古い音楽好きの昔ばなし(佐野元春とその仲間たちに思いを馳せて) 共感でつながる文化とメディア・リテラシー

 このエントリーをはてなブックマークに追加 TOPSY
くるりの岸田さんがRTしていたツイートが、じわじわと沁み入ってきました。

岸田繁のツイートより
強く同意 RT ‪@keitarokamo‬: クレジットをガン見する事で、どれだけ音楽が楽しくなった事か。CDがなくなる事に感慨はないけれど、この文化は残さないといけないと思います


ああ、なるほど。文化かあ。
たしかに自身の音楽ライフ変遷をふり返ってみると、たいへん頷けます。

昨日、たまたま自宅のステレオから佐野元春の「約束の橋」が流れてきました。生まれてはじめてその曲を聴いた3歳の息子が「これ好き〜」と反応しノリノリで踊ってくれたのが嬉しくて、ぼくも改めてじっくり聴いてみると、ああ、この頃の佐野元春ってなつかしいなと感慨深くなったりして。ちょうどぼく自身、音楽の聴き方が「流行ってるから聴く」から「音楽好き」に移行していくあたりの頃だったのです。

はじめて聴いた佐野元春のアルバムは『Sweet16』で、たしか高校生の頃。きっかけは、当時テレビドラマの主題歌としてリバイバルヒットしていた「約束の橋」だったか、同じくテレビCMに使われていた「誰かが君のドアを叩いている」だったかは忘れてしまったけれども、このアルバムはよく聴いたし、いまでも好きです。かわいいジャケットも印象的だったな。「また明日」という曲で矢野顕子という人の存在を知ったり。

ぼくなんかは、たぶんいまとなっては古いタイプの音楽ファンに分類されます。このご時世になっても、なかなかダウンロードで音楽を買う気になれないんですよね。Appleは大好きだし、iTunesの良さっていうのもそれなりに共感しているのだけれども、音楽に関しては、ジャケットやケースの装丁も含めたパッケージとしての「モノ」が欲しくなっちゃうんです。それってマニアの収集癖みたいな「モノ」に対する執着なのかなあ、だから自身は古いタイプの音楽好きなんだろうなと思っていたんだけど、先のツイートを読んだ時に、ああなるほど、ぼくが音楽を好きだったのは「モノ」に対する執着だけじゃなかったよなと気づいたのです。

好きなアーティストのCDを買います。当然「モノ」としてのジャケットが付属してきます。ライナーノーツには歌詞が掲載され、クレジット欄には、プロデューサーや、作詞作曲者・共演者などの名前が載っています。それらの情報の中にはまだ自分が知らない世界が多くあるのです。知らない人だけど、好きなアーティストやプロデューサーが携わっているからちょっと聴いてみようとか、そうやって景色が広がっていく。

『Sweet16』の、かわいらしいチェリーパイのジャケットをめくるのが、ぼくはとても好きでした。紙の質感もよく覚えています。「また明日」でデュエットしているのが矢野顕子という女性らしいということを知ったのも、ライナーノーツを読んでのこと。洋楽を聴き始めたのもこの頃で、U2『アクトン・ベイビー』のジャケットからは不思議な異国情緒を感じたし、レッチリの『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』には得体の知れない異次元のような恐ろしさを感じました。引きこもり気味で何も知らない高校生にとって、ジャケットに映る景色は、新しい世界だったのです。

この頃から、ぼくの音楽好きはどんどん高じていきます。オリコンのヒットチャートを押さえるような聴き方から、自分で好きなアーティストを探していく「音楽好き」に移行していったのです。当時はインターネットなどありませんので、音楽雑誌やCDのクレジットなどは貴重な情報源でした。ただ名前が載っているだけの味気ないクレジットの一文から、どんどん音楽が広がっていく。聴いてみたいアーティストが芋づる式に増えていく。お小遣いのほとんどはCD代に消えましたが、それはとても楽しい体験でした。


ミュージシャンは、音楽そのもので勝負してなんぼだという考えがあります。つまりは、楽曲の出来がすべてだと。たしかにそれは、ある一面ではその通りです。けれども、それだけでもないと思います。ぼくが音楽のダウンロード販売にいまいち馴染めないのも、一曲単位で細切れにして捉えるという感覚に馴染めないからなのです。音楽というものが、楽曲の出来そのものだけで成り立っているならば、一曲だけダウンロードしてiPodに入れておけばなんら問題ないはず。でもぼくは、どうしてもそうできないんです。

オリコンのヒットチャートを押さえるような聴き方から、自分で好きなアーティストを探していく「音楽好き」に移行したこと。つまりは音楽雑誌やCDのクレジットなどから、妄想の世界を広げていったということ。当時のぼくは、楽曲の出来そのものだけじゃなくて、たった一行のクレジットから音楽の裏側にいる人たちを想像しながら聴くようになったんじゃないか。岸田さんのツイートを読んで、そのことに気づいたのです。

現在もまったくそうです。音楽を聴くと、かならず、それを演奏している人の姿を思い浮かべてしまいます。たとえ知らない人だったとしても、勝手に脳内でイメージして映像化してしまう。そういう体質になってしまったのは、「クレジットをガン見する文化」のおかげだと思うんです。


“佐野元春”で検索していたら、こんな映像を見つけました。



「クレジットをガン見する」類いの「音楽好き」からしてみれば、こういう映像を見ると感涙モノになるわけです。もう二度と見られない光景であるという感傷も手伝って。もちろん両者について知っていれば知っているほど感慨深いわけですが、それは、このアーティストとこのアーティストを俺は昔から知っているからこの組み合わせは妥当だろうという「知識先行」による感慨では決してないんですよね。クレジットそのものは知識の羅列ですが、「クレジットをガン見する文化」は知識ではない。

これの続きの動画ともうひとつ続きの動画もすごく良いです。ぼくは、こんな二人の組み合わせがあったなんて知らなかったので驚きましたが、清志郎は、佐野元春を「オレの古いダチ(My Old Friend)」と呼んでいます。キャリアも実績も充分すぎる二人が、それぞれ「らしさ」を感じさせるこの動画の魅力って、この現場にすごく「いい空気」が流れているということが伝わってくるところにあります。お互いを紹介し合う場面も収録されていますが、若き日の佐野元春が枕元のトランジスタラジオでRCサクセションを聴いていたというエピソードを聞くとやっぱりぐっときます。当たり前のはなしなんですが、「音楽好き」同士がつながっているんですよね。

そういえば、佐野元春が2007年に『Coyote』という最高のアルバムを出した後に出演した音楽番組で、バックバンドの一員としてGreat3のメンバーが出演していたのを観たときも嬉しくなったなあ。動画探したらありました。



これも同セッションより。いやあ、50代の佐野元春もかっこよすぎでしょう。おそらく元春を聴いて育ったであろう若い世代によるタイトな演奏が、若々しさの相乗効果を生んでいると感じます。

「クレジットをガン見する文化」から生じる喜びって、こういうことだと思うんです。たった一行のクレジットから音楽の裏側にいる人たちを想像するということ。一行の裏に隠れた「つながり」を発見すること。

これらの動画で共演している人たちは、自らのキャリアアップを考えて共演しているわけではないでしょう。ましてや、マーケティングや戦略で一緒になっているわけでもない。当たり前ですが、「音楽好き」同士がつながっている。共感して、引かれ合って、そうなるべくしてそうなっている。

世界ってそういうものだと思います、本来的には。そう思いたいです。
そして、音楽はそういうことを教えてくれる存在です、ぼくにとっては。
たとえこの世からCDが無くなってデータだけになったとしても、「音楽好き」が音楽を聴く理由はそのあたりにあるような気がします。


ところで唐突ですが、「クレジットをガン見する文化」ってメディア・リテラシーの形成にも通じるんじゃないかと思いましたので、そのことについて。

「クレジットをガン見する文化」とは、一行の裏に隠れた「つながり」を発見することだと書きました。知らない人だけど、好きなアーティストやプロデューサーが携わっているからちょっと聴いてみようと、どんどん音楽が広がっていく。聴いてみたいアーティストが芋づる式に増えていく。
ツイッターもこれとよく似ていて、フォローしている人がRTしてくるツイートにハッとすることがよくあります。そうするとRT元の人にも関心を持つし、そこから芋づる式に広がっていく。

そういう経験をくり返して、自分の中にある程度の傾向がインプットされていくと、このプロデューサーが手がける作品ならだいたい間違いないとか、ジャケットを見ただけで好みの音楽かどうかが分かるようになってきます。ほんとです。つまり、反復と経験によって直感が鍛えられる。これってメディア・リテラシーの一種なんじゃないかと。

オリコンのヒットチャートを消費するように、供給する側の都合で拵えられたニュースや報道・新聞記事を自明のものとして消費するのは、あまり賢い鑑賞の仕方とは言えません。マスメディアの発する情報をそのまま信用する人の割合が、日本は先進国中でもダントツで高いそうです。情報とは、元来偏向しているものです。じゃあマスメディアは嘘つきなのかというと、そういうことではない。人の手によって伝達される時点で必ずバイアスはかかる。そのこと自体に善いも悪いもなく、そういうものだということです。情報とはそういうものだということを分かった上で、情報に接することがメディア・リテラシーの第一歩だと思います。

インターネット上の情報は玉石混合だと言われます。まったくその通りです。だから、ひとつの記事に対して出典元や書き手の名前を確認することは必須であると言えます。その作業は自分でやらないといけない。その情報が玉なのか石なのかを判断する基準は自分にしか決められないからです。

万人に合うような音楽は存在しません。好きかどうかでしかない。自分に合うか合わないか、は自分にしか決められない。いちど自分が好きな音楽が定まれば、そこから世界は広がっていく。

「クレジットをガン見する」ように、出典元や書き手をガン見する。それが書かれた環境や経緯を推測する。その裏側にいる人たちを想像し、そこに隠れた「つながり」を発見する。それが文脈を読むということになります。そういう訓練をしていれば、だんだんと、この人の言うことは信頼できるとか、眉に唾つけて聞いておこうとか、自分なりの基準(世間一般の評価とかマスメディアの論調とかではなく、あくまでも自分なりというところが大事)ができてくる。

そうやって反復と経験によって直感が鍛えられると、ジャケットを見ただけで好みの音楽かどうかが分かるようになるのと同じように、ツイッターのたった140文字でも、正しいことを言っているようだけどなんか引っかかるなあとか、すごく気持ちいいなあとか、パッと感じるようになる。どんなにRTされていて正しそうなツイートでも、初見で違和感を覚えるならば、それはだいたい自分には合わない意見なのだ、ということだと思います。

家入一真さんのツイートより
人の付き合いなんてストックするんじゃなくてフローでどんどん回す。死んだ人脈なんて貯め込んだって意味ないよね。必要な時に思い出してもらえる人間になれたらそれでいい。名刺なんてバンバン捨てたら良いし、名刺交換会なんてのも行かなくていい。必要な時に必要な人とはまたどこかで出会うから。

僕が人脈という言葉が嫌いなのは、それを金脈と勘違いしている人が多いから。そんな付き合い方をして有名人や金持ちの知り合いをたくさん作った所で薄っぺらいのは見透かされてるよ。誰々を知ってる、では無く、逆に他人から紹介したいと思ってもらえる人間になりたいよね。


情報の背後にあるのは、人のつながりです。自身のつながり方によって情報の見え方も変わってきます。それはストックするものではなくてフローするものなのかもしれません。ぼくがツイッターを好きなのは、ことばがどんどんフローしていく後腐れの無さにあります。ブログをこうして書くのは、それらのフローから得た感触をストックするためです。ストック&フローで思索とことばは循環していきます。

古い「音楽好き」が、ジャケットという「モノ」を愛でるのは、「モノ」をストックするためではなくて、それをもとにして「つながり」をフローするためなのかもしれません。


…と、もっともらしいことを書いて締めようと思ったのですが、よく考えてみたらiTunesやAmazonなんかに出てくる「これもおすすめ」ってやつ、あれは「つながり」のフローですよね。音楽雑誌や、クレジットをガン見するのと同じような効果が画面上で得られる。上の動画だってYoutubeで検索して見つけたわけだし。音楽が広がるという意味では、デジタル環境になったことで格段に「つながり」のフローが身近になったと言えます。だから、古い「音楽好き」が、つながりをフローするためにジャケットを愛でるというロジックは無理があるかもしれません。じゃあなぜジャケットを愛でるのか。

「妄想する時間」かもしれないな、と思いました。
iTunesやAmazonでのつながりは画面上に即座に出てきます。それを目で追うほうも、その背景まで思いを馳せる暇がない。皆無ではないかもしれないけれど、画面上には関連情報が盛りだくさんだし、次々と新しいタブを開きたくなるし、どうしても意識が散漫になりがちです。
CDをデッキに入れて、スピーカーから流れてくる音楽を聞きつつ、わくわくしながらジャケットをめくるあの時間というのは、意識がそこに集中する時間なんですね。集中しているから、妄想が膨らんでいく。妄想をするのには、前提となる知識と、ある程度の時間は必要です。実はこの妄想の時間(喧噪から離れる空白の時間と言ってもいいかも)っていうのが大事なんじゃないかと。

メディア・リテラシーって、情報とはもともとバイアスがかかっているものであるということを踏まえた上で、自らの基準によって情報を取捨選択することだと思います。つまりは文脈を読むということ。「文脈を読む」って、言い換えると「妄想する」ってことですから。

古い音楽好きの昔ばなし(佐野元春とその仲間たちに思いを馳せて) 共感でつながる文化とメディア・リテラシー

古い音楽好きの昔ばなし(佐野元春とその仲間たちに思いを馳せて) 共感でつながる文化とメディア・リテラシー 2013.01.16 Wednesday [音楽・映像] comments(0)
このエントリーをはてなブックマークに追加TOPSY









url: http://yamachanblog.under.moo.jp/trackback/499
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...