子ども子育て新システムから感じること

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戦後最大の保育改革とも言われる「子ども子育て新システム」。でありながら、その実体を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。これを進めようとしている政治家自身でさえもよくわかっていないのではと思うことがままあります。ぼくもこのブログで「子ども子育て新システム」について何度か取りあげましたが、その全容は掴めていません。というか、問題が大きすぎて何から考えたらいいのかよくわからなくなります。いまもぜんぜん考えがまとまっていませんので書き散らかしになりますが、自分自身のあたまを整理するためにも書いてみます。たぶんすごく長くなります。

で、まず前提として。何を目指しているのか。何のために新しいシステムが必要なのか。

待機児童の解消。

これは間違いがないです。でも、待機児童の解消だけが目的であるならば単に保育所を増やせばいいっていう話ですよね。ところが、新システムで計画されているのは幼保一体化だの総合こども園だの民間参入だの、なんかよくわからないところで多岐に渡っており、保育を申し込もうとする親の側からしてみても、いままでとはずいぶん仕組みが変わるようです。で、実際に新システムによって待機児童は解消されるのか。そこんところがよくわからないです。


子ども子育て新システムの概要

実際に法案を読もうと思っても、そもそもどこにあるのか、おそらく下記サイトあたりから辿っていけばよいのでしょうが、どこから何を読んだらいいのか分からないし、だいたい役所の書類ってまわりくどくて何が書いてあるのかよく分からないので読む気になりません。

子ども・子育て支援ホームページ - 内閣府
子ども・子育て新システム検討会議ウォッチング

そこで、まずは「子ども子育て新システム」について分かりやすく解説されていると評判の記事を取っ掛かりにしたいと思います。5月28日の毎日新聞に掲載された、内閣府政策統括官として法案策定に取り組んできた村木厚子さんのインタビューです。記事はこちら

以下にて書き起こししました。
子育てに社会の応援を
毎日新聞 2012年5月28日

内閣府政策統括官 村木厚子さんに聞く

ーーなぜ、新システムが必要なのですか。

村木さん 子育てをめぐり、三つの課題があると考えます。まず、教育や保育を支える基盤が非常に弱くなっています。大都市では保育サービスが足りず、一方で子どもが減った地方では、幼稚園や保育所の運営が成り立ちにくくなっています。
 二つ目は、お母さんの子育てへの負担が重くなっていることです。家族の単位が小さくなったうえに、地域のつながりも弱まった。お母さんは、働いているか専業主婦かに関係なく、24時間365日の子育てを迫られています。地域での子育て支援など、社会のサポートが欠かせません。
 三つ目が就学前の教育の充実。就学前教育をきちんとすることが、小学校からの教育効果を高めます。

ーー今の制度では解決できないのですか。

村木さん 待機児童問題では、小泉政権で「待機児童ゼロ」を掲げ、菅政権も特命チームを作りました。今の仕組みの中でできることは、何代もの政権が取り組んできたのです。でも、待機児童の数は2万数千人で、あまり変わりません。
 若い人の給料はそれほど高くないので、働くお母さんはこれからも増えるでしょう。こうした保育の潜在的なニーズを含めて準備しないと、需要との追いかけっこが続いてしまいます。その地域で本当にどれだけの保育が必要かを自治体がきちんと把握し、需要を満たすための整備を進める。そのための「仕掛け」が必要です。

ーー保育所などの設置を「認可制」から「指定制」に変えるとありますね。何がどう変わるのですか。

村木さん 認可制は自治体が、一定の条件を満たした施設を保育所と認めます。でも、自治体は保育サービスが必要な子どもがいても、財政難を理由に保育所を認可しない、つまり作らないこともできたわけです。「何年か先には子どもが減る」とか。
 指定制になれば、一定の基準を満たしたサービスを行える人たちなら、誰でも保育サービスに参入できます。「需要と供給の差を埋めなさい」という責務を自治体に課すのですから、今まで通りの保育所だけでなく、小規模の保育や家庭的な保育、一時預かり保育などの多様なサービスも作ります。国も財政的な支援をします。

ーー指定制にすると「不適切な事業者が入ってくるのでは」「保育サービスの価格が自由化され、格差が広がるのでは」という声も聞きます。

村木さん 質の確保は大前提です。今の認可保育所の基準をベースに、その基準を満たすことを参入の最低限の条件にします。保育サービスを行う事業者に対しては、今以上に情報公開を求めます。職員が非正規雇用の人たちばかりだとか、職員の定着率が悪いとか、そういうことも分かるようにします。公定価格ですから、価格競争がなされることはありません。
 今も認可保育所に入れず、諦めて無認可施設を使用している人がたくさんいます。認可水準のサービスの「量」を確保することが必要です。

ーー「幼稚園と保育園を一体化しても、待機児童対策にはならない」とも聞きます。

村木さん 施設の統合が目的なのではありません。幼稚園と保育所をバラバラに管轄していた仕組みを改め、住民に最も身近な市町村が、子どもに必要な幼児教育と保育の両方のニーズを把握し、トータルで保障できるようにすることが大事なのです。「総合こども園」には、幼稚園と保育所の機能に加え、家で子育てしているお母さんを支える「子育て支援拠点」の機能を持たせたいと考えています。

ーー新システムは、高齢者が中心だった社会保障サービスの給付を子どもや現役世代に向けることが目的ですね。でも高齢化が進むなか、本当にそれは可能でしょうか。

村木さん 子育て支援の必要性がいわれ始めて20年あまり。「団塊ジュニア」(71〜74年生まれ)が30代後半にさしかかった08、09年ごろには「少子化対策は一刻の猶予もない」と言われ、消費税を財源とした対策が議論されていたのに、そこからもう3年以上がたっている。今度こそ安定した財源を得て、問題を抜本的に解決しなければ。この少子化の時代に子どもを産み、育ててくれている若いお父さん、お母さんに、教育や保育という必要最低限のサービスは用意しなければなりません。
 最初の子どもを産んだ時に孤立感や負担感を感じた人は、明らかに2人目を産んでいません。「また産みたい」と思えるような、社会の応援が必要です。
 上の世代は「自分たちは人に頼らず子育てできた」と思っていますが、環境が違います。賃金が低く、長時間労働を強いられる若い世代の厳しい環境が理解されていません。子育て世代は日々の生活で精いっぱいで、子ども自身は声を上げられない。誰かがちゃんと代弁してあげないといけないと思います。


この記事、ある意味では分かりやすいし、ある意味ではよく分からないです。
分かりやすいのは、何のために新しいシステムが必要なのかという点。理念の部分ですね。ぼく自身も子育て世帯なので、子育ての環境をめぐる現状の分析には共感できるし、だから子育て支援が必要なのだという主張にも大いに賛同できます。単に、待機児童の解消という問題の解決だけではなく、国としての子育て支援を根本の制度設計から見直すというならば、たしかに大掛かりな改革が必要であるということも理解できます。もっと言うなら、子育て支援っていうのはすなわち少子化対策であり、未来の国の構成員である子どもを産み育てるという、国づくりの根幹に関わってくる問題です。

ただ、一般的な世間への浸透として「子ども子育て新システム」は待機児童解消という視点でしか捉えられていないようにも感じます。あとはせいぜい幼保一体とか。たしかにそれも新システムの重要な案件のひとつではあるけれども、それが新システムのすべてではなくて一部分にすぎないということはまず押さえておいた方がいいですね。そういう認識がないと、ちょっと専門用語を聞きかじった程度ですぐに分かったつもりになってしまうから。

村木さんの言う三つの課題。一つ目、都市では保育サービスが足りず、田舎では逆に運営がきびしいという点。どうやって保育サービスを整備するかという問題であり、親の側からすると待機児童の問題ですね。たしかに待機児童の解消が喫緊の課題であるということは間違いがありません。

二つ目、お母さんへの子育て支援。ぼくはこれが最も重要な視点だと思います。小さな子どもを育てるということがどれだけ大変なことであるか、恥ずかしながらぼくは自分が子どもを持つまでさっぱり分かりませんでしたし、思いを馳せることすらしませんでした。

妻のお腹に生命が宿り、十月十日の歳月を経て、出産に立ち会い、はじめて新生児を触り、昼夜授乳に明け暮れる妻の姿を目の当たりにして、これはなんとえらいことであろうかとびびりました。はじめておっぱいをあげるのに合宿が必要だとか、授乳の度に痛みに耐え、夜は2時間ごとに起こされほとんど寝れないなんて知らなかった。24時間体制で、自分の時間ってなに?状態になることがこんなにしんどいとは。文字通り身を削って赤子の世話をする妻のすがたを見ていると、母親ってほんとすごいなと頭が上がりません。

村木さんの言うように、むかしといまは環境が違います。賃金が低く、長時間労働を強いられる若い世代の厳しい環境もそうだし、核家族化による子育て世代の孤立化も子育てをより大変なものにしている大きな要因です。地域のつながりといっても、見ず知らずの人に負担を共有しろとは言いません。ただちょっと声をかけてもらえるだけでもずいぶん楽になるんです。それだけ追い詰められているお母さんは多いと思いますよ。

なので、この記事での村木さんの指摘は、子育てをめぐる現状を的確に代弁してくれていると思います。「親学」なんつって教育を語るふりをしながら自己愛に浸っている輩なんかとは比べものにならない。

そういうことを踏まえた上で、この記事を改めて読んでみると、新システムが必要な理由は全く同感なのですが、なぜ新システムで「認可水準サービスの量が確保」できるのかがぼくはよく分かりません。「情報公開を求めます」とありますが、それだけで保育の質と量が担保できるのでしょうか。
つまり「理念」の部分では大いに共感しますが、それを現実に着地させるための方法論としての新システムはどうなのかがさっぱり見えてこないという不安なのです。

認可制をやめて指定制にすることで、さまざまな事業者が保育サービスに参入できるようにするというのが、新システムのいちばん大きな改革だと思います。いわゆる規制緩和ですよね。これによって保育所が増えて、多様なサービスを提供できるようになるとのふれこみですが、さて。

民間企業に門戸を開けさえすればサービスは向上するという市場理論にはぼくは同意できません。というか、子育てや教育という分野に市場理論はそぐわないと思っています。「公定価格ですから、価格競争がなされることはありません」と村木さんは語っていますが、小泉政権の規制緩和がもたらした結果を顧みると、懐疑的にならざるを得ません。「多様な(あなたらしい)働き方を選べる」と宣伝された規制緩和は非正規雇用の過酷な労働環境と格差を生みましたし、介護の現場は市場化されて「介護ビジネス」となりました。価格競争の末にバスが事故を起こしたのも記憶に新しいです。市場は必ずしも「安全」を担保しません。むしろ相性はよくないでしょう。

三つ目の、就学前の教育の充実という点。ぼくは自分が子どもを持つまで、保育所と幼稚園の違いもほとんどろくに知らなかったです。こちらのページに詳しくまとめられていますので参考までに→(幼稚園・保育園・認定こども園 - のぞみ幼稚園)。保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省で管轄が違うということは分かりましたが、そもそも現場レベルでは実際にやってることってそんなに違うんでしょうか。いや、そもそも幼児教育って何なんでしょうか。これは、保育所は待機児童でいっぱいで、幼稚園は定員割れを起こしているという問題とも重なってくるかもしれません。すなわち幼保一体化の根拠。

くり返しますが、新システムをつくるきっかけとなった子育て支援の理念にはぼくは大いに賛同します。だからこそ、新システムが実質的にいかなるものなのか、どのようにぼくたちの暮らしを変えるのか、その具体的な仕組みを知りたいと思うのです。


新システムをめぐる論点

ニコニコ生放送とBLOGOSによる番組の中に、「子ども子育て新システム」を取りあげたものがありました。民主党、自民党、公明党の議員と、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんを交えた討論番組で、新システムについてかなり掘り下げた話がなされていました。

この動画でアナウンサーの方が冒頭で述べているように、「子ども子育て新システム」っていうのは、子どもがいる、結婚している「リア充」だけの問題だからオレには関係ないやって思われているフシがあって、だからネット掲示板を界隈とするWEB上ではあんまり話題にならないのかなという気もします。

でも先ほども書いたように実はこの新システムは、待機児童の解消だけの問題じゃなくて、国としての制度設計を見直すということでもあり、日本における社会保障制度の根本を考えることであり、そういう意味ではいま物議を醸している生活保護の問題ともつながってくるわけだし、増税となったら誰しもが無関係ではいられないわけで、子どものいる人もいない人もまずはその概要を知っておいた方がいいと思います。

こども子育て新システムって結局どうなんですか? - ニコ生×BLOGOS



こちらに文字起こしもあります。
「こども子育て新システム」は日本の運命を決める法案 - BLOGOS

この動画を見ていちばん不安に感じたのはですね、民主党の泉健太という方の言うことが、はっきり言って何言ってるのかぜんぜんわからなかったという点。法案にどれだけ関与しているのか知りませんが、この人はただ教科書に載ってることを喋っているだけで、新システムによって何を解決したいのかというビジョンを明確に持っているとは思えないし、問題点を把握しているようにも見えない。そういう人たちが進めようとしている法案に不安を感じるなというほうが無理です。逆に、自民党の田村憲久議員と公明党の高木美智代議員のほうが問題を的確に指摘していると感じました。野党としての自民党は何の期待も抱けない残念な感じしかしませんが、このように過去をきちんとふまえて批判してくれればお株が上がると思います。この動画を見る限りでは、法案を潰すためにまず反対ありきで批判しているとは思えません。

たとえば、幼保一体化によって出来る総合こども園では最も待機児童が多いとされる0歳から2歳の子どもの預かりを義務づけていないので、待機児童の解消にはつながらないという田村氏の指摘に対して、泉氏は何も答えていません。なぜ総合こども園が必要なのかぜんぜんわからない。「小規模保育」とか「多様な保育をやっていこう」というビジョン自体には賛成ですが、それは先ほどの指摘に対する答えになっていないですよね。これが官僚答弁ってやつかと。至極いらいらしました。

ということはですよ、やっぱりこれは官僚主導の流れであって、結局は増税のためのお題目づくりなんじゃねーかと、ぼくなんかは邪推してしまいます(これは後の章で述べます)。村木さんの記事を読むと、この人は誠実に少子化問題を考えているんだろうと伝わってくるし、駒崎さんのことはよく知りませんが保育の現場に立っているわけで、そういう人たちがこの問題をなんとかしようと画策してくださっているのはよくわかります。それには頭の下がる思いです。ただ、そうやって理念を持って臨んだ人たちも、政府の側にいるといつのまにか政府の側の言葉遣いになっちゃう、という印象を受けたりもします。

と、ここまでは前置きとして(なげーな)、「子ども子育て新システム」の論点を洗っていきたいと思います。


待機児童の問題

まずはうちの事情を書きましょう。待機児童の問題が他人事ではなくなっているので。

わが家は、ぼくと妻、2歳半の息子と生後1ヶ月の娘の4人家族です。もともと夫婦共働きでのほほんと生活していたところに、第一子が生まれ慌ただしい日々が始まりました。妻が仕事を辞めたぶん家計は厳しくなりましたが失業手当などでなんとか乗り切った感じです。息子が1歳を過ぎたあたりで妻は新しい仕事を見つけました。週に2〜3日、息子を妻の実家で見てもらっての勤務でした。その職場にもだいぶ馴染んできた頃に、第二子を授かりました。息子は2歳になり、いわゆる「魔の2歳児」と云われる傍若無人ぶりを見せるようになってきました。大きくなっていくお腹を抱えながら、付きまとう2歳児の相手をするのは想像以上に大変でした。臨月を迎える頃にさすがにしんどくなり、保育所に預けようという話になりました。市役所に相談してみると、出産の前後2ヶ月は優遇措置を図ってくれるとのこと。ああこれで少しは楽になるとほっとしたのもつかの間、選考に漏れる毎月が続いています。こないだ聞いてみたら第一希望の近所の保育園で9人待ちとのこと。しかも出産後2ヶ月がすぎるとまたがくんと優先順位が下がると。どう考えても入れません。

そもそも保育所は「働く」母親を前提としており、働いていない人は蚊帳の外という印象があります。認可保育園の選考基準は「保育に欠ける」児童です。申請の際には両親はもちろんのこと、両祖父母の就労状況もこと細かにチェックされます。たとえ同居していなくても、じじばばの手が空いているならそちらで面倒見てもらいなさいよという考えが前提にあるんですね。

最近物議をかもしている生活保護の問題でも、親族が面倒見るのが当たり前だろという風潮がバッシングの背景になっています。でも家族間の関係なんて人によって千差万別だし、様々な事情があります。親族だからという理由で一般化できるものではなく、個別のケースによって吟味されるべき問題ではないかと思います。

たとえばこれ、妻が復職しようという段になったらどうなるんでしょうか。知り合いからこんな話も聞きました。

企業「お子さんは、今はどなたか面倒みてくれているんですか?」母「今のところ私しか…」保育所「仕事してない場合は入れません。」母「再就職しようといろいろな会社の面接受けてるところなんですが…」の堂々巡り。

働く母親の支援にもなっていないのでは。なんたって保育所の数が足りないのだと感じています。


幼保一体化

幼保一体化については、理想と現実がめちゃくちゃになっている部分ですね。

泉議員の言うような、「すべての子供に教育を。すべての子供に福祉を。」という理念には賛同します。「子どもを社会で育てる」のが(子ども手当を後退されるまでは)民主党の党是だと思っていましたし。そのために公的資金を投入しなきゃならないのは当然だし、そのために管轄が複雑で融通の利かない仕組みを変えようというのも理解できる。でも実際には、言ってることとやってることが違います。

泉氏はこんなことを言っています。
「幼稚園はですね、今まで3歳以上の子供だけみていましたから、それで0歳〜2歳をみようとすると、調理室を作るなど新しい設備をちゃんと作らなきゃいけない。人も雇わないといけない。長時間保育しなきゃいけないとか色々あって大変なんです。」
これって、実質的に幼稚園では0〜2歳児は預からなくていいと言ってるようなものですよね。そして実際に、幼稚園が総合こども園に移行する場合は0〜2歳児の預かり義務はないと決められている。総合こども園って、幼保一体化っていったい何なんでしょうか。よく分かりません。幼稚園に設備や人件費が足りないのだとしたら、そこに公的資金を投入したらいいと思うのですが、なにか問題あるんでしょうか。でなければ、総合こども園だなんて余計なものにお金をかける必要がある意味が分からない。

高木議員はこう言っています。
「幼保一体化のそもそものはじまりは、働きたい女性が継続就労できない。必ずどこかでキャリアを断念せざるを得ないとか、子育てかキャリアかって選択をせざるを得ないっていう現状をちゃんと変えましょうよっていうところからそもそもはじまって。教育の質とか保育とか、それをちゃんと確保しましょうっていうのが出発点だったんですけど。出来あがったものは“一元化どころか多元化”で、全くわからなくなってしまっている。」

というか動画では、自民党の田村氏は新システムの中の幼保一体化に反対しているし、民主党の泉氏や駒崎さんは幼保一体化は新システムの中の一部分にすぎないと言っています。ということは、あまり必要でないという認識では誰もが共通しているのでは。ますます総合こども園の存在意義がわかりません。少なくとも、これによって待機児童は解消されない。

こちらはもっと的確です。学習院大学経済学部の鈴木亘教授による指摘。
参入はよいが「幼保複雑化」には反対 賛成派でも意見が分かれる新システム - ダイヤモンド・オンラインより
反対の理由の1つは、待機児童解消のためと言いながら、最も待機児童の多い0〜2歳までを預かる総合こども園が増えないこと。幼稚園が『総合子ども園』に変わることで増えるかと思われたが、結局、幼稚園が総合子ども園になる場合は0〜2歳児を預からなくてもよいと決まってしまった。総合子ども園という同じ名でありながら、中身の違う様々な施設ができることになる。これでは、幼保一体化ではなく、幼保複雑化だ。

7000億円が投じられるにもかかわらず、実態は既存の認可保育園と幼稚園がほとんどを受け取る可能性がある。認可外や保育事業所の増設に補助金が使われるのではなく、すでに『保育の質』が高い状況であるはずの認可保育園や幼稚園に、補助金が使われるのはおかしい。この補助金の使われ方は、待機児童解消と全く関係がない。


そもそもですが、うちはまだ子どもを預けたことがないのでわからないのですが、幼稚園と保育所の管轄が違うということは分かりましたが、じゃあ現場レベルで実際にやってることってそんなに違うんでしょうか。特に0〜2歳児に対してなんて「教育」と言えるような指導が必要なのかなあ。というか、子どもの育ちを見守ることイコール教育だと思うので。

保育士さんが、ただ単に子どもを「託児」しているだけの存在だとは思えません。現場で働く人たちはすごく誠実に子どもに向き合ってくれていると思います。保育士さんたちのツイートを目にするとそれがよくわかる。それって、子どもの「育ち」にとって充分に「教育」と言えるんじゃないかな。タテマエとしての幼保一体化とか総合こども園にお金をかける必要がほんとうにあるんですかね。

じゃあ、幼保一体化はあまり必要でないとして、この新システムのいちばんの核となる部分は何なのか。それは「多様な保育サービス」の実現であり、そのための手段として認可制から指定制への改革。その話に行く前に、財源について。


財源の問題

この「子ども子育て新システム」、制度設計の作り直しであるために莫大な予算がかかるとされています。その額はおよそ1兆円とされています。またその財源確保ために消費税増税の根拠のひとつとも言われています。動画に出演していた各党の議員も財源が無ければできないという点では一致していました。

ところで「子ども子育て新システム」は、日本の社会保障制度を見直すという意味でもあったはずです。動画の中で駒崎さんは、日本では子どもに対する社会保障と高齢者に対する社会保障の割合は、1対11であると述べています。これは先進諸国の中では著しくバランスを欠いていると。この割合がどこから算出されたものかは知りませんが、これまでの社会保障サービスが高齢者中心だったことについては、たぶんほとんどの人が同意できるのではないでしょうか。

厚生労働省HPによると、平成21年度の社会保障給付費は99兆8,507億円。部門別内訳で見ると「医療」30兆8,447億円(30.9%)、「年金」51兆7,246億円(51.8%)、「福祉その他」17兆2,814億円(17.3%)。9つの機能別分類で見ると「高齢」49兆7,852億円(49.9%)、「保健医療」30兆2,257億円(30.3%)、「遺族」 6兆6,969億円(6.7%)、「家族」 3兆3,106億円(3.3%)、「障害」 3兆2,072億円(3.2%)、「生活保護その他」 2兆7,198億円(2.7%)、「失業」 2兆5,243億円(2.5%)、「労働災害」 9,384億円(0.9%)、「住宅」4,427億円(0.4%)だそうです。

項目に「子育て」が見当たらないのですが、「家族」あたりに入るのでしょうか。それとも保育所の整備は直接給付じゃないから社会保障給付の内訳には入っていないのでしょうか。素人にはよく分かりません。ちなみに、2010年の記事ですが、待機児童4万人の改善のために子育て施策関連の費用として補正予算に1千億円を計上とありました。結局これは待機児童の解消に効果がなかったわけですけれども。

ちなみに「子育て」関連として追記しておくと、民主党が政権交代時のマニフェスト通りに子ども手当を全額支給すると財源は約5兆円だそうです。現在の児童手当は3党合意により2.2〜2.3兆円程度。自公時代の児童手当は1兆円。ただしこの増額も扶養控除の廃止とセットになっているので、子育て世代の負担は実質的にさほど変わりません。

こちらの年齢別人口分布(2009年)を参考にすると、0〜15歳の人口は約1千822万人。65歳以上が約2千900万人(65〜74歳が約1千530万人。75歳以上が約1千371万人)。何歳までを子どもと捉えるかにもよりますが、いずれにしても、年金にかかる費用と子ども子育て新システムや子ども手当などにかかる費用の割合を比べてみると、駒崎さんが指摘するように社会保障費の割り振りが偏っているということは言えるでは。年金はバラマキと言われないのに、子ども手当はバラマキと言われるのは、いかにも選挙用のバラマキトークだなあと思います。

なぜ日本の社会保障が高齢者に偏ったかは簡単で、政治家が票集めのためにそういうリップサービスをしてきたからです。選挙権のない幼児向けのサービスを訴えるよりも、選挙権もあり人口も多い層への優遇をアピールしたほうが得票できるから。目の前の餌に釣られる有権者と、目の前の票を取りたい政治家によって作られてきたといえるでしょう。選挙のたびに、将来の子どものことを考えて投票していたかどうか、自分の胸に手をあててみるとぼくはわかります。反省しています。

社会保障の充実のためには増税が必要であることは間違いありませんし、それが消費税になる可能性は大きいということもある程度は納得できます。財源が無いから増税しなければ、というのは一般論として当たり前の話です。それよりもっと議論されるべきなのは、じゃあ増税でどれくらい予算が確保できて、それをどのように公的資金として割り振るかという問題です。社会保障制度を見直すってそういうことに他ならない。

村木さんが言う「子育てに社会の応援を」とは、子どもに向かう姿勢という内面的な問題はもちろんですが、それが政治として形になるのは、育児や教育にどれくらい公的資金を投入するのかという外形的な問題です。予算をはっきりと公開して、どのように割り振りするのかを明確に提示して、選挙で国民に選択してもらうのが、議会制民主主義のはず。新システムをめぐる議論でそういう話をあまり聞いたことありません。

社会保障は天から降ってきて与えられるものではありません。資源の再分配です。その割り振りをするのが国の役目であり、その道筋を選択するのが有権者です。

これは別に子育てに限った話ではありません。スキャンダルによって降って湧いたように起こる生活保護に対するバッシング。下記のようなツイートを見るに、日本で資源の再分配がうまく機能するという気が全くしません。

大野更紗さんのツイートより
生活相談ホットラインの回線が、パンクしているという。ただでさえ人員が足りず、かかりづらい回線に〈お前らは間違ってる〉〈怠けてるやつに生活保護をとらせやがって〉「相談ではない」電話が、絶え間なくかかってくるという。肝心の本当に必要な相談電話が、つながらないのだという。


「働く」人がいちばん偉い。そうでない者は怠けている。そういうコンセンサスがあまりに根強く浸透しているんですね。社会保障なんていうものには、自分だけはお世話にならないと思っている。だから怠けている奴になんか支援する必要ないだろう、と。ほんとうはいつ自分が逆の立場になるかわからないのですが。

で、気付いたんですが、生活保護問題と待機児童問題の根っこは一緒なんじゃないかと。仕事してるんなら(してないなら)家族で面倒見れるだろっていう。新生児を抱えながら、走り回る2歳児の相手を24時間毎日休みなくするって、仕事するより大変なんですが、「働いて」いなければ、認可保育所には入れません。出来ないのは「怠けている」からなのだそうです。「親学」あたりはそう言ってますね。子育ての現場をまったく理解せずに、道徳的であるとか倫理的であるとか「善いこと」だけを大きな声で言う人たちが、現場で人知れず苦労している人たちの声と精神を押しつぶしているということに気づかないかぎりは、資源の再分配であるとか社会保障の充実なんて夢のまた夢だろうなと思います。


多様な保育サービス

「子ども子育て新システム」による制度改革のいちばんの核は、幼保一体化でも総合こども園でもありません。おまけにそれらは待機児童解消につながらないという見解は、賛成派も反対派も一致しています。では何をもって「子ども子育て新システム」が待機児童解消の根拠と言われているのか。それは、認可制から指定制への変化です。つまりは規制緩和、保育の市場化ですね。ここがいちばんの論点になります。なるはずです。

猪熊弘子さんのツイートより
えーっと、今、NHKニュースで<新システムの「柱」は「総合こども園を作ること」>って報じてるんですけど、そうじゃなくって、ホントの「柱」は給付制にするっていうことですから〜。保育所も介護施設や障害者施設と同じように、自己責任で選べよ、市場化するからさ、ってことですから〜。


保育を申し込もうとする親の側からしてみても、いままでのように市役所を介することが無くなるわけです。施設との直接契約になる。市役所を介する必要がなくなるということは、名目上の待機児童が居なくなることを意味します。市役所が管理しないんだから当たり前ですね。もちろんこれはあくまで書類の上でのことで、実際にどうなるのかはまた別問題ですが。

このあたりの要点をまとめるとだいたい以下のようなところ。以前の記事に書いたものですが、再掲します。

現在、「保育」は児童福祉法のもとで行政が地域の子どもの保育に責任を負うことになっている。そこで公立が原則となるが、民間に委託する形で「認可」保育園が認められている。市町村が「保育の欠ける」子どもを保育する責任を負い、入所を希望する保護者は市町村に申請する。行政が、公立・認可保育園に助成し経済的に支える責任がある。

新制度案では、市町村の保育実施義務を明記した児童福祉法24条が削除され、保護者と施設とが直接契約を結ぶことになっている。「認可」という制度もやめ、一定の基準をクリアすれば「指定」がなされ、保育園の市場化を進める。行政は保育園に直接財政の支出をしない。保護者へ一定の金銭給付がなされるが、保育料は親の収入に関係なく、保育時間に応じて一律に決まる応益負担となる。
※注 ちなみに最後の行の「応益負担」案は、議論の終盤で「応能負担」の枠組みに変更になったそうです(ただし、現在の応能負担とは違う形になり、現実には皆等しく負担が増加するだろうという指摘もあるようです)。


市役所がひとつひとつの申請をチェックして、「保育の欠ける」順番に割り振りをする、という行政の仕事が無くなります。どこを選ぶか、入れるかどうかは、良くも悪くも、親の「自己責任」になるわけです。認可制から指定制へとはつまり、新システムは保育に関して行政の責任を無くすという方向にあるわけです。

では、なぜそれが待機児童の解消につながるのか。まさか名目上だけの待機児童が居なくなることを目指しているわけではないでしょう。
村木さんの記事によれば、ハードルを下げることによって誰でも保育サービスに参入できるようになり、今まで通りの保育所だけでなく、小規模の保育や家庭的な保育、一時預かり保育などの多様なサービスができるようになると。動画の中の泉議員や駒崎さんの発言からも、「小規模保育」とか「多様な保育をやっていこう」というビジョンが先にあることがわかります。

このビジョンそのものに対しては大いに共感します。多様な保育、多様な教育、という社会環境ができればいいなあとぼくは常々夢見ています。多様な教育と聞いて、ぼくが具体的にイメージするのは北欧諸国。たとえば、デンマークの育児支援事情が下記にて紹介されています。

世界の子育て事情 デンマーク - FQ JAPAN 男の育児online

ぼくはこういう記事を読むと、楽しくなってきちゃいます。だって、こういう多様な子育てのできる社会環境を実現している国が実際にあるって知るだけで、わくわくしちゃう。デンマークといえば、ロラン島の「森の幼稚園」が有名ですが、ああいった子育て支援が存在できるのは、「子供の自主性に任せて各々がやりたい遊びをさせる」というコンセンサスが根付いているからだと思います。

ちなみにこのブログでも何度か北欧について書いていますので参考までに。
オランダのオルタナティブ教育について
ノルウェーの出生率上昇について

先ほどのデンマークの記事でいうと、「各家庭がニーズに合わせて施設を選べる」という点を「子ども子育て新システム」は重視してるわけですけれども、もっと大事なのは「子供の個性と独創性を尊重すること」だとぼくは思っています。

多様なサービスが出ることによって、都市部では待機児童の解消につながると見られています。それも一理あるかもしれません。家庭や親の事情があるために多様なニーズがあるという側面もたしかにありますし、それに応えることも大事です。母親への支援という視点が新システムの出発点にもなっています。

ただ同時に踏まえておきたいのは、順番としては、子どもの個性と独創性を尊重するがゆえに、結果として多様なサービスが存在するというのが子育て支援においては本来のすがたではないかと。その視点が抜けてないかどうか、いつも立ち返る必要があると思います。そうでないと本末転倒になりかねません。


民間の保育所参入について

だんだん論点が見えてきました。
「多様な保育サービスを実現する手段として、民間企業の保育所参入は有効か?」ということを突き詰めて考える必要がありますね。

下記の記事は、民間の保育所参入という点に的を絞った論考です。

待機児童を救う民間の保育所参入は“悪”なのか?「子ども・子育て新システム」に募る異論の中身 - ダイヤモンド・オンライン

この記事の冒頭に書かれているフェスティバルのことをぼくは何も知らないし、実際にどのような呼びかけやパフォーマンスが行われたのかも分からないのですが、これをもって反対派が民間参入=悪だと主張しているとするのであれば、これはすり替えです。民間参入に反対する人すべてが、民間が「悪」だなんて言っていません。少なくともぼくは、民間企業が「悪」だから反対しているわけではないです。駒崎さんの言うような「供給量が上がれば、今より保育の質は上がる」という見方に懐疑的なのです。子どもを預ける立場として不安なのです。

なぜか。民間企業が「悪」だからではありません。ぼくは地方在住の一市民にすぎませんが、それでも生活実感として、市場が淘汰するということの帰結をいろいろと見てきたからです。

上記記事の中で駒崎さんは、 「現在はそもそも保育園の数が少なく、一部の親は(劣悪な環境の)ブラック保育園を選ばざるを得ず、たとえブラックであることに気付いても他に行くところがない。供給量を増やせば、質の悪い保育園は選ばれなくなる」と言っています。一般論で言えば、なるほどもっともです。それが市場原理なのだから。

で、市場原理の導入と浸透によって現実はどうなっているか。地方都市で暮らす身としましては、大資本によってローカルな個人経営が駆逐されていくという場面を多々目にするわけです。
どこに住んでいても全国同じようなものが同じような価格で買えるようになりました。バイパスを走るとどこに行っても同じような、なんとかモールとかタウンが立ち並んでいます。そのほとんどは、消費者がより安い価格を求め、企業側がそれに応えていった帰結です。大量生産のできる大資本企業に地元の商店街が価格で太刀打ちできるはずがありません。これは結果として囲い込みになっています。一円でも安いものを求めていく消費者。企業としては人件費を抑えるために労働環境は劣悪になっていきます。金が回らない経済の循環は、巡り巡って自分の首を締めることになっています。多様なサービスを選べるはずが、実際には安いものしか買えない。多様なサービスを選べるはずが、実質的には選択肢がなくなっていく。そういうことが身の回りにたくさんあります。

だから、保育の場合だけは民間参入によって多様なサービスが保たれ、さらに保育の質が向上するというイメージを抱くことはできません。それちょっとお花畑的な幻想じゃないかと思っちゃいます。

民間企業が「悪」だなんて思っていません。かといって、ボランティアでやるわけでもありません。社会貢献という名目があったにせよ、企業の本質は利益を出すことであるし、それが悪いだなんてぜんぜん思わない。ただ、やるべき場所と、そうでない場所があるんじゃないかと。子どもの命を預かる場であり、また子どもの教育の場でもある「保育」の現場には、そぐわないのではないかと思っているのです。それでもやってみなけりゃわからないじゃないか、という一般論を差し出されると反論のしようもありませんが。ただ、やっぱり親としては不安ですよ。

内閣府参事官講師の「新システム」学習会に参加したという方の感想。
坂井和歌子さんのツイートより
内閣府参事官講師の「新システム」学習会に行った。「指定性にすることで一気に保育園増えます」ていう話に不安が増大。企業=悪ではないだろうが、安全守る仕組みづくりはこれからなのに、一気にいろんなところが参入してきて、そのなかから安全な園を自分で選び取って…と考えたら気が遠くなる。

「潜在的な待機児童もすべて把握して保育園をつくる」と言っていたけど、今もできていないものをどうやってやるのか方法を質問したけど明確な答えがなかった。あと、直接契約について「困難な方は援助して、力のあるお母さんはご自分で探していただきます」と。力のあるってずいぶん抽象的だよな〜。

「今まで改善されてこなかった子どもをめぐる環境を新システムを機によくしたい」という議論はやっぱり腑に落ちない。本当に困ってる人たちの生活や、大切な命が脅かされるんじゃないかっていうのが不安。


新システムは保育に関して行政の責任を無くします。市場化するから、あとはサービスを提供する企業と消費者の間でうまくやってね、ということになる。国はあなたの子どもに対して責任を持ちませんよとも聞こえます。駒崎さんは「いままでだって責任なんか持ってこなかったんだから」と言いますが、だからといって制度そのものから削除してしまってほんとうにいいのか、ぼくはよく分かりません。

オランダでオルタナティブ教育が浸透しているのは、国による支援があるからです。オランダでは一定数の生徒が集まることが証明できれば、市民団体が私立学校を建てることもできます。それがどのような教育理念に基づくものであれ、どのような宗教的倫理に基づくものであれ。校舎や施設の提供は自治体の責任で、学費は公立も私立も変わらないそうです。
そう考えると、民間に門戸を広げることが悪いとは一概に言えないとも思います。ただ、理念よりも空気を大事にし、ムラの掟の中で長いものに巻かれる人のほうが多い日本社会でそれがうまく機能するのかと考えると、ぼくはやっぱり懐疑的になっちゃうんですね。


ここから先はぼくの邪推になるんですけれども。泉議員が官僚答弁に終始していたことが象徴しているように、この新システムっていうのは、「子育てに社会の応援を」という理念をダシにして、実質的な仕組み作りの部分では完全に官僚主導になってしまっているんじゃないかと。

これだけ新システムに取り組んでいながら、なんで待機児童の解消が見えてこないのか。待機児童の解消が先にあるわけじゃなくて、政府がいちばんやりたいのは「保育の市場化」だからです。そう考えるとすべてがつながってくる。もっと言うならば、政府がやりたいのは「増税」であり「経済成長」。子育て支援が先にあるわけではなく、増税と経済成長のために子育て支援策が必要なのです。残念ながら、そう考えたほうが辻褄が合うようにぼくは思うのだけれども、穿った見方でしょうか。

野田首相は、この社会保障改革を増税の根拠としてしきりにアピールしています。『バンキシャ』に出演したときの胡散臭さを以前書きました→総合こども園という欺瞞と、衰退するマスメディア。このときのNHKニュースで、「政府はこうした子育て支援策によって少子化に歯止めをかけ、経済成長につなげたい考えです」と報じられていて、びっくりしました。「子育て支援」が「経済成長」?意味が分からない。

けれども、政府がやりたいのは「増税」であり「経済成長」であるのだと考えるならば、分かります。なんせ、待機児童が何万人もいるということは、掘り起こせばビッグビジネスになるチャンスがあるわけで。だから「経済成長につなげたい考え」となるんですね。未開拓である保育市場に多くの企業が参入して、「財界」を潤してくださいよということなのでは。つまりこれは経済界が主導する流れなのでは。弁護士の川口創さんは、新システムの議論はそもそも「経済成長戦略」の中で出てきたと指摘しています。

価格競争を是とする経済市場の拡大は割とすぐに飽和します。その度に新たな消費の場を開拓しなければなりません。地方進出や海外進出を展開するグローバル企業は永遠にパイの拡大を求め続けなければならないというジレンマを構造的に抱えている。
一億総中流の時代から核家族化が進み、自己実現がもてはやされるようになった流れは、国内消費という面で見ると、市場の細分化と拡大を意味します。すなわち、多世代が同居する大家族よりも単一世代がそれぞれの家で暮らす核家族のほうが冷蔵庫は多く売れるし、一家に一台よりも一部屋に一台テレビがあったほうがより多く売れる。あなたらしさとか自分探しっていうのは、消費市場の開拓のための宣伝による部分もかなり大きいわけです。

しかし、そうして拡大してきた消費市場も国内ではもはや頭打ちとなりつつあります。ということは、資本は新たな市場になるチャンスのある場所を求めているはずです。規制緩和とか民営化にはそういう一面があります。かつて介護の分野にも市場原理が導入されました。介護保険制度は、2005年に財政抑制を目的とした「適正化運動」によって家事援助が大幅に削減され、多くの事業者が廃業・撤退し、多くの高齢者が、生活の支えを奪われる結果となったそうです。

もし、そういった規制緩和の次なるターゲットが「保育市場」というわけなのだとしたら、これは社会保障制度の見直しどころか、社会保障という概念を捨て去ることになりはしないでしょうか。アメリカは先んじて自国で教育や医療の現場を市場化し、大きな格差を生んでいます。怪我をしてもお金持ちしか病院にかかれないという現実。この辺りは堤未果さんの著書『ルポ貧困大陸アメリカ』を読んでいただくと詳細にリポートされており、対米従属の姿勢を続ける日本も同じような道を辿るのではと考えると背筋が寒くなります。

介護の現場が市場化されて「介護ビジネス」になったのと、全く同じことをやろうとしているのが「子ども子育て新システム」なのだとすれば、待機児童の解消という名目で「保育ビジネス」が展開されます。そうなったならば、企業活動であるがゆえに利益、効率が優先されるのは目に見えているように思えます。

「貴女らしい保育」とか「ほんとうに大切なものを」とか、きれいな広告もバンバンうたれ一見よさげに映るようになるかもしれません。たぶん、きれいな広告をうち出せる資本をもった大手企業がもてはやされるようになるでしょう。いま現場で誠実に働いている保育士たちのように「子どもと向き合う」ことは、利益や効率優先の企業活動の中では、求められなくなるでしょう。それが進んでいくと、おそらく、保育現場がワタミ化するんじゃないか。

川口さんも指摘していますが、もともと保育は「儲かる」業界ではありません。保育市場で利益を得るにはどうしたって、人件費などを減らしていくしかない。コスト削減のために、保育の現場が非正規職員ばかりになることは充分考えられます。

いま現在でさえ、保育士に対する待遇は良いとは言えません。だからこそ現場ではたらく保育士の多くが新システムに反対しているのではないかと思います。

保育現場ではたらくyamadanさんのツイートより
保育が市場化してもてはやされるのは、「安・近・長」の保育所か?保育料が安くて、近くにあって、長時間預かってくれるところ。でも質の向上を目指す我々の現場では、「安・楽・感」の保育所を目指したい。誰もが安心できて、子どもたちが楽しいと思ってくれて、卒園時に感動を味わえるようなところ。


このような意識を持って現場に携わる「プロ」の人たちを、切り崩すことになりはしないか。保育現場がワタミ化、パート化しないか。もしそうなってしまったら、犠牲になるのは「子ども」です。新システムに関する話でいちばん不安なのは、当の「子ども」にまつわる話が出てこないこと。

「保育市場」とかんたんに言葉にしてしまいましたが、「子ども」は商品ではありません。工業製品のように数値化して効率や生産性を比べることなどできない。ある意味では、子どもほど理不尽で非生産的な生きものはいないとさえ言えます。子どものおもしろさは偶有性にこそあると、子どもと付き合ってみて日々感じています。保育の市場化によって、ひとりひとりの子どもの偶有性と向き合ってまじめに取り組む保育所ほど、潰れていくことになりかねないとぼくは不安に思っています。

保育市場への企業参入によるリスクの高さについて、実例を紹介しながら詳しく説明されている記事があったので参考に。
保育園が差押え!民主党の子ども子育て新システム「総合こども園」は幼児を不幸にする - Everyone says I love you !

保育現場の崩壊が杞憂で終わればいいのですが…。


教育について

最後に、幼児教育って何なんだろうという問いを。

新システムをめぐる議論の中に「保育の質」というキーワードがたびたび登場します。これは実はとても重要な部分で、じゃあ「保育の質」って何なのかと問われると、おそらくその言葉からイメージするものは人それぞれなのではないかと思います。人によっては事故が起きないような環境整備かもしれないし、のびのび運動できる広いグラウンドかもしれないし、お昼ごはんやおやつのメニューかもしれない。あるいは幼児教育の充実かもしれない。幼児教育といったって千差万別で、エリート教育かもしれないしオルタナティブ教育かもしれない。「質」という言葉ひとつで、すべての人に適合するものさしで測ることはできないのではないかと思うんです。とすると、この言葉だけがひとり歩きしていくのは厄介だぞと。

ぼくが親として望む「保育の質」とは何か、いまはまだうまく言語化できません。以前の読書メモより抜粋します。大宮勇雄さん(福島大学人間発達文化学類教授)の著書『保育の質を高める―21世紀の保育観・保育条件・専門性』の冒頭に描写されたある現場での一場面、それに対する著者の視線に、ぼくはたいへん共感しました。

ある幼稚園。運動会が近づいて、五歳時が園庭でリレーをやっていた。すると一人の男児が、顔を真っ赤にして赤白帽子をたたきつけるように捨てて「もうやめた」とクラスに戻っていく。その子は足が速いが、彼のチームは何度やっても勝てなかったらしい。よほどくやしかったのであろう。

たかがリレーである。何ということもない、たわいのない遊びである。しかしそんなささいなことに、外聞もなく自分をさらけだしてくやしがれる時代はもう二度とこない。同じチームの仲間が懸命に走ったことは彼にもわかっている。だから、くやしさをどう表現していいのかわからない。自分をおさえきれないのだが、仲間に対しては自分をおさえようとしている。見ている側も切なくなる。しかしこういうことを繰り返しながら彼は、他者の気持ちと向き合い、自分の気持ちに気づいていくにちがいない。

こんなとき、保育者っていい仕事だなあと思う。子どもの息づかいや感情の揺れ動きがビンビンと感じ取れる近さで子どもと関わるとき、子どもも幸せだが、保育者も「子どもと生きる幸せ」を感じているのだろうと思う。


可愛い自分の子どもを他人に預けるということは、預ける側への信頼がなければ出来ないことですよね。現場で子どもたちと真摯に関わる保育士や幼稚園の先生たちは、ほんとうに大変な仕事をしていると思います。そしておどろくほど純粋に子どもと向き合ってくれていると思います。そういった現場のプロに対しては、ぼくは敬意を払いたいです。そして、だからこそ安心して子どもを「任せ」られる。

このような保育者としての視点を知ったときに、そしてそれがぼくの思い描く「保育の質」と近いところにあるように感じたときに、じゃあ「保育の質」と「教育」って何か違うんだろうかという疑問が出てきます。管轄が違うとか、資格が違うとか、親の就労状況によって選択できたりできなかったりとか、そういう「大人の事情」をさっ引いたときに、単純に子どもにとって「保育の質」と「教育」って何が違うんだろうと。保育所が「保育」だけで、幼稚園が「教育」だけってことはぜんぜんないだろうと。

教育については以前書いた記事(教育の出発点)から抜粋します。

教育問題を語ろうとするばらば、まず自分が「教育」の出発点に立っているのかどうか、足下を見つめることから始めないといけません。自分の足下をふり返らずに、子どもを教育しようとするのは、子どものすることです。子どもを教育する立場に立とうとするならば、ぼくらは大人にならないといけません。

沼崎一郎さんのツイートより
絶対に操ろうとしないこと、それが相手を人間としてリスペクトすること。子供も人間としてリスペクトし、操ろうという誘惑に負けず、子供を「自由」にすること、それが「教育」の出発点。


「しつけ」と言いながら実は自分(親)がラクをしたいだけだっていうことはよくあります。ぼくも多々あります。しょっちゅう鬼を召還してるし。それから、「しつけ」が子どものためであるという顔をしながら、実際は親の世間体を守るためになっているのではないかと思うことが多々あります。子どもと向き合って子育てしている人ならば、本当の意味で「しつけ」をしたいと思っている親ならば、おそらくそう感じたことが必ずあるはずです。子どもと向き合うということは、自分と向き合うということです。それが教育問題の核心だと思います。

子どもが自分の好奇心を自由に広げることができるように、後ろから環境整備をしてやることが親の役割なんじゃないかと、息子が2歳になったいまはそう思います。でもこれが存外に難しいんですね。やっぱり今まで自分が生きてきた価値観とか常識とか、あるいは時間とか云うものさしが働いてしまうから。沼崎さんの言うように、それは「誘惑」だと思うんです。子どもの目線で、いま何が大事なのか、をいつも常に確認し直さないといけない。それくらい、大人はしがらみの中に生きているものなのだと実感します。

子どもは生まれた時点ですでに親の尺度を超えている。だから子育ては最高におもしろい。最高にクリエイティブ。子どもとあそぶことで、子どもにふり回されることで、凝り固まった大人の脳みそがほぐされます。だから、子どもは子どものままで存在することが、それ自体が唯一無二で、貴重なんですね。


内田樹さんの以下の記事も素晴らしいのでぜひご一読を。
教育の奇跡 - 内田樹の研究室

子どもを育てること。その支援の直接的な受給者は親にあるかもしれません。わざわざ国に言われなくても「子どもは親が育てる」のは本能レベルで当たり前のことです。ではなぜ「子どもを社会で育てる」のか。これは長いスパンで考えないと理解できません。というのは、子どもを育てることの最終的な受益者は共同体そのものであるからです。子供たちを知性的・情緒的・身体的に成熟させないと社会制度そのものが存立しなくなるからです。

オランダの教育基本法とも言える憲法第23条には、はじめにこう書かれています。

オランダ憲法第23条 1. 教育は政府の持続的責務の対象である。


ぼくは、この1行に教育というものの真髄が込められているように思います。
オランダでは、この憲法を拠り所にした充実した教育制度が整っているそうですが、そこに至るまでは決して平坦な歴史があったわけではないといいます。90年にもわたる国民的な議論によってようやく市民的合意を得るようになったのだそうです。ひとりひとりが自分のあたまで考えることでなにがしかの合意を獲得していくしか、民主主義の深化はあり得ません。





いろいろ書きましたが、親の側からしてみれば、幼保一体化とか管轄がどうとか、そういった行政側の事情ははっきり言ってどうでもいいんです。喫緊の課題として待機児童の解消。それから長期的な視点では社会的な子育て支援。具体的な対策としてそれだけが納得できればいい。でも、現在の新システムをめぐる論議からはそこのところの整合性がよく見えないので不安なのです。それだけです。子どもがどのような環境で育っていくのか、ということは親としていちばん大事に考えるところです。

ずいぶん長くなってしまいました。これ他人の記事だったらぼく読みませんね。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。抜けている視点もたくさんあると思います。あくまでも二児の父(36歳・中産階級)の立場から見た、偏った備忘録として記憶の片隅にでも入れていただけると幸いです。





追記(6/12)
こんなニュースが。
株式会社の学校縮小へ 政府、特区を全国解禁せず
やはり、学校教育とビジネスマインドは相性がよくないということの証明だと思うのですが。さらに小さい乳幼児でこれをやろうとするのはちょっと疑問ですね。

子ども子育て新システムから感じること

子ども子育て新システムから感じること 2012.06.02 Saturday [子育て・教育] comments(13)
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いちパパ (2012.06.02)

非常に良く考えられていらっしゃいますが、
「ワタミ化」「官僚主導」などのレッテル化はとても残念だなあと思います。
そこで一生懸命働いている人もいるのですし、あまり頭ごなしにイメージで語られないほうが良いように思います。

にパパ (2012.06.04)

政治家主導ではないこの法案は、間違いなく官僚主導です。
事実この法案、民主党の議員はほとんどその中身を知らないと思います。
民主党の国会の答弁は、それを物がったています。
幼稚園が、0〜2歳の受け入れ義務がなくなったところで、
この法案はもはや体をなしていません。
悪いところばかりではないですが、当初の目的を果たせる内容には思えません。

aratoraDS1928 (2012.06.06)

"Yamachan"ブログもTWも、いつも拝見しています。子育てのシンドさや楽しさをストレート且つ折り目正しく綴っていらっしゃるので、興味深く読ませてもらっています。そもそもは橋下市長に関する記述で目に止まったため、TWから入らせてもらいました。今回、Yamachanの辛口コメントの対象となっている泉議員は小生実家所在地の選挙区の選出議員なので、個人的には応援したいところなのですが、橋下市長同様、恐らくは「子育て」に主体的に関わってこられた経験が僅少だから、活きたコメントが出てこないのではないか..と勝手ながら推察するものです。(とはいえ、私自身が、子育てでどれほどの意見が言えるのか、また妻に対して意見を吐けるほどのポイントを稼いできたのか、甚だ心許ない限りですが..。)
今回のブログ・コメントに対し「レッテル貼り」を云々するコメントも見られますが、「レッテル貼り」とか「頭ごなし」を指摘する程度のレベルだけで語り合うのは話の趣旨を逸らすだけで意味がないと思います。民主党政権の打ち出す政策がナンデモカンデモ未熟だとは決して言いませんが、意見集約とそれを逐次公開していくプロセス管理等が未だにキチンとシステム化されていない同党の現状にこそ抜本的な問題があるのであって、この法案を巡る経緯にもソレがネガティブな形で投影しているのだと思っています。
乳幼児への学童へのそして教育への公的資金注入が如何に国家の屋台骨を支えることになるのか、政策立案と決定に関わる人たちはその認識をしっかり確認し、「国家の行く末」を誤ることのないよう、発言・行動して欲しいと思います。自分の身の回りを見ても、働きつつも子どもを生み育てる親たちへの物心両面の負担を少しでも軽減できるように智恵を出し合うことが世代を、子ども養育の有無を問わず、皆等しく求められているのだと思います。自分たちが幼少の頃に比べて「大人から子どもへの優しい視線」が今はめっきり少なくなったのでは..と感じます。自戒も含めて真剣に考えていきたいと思います。更なるコメント、楽しみにしています。

山やま (2012.06.07)

わざわざ書く必要もないと思ったのですが、aratoraさんが丁寧なコメントをくださったので補足しておきます。

あくまで個人の妄想をもとにしたブログですので、人によってはレッテル貼りと感じるかもしれませんし、そのことについてあれこれ反論するつもりはありません。基本的に自分のあたまを整理するために書いてるので、すべての人に配慮して自分のあたまの中のバランスを崩して記事を書くつもりもありません。その辺りのバイアスは各自でさっ引いて読んでいただければ幸いです。

民主党の議員は政権交代時からどんどん自分の言葉を失っているように感じます。
自分のことばでしゃべっているかどうか、ニュースや新聞の記事からは読み取ることがなかなか難しいのですが、本人が喋っている動画なんかを見るとほんとすぐ分かりますね…。aratoraさんの仰る通り、当初の目玉であった「情報開示」が尻すぼみになってしまったことと大いに関係あると思います。

いま大人は、子どもへの優しい視線よりも自己責任ばかりですね。それもなぜか自己ではなく他者に向かう自己責任論(実際にはそれを盾にしたバッシング)。政治家が自己責任ばかりを強調するようになったら、それは政治家じゃなくてイデオロギー啓蒙家じゃないかと思います。ぼくたちは政治家にいったい何を求めているのか、いつも自問したいと思います。

まんさく博士 (2013.01.10)

丁寧な考察に、感服いたしました。とても素晴らしいブログのページで、私も、これからブログを始めようとしていてyamachanblogを読んでいます。
もう少しでできるとは思いますが、お時間がありましたら、当ホームページの保育問題小論集を一度おたずねください。
それと、「保育の質」については、おっしゃるとおり、ほとんどの人が、「保育の質」について、理解していないのではないかと思います。私は、子供の発達を保障する保育を実践することだと思っています。それが何かは、ホームページの中の、「子供の発達と自分づくり」という表をご覧下さい。
同時に、「保育園のパラドックス」という図表もご覧下さい。これらに関しては、1月中旬に出版予定の「「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの」で詳しく述べています。いろいろ参考になるご意見を有り難うございました。

山やま (2013.01.18)

保育のパラドクス第二章まで拝読しました。論旨にほぼ同意です。というか、ぼくがぐだぐだと書いたようなことを、まんさく博士は10年も前から指摘していらしたのですね。保育についての素晴らしい論文を書かれている方に拙文を読んでいただき、コメントまでいただき恐縮です。

保育行政改革の受け皿が保育園だけに向かい、保育の現場に多大なる負担がのしかかっていること、なるほどと思います。わが家は相変わらず保育所ジプシーのため現在は一時保育を利用していますが、実際に保育園に行ってみて、おおぜいの子供たちを面倒見る保育士さんってすげえなとつくづく思っています。

ふだんから日常的に保育の現場に携わっているプロの方と違って、ぼくなんかは当時これを勢いで書いてから半年経って、書いた内容の多くを忘れていたりします(だからこそその時に感じたことをアウトプットしておいてよかったと思います)。コメントを頂いたおかげで、もういちど思い出しました。

>1995年頃から、国は保育を経済・労働施策の一貫として捉え、保育所は働く母親のための施設であるというような風説が流れました。保育所は児童福祉施設なのにです。

「保育の質」を考える上では、まずここに立ち返る必要がありますね。
まんさく博士がおっしゃるように、企業の論理(働く母親のための保育施策)ばかりがクローズアップされますが、「子どもの立場から考えられた施策」での保育行政改革が進められていくように、親としても注意して見ていきたいなと思います。

山中 (2013.06.22)

こんにちは。気がつくとまた来て読んじゃいました。多分再再読しています。(それでもよく理解できない部分のある自分が残念過ぎる…。)
先日、娘のみよちゃんが怪我してしまって園の先生方も丁寧に対応してくれ助かった。とつぶやきましたがケガした遊具って移動式の鉄棒だったんです。
あの子ずっと保育園で逆上がりに挑戦してたんです。それが先日遂に一人でできるようになったんです。(先生が嬉しそうに僕に報告しにこられました)
クラスの先生が、彼女が「やりたい」と言った(思った?)事をずっと見守りながら応援し時に手を添えて練習を手伝ってくれてました。できるようになったのはそんな先生の存在がかなり大きかったと思います。(多分殆どかもしれません)
なんか脈絡のないコメントですよね笑。すいません。

僕は、、保育の議論や子育ての議論に、子どもの視点てどうすれば伝わるのか?がほんとによくわからないんです。
けど、僕はそれを如何にか出来ないかと…ツイッターで呟き愚痴りながら。また選挙の時にでも僕の投票で何かしら伝えられればなぁと。そんな風に思っています。
過去の記事にしかも長々とコメントしてしまい(それも個人的なことを汗)すみません。
(昨日、市役所から次男の入園が可能だという書類が届きました。記事の中で、お子さんたちの保育にも書かれてあり、その大変さに今更ながら共感しています…当時の自分の想像力の無さを申し訳なく思っています。。)
ご家族の皆さんがお元気でありますように。
失礼しました。

山やま (2013.06.26)

「子供の立場で保育を考える」だなんて偉そうなこと言っておきながら、自分が自分の子供に対してどれだけ子供の目線で接しているかと考えると、はなはだ心苦しいです。やっぱりこちらの感情や都合で怒ってしまうことがよくあるし、最近は息子もパパが嫌いみたいで、正直、親としての自分にはまったく自信がありません。
そんなストレスを発散するかのようにツイッターで呟き愚痴っておる次第です…。

山中 (2013.07.10)

今晩は。
子供の視点なんて僕は実際には持ってないのかもしれません。(事実33のおっさんですし…)子供からすればお父さんが勝手にやってることなのでしょうね。きっと。(涙)

僕もお父さんのバカ(はるとくん)とかクサイ(はるとくんとみよちゃん)とかちょっと気持ち悪い(みよちゃん)とか言われてケンカ(はるみよ)して泣いたり泣かしたりしてます、僕も一緒です。
「親として~」という言葉を実はたまに使ったりするんですが。(かっこいいので)使った直後、脳みそが自分のどこら辺が親(ちゃんとした)なの?と光速で自問自答してきます。
親になるって…親の定義がよくわからないですけど、なんかむつかしいですね。。(僕は親というものにもしかしたらなれないかもしれません。)

山やまさんのお子さんの写真のあの可愛らしい笑顔。どんなお父さんなのか。きっと一緒にいると面白いんだろうなぁと。そんな想像してみてます。(ストーカー)

山やま (2013.07.11)

そうですか、山中さんも「クサイ」とか「キライ」とか「パパあっちいけ」とか「パパお外の壁に頭ぶつけろ」とか「パパゴミ箱に捨てるぞ」とか言われるのですね、安心しました。

ほんと、親というものって、親をやりながら親になっていくものだなあと。たぶんずっと立派な親にはなれないと思いますが、光速で自問自答しながら親をやっていくしかないですね。

写真のあの可愛らしい笑顔とぼくの父親ぶりにはあまり相関関係がありませんので妄想はほどほどにしておくことをお勧めします。子供の笑顔はなによりの贈りものですね。

山中 (2013.07.24)

あぁ…そこまでは言われたことないです。。妄想ほどほどにします。
笑。子どもの笑顔といえば。こないだ長男にカメラを向けたらダッシュで逃げて行くんです。その後も撮ろうとすると逃げようとして。どうやら、こっぱずかしいようです。寂しいですが、成長しているんですよねきっと。
いつまでもあると思うな子の笑顔
どうでもいいことをまた投稿してしまいすいません。
失礼しました(・Д・)ノ。

山やま (2013.07.25)

さいきんは、妹の写真を撮ってると、ぼくも撮って〜と寄ってきます。妹はお兄ちゃんが好きらしく、チューしたりしてます。兄もまんざらでもない様子。かわいいです。でも8割方はおもちゃやごはんを争って喧嘩してます。

働くママ (2014.10.19)

>新生児を抱えながら、走り回る2歳児の相手を24時間毎日休みなくするって、仕事するより大変なんですが、「働いて」いなければ、認可保育所には入れません。

働いていない人はよくこういうことを言いいますが、働きながら乳児を育てているとと感想はまるで違います。土日、保育所に行かなくて良い(もちろん仕事にいかなくてよい)と、一日な〜んにもしていない(子供の世話と洗濯と炊事と掃除くらいしかすることがない)と感じるものです。だからネットで暇つぶしをしたりしています^^

それはさておき、この「改革」の最大の問題点は保育所の要件の緩和かとおもいます。日記主様のご意見とは違うかもしれませんが、週2−3回のパートでも入所できるようになると、本当に必要な、夫婦ともフルタイムで働いている人の枠が減ってしまうのではないか、と心配されるのです。労働の大変さというのはmarginalで考えると逓増します。だから週に2−3回働くのとフルで働くのは本当に、全っったく意味が違うんですよね。










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