選挙の憂鬱

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クリスマスなんか来なければいいのに…
12月24日が近づくと憂鬱になる人が増えるのは、クリスマスを商業イベントに仕立て上げた広告関連産業の人たちにとってはべつに打撃にはならない。彼らはクリスマスを楽しむ人に向けて商品やサービスを提供するだけだ。街をあげての商業イベントからこぼれ落ちる人にまで差し伸べる手は無い。当たり前である、それが資本主義なのだから。

選挙なんか来なければいいのに…
12月16日の総選挙が近づくにつれて、ぼくはその思いがどんどん強くなっている。街をあげての喧騒がどんどんおかしな方向に向かっているように感じるからだ。

「民主党は無い」という漠然とした理由だけで選ばれる自民党や維新の候補者がどれだけいるかと思うと暗鬱とした気分になる。どうせ死に票になるから…という消極的な理由で投じられる票のほうが多いだろう。しかしそれで当選した議員は民意を代表するというタテマエになってしまい、国会を動かし、法律が作られる。そのツケは、ぼくら自身とその後の世代に降りかかってくる。選挙はクリスマスのようなただの消費行動とは違う。

民主党がダメだったのはたしかだけど、じゃあ3年前の民主党に自分は何を期待してたのかを具体的に説明できる人はどれだけいるんだろうか。もしそれができないなら今回も曖昧な理由でしか選びようがない。選挙の争点が自分で分からないから、テレビが代弁面してさかんに喧噪する争点に引っ張られる人がどれだけ多いか。

「民主党にやらせたけどだめだった。自民党がもう1回頑張ってほしい」などと牧歌的なことを考えている人に、いまの自民党はあなたの思い描く古き良き自民党ではないということを知らしめる術はないものだろうか。国防軍だの改憲だの威勢のいいこと言う人にかぎって、米軍基地や社会保障、少子化問題はスルー。いったい誰から「日本を取り戻し」て、何から「日本を守る」のか、そもそもこの人たちの言う「日本」には誰が入っていて誰がはじかれているのか、ぜんぜん分からない。

国防軍=戦争ではない、安倍自民党は戦争に向かっているという批判は選挙にあてた中傷だという声があるけど、そういうことじゃなくて。いまのこの時代に、震災復興でもなく、原発でもなく、社会保障でも少子化問題でもなく、徴兵制や改憲を第一の争点にもってくるというその感覚がまったく理解できないという話なのだ。

テレビの人たちも、軍隊がどうのこうのって眉間に皺寄せて議論するんじゃなくて。そんなことはどーでもいいから、原発どうすんのよ、社会保障どうすんのよ、TPPどうすんのよ、ってなんで誰も言わないのだろうか。是非を問うとかの前に、「それ」が争点になってること自体がおかしいって。あんまり「それ」ばっかりやってるとそのうち感覚マヒしてくるよ。それが狙いかもしらんけれども。

小野昌弘さんのツイートより
原発政策・TPP・社会福祉・外交という重要な争点を軸に今回の衆議院選挙を見ると、仝業推進・対米従属・強者優先の「自=維新=公=民」vs反原発・自立外交・弱者配慮の「生活=脱原発=新党大地=みどり」という実に明確な対立がある。民意の多数は△世蹐Αこの争点を隠して得をするのは



「候補者乱立を防ぐ」という名目で設けられている世界一高い供託金(小選挙区で300万円、比例区で600万円)。
衆院選:「緑の党」、候補者擁立断念 「比例代表4人」分、供託金めど立たず
さらには候補者への「売名行為」という陰口。「政治には関われない」という空気。
「普通の人」出馬できる 目黒のデザイナー 脱原発訴え - 東京新聞

こういった「伝統」が、政治というものをぼくらの生活から切り離している。自分の家族や生活をもとにして考えるのではなく、テレビの画面上に争点があるかのように錯覚して誘導される、すなわち選挙という行為を評論家感覚やゲーム感覚で捉えている人は案外多いのかもしれない。原発事故後に石原氏の都知事再選とかちょっと理解できないもの。

「民主党は無い」という空気だけをもとにした投票原理って、マズイという評判が広まったらーめん屋に対する世間の空気みたいなもので。あんな店で食うなんて無いわ〜、と実際に食ったことがない人までもが分かったかのように思い込むというあの感じ。
国道沿いに華々しく立ち並んだ麺屋民主はたしかに看板に偽りがあったし、経営者が変わってからピンハネするようになった。しかし各地にチェーン店を持つらーめん自民に往時の面影は無く、現在は賞味期限切れの食材を平気で使おうとする程に質が下がっている(その一方で、ネット上の某掲示板にはジミリアンと呼ばれる熱狂的支持者も存在する)。そして、マスコミで話題の維新工房は派手な宣伝で評判を呼んでいるが、添加物まみれの劇薬である。そんな中、麺屋民主の志を引き継ぎ、住宅街にひっそり佇む店があることを知る者は少ない。食べログでは評判の同店だが、いかんせん知名度が無い。行列ができるのはやはりマスコミが取りあげるお店ばかりだし、地方では、味が変わったことにも気づかず昔から在る店への愛着を語る人も多い。


ぼくは今回の選挙区で選ぶ人がいないという立場になることではじめて、小選挙区制という仕組みの胡散臭さに思い至った(前回記事)。いくら自民党が金属疲労で狂っていても、ネット調査で生活党の支持がダントツでも、選挙区に候補者が立たなければ選びようがない。それって、一票の格差どころの話ではない。

世界一高い供託金と小選挙区制度は、選挙を恣意的にコントロールできる要因であることをはじめて知ったわけだが、だからと言って今回の選挙はどうにも出来ないというジレンマ。まあ民主党が政権執るまでも何十年もかかったわけだし、考えてみればたった3年でやっぱりダメだったというのもすいぶん短絡的な反応である。ある政策の成果なんて数年で結果の出るものではない。こんながんじがらめの制度なんて、ちょっとずつしか良くならないだろう。

子供たちが選挙権を得る頃には、もう少しマシな制度にしてあげたいよね。
子を持つ親としてはそれを投票原理にするしかないと思っている。

右に行けばワニ、左に行けばアナコンダというような究極の選択で、いかに最善の選択をするかっていうのは大事だけど、内田樹さん曰くそもそもそんなところに行かないようにするのが武道だと。こんな究極の選択を強いられる選挙制度になったのはなぜなのか。世界一高い供託金や、小選挙区というしくみが、どうやら民主主義の機能を阻んでいるように見えるならば、制度を変えるしかないんじゃないかと思ったり。でも制度を変えるのもまた政治家で。野田さんが言ってる議員定数削減はまやかしだし。

けっきょく制度を変えるより、いまある制度の中でいかにうまく立ち振る舞うか(勝ち馬に乗るか)を多くの人は選んできたわけで。根本を見ずに蓋をしてきたそのツケが回ってるということなのだろう。一億総中流という夢の時代は覚め、勝ち馬に乗れる人はどんどん限られてきている。大きいものに巻かれたほうが「得をする」っていう時代はもう終わると信じたいが…。

選挙の憂鬱

選挙の憂鬱 2012.11.26 Monday [政治・メディア] comments(0)
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