「教育」の出発点(大阪市の保育所面積基準緩和および学童保育予算廃止について)

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橋下市長の大阪改革が着々と進んでいます。既得権益としての公務員をバッシングして、とにかく無駄を削れという分かりやすい主張が絶大な人気を受けているようです(民主党の事業仕分けが発足当初に人気だったのと同じですね)。彼は、教育の現場からも「無駄」を排除していく方針のようで、このたび以下の制度が「無駄」の認定を受けました。

保育所面積基準の緩和
大阪市、保育所面積基準0歳児5m²・1歳児3,3m²を、0〜5歳児すべて1,65m²へ。東京も0〜1歳児3,3m²を2,5m²へ。橋下市長は地域主権改革一括法「(国から地方に)与えられた裁量を使うのは当たり前」と。0〜5歳児全て一緒という乱暴さが、わかってないなぁとよくわかる。
平松知子さんのツイート

学童保育予算を廃止
大阪市内の「学童保育」の施設は、106か所。約2000人の児童が通っています。その運営費用は、大阪市と保護者会が半分ずつ負担してきました。橋下市長は、その予算を廃止すると表明。学童保育は廃止せざるを得ません。若い子育て世代を直撃する、ひどい決定です
新日本婦人の会(大阪・都島)のツイート


ぼくはこのニュースを知った時に、「橋下市長が子育てしていないことがよくわかる」と真っ先に思いました。保育所の面積基準を一律で引き下げるとかいう発想は、保育の場を等価取引のビジネスの場としか考えてない証左だと思います。実際に0歳から自分の子を育てているならば、そして子どもの生態を知っているならば、親の心情を経験しているならば、そんな発想は出てこない。彼は政界に出る前からテレビで、子だくさんであることをアピールしていましたので、なんとなく子煩悩というイメージが世間的にはあるかもしれないけれども、子どもがいることと子育てに関わることは別です。

保育所面積基準緩和とは、言うまでもなく「詰め込み」です。完全なる「大人の都合」です。大人の都合に合わせるためにいろいろと理屈をこねていますが、そこに子どもへの視線は感じません。治部れんげさんの記事がわかりやすかったので紹介します。
大阪市の保育所面積基準緩和=詰め込みに反対します - RengeJibuの日記

同記事より
待機児童が増える中、保育所を増設するのではなく、今あるところに詰め込むことで対処しよう、という発想です。働く母親として、この発想に反対です。

この議論で大事なのは「ひとり当たり何平方メートル以下に詰め込むと、子どもに害が及ぶのか」データで検証することではありません。詰め込み容認派は必ずこういう主張をするので(「今の定員に何人増やしたら子どもの発達に悪影響があるか、というデータはないから、まあ、いいんじゃないでしょうか。待機児童解消にもなるし」)、あえて言っておきたいと思います。

可愛い盛りの赤ん坊を預けて仕事に戻ることを後押ししてくれたのが保育園です。十分な広さが確保されたゼロ歳児の部屋は、1歳以降のクラスと3つ以上の扉で仕切られています。いつも笑顔の先生方は専門的な教育を受けたプロで、看護師や栄養士の先生も常駐しています。上の息子が受けた手厚いケアを思い出し、この保育園に入れるなら、ゼロ歳復帰もできる、と考えました。


橋下市長ぐらいになると仕事が忙しくて子育てに関わる余裕がないっていうのはよくわかります。それが一概に悪いとも言いません。でもだったら、奥さんの声を聞くとか、保育の現場の声をすくい上げるとか、想像力をはたらかせること、それが現場を知るということに繋がるのでは。

「彼の現場」と「わたしの現場」は違うんですよね、当たり前だけど。橋下市長はディベートでよく相手に対して「あなたは現場を知らない」と仰ってドヤ顔をするけれども、そんなこと当たり前なんです。だからこそ、自分が知らない側の人たちからの声を汲み上げるのが、組織の上に立つ人間のすべきことだと思います。

彼が決まり台詞のように言う「現場」とは、行政組織の中だけのことで。だからコストや効率という側面ばかりが焦点になるのだけれども(それはそれで必要な議論だと思います実際)、たとえば保育所面積基準緩和や学童保育予算廃止という政策を、コストや効率という「行政の現場」の都合“だけ”で決定してしまっていいものか。

子どもの安全基準というものが、大人の都合で簡単に書き換えられるという場面は、震災後の日本で幾度も目にしてきました。幼保一体化や総こども園を売りにしている「子ども子育て新システム」も、大人の都合だけで話が進んでいるという点ではまったく同じです。「子育ての現場」とはいったいどこにあるのか。

大阪府のホームページに、保育所の面積基準の緩和について知事時代のメッセージが掲載されています。
保育所の面積基準の緩和について(私の考え)橋下知事のメッセージ - 大阪府

橋下氏の言う「現場」からの改革には、親と子どもとの関わり、保育士と子どもとの関わり、つまりは大人と子どもとの関わり方という視点がすっぽり抜け落ちているんです。彼は「子育ての現場」を知っているのか。知らないならば、知ろうとしているのか。彼の視線は、ぜんぜん子どものほうを向いていないように見えます。そういう人が、教育改革を語る。子どもにちゃんと向き合っていない(ように見える)人が教育改革を叫ぶことに、みんな欺瞞を感じないんでしょうか。

彼は「無駄の排除」というフレーズと、それをかっこよく言い回すことで人気を得ているけれども、今回のように実際に何を「無駄」と認定するか、その中身がわかってくるにつれて、世間の彼への共感は覚めてくるのではないかと予想します。だからこういう感想はしごくもっとも。いくら口でいいことを言っても素地がバレちゃう。

井戸雅子さんのツイート
学童保育がなくなる。六歳の子供が14時頃帰ってくる。お母さんは17時すぎまで仕事。子供が3〜4時間一人になる。子供が心配。女の子なら別の意味で不安。事件ありましたよね。仕事やめればいいってか?橋下市長は七人子供いても共働きでなくても全然生活困らないんですね。わかります。


ところで、橋本氏を支持する人たちの多くは、「彼の現場」を「わたしの現場」と錯覚してしまっているように思います。行政改革は確かに必要です。でもそれ自体が目的化してしまったら本末転倒です。何を「無駄」と認定するのか、それは各自が携わっている現場によって異なるはずです。哀しいけれども、こういう意見もまたひとつの現場の声なのでしょう。

リア充ざまあw。オレは子供が居ないから保育所の補助金なんて税金の無駄遣いだと思う。必要な人間が自分の金でやるべき。子供の姿が見たければビデオアーカイブで見れば良い。


いわゆる自己責任論を支えているのはこういったマインドだと思うのですが、子を持つ親の立場でもこういうふうに思える人っているんでしょうか。橋下氏の教育改革を支持するということは、子どもを大人の想定下(コントロール下)に置きたいということですよね。子どものいない若い人がそう思うのはまだわかるけど、親の立場でそれを支持するっていうのは、ぼくは理解できない。子育てに関わってもなお、そう思える人って、ほんとうに子どもと向き合っているのかな。わが子も自分のコントロール下に置きたいと思う親が多数派なのだとしたら、問題は深刻ですね。

「しつけ」と言いながら実は自分(親)がラクをしたいだけだっていうことはよくあります。ぼくも多々あります。しょっちゅう鬼を召還してるし。それから、「しつけ」が子どものためであるという顔をしながら、実際は親の世間体を守るためになっているのではないかと思うことが多々あります(Ryo Yoshidaさんのツイートより)。子どもと向き合って子育てしている人ならば、本当の意味で「しつけ」をしたいと思っている親ならば、おそらくそう感じたことが必ずあるはずです。子どもと向き合うということは、自分と向き合うということです。それが教育問題の核心だと思います。

教育問題を語ろうとするばらば、まず自分が「教育」の出発点に立っているのかどうか、足下を見つめることから始めないといけません。自分の足下をふり返らずに、子どもを教育しようとするのは、子どものすることです。子どもを教育する立場に立とうとするならば、ぼくらは大人にならないといけません。

沼崎一郎さんのツイート
絶対に操ろうとしないこと、それが相手を人間としてリスペクトすること。子供も人間としてリスペクトし、操ろうという誘惑に負けず、子供を「自由」にすること、それが「教育」の出発点。


子どもが自分の好奇心を自由に広げることができるように、後ろから環境整備をしてやることが親の役割なんじゃないかと、息子が2歳になったいまはそう思います。でもこれが存外に難しいんですね。やっぱり今まで自分が生きてきた価値観とか常識とか、あるいは時間とか云うものさしが働いてしまうから。沼崎さんの言うように、それは「誘惑」だと思うんです。子どもの目線で、いま何が大事なのか、をいつも常に確認し直さないといけない。それくらい、大人はしがらみの中に生きているものなのだと実感します。

もうまもなく、ぼくたち夫婦に第二子が生まれようとしています。いったいどんな子が生まれてくるのか想像もつかないし、自分が娘とどんなふうに接していくのか全くわかりません。布団の中で、わが娘と初対面する瞬間を妄想しながらふと思ったんですが、子どもは生まれた時点ですでに親の尺度を超えてるんじゃないでしょうか。親の思い通りにいくことなんて滅多に無いのがデフォルト。それを苦ととるか(だから操ろうとするか)、楽ととるか(流れに身を任せるか)は親次第ってわけです。

子どもは生まれた時点ですでに親の尺度を超えている。だから子育ては最高におもしろい。最高にクリエイティブ。子どもとあそぶことで、子どもにふり回されることで、凝り固まった大人の脳みそがほぐされます。だから、子どもは子どものままで存在することが、それ自体が唯一無二で、貴重なんですね。

そして、そういう真理が世の中にはちっとも伝わっていないですね。世の親たちはいったい何を伝えてきたのか。しつけ=教育?教育とは強制である(キリッ?バカ言ってんじゃないっつーの。そんなことより、子育ては最高におもしろくて、クリエイティブだということを、これから子どもを持つ人たちに伝えましょうよ。

山中俊人さんのツイート
目の前の採算性だけを考えれば子育てなんかまったく元なんてとれない。だけどそれでは語れない物語がそこから生まれるから親は子どもを育てると。


ツイッターを通して友だちになったパパ友のリアルな(同時代を生きる同世代の)つぶやきには、どんな教育書よりも共感します。型にはめるための教育的観点から見れば「無駄」だけど、ぼくにとっては大事なことばです。

「教育」の出発点(大阪市の保育所面積基準緩和および学童保育予算廃止について)

「教育」の出発点(大阪市の保育所面積基準緩和および学童保育予算廃止について) 2012.04.24 Tuesday [子育て・教育] comments(2)
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うまいまい (2012.05.12)

はじめまして。ツイッターのどなたかへのメンションからお邪魔しました。

素晴らしいです。読んでいて泣けてきました。

橋下氏の子どもへの視線に対しては全く同感で、憤りしか感じません。
でも、自分だってそんなご立派な(子ども思いの)母親ではないのに、
なぜこんなに腹が立つんだろう?という思いもありました。

後半の『「しつけ」と言いながら実は〜』以降の段落で全てが腑に落ちました。

私はぐうたらで、子どももまあ大事だけどぶっちゃけ自分はもっと大事だし、
子どもとちゃんと向き合っているとはとても言えないような母親ですが、
それでも「親の仕事は、子どもが自分の力で生きていけるようにすること」
ただ一点のみと考え、それを目指して子どもと接するようにしています。
しつけも教育も、そのための手段だと思っています。

もちろん、できていないところも多々ありますが、
少なくとも、心掛けてはいます。
この心掛けがあるから、自分の至らなさも見えて
「立派な親でもないのに〜」という矛盾を感じるのだと。

ああ、私はこれでいいのかな、と思えました。
まとまらない感想で失礼しました。

ブログデザイン等もとても読みやすく共感できるところが多いように思いますので、
他の記事もじっくり読ませていただきます。

山やま (2012.05.14)

うまいまいさんコメント&ツイートありがとうございます。
またご自身のことまで書き込んでいただき恐縮です。矛盾を感じるのは、うまいまいさんが子育てを通して自分と向き合っている証拠だと思います。それってやっぱりかけがえのない経験ですよね。
ぼくもぜんぜん立派な親じゃなくて、いかにしてラクにすごすか、いかにしてiPhoneでツイートするかばかり考えているような、基本ぐうたらです。昨日も上の子の利かん坊ぶりに手を焼きまして何度も怒ってしまいました。最初はそうでなくとも、だんだん自分がラクをしたいから怒ってるというのが自分でもわかってきて。毎日まとまらないことばかり考えさせられます。










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