思想や良心という思い込みが生む差別や偏見

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田中ゆうたろう氏の場合

ツイッターで話題になっていますが、これはちょっとあまりにもアレだったものでぼくも反応してしまいました。待機児童問題に関して、杉並区の自民党議員が全国の子供を持つ親に喧嘩を売っているようなブログを公開。

一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり - 杉並区議会議員 田中ゆうたろうブログ

突っ込みどころがありすぎて唖然とします。
しかも、こういう記事を書く人が、議員として「信念:子育て先進地域・杉並を目指します」と謳っている事実には、くらくらと目眩がしてきますね。同じ杉並区の区議会議員もこのことを指摘しています。

堀部やすし 杉並区議会議員のツイート
思想・良心は自由だと思いますが、ご自身が以前示していた公約と著しく乖離した主張をされることには違和感が。この点は説明責任を果たしてほしいところです。


そうそう。こういう言説って、べつだん珍しいものでもなくて思想・良心の自由だし、個人の見解としてバカなオヤジが書斎で騒いでるだけならスルーなんですけどね。区議会議員がブログに公開しちゃうっていうのがなんとも…。親としての資格だの覚悟だの言ってますが、親になる資格なんてものを制度化するつもりなんでしょうか。

かまだメンバーさんのツイート
道徳教育でイジメやらなんやらの問題が解決するってのは、そういった問題の原因を「子どもの悪意や心の問題」に求めて、環境やらなんやらの要因をガン無視してる発想からきてるわけだから、笑っちゃうよね。


議員の仕事とは、心の問題を解決することではありません。社会の環境整備をすることです。そのためには、自分の担当区に暮らす人たちの多種多様な意見を聞く必要があります。その中には、自分の思想・良心とは相容れない意見もあるかもしれない。多様な意見を取りまとめて折り合いをつけるのが議員の仕事です。

「お願いです。私達の子育てをどうか手伝って下さい」という態度がマナーとして待機親に求められる社会が田中氏の理想とする子育て先進地域なんですかね。そんなところで子育てしたくないと思う親が圧倒的多数だと思いますけど。

「私が親なら、家で子供に暖を取らせつつ、待機児解消のためあらゆる施策を講ずべき旨、区に陳情書でもしたためるであろう。」って、そんなことは既にやってるのに全然解決しないからの抗議だろうに。区議会議員という立場でありながら、区民の意見を聞くという姿勢が感じられない点に、この傲慢な記事の問題点があると思います。


自民党の場合

区議会議員なのにこんなことをブログに書いちゃう田中ゆうたろうという人物が単にバカなだけだという話ならいいんですが、片山さつき氏の生活保護叩きや野田聖子氏の中絶禁止案など、国会議員も似たようなレベルであるというのがまたなんとも…。こういう人たちが議員になるようなバックグラウンドがあるわけで、先の自民党の圧勝とか、そういう世間の空気みたいなのを考えると絶望的な気分になります。

右翼化したいまの自民党議員たちは、自分たちが正しいと信じていて、自分たちが美しい日本を取り戻すと思っているようですが、彼らの言う「正しい日本」は、ぼくの感覚とはずいぶん乖離しています。彼らに共通しているのは「俺たちがやってやる」という気合いであると同時に、少数派に耳を傾けることにはあまり配慮しない傲慢な態度であるという点も気になります。

先の田中氏の記事のように、自分が正義の側だと思っていて、それを根拠に他者を貶めるという行為のタチの悪さったらないわけですが、本人は絶対にそのタチの悪さに気づかない。あるいは自覚のないままにそのようにふるまう人のほうが多いかもしれない。自分が正義だと信じてやまない人は、他人からの意見にも耳を貸さないでしょう。世間には多種多様な人がいて、自分の思想・良心では理解できないこともあるのだという「多様性に対する寛容さ」が社会的コンセンサスを得ないかぎりは、正義を標榜する人に何を言っても無駄だろうと。

とはいえ、「正しい日本人」なら誰でも心に持っている美しい日本をとりもどす、というのがいまの日本の主流みたいだから、多様性への理解が進むのは困難でしょうね。主流=多数派とは限らないけど、そういう政党が実権を握っているわけだから。「子育ては本来は家庭で行うもの」という田中氏が強く主張する考えが、いまの自民党の基本スタンスです。

その背後にどういう思惑があるのかは各自の想像にしかよりませんけれども、ぼくは田中氏のブログにも通じるようなグロテスクなものを感じてしまう。「よくもまあ貴君のような未熟者が結婚したなあ、子供まで授かったなあと驚き呆れる」…これがこの人の本音なんだろうなあというのが文章の端々から透けて見えるわけで、それが不快なわけです。だいたい「子供を持つ資格」なんて存在しない。あなたが自分自身に言い聞かせるのは勝手だけど、他人に強いるものではない。姑による嫁いびりと変わらないレベルですよ。

生活保護の件も、中絶禁止の件も、彼らはぼくたちに「正しい日本人」たれ、と言っている。けれども、彼らの言う「正しい日本人」は、ぼくの感覚とはずいぶん乖離しています。先の衆院選で自民党を大勝させ、アベノミクス効果で内閣支持率が上昇しているという世論調査のもととなった有権者の人たちは、そこのあたりをどう考えているのか、世代や性別ごとの統計を知りたいです。「正しい日本人」たるために、ぼくらを縛るような法案が今後増えそうだから…。

というような自民党への嫌悪感を書くと、サヨクとかいうレッテルを貼られてしまいそうですが、ぼくはイデオロギー原理の闘争にはあまり関心がありません。
ぼくが問題だと思うのは自民党そのものの存在ではなく、かつての自民党といまの自民党の実像がべつものであるということで、先の衆院選で自民党に投票した人の多くはそのことを理解しないままでいるのではないかという懸念にあります。先鋭化する国民感情を理由に右翼的な外交政策を大々的に掲げ(外交と言っても威勢がいいのは対アジアだけですが)、一方で内政はといえば高度経済成長時代の焼き直しのような公共事業バラマキ政策。内政に干渉するアメリカの影響があることは疑いようがありません。

そして、いま日本には、これに対抗する左派勢力というものが存在しません。

じこぼうさんのツイート
ぼくは戦後民主主義の支持者で、基本的には自民党の長期政権の時代を、保守の立場に立ちつつ左派の意見も取り入れつつ、バランスよくやってきたいい時代だったと思うわけですが、最近はそのバランス感覚が批判されていて、「左派掃討こそ正義」みたいな過激さが「保守」になっているのかしら。


自民党と社会党が均衡を保っていた55年体制とは、そのような時代だったのかもしれません。右翼も左翼も「自分が正しい」と主張する点においては変わらないけれども、自民党は中道右派の国民政党として両者の意見を汲み上げていた。

いまの自民党は、かつての自民党のような国民政党ではなくなってしまいました。保守本流とは言い難い。かつての自民党から受け継いだものといえば、対米従属の政策ぐらいで。日米同盟こそが肝であるとしか言わない外交が、自立した主権国家としての態度なのかどうか甚だ疑問なのですが、各種マスコミは安倍首相の日米首脳会談を絶賛し、視聴者はそんなものかと思ってしまう。

そうやって、自分では右傾化してるなんて気づかないままに、いつのまにか日本は国際社会から孤立していくという可能性を否定できないような空気が、いまの日本を覆っているように思えてなりません。
(過去記事)ふわっとした空気としての右傾化


ネット右翼の場合

先日、新大久保や鶴橋で行われた嫌韓デモの様子がTLで回ってきました。「朝鮮人を殺せ!」だの「ゴキブリ!」だの、とてもデモとは言えないような、読むに耐えない罵声が一方的に飛ぶヘイトスピーチだったようです。

新大久保反韓デモに遭遇した人たちの感想まとめ - Togetter
「日韓断交」ほぼ関係なし! ひたすら罵倒とヘイトスピーチだけの鶴橋デモ(2・24) - Togetter

韓国政府に対する抗議と、在日韓国人に対する嫌がらせの区別ができないのでしょうか。こんなものはデモでも表現の自由でもなんでもなくて、ただの差別です。でも、こういうことが、現実として起こっている。

このようなヘイトスピーチを行うネット右翼の象徴であり「行動する保守」の最大勢力である『在特会』については、安田浩一さんの著書『ネットと愛国』が非常に丁寧なルポで核心をついている良書だと思いますので、ご一読をおすすめします。
(過去記事)『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』安田浩一著を読んだ。

ネット右翼の主張って、「朝鮮人は美しい日本の富を不当に盗んでいる」「在日企業が蔓延っている」「だから朝鮮人は日本から出ていけ」「俺たちの言うことが理解できないのは朝鮮人だ」となるみたいですが、これってまるっきり中ニ病ですよね。小中学生ならともかく、いい年した大人が白昼堂々これをもっと下品にした罵声を喚き散らすような国はぜんぜん美しくない。

彼らの言うように朝鮮人が日本から出て行ったとして、残った彼らとはぼくは仲良くできそうにありません。ともに手を取り美しい日本を作ろうとも思えない。

ネット右翼はインターネットで「朝鮮人の真実」を知り、その不正を糾弾し、また無知な人々に啓蒙するために街宣活動をしているそうです。もし仮に、彼らのいう通りに朝鮮人が日本から消えたとしたら、…彼らの信奉するネットの世界にはまた新たな「真実」が出回るでしょうね。彼らが欲しているのは美しい国の実現ではなく、排斥して鬱憤を晴らす対象なのだから。

ネット右翼とは、愛国の名を借りた鬱憤ばらしに過ぎないと思います。彼らが守りたい日本って何なのかぜんぜん見えてこないし、彼らは保守でもなんでもない。彼らの行為はただのレイシズムであるということを、保守本流の方々はすでに見抜いていると思います。

実際に右翼陣営は、在特会をはじめとするネット右翼と自分たちの間には距離があると感じているようです。新右翼を代表する「一水会」の顧問である鈴木邦男氏は排外主義的な差別意識を「最も嫌悪して憎む」と言っています(出典)。

営利団体としての右翼=職業右翼の実像を書いたという本『右翼という職業』のレビュー記事でも、そのような指摘がされています(この本おもしろそうなので読んでみたい)。
ネット右翼は、本当の意味での右翼ではない - エキサイトレビュー


エセ保守って、自己を正当化するために、見下す相手を必要とするものなんでしょうね。昔はサヨクを見下してればよかったけど、サヨクが弱体化したいま、見下すターゲットを無自覚に探してしまうっていう。朝鮮人だったり、生活保護受給者だったり。排斥して鬱憤を晴らす対象がいなければ成り立たない保守活動なんて、保守ではないと思います。

っていうか、他にやることが無いから「ネットで真実」なんかを探しちゃうんでしょうかね。白昼にいい年した大人がヘイトスピーチを垂れ流すなんて、ほんの10年前なら考えられないですよね。世知辛いといいますか、人生の楽しさっていうものが相対的に減っているのかもしれないなと。


保守やリベラル、あるいは右翼や左翼という言葉

保守やリベラルという価値軸。あるいは右翼や左翼という相対軸。時代とともにその意味合いや内実は変化しており、ぼくらもそれらの言葉が内包する意味をアップデートしなければなりません。けれども、喋り手の立ち位置によって、それらの言葉の使われ方とその意味するところが違いすぎるから、どのようなニュアンスで使っているかをきちんと捉えない限りは、あまり意味の無い言葉になってしまっています。「分かりやすさ」を至上とするテレビの情報に慣れてしまった人にとっては、それらの言葉はただのレッテルと化しています。

だからあまり使いたくないし、ふだんの会話の中に出てくるような類いの言葉でもない。でもそれらの言葉って、ほんとうはもっと身近にあっていいはずです。イデオロギーを対立させるために存在しているわけじゃなくて、自分と社会と政治との立ち位置を確認してマッピングするために。右翼あるいいは左翼というレッテルを貼って、そこに属するものを一緒くたにしてしまうのは差別や偏見の構図と変わりません。ネット右翼にだっていろんな人がいる。言葉はもっと柔軟でしなやかであっていいはずです。

言葉は暴力にもなるし、その逆にもなる。

ぼん(Bong_Lee)さんによる、ネトウヨと朝鮮学校の補助金問題などに関するコメント - Togetter

他人を見下すための道具として、あるいは他人に対するレッテルとして用いられるのも言葉であるし、人の気持ちをすくいあげたり寄り添ったりするのもまた言葉だったりもします。放射脳という言葉も、あるいは御用学者という言葉も、安易なレッテルの言葉ですよね。


おそらく誰の中にも在特会の片鱗はあります。多かれ少なかれ、石原慎太郎や橋下徹の片鱗はあります。あるいは、誰の中にも日教組の片鱗はある。山河を愛し、国土を思う気持ちは誰にでもある。人権を尊重し、平和を訴求する気持ちは誰にでもある。それらは0か1かという極端なものではないし、そもそも対立する項目ではありません。

右翼とか左翼とかいうイデオロギーが人を分かつのではありません。ぼくらの中に依然として残されている「レイシズム」の欠片。嫌韓デモのように口汚く他人を罵ることはなくとも、オブラートに包んでやんわりとしながらも、どこかで他人を見下しているような心の欠片が存在するかぎり、在特会は存在し続けるでしょう。

寄せては返す波のように、排外主義は無くならない。
ヨーロッパでは右派が勢力を増しているという話も聞くし、昨年7月にノルウェーで起きた痛ましい事件は記憶に新しいところ。寛容な移民政策で知られる北欧で、数十人の死者を出すテロが起きたということがショックでした。アンネシュ・ブレイビク容疑者は、反多文化主義「革命」に点火するための行動だったと主張。

この事件を受けて出されたというノルウェー首相の声明が、ぼくは忘れられません。「テロと暴力にはさらに民主的に立ち向かい、非寛容と戦い続ける」というような内容でした。

ノルウェーの悲劇を乗り越えようとするストルテンベルグ首相のスピーチ全文 - 情報流通促進計画より
私たちのこの事件に対する答えはより民主的に、より開放的に、そして人間性をより豊かにする、ということです。

これらの哀悼の意が遺族の皆さんの損失を償うことはできません。何を持ってしても、皆さんの愛する人を取り戻すことはできません。しかし、人生が闇に閉ざされた時、支えと慰めが必要です。いま、皆さんにとって、人生が最も暗い闇に閉ざされた時です。私は、遺族の皆さんに私たちが皆さんに寄り添っていることを知ってほしい。


ぼくらの中に存在する「レイシズム」は、無くならないかもしれない。けれども、それを認識して、それと付き合って、それを乗り越えることはできるはずです。これからも在特会への取材を続けていくという安田氏や、一水会のメンバーがブログに掲載した差別的な言説を自らの問題として反芻する鈴木氏の態度、あるいはノルウェー首相や国民の態度に、そのヒントがあるような気がします。


思想や良心という思い込みが生む差別や偏見

思想や良心という思い込みが生む差別や偏見 2013.02.27 Wednesday [妄想] comments(0)
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