長崎佐世保からの便り

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前回の記事「オスプレイの危険性よりも怖いもの」に関連して、長崎に暮らすツイ友からリプライを頂きました。ぼくが生まれ育った東北の地とは、生活環境がだいぶ異なっているようで、そこから見える景色というものもまた違うんだろうなあと思わされるようなツイでした。こういうふうに、自らの生活実感に根ざした言葉っていうのは貴重だと思うので、許可を得て転載します。

山中俊人さんのリプライより
同意です。オスプレイ配備の疑問が安全性に向かうと僕らは落とし穴に嵌まってしまう。原発と全く同様に。実際、学者や専門家じゃない為に語る言葉を失います。対米という意味で捉えなければ本質は見えてこないと思っています。

以前も話したように僕の故郷は佐世保です。佐世保は天然の要塞であった為かつては日本軍の軍港で今では米基地が市街地の真ん中にあり、市内アーケードに米兵(軍服ではなく、夏場ならTシャツでゴツい筋肉質感が透けて分かります)と自衛隊(海兵の白い軍服)が歩く街です。

友人や結婚相手に自衛隊や米人がいて(学校には外国人はいませんでした)、街中を米日カップルが歩き、米ナンバーの車が走り、マックでハンバーガーを食べてる大きな人達。

街裏の細道には若い米兵向けのbarやダンスホールがあって。軍艦等が入った夜ともなれば沢山の米兵がお酒を飲んでいたりします。そんな街で十代の学生の頃からバンド演奏していた僕は、覚えたてのロックンロールで米人と踊り、同じ空気を吸い同じ飯と同じ酒を飲んでました。

湾岸戦争や911の時の機関銃を持った米兵がいた物々しさも覚えてますし、対外関係が悪化というニュースが流れると家族と「戦争時には真っ先にミサイルが飛んでくるだろうね」と話したりしてました。

そんな僕の父もやっぱり基地関係の仕事をしていて。幼い頃は基地内にあるお店に父と一緒に行って、$表記の、豆がゴロゴロと入ったホットドッグを買って食べたりしました。

こどもの頃(冷戦終結時頃)まで真夏にあった『アメリカンフェスティバル』というお祭りの売店で、巨大なソーセージを売っている、まだ若かった頃の父の姿が今も記憶に残ってます。僕の生活自体が基地のなかに組み込まれていました。 米海軍が街にある実感はこんな感じです。

それでも、沖縄のような大部分が米軍基地、だというその当事者性を僕が想像するのは難しいです。(空軍というのも有るのでしょうが。) ただ歴史の中にある『対米追従』は、実感としても僕の思い出の中にも確かに存在しています。色々とややこしいものです。


山形には米軍基地も原子力発電所もありません。特に内陸地方は異国情緒を感じるところも無く、ザ・日本の田舎って感じです。ぼく自身は、寒河江の病院で生まれた後、仙台、釜石、能代、米沢、山形、と子どもの頃は転校をくり返しましたが、どこも似たような、ありふれた日本の中途半端な田舎って感じで、幼な心に格別な印象を残した街はとくにありません。

たとえば横浜へ観光に行ったときに感じるような異国情緒ってありますよね。あの空気っていうのは、明らかに日本のそれとは異なるわけで、ぼくなんかからすればある種のお祭り的な色彩を帯びていて。観光で遊びに行くにはうってつけで楽しいけれども、それが日常にあるっていう景色は、想像できないというか。ほんの少し訪れたぐらいでは分かるはずもないわけで。せいぜいものごとを決めつけてしまう前に、自分がいる場所からでは見えない景色があるんだろうなと、一呼吸置くぐらいが関の山です。

山中さんのツイートを読んでいると、ぼくが横浜で感じたような異国情緒あふれる街並みの風景が目に浮かびます。barやダンスホールにロックンロール、それはやはり部外者から見るとお祭り的な色彩を連想させるものです。『アメリカンフェスティバル』という夏の夜の賑やかさは、きっとアドレナリンの上がるわくわくするイベントだったでしょう。部外者から見れば、それはたぶん期間限定のイベントなんです。たとえば都会に憧れるような、ディズニーランドに行くような。あくまでも特別な時間であり、特別な場所。ぼくはそう感じました。

19歳まで佐世保で暮らしていたという山中さんにとっては、それが日常であり生活そのものであったわけです。ぼくのように期間限定では無いことは確かです。「生活自体が基地のなかに組み込まれて」いたという言葉が何を意味するのか、またそこからどういった生活実感を体感していたのか、ぼくには分かりません。それはあくまでも部外者の立場で想像するしかない。先ほども書いたように、ものごとを決めつけてしまう前に、自分がいる場所からでは見えない景色があるんだろうなと、一呼吸置くぐらいしかできない。


佐世保と沖縄では、置かれた立場や環境が同じではないでしょうけれども、米軍基地といえば真っ先に頭に浮かぶ沖縄。話題に上がることも多いので、沖縄の人の言葉を聞くと、基地とともに暮らすということの意味を考えさせられます。

オスプレイ問題はもはや沖縄だけの問題ではない 瑞慶覧 長敏議員インタビューより
自民党が強かった55年体制では、たくさん利権も絡んでいたでしょう。基地に関する工事や管理で入ってくるものも多いから、沖縄の中でも基地賛成派と反対派に割れてずっと来てしまった。

(中略)

沖縄は仕事が少ない。そんな状況の中でも基地関連の公共事業がまだまだあって、特に復帰後は建設業が増えた。だいぶ淘汰されたとはいえ、今でもそれが生活の糧という人がたくさんいる。辺野古に基地を作るとしたら1兆円というお金が動いて、それを請け負うのは地元の建設会社ですからね。


基地のせいで苦しむ人と、基地のおかげで潤う人。沖縄にはそういう二面性がある。


沖縄タイムス・ロングインタビュー - 内田樹の研究室より
沖縄問題は、政治家や学者から「筋が通った話」を聴いた覚えがありません。
「筋が通っている」のは沖縄現地の人たちの「基地があるせいで、生活者レベルで苦しみが多い」ということと「基地があるせいで、経済的振興策の恩恵を受けている」ということに「引き裂かれている」という現実感覚だけです。
「引き裂かれていて、気持ちが片付かない」という沖縄の人の感覚だけは「筋が通っている」。


沖縄の人たちはそういった二面性と何十年もつきあい続けてこなければならなかった。逃れようにも逃れられない。だからそこから出発するしかない。もしかしたらこれは沖縄という土地が持つ二面性であると同時に、ひとりの沖縄人の中にも存在する二面性なのかもしれません。

自己の二面性と向き合うのは、苦痛を伴います。白黒はっきりしなくて気持ち悪いし、答えの無い不安にも耐えなければなりません。誰だって気持ち悪いのはイヤです。気持ち悪い要素はなるべく排除したいって思う。早くすっきりしたいと思う。でもほんとうにお前はそんなにすっきりとした人間なのかと自分に問いかけてみる。まずは自分自身のことを見つめて、自己の二面性を直視しない限りは、自分の言葉は出てきません。


山中さんがぼくに語ってくれた、佐世保の思い出。飾ってあるわけでないこの文章が、とても素直にすっと入ってきました。たぶん若い頃の思い出、ありのままなんだと思います。山中さんの自分の言葉だと思う。で、若者の感性から見るとやっぱり異国情緒とかお祭り的な色彩に目がいくわけですが、ぼくもおっさんになってしまったので「生活自体が基地のなかに組み込まれていました」という一文がどうしても引っかかって。上に挙げたような沖縄の二面性というものを勝手に想像してしまう。

もちろん山中さんが「引き裂かれている」という現実感覚を抱いていたのかどうかは、この文章からだけでは分からないのですが。あくまでもこちらが勝手に一呼吸置いて、勝手に妄想しているだけなのですが。ただ、やっぱり「戦争時には真っ先にミサイルが飛んでくるだろうね」という感覚は、ぼくには無いものです。それは確かです。

欲を言うと、彼の思い出の中に在るという『対米追従』が、どのような実感であるのか興味がありますけれども、それはまたいつかの機会に。そうですね、いまはネット上だけの付き合いですけれども、いつかリアルに対面して酒を酌み交わす機会が訪れた時には聞いてみたいです。お互い子育てを終えてじじいになった頃にでも。





山中俊人さんのツイートより
日本の対米追従に関して僕はその歴史や中身を知らない。孫崎さんの『戦後史の正体』はそれにたいし多くの言葉をもって語りかけてくれるだろうと思っている。(まだ机の上に積んだままだけど) 自分の身体と頭の中のややこしい何かに対して僕は興味がある。

僕の記憶にある佐世保には、あの映画『69』のような学生の激情や反発なんて無かったことになっていて、、正直そんなの存在したのかって思ったくらい。

学校で授業で米軍基地の存在意義を議論するなんて勿論無かったし、友人と話し合った事なんてほんと全く記憶にない。佐世保空襲の日には毎年集まるのにね。いやおかしいんだけどと思いつつも集まる。 だけど先生も友人も街中のおじさんも、誰も彼もあのど真ん中にある基地に突っ込まない。正常な清浄な世界、、今思えばそんな風に感じる。

冷戦終結まではそうやって均衡を保ってきたのかもしれないけれど。

お祖母ちゃんは戦争で兄弟を亡くし自身も原爆に、死ぬまで永久に戦争を否定、お祖父さんは中国の戦争は語らず広島長崎二度原爆を体験、も一人のお祖父さんは東南アジアの作戦行って死んだことになってたけれど奇跡的に生還経緯は不明右足に銃弾が入ったまま亡くなり、父は米軍基地関連、身内に自衛隊。

おじさんは原因不明の病気で若死に(死後医者からなにやら相談有り…)、故郷は基地の街佐世保、今は長崎。平和を祈ってることになってる。 夢はこどもの前で音楽を演りたい。家族史、色々とややこしいものです。


いま自分が暮らしている「ここ」からしか、自分の言葉は生まれません。自分自身を見つめること、自分の生活を見つめること、自分の家族史を見つめること。そうですね、実は身近なことほど、色々とややこしいものです。出来ればあんまり考えたくなかったりもします。「戦後史」を知ることと、「家族史」を見つめることは、どこかで繋がっているはず。「自分の身体と頭の中のややこしい何か」が。

日本の首相はだらしない。長いものに巻かれすぎている。自己の利益しか考えていない。すぐブレる。部外者から見るとたしかにそうだし、公人に対してそれを指摘することは大事です。と同時に、そういう要素は殆ど、自分の中にもあるものです。

長崎佐世保からの便り

長崎佐世保からの便り 2012.08.01 Wednesday [食・生活] comments(0)
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