選挙の曙光

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毎日めまぐるしすぎて、訳わかんなくなりますね。選挙。
政党の乱立によるバタバタで、誰が何を言っているのかも情報が錯綜しているような状況で、あたまがパーになっていませんか。ぼくはなっているので、これ以上ならないように、自分なりのあたまを整理するためにこうして書いていますが、なにぶんあたまがパーになっているものでパーな点があることはご了承ください。

いくら自民党が金属疲労で狂っていても、ネット調査で国民の生活が第一の支持がダントツでも、選挙区に候補者が立たなければ選びようがない。いくら「脱原発」を望んでも、小選挙区制のもとでは、死に票と分かりながら投票したり、望まない候補者に投票せざるを得ない人もいる。それって、一票の格差どころの話ではない。

ということを前回の記事で書きました。そんなクソみたいな選挙なんか来なければいいのに、と思っていました。考えれば考えるほど、暗鬱とした気分にしかならなかった。ネトウヨ化した自民党が政権執って、石原慎太郎が代表の維新が躍進だなんて、ほんと日本終わるわ〜と悶々としていたところ、唐突な感じではありますが、「脱原発」を旗印にした新党が立ち上がるとのニュースが。

嘉田新党、生活・みどり・脱原発と連携も 第三極二分化 - 朝日新聞

今回の選挙をめぐる報道に違和感を覚えている人は多いと思います。その受け皿が無いことも。そこに危機感を感じ、日本の未来(子供たちの将来)を憂う大人たちがちゃんと存在して、こうしてなんとかしようと歩を進めてくれることに対して、素直に嬉しく思います。さらに現段階で、国民の生活が第一、みどりの風、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党、との合流も含めた連携を模索しているとのこと。これは朗報ですよね。

選挙は数とカネです。小選挙区制という現行のルール上で戦う以上、これはどうしようもない現実。いくら崇高な理想を持っていて、能力も人格もすばらしくても、カネが無ければ選挙には出れない。よしんば選挙に勝ったとしても、数が少なければ国会での存在感は弱まる。発言権を増すために連立を組むという手段もありますが、度を超えた連立で政党政治の根幹が崩壊したことも過去何回かあるようです。

いくらネット調査で国民の生活が第一の支持がダントツでも、小選挙区では自民党が多数を占めるという現実が待っています。だから、「脱原発」を実現していくためには、選挙で勝つための「選挙協力」が必要になる。「脱原発」を旗印にして小規模な政党が結集し、選挙協力をすることで、小選挙区において自民党に対立する候補者を立てることができる(民主党は第二自民党なので対立軸にはなりません。維新も同様)。そうすることではじめて、有権者は「原発」を争点にした対立軸で、選択できるようになります。

だから、この新党結成と「脱原発」を旗印にした合流は、「脱原発」を支持したいと願う有権者にとっては朗報だと思うのです。国民の生活が第一はマスメディアに黙殺されている状態なので、話題になるだけでもいい戦略だと思う。これですなわち自分の選挙区に候補者が立つとは限りませんが、「選挙に強い」という小沢氏の手腕にちょっとだけ期待しちゃいます。

そして願わくば、今回の「原発維持」と「脱原発」という対立軸が、ほんとうの意味での政党政治が日本に根ざしていく発端になることを期待します。ぼくたちは、各々が自分の家族と自分の暮らしからの実感に基づいた、各々の価値観でもって、各党の政策を比較検討すること。選挙のしくみとしては、マジョリティからマイノリティまでの受け皿としての選択肢が確保されること。そこを踏まえた上でなければ、カタチだけの二大政党制があってもおそらく機能しません。

「原発維持」と「脱原発」という対立軸は、そのまま「TPP推進」と「反TPP」、「消費税増税に賛成」と「消費税増税に反対」、すなわち「大企業優遇の政策」と「国民の生活が第一の政策」という対立軸にも移行していくはずです。「保守」と「リベラル」という区分はあまり意味をなさなくなりましたが、ざっくりと大きな方向性としての左右の軸は政党政治が機能するための対立軸としてあるべきだと思います。

堀 茂樹さんのツイートより
現実的な議会主義中道左派と、理性的でモダンな環境保護派が共同戦線を組むのは、ヨーロッパでも、ネオリベや極右に対抗する王道です。


そういう意味では、今回の新党がたとえ選挙で多数派とならなかったとしても、今後何十年か先の日本の政党政治が機能していくための布石となるのであれば、それは意義があることだと思うのです。曙光であると思うのです。民主党だって、発足して政権を執るまでは何十年もかかったわけです。ある政策の成果なんて数年で結果の出るものではないし、こんながんじがらめの選挙制度なんて、ちょっとずつしか良くならないでしょう。

だから、ぼくらは、「子供たちが選挙権を得る頃には、もう少しマシな制度にしてあげたい」という視点で、その種を撒き続けるしかないのかもしれません。



選挙の直前になると、各党の政策を「分かりやすく」まとめた表やチャートがいろんなメディア上に出てきます。ひとつの参考にはなるかもしれませんが、あんなものをアテにして投票していたら、埒があきません。選挙向けの美麗字句が並ぶし、橋下氏のようにころころと言うことが変わる人もいます。じゃあ何を信じて、何を基準にして選べばいいのか。

震災後、2年間も見てきましたよね。民主党がどうだったか。自民党がどうだったか。党内のこの人はどうで、この人はどうだったか。自分が見てきたそれらの蓄積を信じるしかないと思います。きちんと見てきたならば、選挙前に掲げられた「脱原発」が、どういう文脈で出てきたものかぐらいは分かりますよ。橋下氏の「脱原発」が嘘っぱちだなんてことは、石原氏の明言を待つまでもなく分かる。もちろん今回「脱原発」のもとに集った人の中にだって、選挙向けに「脱原発」を謳ってるだけの候補者もいるかもしれません。それは、これから注視していくべきでしょう。嘉田さんという人がどんな人物であるのかも、ぼくはまだよく分かっていません。



最後に蛇足かもしれませんが、左右軸という観点から、民主党による政権交代を振り返ってみます。もともと民主党は寄せ集め集団であったことは間違いありません。自民党による一党支配長期体制を壊し、政権交代のできるしくみをつくるという目的で集まった人たちなので、保守寄りの人もリベラル寄りの人も混在していました(それはかつての自民党もそうでしたが)。政権交代後にその野合ぶりが顕在化し、党内が対立したことが民主党崩壊の原因です。

大事なことは、民主党が政権交代を果たした2009年の選挙で何を言っていたかという点です。そのすべてを検証する労力はありませんのでざっくりまとめると、鳩山政権は「コンクリートから人へ」というコピーに表されているように、「大企業優遇の政策」から「国民の生活が第一の政策」への転換を謳っていたはずです。

「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透する」というトリクルダウン理論が、従来の自民党型コンクリート政治の基本でした。だから庶民はとにかく景気を良くしてほしいということを「お上」に願い、お上はハコもの行政でそれに応えた。世界に誇る工業技術が高度経済成長をもたらし、一億総中流という夢の時代を築きました。しかしそれも、グローバル化と新興国の台頭により次第に先細っていきます。低迷する日本経済にテコを入れるために、小泉政権が打ち出したのが「規制緩和」でした。これは、トリクルダウン理論をさらに押し進めるという考え方で、新自由主義(ネオリベ)と呼ばれています。実際には、小泉政権が打ち出したというよりも背後のアメリカによる思惑だったようですが。小泉構造改革の結果、富める者は富みましたが、その富が循環することはなく、格差が拡大しセーフティネットは瓦解していくというまっただ中に現在のぼくらは居ます。グローバル化に伴う規制緩和とは、その結果としての富める者が必ずしも自国に住む者であるとは限らない(むしろ逆)ということを証明しました。(そのことが分かっているのにTPPに乗り込もうとするのは愚策だと思うのです。)

鳩山政権の登場とは、政策的には、小泉政権以降の新自由主義路線へのカウンターカルチャーだったはずです。有権者は投票で「コンクリートから人へ」を選択したはずなのです。子ども手当も、高校無償化も、八ッ場ダムの中止も、すべて「大企業優遇の政策」から「国民の生活が第一の政策」という指針に沿ったものだったはずです。国民の主権を尊重し、弱き者が手をたずさえて生きることのできるような、そんな方向を向いていたはずです。国民の主権が尊重されるということは、それと同時に、有権者は政治のことはお上に任せっきりという依存体質から脱却することをも意味していました。自分のあたまで考え、自分で行動し、参加する。それが「新しい公共」であり、裸踊りになるはずでした。個別補助金を廃止し、自主財源として地方自治体に一括交付するという案も、地方の自立を指すものです。そして有権者が自分のあたまで考え、自分で行動し、参加するために、民主党は徹底した情報開示を行うはずでした。事実、鳩山氏は憲政史上初となる首相会見のオープン化を実現しています(過去記事)。

しかし普天間問題で鳩山氏が退陣してからの民主党は、まったく別の党になってしまいました。アメリカに楯突いて退陣に追い込まれた鳩山氏の様子を見ていた菅氏はすっかりアメリカのYESマンと化し、オープン化していた閣僚会見も次々にクローズされました。そうなると政策も自ずとアメリカの望むほうへ向かいます。すなわち、日本国内の国民の生活よりも、富める者(多国籍企業)にとっての利が優先される方向へ。これは、政権交代時の「コンクリートから人へ」とはまるきり逆です。続く野田政権はさらに対米従属であり、財務省の言いなりでした。国民の生活を守るためではなく、経団連の利益を守るために、大飯原発の再稼働についての声明を発表したのは記憶に新しいところです(過去記事)。

国民の負託を得ずに、勝手に軸を正反対に向けたのが、民主党崩壊の理由だと思います。そのおかげで政党政治への信頼も失墜しました。政治家が何を言ったって、もう誰も簡単には信じない。そしてそれよりも痛いのは、鳩山氏退陣後の民主党が自民党ばりの新自由主義路線へと変貌してから、日本にはリベラルな層を受けとめる政党が存在しなくなったという点です。自民党はバリバリの極右路線へと突っ走っています。維新の会はおそらく小泉政権以上のネオリベ路線でしょう。それに対抗する左派としては、およそ現実的ではない社民党と共産党しか無い。そんなおかしな座標軸の中で、3年前に「コンクリートから人へ」を選択した人はどこを支持したらいいのか分からない。

たしかに民主党には看板に偽りがありました。子ども手当は26,000円のはずが半額での支給になりました。しかも扶養控除の廃止とセットであり、子育て世帯の実質的な負担は以前とほとんど変わりませんでした。でもぼくは、そういった数値上の失敗に関して失望したり、騙されたなんて思ったりはしていませんでした。子ども手当が指し示す理念にこそ共感していたからです(過去記事)。それはいまでも変わりません。「子供たちが大きくなる頃には、もう少しマシな制度にしてあげたい」という思いに嘘はありません。

宙に浮いてしまった「コンクリートから人へ」の思いを受けとめるのが、いまは「脱原発」になるのだろうと思います。これからの左右の対立軸。それほど難しい話ではありません。自分は何を大事にしたいのかという話です。経済なのか人なのか。未来に何を残すのか。


選挙の曙光

選挙の曙光 2012.11.27 Tuesday [政治・メディア] comments(0)
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