ふじようちえんと宮崎駿

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一昨日たまたま目にしたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』がとてもよかった。建築家の手塚貴晴・手塚由比夫妻の回。建築についてはど素人なのでこの方たちのこともはじめて知りましたが、建築家ってすごいなと、プロだなと感心。

いわゆる売らんかなのマーケティングからは離れた分野での設計が多いようですが、建築とは何か、設計とは何かということを常に考え、そしてそれをカタチにするための、クライアントとの対峙の仕方が素晴らしいなあと。「料理をしない人はキッチンの設計はできない」とか至言ですね。構造設計による制約の中で、その空間で暮らす人にとって何がいちばん大切なのかをぎりぎりまで探る。なんかですね、手塚さんがわくわくした表情でいることで施主さんも表情がわくわくしてくるんですね。

ぼくは番組の中でも特に、代表作のひとつとして取りあげられていた幼稚園に目が釘付けになりました。
円形の園舎の屋根がそのままぐるりと遊び場になっています。この自由度、開放感。園児たちは毎日何周もここを走り回るそうです。すぐ側に大きな木があったり、木の質感を感じるデザインもいいですね。すごくいい。もし近隣にこんな施設があったら、間違いなく見学に行きますね。こういう幼稚園とか保育園が、街の中心にあったら楽しいだろうな。


(画像はきままにまさんより)

後で調べてみたら、東京都立川市の「ふじようちえん」という幼稚園でした。

ふじようちえん

ウェブサイトを見てみると、なるほどモンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園のようです。なんか納得。でもここが園児500人を超す全国でも有数のマンモス園であるというのだから驚き。

実際に現場を訪れた方のレポートがこちらにありましたので紹介。
ふじようちえん - 米松の大径木
ふじようちえん - 中二階から
ふじようちえんは、こどもリンゴット、あるいはプレイドーナッツ - ココカラハジマル
ふじようちえん訪問記2 - ウエジョビの日常。

どうやら、佐藤可士和さんからの経由で手塚貴晴・手塚由比夫妻につながったみたいです。佐藤可士和さんはクリエイティブデレクターを務め、幼稚園のロゴやTシャツなどを作成したとのこと。上記レポートの記事を読んでみると、ほんとうに細かいところまで手の行き届いたプロデュースっぷり、それも押し付けがましくないという絶妙のバランスが心地良さそうだなと感じます。主役はあくまで園児っていう。

これだけの施設とトータルデザインを完成させるのにどれだけの費用がかかって、その予算はどこから捻出されたのか、ぜんぜん見当もつきませんけれども、こういう園が実際に存在している。それも園児500人を超すモンテッソーリの園として。ということがぼくは驚きでした。え?日本でもこんなんできるんじゃん。

これたとえば、前回の記事に書いた、子ども子育て新システムの論点になっている保育市場への民間参入についての話とつながるのかどうか。規制緩和によって、こういう施設が増えるというのならば、それはやっぱり歓迎なわけで。でも補助金を減らす方向に持っていくための規制緩和であるならば、こんな施設を建てられる事業主が果たしているのかと疑問にも思うし。そういう意味でも、ふじようちえんの建て替えが、どのようなお金の流れで行われたのかも知りたいですね。


町のいちばんいい所に子どものための場所を

番組の中で紹介されたふじようちえんの映像を見たときに、ぼくは前にもいちど似たような気持ちになったことがあるなあと思ったんです。子どものすごす場所としての、保育園・幼稚園の理想郷っていうか。

養老孟司さんと宮崎駿さんによる対談本『虫眼とアニ眼』には、子どもの教育についての話がたくさん出てきます。教育といってもいわゆる処世術としての教育論ではなくて、この二人ならではの、脳みそが解きほぐされるような本質的なお話。自然がまだ身の回りに豊富に存在していた世代から見た、現代に生きる人たちが失ってしまった「眼」とは何なのか。対談形式なので堅苦しくなく、すらすら読めますが、多くの示唆に富んだ良書だと思います。



で、この本の冒頭に「養老さんと話してぼくが思ったこと」と題して、宮崎さんのカラーイラスト(マンガ)が20ページ近くにわたって掲載されているのですが、これが素晴らしいんです。こんな保育園があったらいいなあと素直に思う。

「まず、町のいちばんいい所に子供達のための保育園を!(幼稚園もかねる)」
「大人が手と口を出さなければ子供達はすぐ元気になる!」
「あぶなくしないと子供は育たない」

といった具合に、宮崎おじいちゃんの考える理想郷がイラストで描かれています。町のいちばんいい所に保育園をつくり、地続きでホスピスがあるという構図。子どもと老人が触れ合う場所という設定は『崖の上のポニョ』でも出てきましたね。
もちろん保育園とホスピスだけでは完結しません。それらを取り囲むように平屋の集合住宅が並びます。荒川修作さんも加わって提案されるのは、いかにも宮崎アニメに出てきそうな、みどりがたくさん生い茂る有機的な、あるいはガウディの建築のようにでこぼこした町並み。

「もう大きな家や財産はいらないから、のびやかにくらしたい人のための町」だそうです。なんかね、共感できる人たちが集まってこういうコミュニティを形成できたらすごくおもしろいと思うんだけど、できないですかね。






で、話戻りますが、ふじようちえんの映像を見たときにぼくはこの宮崎さんの描く理想郷を思い出したんです。もしかしてこの理想郷の一端がここに実現されてはいないだろうかと。もちろんぼくは実際にこの幼稚園に行ったわけでもないので妄想にすぎないのですが、ここからコミュニティが広がって行く可能性があるのではないかと勝手に想像して喜んでいます。

少なくとも、ぼくはあの園舎を見たときに、主役はあくまで園児っていう設計思想を感じました。「まず、町のいちばんいい所に子供達のための場所をつくる」という出発点としての建築のすがたを見たわけです。

こちらに手塚貴晴さんの講演記事が掲載されています。ふじようちえんの設計におけるポイントがかなり詳しく語られており興味深いです。これを読むと、ほんとうに細かいところまで子どもの目線に立って工夫されていることが分かります。

屋根に暮らす ふじようちえん [1] - 東西アスファルト事業協同組合

同記事より
ここでは、遊具をつくるのをやめようと考えました。遊具というのは子供に「こういう風に遊びなさい」って与える道具です。すると子供はそれ以上のことを考えなくなる。子供は本来遊びを見つけるところに成長の根本があると思います。みなさんご存知の「となりのトトロ」に出てくる「サツキとメイの家」にも遊具はひとつも出てこないですね。宮崎駿さんの映画には遊具なんて出てきません。「サツキとメイの家」で、何であんなに子供が遊べるかというと、大人のためにつくった当たり前の隠し階段とか暗い部屋とか、そういうところに子供たちの新しい発見があるんですね。

われわれはこの建物をつくる時に「カサ・ミラ」を見直しにいきました。ガウディの「カサ・ミラ」の屋根の上はでこぼこしていますが、いつも人でいっぱいで、子供も大人もぎゃあぎゃあいいながら走り回っているんです。だけどそこにも遊具なんでありません。すべり台なんてなくても関係ない。なるほど、こういうことかな。大人も子供も同じ目線で遊べる。遊具を使うと子供が遊んでいる間、親は見ているしかないんですよ。逆に親の遊びにしちゃうと子供はどうやって参加してよいかわからない。子供も大人も同じ目線で遊ばせる、そういう力がある建築をつくりたかったんです。


宮崎アニメやガウディの名前が出てきたのも偶然ではありますまい。
手塚さんは「仲間はずれが生まれない」建築を目指しているそうです。建築というものは、設計思想とは、深いところでぼくたちの生活とつながっているものなんですね。つくづくすごい仕事だと思います。

保育園とは子どもを預けるための単なるハコではありません。「まず、町のいちばんいい所に子供達のための場所をつくる」。これはできそうでなかなかできない。

子どもが本来もっている力を信じること。

だからそのための環境を整備してあげること。
手を加えすぎず、かといって無視するでもなくのさじ加減。
大人にできるのは(そしてなかなかできないのは)そういうことかもしれません。


追記:
続編的な記事→子どもが真ん中にある街

ふじようちえんと宮崎駿

ふじようちえんと宮崎駿 2012.06.06 Wednesday [子育て・教育] comments(6)
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すぺーすのいど (2012.06.06)

こんにちは。
こういった素敵な場所が全国にあって、誰でもが気兼ね無く選択できる世の中になってくれれば良いですね。

山やま (2012.06.06)

ほんとそうですね。

こえり (2012.06.08)

こんにちは。

>「まず、町のいちばんいい所に子供達のための場所をつくる」。

>だからそのための環境を整備してあげること。
手を加えすぎず、かといって無視するでもなくのさじ加減。
大人にできるのは(そしてなかなかできないのは)そういうことかもしれません。


これはカールロジャースhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BA#.E6.80.9D.E6.83.B3
の考えに似ているぁと。


一つ先の記事、坂本慎太郎さんのうたに付いて書いた記事の言葉も同じように感じた。

>ただ傍らに在ること。

>なんか、そういううたですね。生活の一部として音楽があるというか。あるいは寄り添うというか。押し付けがましくなく、ぼくはここにいるよと。君もそこにいるんだねと。

そういう感じ。

>何かを語りかけられたり、応援されたりするとたぶんこういう「抜け」にはならない。重くなる。ただ傍らに在るだけだからこそ、じんわりとするんだろうなと。寄り添うってそういうことなんだろうなと。いろいろと過剰なものが削ぎ落ちた結果としてそうなるんだろうなと


上記wikiより

>ロジャーズのカウンセリング論の特徴は人間に対する楽観的な見方にあり、それはフロイトに見られるような原罪的な悲観論とは対照をなすものである。

彼によれば、人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。
有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。
カウンセリングの使命は、この成長と可能性の実現を促す環境をつくることにある。

>自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。
カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによってクライエントが自分自身を受容し、尊重することを促すのである。

カールロジャースのいうことと、山ちゃまさんが言うことって同じ感じする。


こどもごころ(好奇心とか、素直な感情)をだいじにする。
邪魔をしない、余計な手出しをしない、でも見守る。寄り添う。
そういう感じ。

〔モンテッソーリ教育の基本は、「子どもは、自らを成長発達させる力をもって生まれてくる。大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」と言う考え方にあります。〕

って ふじようちえん のマリアモンテッソーリ は考えていたって書いてあったから、基本的、根本的な考えが、そうだと自由でいられる、んだよなぁ って。

山やま (2012.06.11)

こえりさんこんにちは。
カール・ロジャーズという人ははじめて知りました。それまでのカウンセリングの常識を覆した人なんだね。すごいな。
坂本慎太郎さんにしろ、モンテッソーリにしろ、ジャンルは違えど基本的な考えが共通してるっていうのは分かるね。高橋源一郎さんなんかもそうだし、イサムノグチとかも通じるものを感じるなあ。あと以前はちゃらちゃらして好きじゃなかった石田純一さんとか最近気になってきたのも、なんかそういうことかなあと。
そういうことを気づかせてくれる人やものは見渡してみるとけっこうあるね。
北欧の教育が充実してるっていうのも、こういう考えがベースにあってそれが国民的なコンセンサスを得ているからだと思う。

こえり (2012.06.12)

こんばんは。
石田純一のどういうところが気になるの??

山やま (2012.06.13)

うん、なんかテキトーそうなところ。










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