これからの政治のはなし

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前回から引き続き、「さよなら民主党」という気持ちを整理するために。

原発再稼働にしても、社会保障と税の一体改革にしても、野田政権が示したのは「決断力」という言葉を曲解して、人の話を聞かないという姿勢。それも国論を二分するような重大な案件についてさえ、国民の声を無視して勝手に進める態度。完全に魂を売り渡した、能面みたいな首相のツラを見るだけでハラが立ってきます。

野田政権が貶めたのは彼ら自身の評判だけではありません。一応かたちばかりでも選挙というしくみの上で成り立っている民主主義の国で、民意を無視して重要政策を密室で次々と決める野田政権は、選挙制度や民主主義的な手続きという「約束事」への信用そのものをぶち壊したわけです。これじゃもう国は成り立たない。三党合意だかなんだか知らないが、手続きとか約束事は彼ら執行部によって形骸化しました。そんな奴らが決めた増税とか違法ダウンロード法とかをなぜぼくらだけが守る必要があるのでしょうか。そう思うのが当然でしょう。手続きとか約束事は信用がないと成り立たないってことです。お金だって“これは価値がある”という暗黙の合意がなければただの紙切れであって。

野田氏が首相を辞めたからといって状況が変わると思えるかというと、ぜんぜんそんな気がしないわけで。もはやこの国では「約束事」は守られないのだ、という前提を再構築しないかぎりはどうしようもない、という途方もない徒労感が目の前に横たわっています。信用を再構築するのは容易ではないですよ。


選挙するなら対立軸を明確に

じゃあどうすればいいのかと言われると、政治オンチのぼくにはぜんぜん分かりませんけれども、少なくともとっかかりとして、内田樹さんが指摘するように民主党は分裂するのが筋だと思います。いまのまま解散総選挙となったって、「民主党へのNO」以外に軸が見えないわけで、それで投票しろと言われても訳わからんです。

さよなら民主党 - 内田樹の研究室より
民主党は自民党と連合する勢力と、小沢・鳩山派に別れた方がいいと思う。
つねづね申し上げているとおり、民主党は自民党の旧田中派の流れを汲み、自民党は旧福田派のアバターである。
増税・原発再稼働・TPPに賛成、新自由主義、対米従属、「選択と集中」、競争と格付け、飴と鞭、勝ち組への資源集中による国際競争の勝利は福田派の綱領である。
増税・原発再稼働・TPP反対、一億総中流、都市と地方の格差解消、バラマキ、一律底上げ、対米自立は田中派の綱領である。
両派の考え方は、小平と毛沢東くらいに違う。


最近の流れを見ていると、ほんとうに同感です。中でも、対米従属/対米自立という対立軸で他の項目もすべて説明ができちゃうと思う。普天間問題をはじめとする民主党の迷走の多くはそれを物語っていたわけで。

何かあるたびに「信を問う」って、政治家なんかは深刻な口調でよく言いますけれども、ほんとうに信を問いたいのであれば、この対立軸を明確にした上で国民の判断を仰ぐのが筋です。眼前のシングルイシューやワンフレーズでお茶を濁して、大きな流れから目を逸らすのはもうやめてください。政治家なんて「いいこと」しか言わないんです。それはそれで職業柄しかたない。だからこそ、大きな流れとしてこの国がどこへ向かうのかを提示しないと選びようがない。もう共産党アレルギーとか言ってる時代じゃない。

目の前のシングルイシューに対しては、頭のいい人はもっともらしい論をそれなりに立てることができます。そんなものは詭弁によっていくらでも作文できる。それに騙されちゃう人もいるし、逆に、騙されないぞとがんばる人もいる。だけど騙されるにしろ騙されないにしろ、目の前の問題だけに捕われていると根っこが見えなくなってくる。よのなかにはこういう悪い人たちがたくさんいるから騙されないようにしましょう。自分だけは騙されないように。っていうものの見方をしていると、足下に落ちているうんこはよけることができるかもしれないけれど、そのまま崖に向かって歩いていることには気づかないんですね。


「アメリカ型」か「北欧型」か

内田さんが示した、対米従属/対米自立という対立軸。いまいちイメージしにくいかもしれないけれども、世界的にはそれぞれの綱領がもたらす社会が出来つつあるようにも思えます。こういう括り方をするのは語弊があるかもしれないけど、分かりやすく言うと「アメリカ型」か「北欧型」か、ってことじゃないかと。

つまり、「新自由主義、選択と集中、競争と格付け、勝ち組への資源集中による国際競争の勝利」か「一億総中流、都市と地方の格差解消、バラマキ、一律底上げ」か。ってそのままですが。この姿勢の違いは、子どもの教育に対するスタンスによく表れています。詳しく知りたい人はぐぐってください。

もちろんどちらかが国の形として正しくてどちらかが間違いという話ではありません。アメリカでは「アメリカ型」に対するアンチテーゼとしてウォール街のデモが起こっているし、ノルウェーでは極右によるテロがありました。どこの国だって二面性を抱えている。たまたま、どちらかを選択する人が多かったというだけの話です。

内田さんの言う通り、「このような対立的な世界観をもつ党派が両端にあることで、私たちはそのつどの歴史的条件の中で、より適切な政策を選択する「枠組み」を持つことができる」わけです。そしてそれは「右」とか「左」とかいう賞味期限切れの対立軸ではもう説明できません。世界の国々は、時代の変化とともに対立軸を書き替えてきたけれども、日本はいまだに冷戦時代の対立軸が幅を利かせているというところに、この国の「政治」の不幸があるように思います。(現在の政治的座標軸についてはこちらが参考になります。)

なぜ日本は対立軸を書き替えられなかったのか。マスコミがぜんぶ「アメリカ型」だったからです。「右」の読売や「左」の朝日という対立軸でごまかしてきましたが、マスメディアはみんな「増税・原発再稼働・TPPに賛成、新自由主義、対米従属」寄りなんですね。先日の原発再稼働に対する官邸前の1万人抗議運動を、ほとんど報じるメディアが無かったというのはどう考えても「異常」です。前回の記事で、民主党は自民党化していると書きましたが、それはつまり対米従属です。

テレビしか見ない人は、民主党内にもそんな対立軸があることすら知らないでしょう。
べつに難しくないです。対米従属/対米自立。すごくシンプル。
たったひとつ、この対立軸を念頭においてニュースに接するだけで、いろいろなことが見えてくるはずです。

その上で。対米自立だけど新自由主義を標榜する人がいてもおかしくない。もしかしたら、みんなの党はそうなのかもしれない。新自由主義路線は、自民党にも、自民党化した民主党にも当てはまります。その後ろに経団連があることは明らかですが。
ということは、いまの民主党が分裂しなければ、新自由主義路線への対抗軸が見当たらないことになります。いや、社民党や共産党がありますけれども、残念ながら「終わった」政党という払拭するのは困難な気がします。とくに原発の問題が起きてからは共感することも多いのですが。彼らは「騙されないぞとがんばる人」ではあるけれども、この国がどこへ向かうのかというイメージを想起させることができていません。

新自由主義っていうのは言い換えるとアメリカンドリームです。
かつてその言葉には夢がありました。成功すること=有名になるとかお金持ちになるという夢でした。日本もまた同じような夢を追いかけてきました。バブルが崩壊した後に、アメリカンドリームはたったひとりの成功者と99%のそれ以外という格差があってはじめて成立するということが明らかになってきました。資源は有限だったからです。
それでもアメリカは後戻りできずに新自由主義の路線をひた走ります。オバマ政権になって舵が切られるかと思いきや、そうでもなさそうです。自己責任の名の下に、弱者を切り捨て大企業へ富を集中させるというスタンスによって、アメリカの医療や教育は「お金持ちの贅沢」となっています。詳しくは堤未果さんの著書を読んでみてください。対米従属っていうのは、つまりそういったアメリカの後を追うこと。現にそうなりつつあると感じます。TPPなんかはその最たるものですね。


ほんとうの対立軸

一票を投じる立場として。まず間違えていけないのは、「政治家」に何を望むのか、ではなくて、政治によってどんな国をつくりたいのかをまず想起することだと思います。自分がどんな社会環境で暮らしたいか、子どもにどんな生活を残してあげたいか。まずそのイメージが先にあるのがふつうなんじゃないかなと思うのですがどうでしょう。

政治っていうのはお上にお任せで済むものじゃないし、テレビの中の出来事でもない。ぼくたちの生活と密接に関わり、暮らしをかたちづくっていくもの。身の回りがどんどん世知辛く息苦しいよのなかになってきていると嘆く人はたくさんいますが、そういうことを言う人はだいたい自分をその輪の外に置きます。けど実は、なにげない一票が、あるいは無視や無関心が、この社会をかたちづくっている。ほんとうの対立軸っていうのは、政治的イデオロギーっていうよりも、自分自身の中にあるんですね。

少し前に話題になった生活保護の問題であるとか、先日やっとネパール人の容疑者が釈放された東電OL殺人事件であるとか、ああいった事件を「他人事」としておもしろがったり忖度したりすることが、最終的には自分を締めつけることになるという想像ができるかどうか。

原田あきらさんのツイートより
なんと!「自殺」が15〜34歳の死因第一位という日本…一日80人が自殺し、先進国なのに五日に1人は餓死している国…かなり壊れてる。あの通り魔にはホント怒りが湧くが、間違いなく、異常者が社会を壊してるのではなく、社会が人を壊しまくってるんだ。


異常者が社会を壊していると思うか、社会が人を壊していると思うか。
いまの政府とか有権者を見ていると前者の向きが大きいですよね。くだらないワイドショーやニュース番組が不安を煽るようなことばかり垂れ流してきた帰結でしょう。だからセキュリティを強化して不正者を締め付けようという話になる。
自分はぜったいにそんなことはしないけれども、自分が被害に遭うのはいやだからと。
それはやっぱり自己責任だろうと思うか、困った時はお互いさまだよなと思うか。どう思うかは自由ですが、そのとき自分の中にある対立軸が、政治的なイデオロギーに取り込まれていくということは踏まえておいたほうがいいと思います。

ぼく自身は、いま日本が突き進もうとしている新自由主義的な自己責任社会の環境の中で自分の子どもを育てたいとは思えないですし、内田さんの言う「田中派」の綱領を明確に示してくれる政党があったならば、迷うことなく投票したいと思っています。
じゃあこの「田中派」が描く社会っていうのはいかなるものなのか。成功すること=有名になるとかお金持ちになるという以外の夢を想起できるか。それはまた次回。原発という存在の問題も、そこから考えていきたいのです。

これからの政治のはなし

これからの政治のはなし 2012.06.18 Monday [政治・メディア] comments(0)
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