「金曜の東京」から知る小沢健二

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小沢健二が日本の音楽シーンの表舞台から姿を消して、もう何年が経つだろう。ぼくもけっこう好きなアーティストだったので、たまに名前を見かけると反応してしまう。ネットで検索しても、ほとんど情報がヒットしない時期もあったが、どうやら、アメリカに渡り、「うさぎ!」なる連載小説(童話)を書いているらしい、ということを数年前に知った。けれども、当時はそれ以上追いかけることはしなかった。ふーん、くらいの感じで。

2008年に、ふと思い出して『Eclectic』を聴いてみたらハマってしまった、という文章をぼくはこのブログで書いている(小沢健二 / Eclectic)。しかし、そこでも、彼が「いま」何をしているのかということについては言及していない。そこまで追いかけていなかったからだ。今年の春、東京でコンサートを開催というニュースを耳にしたときも、深く調べるには至らなかった。そんな程度のライトなファンだった。

先日、ツイッター上で小沢健二の文章が話題になっていたので読んでみた。東京で起こっている官邸前デモについて書かれたもので、公式サイト「ひふみよ」で発表された「金曜の東京」と題された文章。とても共感した。一部抜粋します。

金曜の東京 (2012年7月11日 小沢健二)より
僕がよく知っている街の一つメキシコシティーでは、ひと夏に800ものデモ行進があります。南米でもインドでもニューヨークでも、過去数世紀いつも抗議運動が起こっていて、どの街でも自然なものとして、ある意味しぶしぶ、行われています。(そりゃ抗議する必要のある問題がなければいいのですが、個人にも社会にも、問題ってのは必ずあるわけで。)
なので、そうですね、「普通」の都市では、デモは「是か非か」と論議するようなものではないと思います。車が走っている限り交通事故があるように、社会がある限りデモがある、という存在の仕方だと思います。

(中略)

むしろ訪れて怖いのは、デモが起こらない街です。いわゆる独裁者が恐怖政治を敷いている街では、デモは起こりません。そのかわり、変な目くばせが飛び交います。

(中略)

デモが起こらない、表面上は静かな都市には何か深い、暗い理由があることが多いと思います。まあどこかには理想郷のような国があって、みんなが笑いながら暮らしているのかも知れないけど…。
デモが起こる都市より、デモが起こらない都市の方が怖いです。

東京も割とデモが起こらない都市で、デモの起こるニューヨークやメキシコシティーから帰ると、正直言って不思議というか、中東の王国を訪れた時のような、ちょっとした緊張感がありました。
抗議するべき問題がないからデモがないのか。それともどこかの王国のように、心理的に、システマティックに抑え込まれているのか。何か他の理由があるのか。ひいき目も人情もあって、客観的に見ようとするのは、結構勇気のいることです。

(中略)

今の世界は、どこの国でもアングロ(イギリス)・アメリカ型の人間管理手法をコピペする世界です。日本だけが例外ということはなくて、「説明責任」とか「トリックルダウン」とか、そんな日本語あるの?みたいな言葉が、人間管理手法の輸入とともに、日本語の中に入ってくることに気づいている人も多いと思います。
イギリスは人間管理とか心理誘導の技術にとても長けていて、サッチャー首相の頃、80年代にはTINAと呼ばれる説得論法がありました。「There Is No Aiternative」の略。訳すと「他に方法はない」ということ。「他に方法があるか?対案を出してみろ!出せないだろう?ならば俺の方法に従え!」という論法の説得術。
しかし、これは変な話です。
医者に通っていてなかなか治らないとします。患者は文句を言います。「まだ痛いんですよ!それどころか、痛みがひどくなってます!他の治療法はないんでしょうか?」と。
それに対して医者が「他の治療法?どんな治療法があるか、案を出してみろ!出せないだろう?なら黙って俺の治療法に従え!」と言ったら、どう思いますか?
治療法を考えるのは医者の仕事ですし、治らなかったら医者を変えたり、漢方にしたりするのは自然です。患者がすべきことの一つは、痛い限りは「痛い!」と切実に訴えることです。その訴えを聞いて「これは新しい病気かもしれない」と気づいて治療法を見つける医者がいたりして、「医学の進歩」ってのがあるわけです。
患者が黙って、効かない治療を文句言わずに受け続けていたら、医学の進歩ってのはありません。むしろ医学は、痛みを訴える患者に感謝するべきところ。
同じように、社会をどうするのか考えるのは職業の人は、人の「痛い!」という切実な声を聞いて、心を奮い立たせて問題に取り組むのが正しいはずです。
なのに一般の人が「この世の中はヒドイ!痛い!」と声を上げると、「じゃあお前ら、対案は何だ?言ってみろ!対案も無しに反対するのはダメだ!」と押さえつける政治家とか専門家とか評論家とかがいるのは、むちゃくちゃな話です。
専門家同士が「お前の案は何だよ?」とやり合うのはわかります。お互いに怒り合うのが彼らの職業なのですから。
でもみんなが専門家になるべきでもありません。「何だか知んないけど痛いんだよ!どうにかしてよ!」と訴える人によって医学が進歩したように、ただ生きているのが痛いから抗議をする人は、「世の進歩」の一部を担っていると思うんですが、どうでしょうか。

音楽では、楽器も弾けない人に「あのアルバムは駄作だ!」なんて批判されるのは普通です。それに対して僕らが「じゃあ対案は何だ?言ってみろ!お前が良いアルバムを作れないなら、黙ってろ!」とやり返すことがあるでしょうか?
そんなことをするのは、よっぽど才能のない人だけだと思います。

それに、今の社会だって、最初からはっきりした「案」があって、その通りに出来てきたものではないのです。「とりあえず」とか「現場の折り合い」とか「意外な展開」とかが重なって、今の世の中が出来ています。
社会は巨大なものなので、最初から細部まで予測できる人なんていないし、予測できない細部が、決定的な違いを作ったりします。
だから、事前からみんなを完全に納得させられる「対案」を持っていた人なんか、実は歴史上いたことがないと思います。
過程、プロセスの中から、現実が生まれる。荒っぽさとか、偶然を経て。
思い当たる人は、多いと思います。


昨年からニューヨークで起きているOWS(ウォール街を占拠せよ)という動きがある。小沢健二の「金曜の東京」を一読すると、彼が、OWSに象徴されるような、反グローバリズム的視点、新自由主義的な資本主義経済に対抗する立場からものごとを見ているということが分かる。

いや、どうもそれは以前から衆知されていたようだ。しかし若干曲がったニュアンスで。つまり、小沢健二は「エコ活動」なり「エコロジカル」な「思想」に「傾倒」している、というような噂が立ったんですね、一時期。みんなから愛された、あの「オザケン」はもう居ないのだと、なんとなく敬遠されるようになっていた。ぼくがオザケンの情報についてあまり追いかけようとしなかったのも、多かれ少なかれそういったイメージが影響していたのかもしれない。

「エコ活動」に勤しんで、資本主義がもたらす自然破壊について警鐘を鳴らす活動をしている彼が、自身の曲(のカバー)を自動車のCMに使用されることを承諾したのは、矛盾しているのでは。という見方まであった。
小沢健二さんは何故、この曲の使用を許可したのでしょうか? - Yahoo知恵袋

そう、いまになってみて分かることなんだけれど、震災前までの日本では、こういった極論が「ふつう」だった。社会や政治のことについて語るのはダサいことだった。それは一部の人がやることだと思われていた。出る杭は叩くというか、何か少しでも自分と異なる、相容れないことをしている人を、自分の外側に「カテゴライズ」して安心する、自らの視線から排除するっていうのがふつうだった。かくしてオザケンも「過去の人」になった。少なくとも、そういうふうに「カテゴライズ」された。

このことについて、彼はこう書いている。

ひふみよに関するお問い合わせをして下さった、各方面の皆さまへ(2010.2.16) - ひふみよより
どこかのゴシップ雑誌に「小沢健二はエコ活動に没頭している」なる記事が掲載され、それがニュースサイト等で大きく扱われたことによって、そのような印象が形成されたということですが、私には本当に、自分がどんな「エコ活動」にどう「没頭」しているのか、さっぱり見当がつかないのです。


そしてまた、そんなゴシップが流布しているという話を彼が聞いたのは、ちょうど南米の山中を旅している時であったため、そしてその旅の時間をたいせつにしたかったため、あえて反論も対応もしなかったと。そのことについては後悔していないとのこと。



いま、この「金曜の東京」という文章を読んでみると、時代のほうが彼に追いついてきたんだなあと思う。ぼくはこの文章を、何の違和感もなく受け入れることができた。かつてオザケンの歌に慣れ親しんだパパやママの中にも、そういう人は多いのでは。あるいは、小沢健二という人物のことをぜんぜん知らない若い世代の人たちにも届く文章だと思う。

彼は「エコ活動」なんていう、狭い範囲だけを見ているわけじゃなかった。彼は、10年以上前から社会の中の「灰色」を見ていた。
そしてぼくたちは、震災と原発事故を通してようやく、自分たちの暮らすよのなかが「灰色」で出来ていることを知った。ほんとうは「灰色」で出来ているのに、見えないように蓋をして知らないふりをしてきたことがたくさんあったのだということを知った。原発だけじゃない。震災があぶり出した、日本が抱える構造的な問題。システマティックにぼくらを取り囲み、縛り付けるそれらの問題は、実はぼくたち自身の心の発露が原因でもあった。震災を通して、ぼくたちは日本の構造問題と向き合い、そして何より自分自身と向き合っている。


「うさぎ!」 の文章を一部紹介している記事があった。この文中で著者がオザケンに対して抱いた印象と、まったく同じことをぼくも思った。

小沢健二「それは、「自己責任」という言葉でした。」 - DDN JAPANより
そうやって人をまわりの者や自然とつなげている「親切」を、人の心の中から追い出していくために、灰色は、言葉をつくるのが上手い手下たちを使って、1つの言葉をつくり上げました。

それは、「自己責任」という言葉でした。

「自己責任」という言葉を心に叩きこまれると、人は、苦しんでいる人を見かけても、「あそこに苦しんでいる人がいるが、あれは自己責任で、私が感じる必要はない苦しみだ」と思うようでした。

(小沢健二「うさぎ!」  季刊「子どもと昔話」27号より)

ネット上に散らばる最近の小沢健二の言葉を拾い読みしてみた。一部のマスメディアに"エコの烙印"を押されている彼だけど、どう考えても単に"エコ"ではなく最近ほころびが顕著な僕らの「社会システム」に対する疑問や、大衆操作に対する問題提起を投げかけているとしか思えない


渋谷系の「王子様」ともてはやされた頃のオザケンと、こうして社会的なメッセージを投げかけるオザケンは、一見すると、まるで別人であるかのように映るかもしれない。昔のオザケンに戻ってほしいという声もあるかもしれない。でも、ぼくはあまり違和感を感じない。反グローバリズムを根幹にしているとはいえ、彼の文章からは、そんなに極端な原理主義的な主張は感じない。

ポップな音楽を奏でながらも皮肉屋であったり、社会派であってもチャーミングであったり。オザケンという個人が持つ資質みたいなものはあまり変わっていない気がする。彼はたぶん昔もいまも変わっていない。自分に正直なだけなのだろうと思う。

「金曜の東京」の文章からは、彼が活動家や思想家であるといった言論闘争的な匂いはまるで感じられない。子どもに聞かせるかのように、すごく丁寧にやさしく書かれている。あえて言うならば、かつての「渋谷系」がカルチャー的なもの、生活に添った“モノ”を愛でる文化であるとするならば、いま彼が立っている「ひふみよ」は、生活“そのもの”を愛でる文化なのではないかと思う。それは大人になったということかもしれないし、年をとったということかもしれない。

だって、何のために社会のことを知ろうとするのかといえば、不朽の名作『LIFE』で彼が歌ったような、あの抱きしめたくなるような、ラブリーな毎日を、自分の生活の側にたぐり寄せたいからに他ならないのだもの。ぼくもあの頃より少しだけ年をとったから、いまはそれが分かる。

小沢健二「うさぎをめぐる冒険」超詳細レポート、スチャダラパーのBoseと2時間に渡る濃密トークショーに - BUZZAP!より
Bose「『社会のことを考えるには真面目な人じゃなきゃいけない』という空気がある。反原発運動をしている人とかは『パサパサした雰囲気』があって。化粧しちゃいけないみたいな」

小沢「それは『貧しい人のことを心配するならお前がまず貧しくなれ』みたいな罠」「自分の生活を抑える必要はない、喜びをあきらめなくても社会のことを考えていい」「矛盾していて当然。パサパサした人になる必要はない」


官邸前デモが「ふつう」のことになりつつあるいま(過去記事)、彼のこの言葉はとても腑に落ちる。ぼくたちは、生活“そのもの”を愛でるために、社会のことを考えるのだ。そのために、生活“そのもの”を犠牲にする必要はない。というか、そうなったら本末転倒だよね。



「ひふみよ」に掲載されている他の文章も読んでみた。おもしろい。
で、いまになって知ったんだけど、2010年に「ひふみよ」サイトがオープンして以来、わりと精力的に彼の文章が掲載されているようだ。もったいないので後でゆっくり読んでみることにする。このサイト、ページのナビゲーションが分かりづらくて読みづらいのが難点。きちんとテキスト化されたら、おそらくもっと読まれるはず。下記関連リンクに各記事へのリンクを貼っておく。

で、最後にまあ贅沢を言わせてもらうと、そんな彼が、いま、奏でる「音楽」を聴いてみたいと思ってしまう。やっぱり、ね。



「金曜の東京」から知る小沢健二

「金曜の東京」から知る小沢健二 2012.07.13 Friday [音楽・映像] comments(0)
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