福田衣里子『がんばらんと!』

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あのとき、たった一本の止血剤を打たれなければ、もっと違う人生だったかもしれない。穏やかで、明るい人生だったかもしれない。こんなに泣かなくてすんだかもしれない。楽しい20代を過ごせたかもしれない。
でも、あの瞬間に、まさに始まった私の人生は、偶然では片付けられないことの連続だった。
19歳のとき、思い切って旅に出ていなかったら、卒業した頃は治療を受けていて、あの旅はなかった。20歳のとき、一枚の新聞をたまたま見ていなかったら、感染に気がつかなかった。23歳のとき、治療が成功していたら、その後、訴訟に加わるきっかけとなった「医療講演会」にも行っていなかった。初めて行った裁判所に学生が集まっていなかったら、実名公表はしなかったかもしれない。
(本書P8〜9より)



もっと早く読むべきだった。

薬害肝炎問題で知られるようになった福田衣里子前衆議院議員が、0歳で薬害に遭い、20歳の時に自身のC型肝炎感染を知り、数年に渡る闘病生活を続けながら、2004年に原告団の一人として実名を公表し、長崎と国会を往復する日々、先の見えない薬害肝炎訴訟で何度もくじけそうになりながらも仲間たちとともに戦い続け、2007年12月にそれまでの国の対応から急転直下した福田総理の全員一律救済宣言、そして2008年1月に薬害肝炎救済法が成立し和解に至るまでの軌跡を綴ったもの。政治家としての福田衣里子ではなく、薬害肝炎原告としての福田衣里子が見た薬害が等身大で書かれています。


福田衣里子さんと言えば、その可愛らしい容姿と相まって民主党躍進の象徴のように祭り上げられていた節があります。当選後は、小沢ガールズの代名詞というようなレッテルを貼られていましたし、ぼくも一部ではそのようなイメージを持っていました。その一方で、なんとなくこの人は信用できそうだなという印象があったし、たまにブログ等で見かけるメッセージは筋が通っていると思っていました。

けれども、2009年に子供が生まれる前後まで政治に関しては呆れるほど無関心だったぼくは、薬害肝炎問題の存在すらもよく認識していなかったわけで、福田さんが薬害なんたらの犠牲者であるということはなんとなく聞いていても、そのバックグラウンドや意味をまったく理解していませんでした。

本書を読むと、彼女が政治家になったことも必然であったのだなと思えてきます。サブタイトルでもある「薬害に遭って、見えてきたこと」とは。

私たち「薬害肝炎原告」は、国や製薬企業の「不作為」によって、C型肝炎に感染させられ、放置されてきた。C型肝炎は、慢性肝炎から肝硬変、のちに肝癌へと移行し、やがて命を奪う病気だ。
薬害肝炎問題の発覚は、1986年から1987年にかけて、青森県三沢市の産婦人科においてフィブリノゲン製剤を投与された患者らに、C型肝炎の集団汚染が発生したことに端を発する。この集団汚染の報告がされるまで、長期にわたり「汚染された血液製剤」を多くの患者が投与され続けた事実は隠し続けられた。出産時や外科手術などの際に止血剤として多く使われたフィブリノゲン製剤、そして、新生児などに使われた第九因子製剤クリスマシン、これらの汚染された血液製剤を、私たち薬害肝炎被害者は、知らぬうちに投与されたのだ。それも「出産」という、人生において嬉しい節目のときに、こんな目に遭わされてしまった被害者が多いことは何とも言いがたい。
(P16〜17より)

治療をしながら、取材や意見陳述の打ち合わせの日々が続く。副作用と戦いながら、かきむしった汚い顔でテレビに映るのは、かなりのストレスだった。
「嫁入り前なのに〜。汚い顔を映してほしくない…」途中で熱が上がりだし、頭がぼーっとなっていくのを感じる。
毎日同じことを質問される。毎日同じ話をする。別に楽しい話でも、自慢できるような話でもないことを。
「あ〜あ、昨日も肝炎、今日も肝炎、明日も肝炎…」正直、取材を断りたいと思った日もあった。でも、知ってもらわないと始まらない。
(P20より)

汚染された血が混入した原料で作られた止血剤「フィブリノゲン」。アメリカFDA(アメリカ食品医薬品局)は1977年の段階で、フィブリノゲンは肝炎のリスクが高く危険で、有用性にも問題があるとして、製造承認が取り消しになっている。
この事実を知っていたにもかかわらず、日本では1977年以降20年近くもフィブリノゲンは使われ続けた。厚生労働省では新薬の承認に、通例で高さ1メートルにも2メートルにもなる資料が必要だと言うが、このフィブリノゲンは紙切れ一枚で承認を得たという話さえある。
(P58より)

C型肝炎のことを人に話すとき、私はいつも「ムカツクけんねー!」とキレながら話すか、ネタにしてウケ狙いで話してきた。まじめに話すと、つまらないと思われるんじゃないか、その場の雰囲気も暗くなるんじゃないか、引くんじゃないか、同情されるんじゃないか…泣いてしまうんじゃないか。そう思うとどうしてもまじめには話せなかった
(P79より)

2004年2月28日、裁判とやらに恐る恐る出席した。暗くて怖いイメージだった裁判所の前には、たくさんの若者が集まっていた。この人たちはなんで集まっているんだろうか。何が目的で私たちの裁判を見に来ているんだろうか。
裁判が終わって、弁護士の方から、彼らはこの訴訟を支える学生の会で、原告の方の話を聞いて、何か自分たちにできることはないか、と立ち上がった人たちだと聞いた。彼らは、世論を高めるためにも、こうやって傍聴席のひとつを埋めようと毎回裁判に早起きして足を運んだり、街頭でもビラ配りを行ったりという活動をしているそうだ。
彼らは、私たちの家族でも、親戚でも、友達でも、恋人でもない。それなのに私たちの力になろうと真剣に思ってくれている。「がんばってね」と言うことは簡単だ。でも、彼らは、言葉だけではなく、行動に移している。きっと、レポートを書いたり、バイトをしたり、遊びに行ったり、デートに行きたいだろうに、その時間を使ってこの裁判をサポートしようとしている。そのピュアな思いは、私の心の中の何かを大きく変えた。
その日、私は実名公表を決意した。
(P77より)

それが「418リスト」、私たちが「命のリスト」と呼んでいたものだ。
このリストは2002年8月に作成された「フィブリノゲン副作用報告書」のリストである。フィブリノゲン投与後、肝炎感染が相次いだことをきっかけに、企業が調査に乗り出し作成されたものだ。
ということは、国も当時から危険だと思っていたわけだ。
しかも、その副作用報告書を集めただけで、何の対策も取らなかった。このリストが作られた当時の厚生労働省医薬品局局長だった宮島彰氏はリストを作成した翌日に辞職し、厚生労働省直轄の医薬品医療機器総合機構の会長に天下っている。その後、彼はこの薬害肝炎問題が発覚し、国会で救済法が成立した後、機構を辞任している(退職金をそのつどもらって辞職している)。
(P154より)

大阪原告16番さんの「合致」によって、「418リスト」は個人を特定しうる情報を保持していることが明らかとなった。
信じられない。
これまで5年近く裁判をしてきても、原告の数は全国で100人にも到達していなかった。いまだ感染に気づいていない人がたくさんいるはずだ。原告団、弁護団、支援者で、検査の呼びかけを街頭で行い、厚労省にも呼びかけるよう訴え続けてきたのに、厚労省は今までいったい何をやってきたのか。人の命をなんだと思っているのか。悲しみと怒りが込み上げてきた。
国と企業は、「418リスト」によって明るみに出た「薬害の危険性」をずっと隠してきた。そしてこの一件がなければ、これからもずっと隠し続ける気でいたんだ…。
(P156より)



福田さんをはじめとする薬害肝炎原告団の人々が、いつ終わるともしれない訴訟を続けてこられたのは、志をともにする仲間や応援してくれる人々がいたからだと彼女は記しています。薬の種類や、薬の投与時期が一日違うだけで救済に差が出るという理不尽に怒り、原告団は被害者の一律救済を訴えます。まだ感染していることすら知らないかもしれない350万人の患者の命の救済という目的が、薬害肝炎原告団には共有されていたのだと。だから、いちど原告団に30億円の和解金が提示された際、それでも患者の全員一律救済を確約しない厚労省の対応に、お金の問題じゃないと憤慨し和解を突っぱねたという経緯があります。

福田さんが「薬害に遭って、見えてきたこと」。それは、震災後にぼくたちが政治やマスコミの中に見てきた風景ととてもよく似ているような気がします。政官報企業が一体となって利権を守るという構図は、原発問題で嫌というほど見せつけられました。国民ひとりひとりの命よりも経済活動という名の企業利益。大きな利益が得られるならば、少数の命には目をつぶるという体質。報道されることと、されないこと。そういった差別の構図こそが原発問題の本質であると思います。そして、この構図は原発だけの特別なものではなく、日本のあらゆるところに介在していると考えたほうが腑に落ちます。薬害肝炎もまたしかり。国民の命を軽んじてまでも利権を守ろうとするその構造的病理を知ったからこそ、福田さんが「命を守るため」に政治家を志したのは必然だと思うのです。


昨年末の衆院選。民主党への圧倒的な逆風は、福田議員にも例外ではありませんでした。結局は離党し、みどりの風に合流するも、未来の党から比例代表(近畿ブロック)単独での立候補となり、しかも比例代表名簿の順番が最下位という、落選覚悟での出馬でした。ごたごたの政局に巻き込まれるような形になってしまったのは残念です。

ネット上では、彼女はほんとうに肝炎患者だったのかという疑惑まであるらしく、立候補は売名行為だとする説もあります。事実はぼくにもわかりません。その事実を知るためにあらゆる証拠を検証する気もありませんが、少なくとも、本書を読み、その筆致に触れたところの印象によれば、彼女が嘘をつくタイプの人とは思えませんでした。

ふつうの女の子はこんなことしないよ〜、という台詞が本書の中には何度も出てきます。携帯メールでの、「か」での予測変換が官僚、肝炎、感染、会見…「こ」が国会、国民、告知、厚労省…ふつうお年頃なら「か」は彼氏で「こ」は恋とかじゃないの〜、というくだりは笑ってしまいました。「何も悪いことしてないのに」0歳で薬害に遭い、インターフェロン治療による副作用で20代前半をほとんど思うように動けず、その後も裁判で各地を巡り、長崎と国会を往復する生活。たしかに、ふつうの女の子はそんなことしません。国を恨み、自分の運命を呪いたくもなるような境遇であるのに、福田さんはそれをあっけらかんと綴っています。曰く、一度死を意識した人間は結構強いと。なるほど。

10代の頃描いていた「今の私」は、ステキな人と出会い、結婚して子供もいた。少なくとも28歳までには、恋人が両親に挨拶に来る予定だった。
しかし、実際には、浮いた話のかけらもなく、27歳、両親に挨拶に来たのは、民主党の小沢代表だった…。まさに、シェーである。
(本書P7より)



民主党は、惜しい議員を失いました。命を大事にする、そのことの意味を理解している政治家は永田町では少数派なのかもしれません。ぼくたち生活者の目線から国政を語る人が、現在どれだけいるでしょうか。2009年の政権交代に「国民の生活が第一」を託した有権者は、ほんとうに惜しい政治家を失ったと思います。

たったの3年3ヶ月。
彼女が薬害肝炎問題と闘い続けた月日からしてみれば、あまりにも短く、政治的なイシューを動かそうとするには到底結果の出るようなスパンではありませんでした。それでも薬害問題をはじめ、自身が経験者であるからこそ問題に真摯に取り組んでいたであろうと想像します。まだ若いし、ほんとうにこれからの人だったのになあと残念でなりません。もっと早く本書を読んで、政治家としての彼女の言葉にもっと耳を傾けたかった。

選挙後に福田さん自身が記したブログです。

福田えりこ公式サイトより
私にとって今回の選挙は、前任期中の経験から「競争よりも共生」を願う国民の方々が確かに存在し、その方々の受け皿となる、解散当時にはなかった選択肢を誰かが作らなければならないと考えていたことから、そういった受け皿作りをするという意味を持つものでした。 自分自身の選挙や当落についてよりも、そちらに重きを置いてきた事もあり、選挙区すらギリギリまで決まらず、受け皿となる日本未来の党ができることになった時点で、実は、私自身は出馬しない方向で検討をしておりました。

それでも、嘉田代表はじめ、たくさんの方々にお声かけいただいたこともあって、最終的には、私自身の当選は難しいであろうことはあらかじめ納得した上で、嘉田代表のもと、党の掲げる想いを国民の皆様に知ってもらうことを主目的として出馬することにしました。 ですので、私にとっては13位が14位になろうと、それこそ小異だったのです。

そして選挙期間中、関西はもちろん、九州や東京へも応援に行かせてもらい、多くの皆様に訴えをさせていただきましたので、私は今回の結果には一切悔いはありません。 2009年に国会へと送っていただいて以降、肝炎対策基本法から始まり、B型肝炎救済法やカネミ油症救済法の成立や、薬事法改正の議論、震災や原発対応、社会保障問題、動物愛護問題など、厚生労働分野を中心に、様々な日本の問題について議論をし、可能な限り結果を出すよう努めさせていただいた前任期期間でした。 私自身がかつての政治から軽んじられた命でしたので、私は政治の側の人間として、絶対に国民の命を軽んじることはしないと心に決め、戦い続けた三年三ヶ月でもありました。

これからも政治の力が、一部の人間の利益のために使われるのではなく、誰もが希望の持てる未来を作っていくものとなるよう心から願い続けるとともに、私もこれから自分の出来る事を考えていきたいと思います。



今年1月31日付のメルマガで、福田さんは「今後については全く未定で、完全にゼロベースで考えていきたいと思っている」と述べたそうです(出典)。おそらく、政治活動からはしばらく距離を置くのではないかという気がします。

結婚されたんですね。
「現在、大阪で暮らしており、国会と地元の往復だったこれまでの日々とは全く違った新鮮な毎日を過ごしている」
「今後は、夫婦二人で力を合わせ、協力し合い助け合いながら、これまでとはまた違った経験を積み重ねていくことで、さらに深みのある人間へと成長していけたらと考えております」
という言葉も、本書を読んだ後に聞くと感慨深いものがあります。20代のほぼすべてを闘病と訴訟と政治に明け暮れた彼女がようやく「ふつうの女の子」としての幸せを手に入れることができたのだとするのならば、それを犠牲にしてまで政治家に戻ってほしいとは言えないとも思います。

本書のタイトルである『がんばらんと!』という言葉には二つの意味があるそうです。
ひとつは長崎弁で「がんばらなきゃ。がんばらないといけない」という意味。もうひとつは、これも長崎弁で「がんばらんでいいさ」という意味。福田さんはこれまで「もっとがんばらんと!」と言いたい人、そして「もうこれ以上がんばらんと!充分がんばってるんだから」と言ってあげたい人、そんな人たちと会ってきたそうです。自身に対しても、裁判で辛いときには「もっとがんばらんと!」と、治療で辛いときには「そんなにがんばらんと〜」と言ってきたと。

なんというか、このさじ加減が、ぼくの好きだった民主党なんだよなと。
そういう手触りが、本書には綴られていると感じたのでした。


福田衣里子『がんばらんと!』

福田衣里子『がんばらんと!』 2013.02.06 Wednesday [読書] comments(0)
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