちの栄養不足が懸念される時代に、大量の援助小麦、および日本がアメリカから購入した余剰小麦が給食に提供されたことは、日本側にとっても都合が良く、悪いものではなかった。だが一方では、日本の食文化に変化を与えるきっかけにもなった。
子ども時代からパンを主食とした食生活を送れば、それがライフスタイルになる。給食のパン統一は、日本人の主食を米からパンにすることを意味した。余剰農産物処理法におけるアメリカ農務省の目論見とは、一時的な余剰穀物の輸出ではなく、小麦の市場開拓と長期的な輸出であったのだ。

「粉食奨励費」の問題はそれだけではない。厚生省が外郭団体として立ち上げた日本食生活協会は、キッチンカーを稼働し料理講習会を開くというキャンペーンを行った。「栄養改善運動」の一環として全国を走り回ったキッチンカーは、走る栄養教室、働く台所としてもてはやされたが、ここで教えられる料理は必ず小麦と大豆を使ったものでなくてはならなかった。もちろんスポンサーであるアメリカ農務省の意向である。キッチンカーは総勢200万人を動員したが、これが小麦食を奨励するための広告費にひも付いたキャンペーンだったことには誰も気づいていなかった。うした奨励運動の中には、米食に対するネガティブキャンペーンが含まれていたこともあるようだ。「日本人の早老短命は米の大食偏食」などの言葉を記したパンフレット配布などが行われたケースもあったという。


給食の問題はもとより、いろいろと現在の問題と重なることが多く、考えさせられる事案だと思います。このアメリカの小麦戦略はTPPにも通じますね。アメリカは商品の魅力で輸出するんじゃなくて、非関税障壁だ何だと難癖をつけて相手国に無理やり市場を作っちゃうわけで。一国の文化を書き換えることだって、そんなに難しいことじゃない。アメリカの対外戦略はこの頃から現在まで変わっていないということです。

給食のパンと言えば、袋に入ったマーガリンが定番でした。トランス脂肪酸たっぷりで、なにが栄養改善運動だよ。でも植物由来だからバターよりもヘルシーだという刷り込みがずっと支配的だったんですよね。キャンペーンの成果でしょう。牛乳が毎食出るのもキャンペーンの賜物ではないかと思います。

べつにパン食を批判したいわけではありません。パン屋さんは好きだし、家族でよく行きます。米が日本の主食になったのだって、実際のところいつからなのか分からない。思い込みかもしれない。少なくとも東北が米どころとして認知されるようになったのは、戦後に東北が政治利用された結果だといいます。それはそれとして、日本の食環境が多様な食文化を体験できるものになっていることはすばらしいと思う。現場で給食を作る栄養士さんたちは、ほんとうに子供のことを考えて調理してくれていると思う。批判すべきは現場ではなく会議室です。すなわち学校給食が大人たちの都合で政治利用されてきたという点にあります。だから現在となっては合理的でもなんでもないものが惰性で続いている。

戦後の学校給食がどのような背景で維持されてきたかをこうやって顧みていくと、福島産の野菜使用で補助金という発想が出てくるのも頷けます。すべては子供の育ちよりも大人の都合が優先されるのです。経済活動という大義名分のために。ぜんぶそういうことですよね。しかも、自分の好きなものしか食べない大人と違って、子供が自分で選ぶことができない学校給食は、供給する側にとって都合のいい市場です。

大人の都合でそうなるならそう言えばいいものを、わざわざ食育などといって自己正当化し、美化してごまかそうとするのは、やましいからでしょう。選べないものにかぎって、美辞麗句が並ぶのは鉄則です。だいたいは子供がターゲットになる。


こんなニュースもありました。
子宮頸がんワクチンは効果がないことを厚労省が認めた il-manoのアロマでサンバ

子宮頸がんワクチンに対する懐疑的な見方は、ワクチンに対するリテラシーの高い人たちの間ではだいぶ共有されていましたので、今さら驚くことでもないですが、日本はワクチン後進国です。昨年ようやく認可されましたが、不活化ポリオワクチンという安全なものがあるにも関わらず、接種される側にとってひとつもメリットの無い生ポリオワクチンを延々と続けていたのは世界の先進国で日本ぐらいです。

接種しないリスクと接種するリスク。双方のリスクを知らせた上で、親の任意で受けさせるのが予防接種のはずです。にも関わらず、ほとんどの親御さんは何も考えずに、小児科から言われるがままに予防接種スケジュールをこなしているのだと思います。ワクチンは「打たなければならない」という強迫観念が強い。知らせない方が悪いのか、知ろうとしない方が悪いのか。

田辺あゆみさんのようにワクチンは接種させないという選択肢もあります(参考)。そこまで徹底する度胸もぼくにはありませんが、重篤な副作用が出てから初めて慌て始めるのでは手遅れになる可能性があります。少なくとも、「接種させないという選択肢もある」という認識だけは持っていたい。



ワクチンビジネス、教科書ビジネス、制服ビジネス、給食ビジネス、どれもはじめから選択肢が無いと思い込まされるという点では、電力会社やNHKと共通しているかもしれません。ビジネスならビジネスと言えばいいものを、相手が子供だからといって、教育だの食育だのなんだと美辞麗句でごまかすところが本当にいやらしい。

給食やワクチンという現場にかかる同調圧力。それを政治的に利用する大人たち。多様な選択肢や考え方を認めないのは、想像力が足りないからです。原発の問題にしても体罰の問題にしても、想像力の欠如という差別の問題だと思います。オヤジどもが美辞麗句を重ねれば重ねるほど、若い人たちは嘘こけって思うだけですよ。

東電がいくら「できます」「がんばります」つったって、もう誰も信じないでしょ。クールジャパンつったって全然クールじゃないし、農業を守るつったって根拠が無い。言葉だけなんです。つるつるで空疎な言葉が政治とマスコミを支配している。そういうスローガンはもう要らないんです。

佐藤亜美/Ami Satohさんのツイートより
ブレませんとか、クリーンです!とかもうそういうのはなくていいんだよ、って私より上の人たちに言ってあげたい。私より下になればなるほど、そんな完璧なことは誰も期待してないし、完璧であることよりも自分の変化を素直に伝えることのほうが、若い世代にとっての誠実なんだよ。


ぼくもオヤジと言われるような年齢になってしまったので、気をつけて、出来る限り、いいかげんな大人でありたい。いいかげんな大人でいたほうが、実は子供たちにとっての財産になるのではないかと。あ、こんなんでいいんだと気が楽になるなら。

以下は、デンマーク在住の方のツイートです。

さわぐりさんのツイートより
今乗ってるバスの運転手が「あ、ルート間違えた!回り道して戻ります!」だって。ちなみに「申し訳ありません」とかは、ない。乗客も「え?!あっそ。」


このユルさ、いいですね。特に「え?!あっそ。」という描写にグッときます。

自分が思うほど、他人に完璧を求めてなんかいないし、自分も完璧を求められてなんかいないのです。日本社会がどんどん息苦しくなっているのは、自分で自分の首をしめている人が多すぎるからだと思う。

子供の育ちよりも大人の都合が優先されるのはなぜなのか。ビジネスのために子供を犠牲にしてやれという、性根の悪い奴らが政治を牛耳ってるんでしょうか。(そういう部分もなきにしもあらずかもしれないけど)そういうわけじゃないと思う。なぜ、美辞麗句でごまかすのか。ビジネスのための売り言葉でしょうか。(電通が発信元かもしれないけど)それだけじゃないと思う。

給食のことも、ワクチンのことも、積極的に知ろうとしない大人たち。知らないがゆえに想像力の欠如が生むレッテル貼りや差別。それが同調圧力となって、どうでもいいことばかり気にするようになって、結果として大人の都合がいいように利用されることになる。

積極的に知ろうとする、ということは、正しいことを知るということとは違います。正解のない問いに向き合うということです。目の前の子供を見つめて、自分のあたまで考えるということです。誰も正解なんか教えてくれません。自分が下した決断が正解かどうかだって、分からないのです。この気持ち悪さに耐えることが、大人だと思います。自分の立場や生活環境を顧みて、自分の価値軸で判断をすることができたならば(そこに至るまでの紆余曲折を経験したならば)、価値観の異なる他人の存在も認めることができる余裕が生まれます。

家入一真さんのツイートより
他人に嘘をつくことは自分自身を騙すことでもある。そんなの悲しい。嘘だらけの世の中で、せめて自分にだけは正直に。コンプレックスをさらけ出しちゃえば生きるの超楽になるよ。多少の失敗や遅刻も許してもらえるようになる。だってダメ人間だもん笑。その分他人の失敗も許してあげたらそれでいい。


ほんとはダメ人間なのに、みんなガンバッてるから、ガンバらないと怒られるからって無理してきたのが、これまでの日本経済を支えてきた「男社会」だと思うんです。できないのに、やりたくないのに、「できます」「やります」つって。そうやって後戻りできなくなっていく構図の象徴が原発なんだろなと。

今度はクールジャパンなんて言い出しましたけど、全然クールじゃないですよね。つるつるで空疎なスローガンは要らないです。家入さんのようにダメ人間を自称したり、ジョンレノンのようにI'm just a jealous guyと歌ったり。そういう自分のダメさ具合を認めて、受け入れたときに、初めてクールジャパンのスタートラインに立てると思うんです。


橋本久美さんのツイートより
学校給食の私の一連のツイートにたくさんの方々が反応してくれた。ところで植民地支配政策は「食文化」と「言語」の破壊から始めるといわれている。日本の公立学校もグローバル化の名の下でずっとターゲットになっていたのかもしれないと、TPP問題で気づく。


「みんながやってるから」「そうしないと白い目で見られるから」という理由で、なんとなく流されること。そうやって消費者を囲い込むことで成り立つビジネスがあるのでしょう(それをビジネスと呼んでいいのかは分かりませんが)。TPPをはじめ、政府は規制緩和に躍起になっていますけれども、ほんとうに規制緩和すべきは、そういったぼくら自身の思い込みや同調圧力マインドなのかもしれません。美辞麗句によってぼくらがごまかされているという側面と同時に、ぼくら自身が美辞麗句によって自分をごまかしていないかどうか、自分自身が同調圧力の一端を担っていないか、立ち返ることも必要だと思います。が、あんまり根を詰めるとマジメになりすぎるので、まあ、いい加減で。


ごまかしの美辞麗句(給食・ワクチン)

ごまかしの美辞麗句(給食・ワクチン) 2013.04.04 Thursday [子育て・教育] comments(0)
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