資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育)

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ニューヨーク在住の映画作家、想田和弘氏がTPPについて精力的にツイートしています。ぼくもぼんやりと感じていたことと同期する内容で、その分析も鋭くスイングしているので、思わずかぶりついてしまいます。とくに、TPPをめぐる攻防は、「資本主義」と「民主主義」のせめぎ合いであるという指摘には深く頷き、膝を打ってしまいました。

TPPと資本主義と民主主義 - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
各国の国民に交渉内容を極秘にしながら交渉が進められている国際協定であるTPPは、その交渉の仕方そのものが、国民主権に反している。

つまりTPPとは、企業が国民に優越する「企業主権」なのだ。TPPの草案に、企業の代表である顧問600名はアクセスできても、国民の代表であるアメリカの議員が閲覧できないのは、まさに「企業主権」そのもの。

国民主権が無力化された「企業主権」の世の中では、「国民」は解体されて「消費者」や「労働力」になる。実際、そういう変化はもう起きている。現在進行形の変化である。

東西の冷戦構造の中で、西側では民主主義と資本主義を混同する言説がまかり通っていたが、そのすり込みは今頃になってボディブローのように効いている。みんなが混同している間に、だましだまし、資本主義が民主主義を飲み込みつつある。

つまり、いま起きていることは、こうだ。

共産主義と言う強大な敵がいた時代には、資本主義は民主主義を味方にして手を組んだ。しかし共産主義が弱体化し敵でなくなったいま、資本主義は儲けるために民主主義が邪魔になりつつある。だから今度は民主主義を弱体化しようとしている。

「資本主義」の対立軸には、いままで「共産主義」や「社会主義」を想定してきたが、現代においては、それが対立するのは「民主主義」なのである。


TPPの対立軸とは「アメリカ」対「日本」ではなく、「グローバル企業の利益によって潤う1%の富裕層」対「99%の庶民」であると、この記事に書きました。「企業」対「庶民」ということは、言い換えると想田氏の言うように「資本主義」対「民主主義」ということです。

資本主義だの民主主義だの難しいこと言いやがって、資本主義が民主主義を飲み込むとかワケ分かんねえよ。と思ったとしても慌てないでください。親切なことに想田氏が具体的事例を挙げてくれています。ブラック企業の問題など、日本の現状を見回せば頷ける話だと思いませんか。

TPPと資本主義と民主主義 - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
民主主義が、資本主義をどのように邪魔するのか。たとえば、公的保険を作ってすべての人に健康保険を享受できる権利を与えようというのは、個人の生存権を重んじる民主主義の発想だが、健康保険に参入して儲けたい保険業界という資本主義勢力には邪魔でしかない。

あるいは、環境基準。資本主義は、本音では環境なんておかまい無しに工場を安く作って汚染水垂れ流しでバンバン生産したいだろうが、民主主義では個人の生存権を重視するので、環境基準を設けて企業の活動に一定の制限を課して縛る。邪魔だ。

あるいは、労働基準。資本主義勢力にとっては、労働力なんて安ければ安いほど良い。しかし、例えば時給50円だったら労働者の人権、生存権など守れない。だから民主主義では労働法を作り企業の活動を制限し、個人の人権を守ろうとする。これも資本主義にとっては、すんごく邪魔。


原理主義的な人々はいまだに冷戦時代の対立軸を大切にしているみたいで、ネット右翼なんかは、ちょっとリベラルなことを言うとすぐに「サヨク」だのいうレッテルを貼りたがります。彼らからしてみれば想田氏も「サヨク」になるらしい。行き過ぎた資本主義思想に批判的な言説を唱えると、じゃあ共産主義がいいのか、となるのは極論すぎます。「共産主義」や「社会主義」なんてものは、もはや実行力を持っていないわけで、そんなレッテルはもう有効ではない。
たとえば福祉国家として知られる北欧諸国は「共産主義」や「社会主義」なのかというと、誰もそんなことは言わない。社民主義という認識さえも古い捉え方なのかもしれない。どの国も、左右軸を行ったり来たりしながら試行錯誤しているわけで。何十年も前につくられて錆び付いてしまった枠組みを後生大事にしている限り、窓から見える景色はずっと変わらない。その窓では世界を見渡せません。

アメリカにおける左右軸、つまり民主党と共和党という対立軸については、下記動画の町山智浩氏の解説がとても興味深いです。キリスト教的思想がバックボーンにあり、ざっくり言うと共和党=性善説、民主党=性悪説という価値観が、それぞれの経済政策に結びついていると。
博士も知らないニッポンのウラ 第33回 ブッシュ後のアメリカ 第2部

神の見えざる手がはたらくと信じている共和党は基本的に放任主義。自由経済市場。それに対して民主党は、政府による介入によって市場をコントロールするという価値観。これはよく分かります。この経済政策に対するスタンスは、アメリカに限らず世界的な左右軸として存在しています。

だけども、オバマが大統領になってアメリカの経済政策は変わったのか。大統領になる前のオバマは「500万人の失業者をもたらしたNAFTAのような自由貿易協定では雇用を守れない」として保護貿易寄りのスタンスを強調していました。その彼がいまTPPに対しては、どのようにふるまっているのか。アメリカと日本を行き来するジャーナリスト堤未果さんが、その疑問に答えてくれました。

堤未果さんのツイートより
確かに上院議員時代と選挙キャンペーン期間はNAFTA批判の急先鋒でしたが、大統領に就任して最初の仕事はウォール街救済(TARP)、その後は公約を次々に翻しています。TPPは一般教書演説でもわかるように強力に推進の立場ですね。@singstyro #TPP


経済思想の違いによって、民主党と共和党という二大政党制が存在しているはずのアメリカですが、民主党の、それもリベラルを体現しているかのように見えるオバマが大統領になっても、新自由主義の流れは止まらない。財界からの圧力があるのか、オバマの真意は分かりかねますけれども、結果として現在はTPPを推進する立場であると。

保護貿易を唱える立場であるはずの民主党が、自由貿易へと向かっている。これは、日本の民主党もまったくそうで、鳩山政権から菅政権への橋渡しで、民主党の経済思想は左から右に変節した。政党政治の意義が崩壊した。オバマが公約を次々に翻しているという事実は、アメリカにおいても左右の対立軸そのものが機能しなくなっているという現象だと思います。なぜ機能しなくなっているのか。実際に政治を動かしているのが、有権者でも政治家でもないからです。すなわち「企業主権」。

「500万人の失業者をもたらしたNAFTAのような自由貿易協定では雇用を守れない」と言ったオバマが、民衆の意に反してTPPを推進するのは、民主主義よりも資本主義が上位であるという政治の優先度があるからです。
TPPに関する日本の議論が頓珍漢になってしまうのもそこに原因があります。TPP慎重派は民主主義の話をしているのに、TPP推進派は資本主義の土俵で議論を進めようとするから話が噛み合わない。

議論の噛み合なさという点では、原発についても同じことが言えます。

日本国内で脱原発の機運が高まった時に「脱原発に右も左もない」というような台詞をよく耳にしました。原発問題に左右の対立軸は適用しない。原発問題とは、もともと軍事問題からスタートしたものだそうです。小沢健二の『うさぎ!第24話(原発について)』という文章に、その経緯がとても分かりやすく書かれています。

うさぎ!第24話(原発について)より
原発問題とは軍事問題である。「利権優先のビジネス界が原発を生んだ」とか「科学の暴走が原発を作った。ヒトとは悲しいものだ」とかいう、変な幻想を持っていたら、捨てた方が良い。


もともと軍事問題なのにエネルギー問題にされたという出発点からして、ロジックそのものがおかしいのです。おかしいロジックの土俵上でああでもないこうでもないと。

原発が存続しなければならないのは「経済的理由」で、それに反対するならば「対案」を出せ、という現象はまさに、民主主義よりも資本主義が上位であるという思い込みの現われです。「経済的理由」が焦点になるかぎり、人々は資本的ロジックで勝手に分断してくれるので、資本側にとっては都合がいいと言えます。

原発の問題点は、核廃棄物の処理方法が決まっていない、ひとたび事故が起きれば健康で文化的な生活を奪われてしまうような怖ろしい危険性、そして多くの人が望んでいないという「民主主義」的な理由にあるわけです。けれども、じゃあ経済はどうする、対案を出せ、という「資本主義」的な理由で存続してしまう。

っていうか、核廃棄物の処理まで考えれば、経済的にだって採算取れるわけないのにね。そもそもアイゼンハワーが原発政策を始めようとしていた40〜50年代には、原発は経済的にも採算がとれないと科学界もビジネス界も意見が一致していたそうです。「原子力の平和利用」というキャンペーンが始まっても、一貫して原子力政策にそっぽを向いていたビジネス界が参入するようになったのはなぜか。それについては、前述の小沢健二の文章をお読みください。

いずれにしても、原子力産業というものが意図的に作り出されることによって、そこに利権が生まれ、そこに従事する人が生まれ、それなしでは生活できない人が生まれる。現在の原子力政策が、「経済」を隠れ蓑にした「企業主権」によって成り立っていることは、東京電力に対する政府のふるまいを見ても明らかです。選挙という民主的な手続きを経て、民衆によって選ばれた政治家が政治を動かす、のではない。そんな手続きをすっとばして財界が政治を決めているのだという現実。それが、原発事故があぶり出した日本の姿であるとぼくは思っています。

なぜそうなってしまうのか。想田氏はこう続けています。

TPPと資本主義と民主主義 <その2> - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
すでに資本による権力の乗っ取りは進行している。

でもいま進行中の状況は、資本主義が強権を発動して民主主義をねじ伏せようとしているわけではない。そういう局面もたまにあるけど、基本は違う。むしろ人々は進んで民主主義を捨てようとしている。

ここのところを勘違いすると理解が浅くなる。民主主義を浸食している力は、民主主義の外部にあるのではない。民主主義とは人々によって構成されているわけだが、その人々自身が、資本主義の価値観に染められ、民主主義を放棄しようとしている。

その点を理解することが肝心だ。


想田氏はこれを「資本主義的価値観が人々の骨の髄まで浸透している事実」と指摘しています。まったく同感です。

TPP交渉の問題点は、それが秘密裏に行われている点にあります。自民党は公約にある6項目をあっさりと反故にしようとしている。原発についても、「ほんとうの情報が開示されない」という政府に対する信頼の無さがデフォルトになるくらい、政治の対応はちぐはぐしている。政治というものが「民主的な手続き」で決定していくとはとても言えないような状況です。

それと同時に、「じゃあ経済はどうする」というロジックに嵌ってしまう罠。女性が脱原発の意見をもつだけで、「経済をどうするつもりか」と子ども扱いする男の人がいるそうです。おいおい、あんたが日本経済を背負ってるのかよと。それを市井の一般市民相手に詰問してどうするのかと。民主主義の話をしているのに、資本主義の土俵で議論を進めようとするから話が噛み合わないのです。

それと、たとえば教育の問題。日本の「教育」は、学びの場ではなく単なる競争の場となってしまったという指摘はよくなされます。穴埋め問題に象徴される暗記型のテストが勉強の基準となり、自分の頭で考えるということがおざなりになってしまったと。その通りだと思います。けれども、じゃあどうすればよいのか。安倍首相や橋下市長が唱えるような「教育改革」によって、子供たちの「考える力」、また「学ぶたのしさ」を取り戻せるとはぼくには思えません。彼らが言っている「教育」は、「規律」であり「しつけ」であり、それは大人にとって都合のいい人材を作ろうという姿勢の現れです。

彼らは、子供たち自身の「学び」について何も言及しません。そもそも「学ぶ」って何ですか、という自己煩悶がまったく無い。彼らは「教育」について語っているわけじゃないのです。それは橋下氏がよく使う「マネジメント」という言葉に象徴されています。自分の思う通りに、目に見える結果がすぐに欲しいという態度は、資本主義的な価値軸です。

そして「マネジメント」というビジネス語で「教育」を語る橋下氏の言葉に、多くの人が根本的違和感を感じていないということに、この国が抱える教育の根源的な問題があるのだと思います。どっちが良い悪いという話じゃなくて、教育とビジネスは元来そぐわないという話。そこを混同してしまっている。

民主主義よりも資本主義が上位であるというような優先度で、実際に行政が動いてしまう。それは、市井の人々の中にそのような価値観が刷り込まれているからです。まあ、ぼくなんかもそういう価値軸のまっただ中で育ってきた世代であって、「コスパ」というものの見方が染み付いている。それどころか、資本主義的な価値観を「道徳」なんかと混同しているふしもあります。ということについ最近気づいたばかりで。そういう視点で世の中を見渡してみるといろいろとおもしろい。


いつの時代も民主主義は弱者の立場からその権利を勝ち取ってきたわけで、瀕死になってもしぶとく生き延びると信じたいですけど…、先の選挙結果を思うと絶望的な気分になります。政治=景気という第一義的な投票原理が、資本に毒されていることの証ですしね。


資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育)

資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育) 2013.03.14 Thursday [妄想] comments(0)
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