『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』安田浩一著を読んだ。

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読み応えがあって、ぐいぐい引き込まれ、考えさせられる本だった。

丹念な取材をもとに、『在特会』を丁寧に追ったルポ。まず、よくまあこういう人たちを1年半も追いかけたな、と。時に罵声を浴びながらも、感情的になることなく丁寧な取材を続けた安田浩一氏の辛抱強さには頭がさがる。安田氏は、単純に「知りたかっただけだ」と言う。「理解でも同情でもなく、ただ、在特会に吸い寄せられる者の姿を知りたかったのだ」と。

会員ひとりひとりや、関わってきた人たちへのインタビューから見えてくる在特会とは。


※ちなみに以下の動画でも、在特会への取材をもとにした話が聞ける。本書と重なる部分も多く、だいたいのアウトラインは掴めると思う。
「ネット右翼」はどこにいる? ニコニコ生放送12月23日 在特会特集(動画)



01.在特会とは

正式名称「在日特権を許さない市民の会」。「在日特権」の廃止を主な目的とする右派系市民団体であり、自らを“行動する保守”と自認している。2007年1月20日正式に発足、会長は桜井誠。会費は必要とせず、ウェブサイト上からの申請で誰でも会員になることができる。現在、全国に34支部を持ち、1万人あまりの会員数を抱える。これは、数ある保守・右翼団体の中でも最大規模だ。

ぼくは、いわゆる「ネトウヨ」的な言説には以前から嫌悪感を抱いていた。2chも基本的には好きではなかったし、ヤフーの政治欄なんかを見ても掲示板で交わされる論争にはどこか気味の悪さを感じていた。もともとリベラル的な指向が強く、近隣諸国に対して毅然とした態度を示せという勇ましい言説は苦手だったし、ましてや彼らが発するのを厭わない差別的発言を目にするだけで陰鬱とした気分になることが多かった。

けれども、ぼくのネトウヨに対する認識っていうのも実は曖昧なもので、例えば小林よしのりあたりに影響を受けた人たちなんだろうなという程度でしかなく、実際にどのような人たちがネットに集っているのか(匿名のネット上だから分かりようもないが)、いったい何を主張したいのか、また現実の右翼とどこがどう違うのか、その実像はよく知らなかった。いまでも右翼団体については詳しくはない。それどころか、全共闘や安保闘争をはじめとする左翼活動についてもよく知らない。基本的に無党派のノンポリというか、政治には無関心だったから。

「在特会」という名前を知ったのは、たしか今年に入ってから。彼らが街宣中、通りがけに何かを言った老人に対して、多数で取り囲み罵りながら暴行を加えるというショッキングな映像をYoutubeで見たのがはじめてだった。なんなんだこいつらはと唖然とした。興味のある方は、「在特会」や「桜井誠」で検索してみるといくつか動画が見つかる。そのほとんどは、聞くに堪えないものばかりであるが、これが最大規模を誇る保守系団体の主張なのかと思うと、興味深い。

安田氏によれば、在特会会員の多くは、礼儀正しくおとなしそうな若者であるという。ところが、徒党を組んだときの彼らは怖いもの無しになる。「特権」を貪り、日本人を貶める朝鮮人に対して容赦無い侮蔑の言葉を投げつけるのだ。朝鮮学校には授業中に校門前でデモを敢行。徳島県教組の事務所に侵入した際には、拡声器で「売国奴」などと怒鳴り職員の業務を妨害したとして、逮捕者も出している。

在特会は保守なのか。既存の右翼団体からしてみれば、そうではないと言う声が多いだろう。事実、はじめは今までにない保守団体だと共鳴して彼らをバックアップしてきた右翼の人々も、彼らの活動が先鋭化してくるに従って、袂を分かつ人が多いと本書にあった。
在特会自身も、これまでの右翼は結果として何も残せていないと批判し、「“行動する保守”として今までの右翼ができなかったことをする」ことを信条としている。「愛国」をタテマエとしているので、いちおう保守系と言われているわけだけれども、彼らが「守りたい」ものっていうのは何なのかが、いまいち見えてこない。歴史や伝統であるとか、あるべき日本の姿というものが、在特会からは伝わって来ない。

「在日特権」を主張し、市井の在日コリアンに罵声を浴びせる彼らは、いったい何に対してこんなに怒ってるんだろうか。


02.在特会の主張

いろいろ語弊があると思うけれども、ざっくり言ってしまえば、ネトウヨが街頭に出てきたのが在特会である。彼らの多くは「ネットで真実に目覚めた」と語る。彼らの中では、マスコミは反日極左の巣窟であると忌み嫌われている。たしかに、マスコミが真実を伝えないという点には同意する。けれども、彼らが信じてやまない「ネットの真実」というのも相当偏った真実だったりする。彼らが見つけた「真実」とは何なのか。

在日特権。

会の名前にもなっているように、彼らの主張の根幹になるのは「在日特権」という存在。在日コリアンが日本で不当な権利を得ており、彼らが日本人を搾取し、貶めているというのだ。たかだか50万人の在日コリアンに、1億数千万人の日本人が支配されていると、本気でそう思えるという感覚がぼくはちょっと理解できないのだけれど、彼らは大真面目に、特権に与る朝鮮人や反日左翼の売国奴をこの国から叩き出せと主張する。

在日特権とは具体的に何を指すのか。在特会は、在日コリアンには次のような特権があると指摘している。

・特別永住資格
・朝鮮学校補助金交付
・生活保護優遇
・通名制度

詳しくは本書を読んでいただくとして、安田氏はこれらの「特権」についてひとつひとつ検証した上で、以下のように述べている。

『ネットと愛国』第5章 「在日特権」の正体(P195)より
在特会や彼らに賛同する人々は、これら4つの「特権」のどの部分を憎悪しているのか。これら4つの権利は、我々日本人が在日に過激な言葉を投げつけたくなるほどまでに忌むべきものなのだろうか。私にはその点がどうしてもわからないし、少なくとも私は、その4つの「権利」のなかに羨むべき点を見出すことができない。


ぼくも同感だ。ましてや、これらの「特権」によって、日本が支配されているとは思えない。ぼくの肌感覚からすると、全然リアルな話じゃないからだ。

この「在日特権」さえ掲げれば、彼らの「正義」は担保されるのだと安田氏は指摘する。在日特権の廃止を旗印に掲げながら、彼らが実際に口撃を加えるのは、とても「特権を享受」しているようには見えない通りすがりのオバチャンだったり、子供らが授業を受けている朝鮮学校だったりする。「これがチョンコの顔ですよ」「朝鮮人はウンコ食え」等と口汚く罵るような彼らの「街宣活動」は、どう見ても弱いものイジメのレイシズムにしか見えないのである。それでも「在日特権」という存在が、彼らの行動を正当化してくれる。

在日特権があるから正義が敢行されなければならない、というロジックと、正義を敢行するために在日特権というターゲットが必要である、というのは表裏一体なのだ。アメリカが、常に仮想敵を作り出して、自国の正義を担保するのと似ている。

ちなみに、日本において反韓感情が高まったのが、ワールドカップの日韓共催以降だという話を聞いて、ハッとさせられた。たしかに身の回りでも韓国に対する嫌悪感が高まったのを感じた。在特会を育てたのは、そういう目に見えない「空気」が瀰漫して作られたイメージだったと言えるかもしれない。


03.“行動する保守”の行動

「在日特権」を無くすために在特会が行っている「行動」とは、基本的に街宣活動(街頭演説)である。それから、自身の街宣活動を動画撮影し、ニコニコ動画やYoutubeで公開するというスタイルも特徴だそうだ。これによって彼らの主張を周知させるという仕組みで、実際のところ、動画を見て「真実に目覚め」、加入する新規会員も多いという。

いかに在日が特権を享受しているか、日本が朝鮮人に貶められているか、無関心がいちばんいけないんです、と彼らは言う。もともとぼくはアジテーションは苦手なのだけれども、在特会の街宣はアジテーションの体すら成していない。怒りと憎悪しかない。

『ネットと愛国』プロローグ(P4〜)より
「大阪ではね、1万人を超える外国人が生活保護でエサ食うとるんですよ。生活保護でエサ食うとるチョンコ、文句あったら出てこい!」
集団がいっせいに「そうだ!」「出て来い!」「チョンコ、いるのか!」と合いの手を入れる。演説というよりは挑発である。(中略)野次馬も、朝鮮人の蔑称である「チョンコ」の連発には、さすがに顔をしかめ、なにか見てはいけないものを見てしまったときのようなバツの悪い表情を浮かべながら、逃げるようにその場を去っていく。
青年は演説を続けた。
「チョンコどもは、厚かましく生活保護を申請するんです。なんで外人に生活保護支給しなくちゃならないんですか。いいですか、みなさん、日本では1年間に3万人が自殺しています。その多くが生活苦で自殺しているんですよ。日本人がね、生活が苦しくて死んでいる状況で、逢阪では外人が生活保護もらってるんです。だったらせめてチョンコは日本人に感謝せえよ!強制連行で連れてこられただのなんだの、日本に対して謝罪や贖罪ばかり求めているのが朝鮮人じゃないですか。オマエたちに民族としての誇りはないんか? 祖国に戻って生活保護をもらえ!日本人からエサもらいたかったら、日本人に感謝しろ!」


本書の中で取材される在特会の街宣は、そのほとんどが、たんなる狼藉である。在日特権の廃止という目的よりも、朝鮮人に侮蔑の言葉を投げつけることそれ自体が目的化しているようにさえ思える。「ゴキブリを叩き出せ!」「朝鮮人はウンコ食え!」これでは、まるで子供の喧嘩じゃないか。

しかし、活動の場を離れれば、ごく普通の人たちなのだと安田氏は言う。いったい何が彼らをそうさせ、また何が多くの新規会員を惹き付けるのか。


04.在特会という場所

在特会には思想がない。

本書の中でも何度か出てくるコメントだ。“行動する保守”として、今までの保守団体が出来なかったことをやっていく在特会に対して、はじめのうちは好意的に接していた右翼活動家も、単なる罵倒街宣がエスカレートするだけの彼らの行動には、嫌悪感を覚える人が多いそうだ。

逆に言うと、多くの若者たちが在特会に惹かれるのは、思想がないからなのかもしれない。「なんとなく」の、もやっとした鬱屈した思いをすくいあげてくれる場所。どちらかといえば社会的弱者にある自分を、その存在を認めてくれる場所。

安田浩一さんのツイートより
在特会を取材しながら思ったこと。在特会のみなさんが求めているのは「在日特権の廃止」でも「シナ人のいない日本」でもない。あなたがたが求めているのは──「ともだち」だ。


本書がぼくの心を捉えて離さなかったのは、安田氏の在特会に対するこのスタンスによるところが最大のポイントだと思う。安田氏は在特会の活動には少しも共感しないと明言しているが、本書は決して在特会を糾弾する内容にはなっていない。ある意味では彼らを見守るようなスタンスであることは、文章の端々から伺える。かといって、もちろん擁護でもない。

若者が在特会へと駆り立てられる理由、それが知りたいだけなのだ。

それは単なる好奇心というよりも、若者の未来を案じる、大人のおせっかいみたいなものかもしれない。そういった心情が垣間見えるから、在特会の活動がレイシズム的で陰鬱な気分にさせられるものであっても、本書はなんというか、誠実さに包まれている。著者の人格の表れであり、素直にすごいと思う。

安田氏は本書のエピローグでこう告白している。

『ネットと愛国』エピローグ(P360〜)より
青春だな。私はそう思った。2000人が連帯し、団結し、一つになった。こんなにも熱狂できる“お祭り”がほかにあるだろうか。
私はその後も同じような光景を何度か目に焼きつけることになる。
6000人のデモ隊がお台場を埋め尽くした「フジテレビ抗議デモ」。デモを終えた人々はハイタッチを繰り返し、「イエーイ!」とVサインを交わした。
ただの鬱憤晴らしじゃないか。結局は、ハネたいだけだろうが…私はそうつぶやきながら、それでも胸のなかがざわざわと騒ぎ、背中の筋肉が強張った。
靖国で、お台場で、私のなかに否定したくてもできない、小さな感情が疼いた。

私は、羨ましかったのだ。
楽しかっただろうな。気持ちよかっただろうな。
その思いがいまでも消えてなくならない。


在特会のような保守系組織には、どこか疑似家族の雰囲気が漂うそうだ。面倒見のいい兄貴分に「あるべき父親の姿」を見ることもあるかもしれない。ネットが生活の中心であり、対人関係が希薄な人であればなおさら、そういう人との繋がりを求めて当然とも言える。ネトウヨが街宣に出てきたのは、彼ら自身の承認欲求の表れであり、人と人がつながり、同じ行為を共にすることへの訴求。

思想やイデオロギーなんかよりも、若者が在特会に集まる理由は、こういった「連帯感」にこそあるのだろうなと、ぼくも思う。そう考えたほうが彼らの狼藉の理由の説明がつく。単純に、刺激的なことをしたほうがカタルシスが大きいからだ。在特会は、右翼団体でも保守系市民団体でもなく、サークルのような集まりだとイメージしたほうが実像に近いのかもしれない。


05.鈴木邦男氏の告白

一水会という右翼民族派団体がある。それまでの街宣中心の右翼活動とは一線を画して、主に言論活動を展開する団体として鈴木邦男氏が創設。当時は新右翼と呼ばれていた。ぼくは、一水会の活動に関してはほとんど何も知らないし、鈴木氏がどのような思想的あるいは活動的変遷を経てきたのかも知らない。けれども、氏の著書やツイートには共感する部分が多く、注目している知識人の一人でもある。

先日、一水会の会員のブログにおいて差別的発言があったとネット上で話題になった(一水会が差別発言「原発技術なんか、朝鮮人にくれてやれ」「穢れた技術は、穢れた民族にこそ相応しい」 - ガジェット通信)。このことについて、現在は活動からは身を引いているが、同会の最高顧問でもある鈴木邦男氏が身を削るようなツイートをしていた。

一水会のレイシズム発言についてby鈴木邦男 - Togetterより
今回の件であぶり出された「差別意識」。一水会が「最も嫌悪して憎む」ことをしてしまったという事実は、否定できません。全面的に謝罪します。この問題は私も一生、自分の問題として引き受けるつもりです。排外主義者などいないはずなのに、筆がすべったでは済まされない、あのようなことを書いてしまったこと。「お前達も在特会と同じじゃないか」とも、言われました。返す言葉もありません。

安田浩一さんの「ネットと愛国=在特会の「闇」を追いかけて」はとてもいい本です。在特会に共感するところはない。でも、この現象は何だと思い、追いかけながら在特会には取材拒否され、追い返されながら安田さんはいいます。「在特会とは何者かと聞かれる事が多い。そのたびに私はこう答える。あなたの隣人ですよ…。」

この「隣人」は私たちの中にも住み着いている。右翼運動を過激にやっていた過去の私自身の中にもいる。学生時代は我々の仲間が増えれば日本はよくなるとし単純に思っていました。この日本を愛せないような奴らは日本から追い出すべきだと思った。まったく在特会と同じだ。今でも右翼の人たちが酒席でつい酒の勢いで排外主義的なことを口走る事もある。しかし「あっ、いけない。人前でいってはいけない」と後で気付く。だから、文字にして書いたりしない。自制心が働く。でも、ネットだと、ネットに酔ってしまうのか気が大きくなるのか。排外主義、民族差別的なことを口走ってしまう人がいる。あってはならないことだし、いくら謝罪しても、しきれない。

外ではない。本当は私の内部にあったんだ、在特会は。そう気付くと愕然とします。私はこの40年間、一体何をやってきたのかと思います。反省ばかりです。とてつもなく重い問題ですし、ずっと考えていきたい問題です。


どちらかというと左派寄りの安田氏も、長年右翼活動をしてきた鈴木氏も、みずからの内部に在特会の萌芽を見いだしている。両氏の実績や社会的ポジションを考えると、なんて謙虚な姿勢だろうかと驚く。

おそらく誰の中にも在特会はある。多かれ少なかれ、誰の中にも石原慎太郎や橋下徹はある。あるいは、誰の中にも日教組はある。山河を愛し、国土を思う気持ちは誰にでもある。人権を尊重し、平和を訴求する気持ちは誰にでもある。それらは0か1かという極端なものではないし、そもそも対立する項目ではない。

在特会は、自らの意に沿わない意見に対しては、そんなことを言う奴は「極左」で「朝鮮人」だというレッテルを貼る。そうすることでしか、自分たちの正当性を担保できないからだろうか。

ぼくらはどうやら長いこと勘違いしてきたようだ。右翼とか左翼とかいうイデオロギーが人を分かつのではない。おそらく村八分の時代からずっと続いてきた、ぼくらの中に依然として残されている「レイシズム」の欠片。在特会の連中のように口汚く牙を向けることはしなくとも、オブラートに包んでやんわりとしながらも、どこかで他人を見下しているような心の欠片が存在するかぎり、在特会は存在し続ける。

『ネットと愛国』エピローグ(P365)より
人の良いオッチャンや、優しそうなオバチャンや、礼儀正しい若者の心の中に潜む小さな憎悪が、在特会をつくりあげ、そして育てている。街頭で叫んでいる連中は、その上澄みにすぎない。彼ら彼女らの足下には複雑に絡み合う憎悪の地下茎が広がっているのだ。
そこには「差別」の自覚もないと思う。引き受けるべき責任を、すこしばかり他者に転嫁しているだけだ。そうすれば楽だし、なによりも自分自身を正当化することができる。
私も、それが怖い。いや、私のなかに、その芽がないとも限らない。在特会について考えるとき、私がいつもヒリヒリと胸が焼けるような感覚を味わうのは、私のなかの「在特会的なるもの」が蠢いているからかもしれないと思ったりもするのだ。



06.在特会の行く末

8月6日。広島慰霊祭が行われた直後に、在特会はその会場のすぐ側で、日本の「核武装化」を訴えるデモ街宣を敢行した。確かにこれもまた、従来の右翼には出来なかった行動ではある。だけど、共感は得られないだろう。安田氏のツイートによると昨年も同様のデモを行っており、在日特権だけではなく「被爆者特権」なるものまで主張しているらしい。もうめちゃくちゃである。

会長の桜井はこの1年ほどで「死ね」「殺せ」といったより過激な言動をするようになり、会員の中でも疑問を口にする者が増えてきたという。在特会の「差別的」活動がメインストリームに躍り出ることはないだろう。逮捕者を出していることや、近年の活動のあまりの暴走ぶりに、組織として衰退するのではないかという見方もある。ぼくもそう思う。

しかし、在特会が衰退したとしても、ぼくらの中にある「レイシズム」の欠片が無くなるわけではない。今はたまたま在特会が受け皿だったけれども、「レイシズム」の欠片がある限りは新たな在特会が出てくるだろう。

受け皿がなければ、人は生きていけない。

経済状況も、社会保障をめぐる状況も悪化している。社会的格差はますます広がっていく。在特会のように、直接的な差別発言や行動をとる人は少数かもしれない。けれども、無知や無関心が同じような結果をもたらすこともある。在日問題にかぎった話ではなく、無知や無関心であるがゆえに壇上から掛けられる心ないひとことが、当事者にとっては真綿で首を絞められるような労苦を与えることを、実感することはたびたびある。

いまでは在特会の活動から離れた、ある元会員はこう述べている。

『ネットと愛国』第5章 「在日特権」の正体(P222)より
「僕らが持っていないものを、あの連中(在日のこと)は、すべて持っていたような気がするんです」
守るべき地域。守るべき家族。守るべき学校。古くからの友人ーー在特会と対峙する在日の姿から、そうしたものが浮かび上がってきた。
「考えてみたんです。僕らは市民団体を名乗っているけど、地域の人間とともに立ち上がることができるのか。家族とスクラムを組んで敵とぶつかることができるのか。そもそも出身小学校のために駆けつけることができるのか。すべてNOですよ。僕らはネットで知り合った仲間以外、そうした絆を持っていない。僕はそれに気がついた瞬間、この勝負は負けだなと確信しました」


在特会が糾弾する「特権」とは、実はそういった絆や受け皿への羨望から生まれたのかもしれない。震災以降にいたずらに連呼された「絆」という言葉が、ぺらぺらと中身のない言葉になってしまったこの日本で、もういちどその意味を考えたい。


寄せては返す波のように、排外主義は無くならない。
ヨーロッパでは右派が勢力を増しているという話も聞くし、昨年7月にノルウェーで起きた痛ましい事件は記憶に新しいところ。寛容な移民政策で知られる北欧で、数十人の死者を出すテロが起きたということがショックだった。アンネシュ・ブレイビク容疑者は、反多文化主義「革命」に点火するための行動だったと主張した。

この事件を受けて出されたというノルウェー首相の声明が、ぼくは忘れられない。「テロと暴力にはさらに民主的に立ち向かい、非寛容と戦い続ける」というような内容だった。

ノルウェーの悲劇を乗り越えようとするストルテンベルグ首相のスピーチ全文 - 情報流通促進計画より
私たちのこの事件に対する答えはより民主的に、より開放的に、そして人間性をより豊かにする、ということです。

これらの哀悼の意が遺族の皆さんの損失を償うことはできません。何を持ってしても、皆さんの愛する人を取り戻すことはできません。しかし、人生が闇に閉ざされた時、支えと慰めが必要です。いま、皆さんにとって、人生が最も暗い闇に閉ざされた時です。私は、遺族の皆さんに私たちが皆さんに寄り添っていることを知ってほしい。


「私たちの中にある在特会」は、無くならないかもしれない。
けれども、それを乗り越えることはできるはず。
そのための受け皿は必要だと思う。ほんとうの意味で寄り添ってくれるなにかが。
これからも取材を続けていくという安田氏や、自らの問題として反芻する鈴木氏の態度、あるいはノルウェー首相や国民の態度に、そのヒントがあるような気がする。

『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』安田浩一著を読んだ。

『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』安田浩一著を読んだ。 2012.08.09 Thursday [読書] comments(3)
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アカネ (2012.12.23)

私もこの本を読みました。そしてブログ主さんと同じように、グイグイ引き込まれ安田氏の取材の姿勢に好感を持ちました。
在特会のことも漠然としか知らなかったのですが、安田氏の丁寧な取材のおかげで彼らの主張がよくわかり、在特会の構成物質までもわかったような感じです。
確かに私の中にも、集団になった朝鮮人や中国人を嫌に思う気持ちと、個人個人は受け入れる気持ちがあり、在特会の一部があると思いました。
けれど本書のおかげでネットで刷り込まれた在日コリアンへの漠然とした不安みたいなものは消えた気がします。
私は安田氏の「先細りの在日コリアンに怯えるよりも、実際に特権を与えられ武装している在日米軍にはどう思うのか?」という疑問を最もだと感じました。

本書にいろいろと共感したので、My勉強ノートに自分なりに編集して記録しましたが、ブログ主さんのとっっっても上手な文章にまた引き込まれ、ついつい長々とコメントまでしてしまいました(笑)
大変興味深い記事を書いてくれてありがとうございました。

アカネ (2012.12.23)

あーすいません。
「先細りの在日コリアン」という言葉は失礼だったかもしれません。帰化によって年々在日コリアンが減少しているとのことだったので自分の中で編集しただけです。

山やま (2012.12.25)

最大の在日特権は在日米軍にあるという意見にはぼくも同感です。戦後レジームからの脱却として改憲を主張する安倍さんですが、最大の戦後レジームは日米同盟にあると思います。アメリカの押し付け憲法だと言って、アメリカのためにまた変えようとするのは倒錯していますね。国防軍だの改憲だのと、威勢のいいこと言う人にかぎって、沖縄問題についてはスルーしがちで。いったい誰から「日本を取り戻し」て、何から「日本を守る」のか、ぜんぜん分かりません。
別の記事に書きましたが、いまの日本は「気分としての右傾化」が顕在化していると感じます。本書が指し示すことはいまの空気にタイムリーだし、多くの人に読まれてほしいと思います。










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