総合こども園という欺瞞と、衰退するマスメディア(子ども・子育て新システムをめぐって)

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5日ほど前に、「子ども・子育て新システム」の関連法案骨子を全閣僚による少子化社会対策会議で決定したというニュースが流れた。このニュースは、「幼稚園と保育所を一体化した「総合こども園」創設を柱とする」という内容で紹介されている。
子ども・子育て新システム:「こども園」法案骨子決定 国と地方の負担1対1 - 毎日新聞

この「子ども・子育て新システム」は、少子化対策の一環として、待機児童問題を解消するための“待った無し”の政策であるというふれこみである。ところが、保育所とくに現場の保育士の多くがこの新システムに反対の声をあげている。上記記事を読んでみても、幼保一体化のはずが、なぜか幼稚園については先送りされている。そもそも定員割れを起こしている幼稚園でも3歳未満の保育を行うことで待機児童を解消するという意味での「幼保一体」じゃなかったっけ? 保育所が総合こども園になることで、どのように待機児童が解消されるのか、その相関関係がまったくわからないのだけど、ぼくのあたまが悪いんだろうか。さらには待機児童の8割以上を占める3歳未満児の受け入れが総合こども園には義務づけられていないとのこと。で、いろいろと調べていくと「幼保一体化」や「総合こども園」という政策の「看板」が実はスケープゴートであることに気づく。これについては後述する。


『バンキシャ』で少子化対策について語る野田首相

日曜日、笑点からの流れでたまたまチャンネルを付けていた『バンキシャ』に野田首相が出演していた。仮にも一国の首相が出演しているというのに、どうせ他愛も無い内容だろうなとしか思えず、見る気がほとんど起きないというのは、いかにも日テレが「独占取材」してますよ的なオープニングにうさん臭さしか感じられないからなのか、首相自身に対する不信感なのか、福澤アナが時事ネタを読むうさん臭さなのか、近年のテレビ劣化を肌で感じてきた結果として当然であるのか、まあその全部なんだろうけど、にしても自国の首相に対してあきらめの感情しか沸かないとはヒドい話だよなあと思いつつも、「少子化」についての話題が取りあげられていたので少しだけ見てみた。

まずフランスの少子化対策を紹介するVTRが流れる。「少子化対策は国の未来に対する投資である」という旨のコメントが、野田首相ではなく、司会やコメンテーターといった出演陣でもなく、国内の政治家や官僚でもなく、海外の政治家(?だと思うたぶん)の発言として紹介された。ここ、ものすごく大事な部分だと思うのでくり返すけれど、少子化対策とはいったい何なのかという大前提の骨子の部分が、首相自身のことばとして語られるのではなく、誰だかよく知りもしない海外の偉い人のコメント(の翻訳ナレーション)として流れた。もうすでにここからして、首相が少子化対策にどれだけ取り組んでくれるか、期待できそうにないと思わざるを得ない。

フランスはヨーロッパの中でも抜きん出て出生率(合計特殊出生率)が高いことで知られる。とはいえフランスも他国と同様にいちどは出生率が落ち込んだ。それが近年回復しているということで、政府の少子化対策による効果があったのではないかと注目をあびているのだ。

フランスの出生率、またも上昇 差別なき子供重視が国を富ます - JB PRESSによると、国立人口統計研究所はフランスの高い出生率の要因を次のように分析している。
第1に、保育所の充実。子供を預けるのに親の負担が少ないうえに、施設のレベルが高い。
第2に、カップルの形態がフレキシブルで、婚外子が受け入れられやすいこと。
第3に、40歳以上の女性の出産が増えたこと。


フランスでは政府による養育費支援や家族支援手当が定着しているし、妊婦支援や育児休暇を提供する労働法が整備されたこともあり、若いカップルの育児が支援される環境があるのだそうだ(参考記事)。フランスの少子化対策について調べだすと、それだけでとんでもなく長い記事になってしまうので興味のある方は各自でぐぐってみて欲しい。一口に子育て政策と言っても要因はひとつではないだろうし、複雑な要素が絡みあっての結果だと思うので、各自がそれぞれの視点から考察してみる価値はある。(ちなみに北欧の子育て事情については以前この記事に書いた)

また単に政策だけではなく、国民性というか、民族的・文化的な性質もあると思う。個人を基本とするフランスとは異なり、日本では長らく、大家族による共同生活や地域社会のコミュニティといったものが、政府による支援(社会保障)の肩代わりとなってきたわけで、個別の家庭を支援する政策が必要とされてこなかった事情もある。大家族も、地域社会のつながりも機能しなくなってしまった近年、もともと社会保障という意識の薄い日本は孤立と貧困を増大させている。そんな現状にあって少子化対策と一口に言っても、フランスのように社会保障を充実させていくのか、それとも失われた地縁コミュニティを再生していくのか、その両方なのか。大局が示されなければ個別の政策は絵に描いた餅になりかねない。

話を『バンキシャ』に戻すが、同番組のVTRでもフランスの少子化対策への取り組みが紹介されていた。保育所だけではなく、ベビーシッターを雇うのにも補助金が出るので金銭的にはほとんど負担なく子育て・共働きができるそうだ。たしかに日本と比べるとため息しか出ない。子育て世代の若い夫婦も、くたびれた表情をしていたり目が血走ったりしていないようだ(これは主観だけど、彼らは子育てもおおらかに行っており、日本人のように「なにかに追われてる感」が無いように感じた)。

この辺りでようやく野田首相の登場。何をしゃべったかというと、要は、総合こども園の創出で(フランスのように)保育を充実させる、とこれだけ。幼保一体とは何なのか、総合子ども園とは何なのか、具体的にどのような制度設計が行われるのかという説明の無いままに、単に保育を充実させるという「決まり文句」だけなのである。冒頭にも書いたが、幼稚園を差し置いて保育所だけがこども園に移行することと待機児童の解消の間にどんな相関関係があるのか、ぼくはさっぱりわからない。野田首相はもちろんそんなこと説明しないし、テレビに出ている誰も聞きもしない。そもそも総合子ども園とは何なのか、どのような制度変更が行われるのかをろくに説明しないままに、「はたして出来るんですかねえ」なんてしたり顔をするような人しかテレビには出ていないのだ。

結局なにを言いたいのかというと「増税」なんである。保育を充実させるんだから増税もやむなしでしょ、ね、と言いたいのであろう。実際、番組はその後、増税についての話題へと移っていった。なんのことはない、政府と財務省による増税キャンペーンのプロパガンダじゃないか。少子化問題をエサにするとはなんとも腹立たしい。わざわざフランスの事例を直前に流して、今回の「子ども・子育て新システム」によって彼の国のように子育てしやすい環境を整備しますよ、という「イメージ」を植え付けたいだけである。くれぐれもこれは「イメージ」である。だって、子育て支援は国の未来への投資だというのは、フランスの閣僚の言葉である。野田首相は子育て支援について今後の国の大局的な展望を何も言っていない。また、具体的な政策についても「総合こども園」という名前しか言ってない。これも「イメージ」にすぎない。ところが、もっともらしいフレーズと先ほどの他国の言葉が重なると、不思議なことに、総合こども園で保育が充実してつまりは待機児童が解消して、日本も子育てしやすい国に近づくんじゃないかという気になってしまうものである。テレビは「イメージ」を売る装置であり、その伝搬力はすごい。そしてぼくたちの脳は割と簡単に勘違いをしてしまう。

というか、これを書きながらぐぐっていま知ったんだけど、ここではっきり言ってるじゃん。「税制改革関連法案と同時提出になる」って。

新子育て支援 総合こども園創設へ - NHKニュースより
会議の中で、野田総理大臣は「この新システムは、民主党を中心とする政権の真骨頂で社会保障改革の柱だ。税制改革関連法案と同時提出になるので、その準備もしっかりしてほしい。この新システムの意義を国民に広くPRし、法案を通すための総力を結集してほしい」と指示し、必要な法案を消費増税法案と一緒に今月末までに国会に提出し、成立を期す考えを示しました。
政府は今回の支援策を社会保障と税の一体改革の一環と位置づけており、消費税率の10%への引き上げが実現した場合、増収分のうち年に7000億円程度を充てる方針です。
政府はこうした子育て支援策によって少子化に歯止めをかけ、経済成長につなげたい考えです。


えーと、頭がくらくらしてきたんだけど、ぼくのあたまが悪かったらごめん。百歩譲って、子育て支援策のために増税が必要であるとしよう(本当はその支援策が具体的にどうなるのかが大事なんだけど、そこはすっとばして、仮にこの支援策が妥当なものであると考えよう)。で、その場合、「子育て支援策によって少子化に歯止めをかけ」ってのはわかるが、そこからどうやったら「経済成長につなげたい考え」となるんだろうか。それはあまりにすっとばしすぎというか、急に土俵の違う話が出てきてギャグなのかと思ってしまった。蕎麦を食べて、蕎麦湯を飲んで、ふうと一息ついたところに豚カツを出されて、え?え?となってしまった気分。こういうニュースに突っ込みを入れるにはどうしたらいいんだろう。

でもこれ、大まじめなんである。政府がやりたいのは増税であり、経済成長なのである。子育て支援が先にあるわけではなく、増税と経済成長のために子育て支援策が必要なのである。残念ながら、ぼくはそうとしか思えないのだが、穿った見方だろうか。


総合こども園という欺瞞

ここで「子ども・子育て新システム」について整理してみる。なんだかニュースでは「子ども・子育て新システム」=「総合こども園」みたいに語られているが、実はそうではない。こども園は新システムの中の一部にすぎない(それもほとんど形骸化している)。

猪熊弘子さんのツイートより
えーっと、今、NHKニュースで<新システムの「柱」は「総合こども園を作ること」>って報じてるんですけど、そうじゃなくって、ホントの「柱」は給付制にするっていうことですから〜。保育所も介護施設や障害者施設と同じように、自己責任で選べよ、市場化するからさ、ってことですから〜。


この方の指摘は非常に端的に的を得ていると思う。
ぼくは以前このブログで「子ども・子育て新システム」についての記事を書いている。基本的にここで書いたことが思考の土台になっているので、おヒマな方は読んでみてください。
「子ども子育て新システム」その後(2011.10.18)
幼保一元化を含む子ども子育て新システムについて(2010.11.20)

要点をまとめるとだいたい以下のようなところ(弁護士であり一児の父である川口創さんの解説を参考に、ぼくの主観で編纂しています)。

現在、「保育」は児童福祉法のもとで行政が地域の子どもの保育に責任を負うことになっている。そこで公立が原則となるが、民間に委託する形で「認可」保育園が認められている。市町村が「保育の欠ける」子どもを保育する責任を負い、入所を希望する保護者は市町村に申請する。行政が、公立・認可保育園に助成し経済的に支える責任がある。

新制度案では、市町村の保育実施義務を明記した児童福祉法24条が削除され、保護者と施設とが直接契約を結ぶことになっている。「認可」という制度もやめ、一定の基準をクリアすれば「指定」がなされ、保育園の市場化を進める。行政は保育園に直接財政の支出をしない。保護者へ一定の金銭給付がなされるが、保育料は親の収入に関係なく、保育時間に応じて一律に決まる応益負担となる。


つまり、新システムは保育に関して行政の責任を無くす。
市場化するから、あとはサービスを提供する企業と消費者の間でうまくやってね、ということになる。国はあなたの子どもに対して責任を持ちませんよということだ。え、民主党の理念って、子どもを社会で育てるんじゃなかったっけ? あれは遠い昔の世迷い言だったんだろうか。それとも子ども手当だけに付随する売り文句だったのか。

なんでこういう発想になるのか。待機児童の解消が先にあるわけじゃないからだ。政府がいちばんやりたいのは「保育の市場化」なのだ。新システムの、ほんとうの骨子とはそこなのだ。だって、そう考えるとすべてがつながるんだもの。

なんせ、待機児童が何万人もいるということは、掘り起こせばビッグビジネスになるチャンスがあるわけだ。だから「経済成長につなげたい考え」となるのである。保育市場に多くの企業が参入して財界を潤してくださいよということなのだ。つまりこれは経済界が主導する流れなのだ。川口さんも、新システムの議論はそもそも「経済成長戦略」の中で出てきたと指摘する。その上で、(実際には社会保障を削るような方向にもかかわらず)社会保障的な「イメージ」付け(端的に子育て支援=いいこと!という「イメージ」喚起)をすることで増税にまで結びつけたら一石二鳥である。

一億総中流→核家族化→自己実現と、消費の細分化とともに拡大してきた消費市場はもはや頭打ちとなり、資本は新たな市場を求めている。市場になるチャンスのある場所を。規制緩和とか民営化にはそういう一面がある。かつて介護の分野にも市場原理が導入された。介護保険制度は、2005年に財政抑制を目的とした「適正化運動」によって家事援助が大幅に削減され、多くの事業者が廃業・撤退した。多くの高齢者が、生活の支えを奪われる結果となった。

そういった規制緩和の次なるターゲットが「保育市場」というわけなのであろう。これは社会保障という概念を捨て去ることになる。介護の現場が市場化されて「介護ビジネス」になったのと、全く同じことをやろうとしているのが「子ども・子育て新システム」なのだとすれば、待機児童の解消という名目で「保育ビジネス」が展開される。そうなったならば、企業活動だから利益、効率が優先されるのは目に見えている(介護市場がすでに物語っている)。

「貴女らしい保育」とか「ほんとうに大切なものを」とか、きれいな広告もバンバンうたれ一見よさげに映るようになるかもしれない。たぶん、きれいな広告をうち出せる資本をもった大手企業がもてはやされるようになるだろう。いま現場で誠実に働いている保育士たちのように「子どもと向き合う」ことは、利益や効率優先の企業活動の中では、求められなくなるだろう。おそらく、保育現場がワタミ化するんじゃないか。だから現場ではたらく保育士の多くが新システムに反対しているのだろう。

保育現場ではたらくyamadanさんのツイートより
保育が市場化してもてはやされるのは、「安・近・長」の保育所か?保育料が安くて、近くにあって、長時間預かってくれるところ。でも質の向上を目指す我々の現場では、「安・楽・感」の保育所を目指したい。誰もが安心できて、子どもたちが楽しいと思ってくれて、卒園時に感動を味わえるようなところ。


このような意識を持って現場に携わる「プロ」の人たちを切り崩すことになりはしないか。保育現場がワタミ化、パート化しないか。もしそうなったら、犠牲になるのは「子ども」だ。「総合こども園」に関する話でいちばん不安なのは、当の「子ども」にまつわる話が全く出てこないことだ。

川口さんも指摘しているが、もともと保育は「儲かる」業界ではない。「保育市場」で利益を得るにはどうしたって、人件費などを減らしていくしかない。コスト削減のために、保育の現場が非正規職員ばかりになることは充分考えられる。「保育市場」とかんたんに言葉にしてしまったが、「子ども」は商品ではない。工業製品のように数値化して効率や生産性を比べることなどできない。ある意味では、子どもほど理不尽で非生産的な生きものはいない。子どものおもしろさは偶有性にこそある。保育の市場化によって、ひとりひとりの子どもの偶有性と向き合ってまじめに取り組む保育所ほど、潰れていくことになりかねないとぼくは不安に思う。

保育市場への企業参入によるリスクの高さについて、実例を紹介しながら詳しく説明されている記事があったので参考にしたい。
保育園が差押え!民主党の子ども子育て新システム「総合こども園」は幼児を不幸にする - Everyone says I love you !


こうやって見ていくと、「幼保一体化」や「総合こども園」というフレーズは、この政策の目を引く「看板」に過ぎない。それも羊頭狗肉みたいなものだ。幼保一体化と言いながら幼稚園は残したり、待機児童の解消をうたいながら、中身では、待機児童が問題となる3歳未満の子どもの受け入れ義務を導入しないわけだから。

川口創さんのツイートより
保育園は子どもの貧困の防波堤。ここ壊したら、セイフティーネットの底が抜けます。貧困と格差の世代間連鎖が拡大する。

20代30代では不安定雇用が多く、夫の収入だけでは妻子を養えない家庭がかなり多い。50代以上の方たちの時代と違うのです。新システムになると、高い保育料払えず保育園を断念する親がむしろ増え、さらに若い家族が孤立化しかねません。

総合子ども園は、消費税増税のために幼保一体化をしたフリをするために、保育園に看板をかえさせる。新たに子ども園がどんどん作られるわけではない。逆に自治体からの補助金をなくし、親への給付に変える結果、手厚い保育をしてきた保育園ほど経営困難になり潰れていく。


保育現場の崩壊が、杞憂で終わればいいのだが。

ちなみに、池田信夫氏はこども園による待機児童解消に疑問を呈しながらも、「こども園は全面的に規制され」「保育料金は保護者の所得に応じて決まり」など、新システムへの認識に食い違いが見える。
「総合こども園」で待機児童は解消できるのか 池田信夫 - Newsweek

こういうのを読むと、そもそも実際の政策がどのように提案されているのかもよくわからなくなってくる(内閣府のサイトに実際の資料が掲載されているが、お役所的な文章って読む気になれない…)のだが、基本的にぼくはこの池田氏の文章が何を言っているのかよくわからない。池田氏から見れば、あたまが悪いのだと思う。「社会が高齢化する中で幼児教育は重要」という意見には同意するが、待機児童解消を阻害する要因として「保育所の既得権」を挙げるあたりには共感できない。

総合こども園についてはここまで。
長くなってしまったが、ついでに話をもうちょっと続ける。


政治への失望感は誰の責任なのか

ぼくは冒頭で、「自国の首相に対してあきらめの感情しか沸かないとはヒドい話だ」と書いた。これっていったい誰がヒドいのか。首相自身の資質の無さが第一要因だろうか。たしかにそれもある。しかし、はっきり言ってこの国では誰が首相になっても政権運営は大して変わらない。首相さえもシステムの一部に組み込んで、いわゆる既得権益の利に沿うように社会を動かして行くような、そういう仕組みが出来ているからだ。もっと言うなら、首相は官僚の作文を読んでくれる人であれば誰だっていいのである。野田首相の場合は財務省の代弁者にすぎない(だからそれ以上のことは絶対に言わないことがわかる)。政権交代当初は自分のことばで喋っていた(ゆえに宇宙人と揶揄された)鳩山氏が、普天間の迷走の果てに最期には官僚の言葉でしか喋れなくなっていたのは記憶に新しい。すべてを解決してくれるスーパーマンのような人が首相になることを期待してはいけない。仕組みを変えない限りは誰が首相になっても同じなのだ。

首相や閣僚たちよりも、あるいはそれを裏で手に取る霞ヶ関(とはいえ、一口に官僚と言っても、優秀な人や誠実な人だっているはずということも頭には入れておきたい)よりも、「自国の首相に対してあきらめの感情しか沸かない」状況をつくっているいちばんの要因はマスメディアだとぼくは思う。この国の「空気」はマスメディアに支配されている(されていることになっている)。そしてその「空気」は、びっくりするくらい単純で幼稚な「イメージ」で左右されるからだ。

もちろん、「イメージ」だけでものごとをわかった気になってしまう、ぼくたち自身のメディアリテラシーの無さも大きな要因だ。情報を出さない側と、情報を求めない側が、相互補完しているのだ。


メディアリテラシーを拒むマスメディア

はっきり言うと、テレビは「イメージ」しか伝えない。表層だけを切り取って伝えるのは、必ず「編集」という過程を介する媒体の宿命でもある。それがいい場合もあるし悪い場合もある。問題なのは、「マスメディア自身にその自覚が無い」ということだ。

作り手の純然たる「意志」があって、その上で編集された番組はおもしろい。作り手の個性が表出するからだ。必ず「編集」という過程を介する媒体であるマスメディアとは、元来「偏向」しているものなのである。マスメディア自身がそのことをきちんと自覚しているならば、各社の色が出て然るべきであるし、多様な番組が共存することで、視聴者側も整合性が取れる。「偏向報道だ」などというデモも的外れになるだろう。しかし、日本のテレビはなぜか「公正中立」であることを自らの責務と課している。NHKだけでなく、どの民放も「仮想の世論」の顔色をうかがいながら、みんな同じことを喋る。

視聴者側のメディアリテラシーの無さと、テレビ側のもたれ合いは相互補完の関係にある。にわとりが先かたまごが先かという話になるが、しかしこれは情報を出す側であるメディアに責務があるだろう。「公正中立」を装ってみんなが同じことを喋る環境がデフォルトである状態で、視聴者側にメディアリテラシーが身に付くはずもない。

ぼくが今回とくにテレビに辛辣な気持ちになってしまうのは、たまたま最近この本を読んだからかもしれない。



まあ「うさんくさい」組み合わせの対談本である。タイトルの通り、二人とも地上波からは黙殺されてしまった存在なので、テレビ業界に対する恨み節と捉えることもできるかもしれない。しかしぼくは二人が共通して語る、現在のテレビの劣化について一視聴者として大いに共感できるし、その背後に電波利権という存在があるという指摘にも納得できる気がする。電波利権については詳しくは書かない(ぼくもよくわかっていない)。興味のある人はぐぐってみて欲しい。ふだん庶民の味方面をして既得権益を批判しているテレビが、実はいちばんの利権に預かっているという話。

もういちど『バンキシャ』の話に戻るが、ちょっとぐぐればわかるような「子ども・子育て新システム」の具体的な問題点や疑問を、テレビ側の司会者もコメンテーターも誰も指摘しなかった。野田首相の言うことを、能面みたいな顔をして聞いていただけである。それどころか、フランスの例を引き合いに出した編集で、政府の「イメージ」戦略の片棒を担いでいる。総合こども園って何なのか、誰も突っ込まない。ジャーナリズムなど存在しないし、出演者の誰もが子育て政策になんか興味ないのである。つまるところ、この番組は「独占取材」でもなんでもない、政府の広報機関としか思えなかった。

「総合こども園」という看板フレーズで、増税のための「イメージ」戦略を行う。○○というフレーズで○○のためのイメージ戦略を行うという手法は、小泉純一郎氏が「郵政民営化」で大成功して以来、官僚と政治家と広告代理店とマスメディアがスクラムを組んで行う、お決まりのパターンだ。小泉政権当時、若かりしぼくは、郵政民営化の意味もよく知らずに、公務員=怠慢、ゆえに民営化=善い事、という「イメージ」だけで捉えていた。思い起こせば「政権交代」だってそうだったのだろう。あの当時、自分は政権交代の意味をわかっていたのか。そのフレーズの背後にある複雑な世界(その中にいる多種多様な人たちのこと)を、はたして自分がどれだけわかっていたのか、ということを反芻しないといけない。

震災以降、そのことを自問し続けている人は確実に増えている。いまの若い世代が賢くて、驚くほど(ときに上の世代からは物足りないと見られるほどに)謙虚なのは、おそらく自問と内省の中に生きているからではないかと思う。だから表面だけのテレビ番組は見ない若者も多い。自身をきちんと認識できないマスメディアはいずれ衰退していくだろう。


そしてぼく自身が語るべきこと

メディアリテラシーが必要であるという概念、あるいはそういう視点の発想すらできなくなっている「思考停止」状態。カメラのフレームで切り取られた画面の外には、実際には大きくて複雑な世界が広がっている、ということをちょっと立ち止まって「想像」できるかどうか。たったそれだけのことなんだけど。おそらくぼくもインターネットが無ければ、メディアリテラシーなんて言葉に触れることすら無かったかもしれない。

先ほどの本の例でいうと、ぼくはホリエモンの言うことの半分くらいは同意できるし、半分くらいは違うんじゃねーの?と思う。それでいいんである。ホリエモンが善人なのか悪人なのか、あるいは正しいか間違っているかは問題ではない。というか、白か黒かという二元論ではよのなかは説明できない。右か左か、でもない。よのなかは、その中間にある無数のグラデーションで成り立っている。その中で自分の立ち位置をマッピングするために、ぼく(主体)は他者の意見に触れるのである。


ぼくが『バンキシャ』で子育て支援という話題に反応し、このブログで「子ども・子育て新システム」について何度か記事にしているのは、ぼく自身が小さい子を持つ父親という立場であり、2歳の息子をもうすぐ預けることを考えている境遇にあり、つまり保育所の問題が、まさにいま現実の問題として立ちはだかっているからだ。もしそうでなければ好き好んでわざわざ調べたりはしない。テレビか何かでうっすらと耳にして、ああそうなんだ〜、くらいの認識しか持っていなかったであろう。

子育て支援や少子化の問題について、べつに皆に知ってほしいとは思わない。ただ興味がないくせにしたり顔をしたり、「べき論」で語るのはやめて欲しい。テレビか何かで聞きかじった程度の情報で、したり顔をして語るっていうタイプの「議論ごっこ」が、テレビが庶民の代弁者面をして好き勝手している要因でもあり、この国の政治を貶めている要因のひとつであると思う。それで「こうすべき」だなんて一般論で他人を諌めるような発言をするくらいなら、よく知らないからと黙っててもらったほうがよっぽど害がない。つまりこういう現象。

津田大介氏のツイートより
個別の問題を一般化して語ることの気持ちよさって名前はついてないのかな。一般化してドヤ顔する快楽ってツイッター的なもので拡大してる気もする。


この手の「ドヤ顔」が、意外に幅を利かせているのである。そういう人って、自分の立ち位置をマッピングできていない。だから個別の問題をぜんぶ一般論に流し込んでわかったつもりになる。近年のテレビというものはそれを増幅する機械と化している。テレビの世界に埋没すると、実は自分は何も「わかっていない」のだ、ということが「わからなく」なってしまう。

子育てや家事を母親の忍耐力に押し付けておきながら、「政治的」な子育て政策について偉そうに語るのは、ちゃんちゃらおかしい。そういう態度が、政治を腐らせていくのだ。

児童虐待のニュースがある度に、すべてを母親の資質のせいにする風潮がある限り、児童虐待はなくならない。母性神話?親失格?ニュースのあいつだけが? おいおい、そうじゃないだろう。誰もがモンスターになり得るのだ。これは、自分もまがりなりにも育児に参加してみてつくづく身にしみて感じることだ。よのなかのほとんどのことは、やってみなければ「わからない」のである。だから、自分だけはぜったいに虐待なんかしない、と思っている人よりも、いつ自分も虐待してしまうかわからないと不安に思っている人のほうに、ぼくは共感するしそういう人の言うことのほうを信頼する。(くり返すが、そちらが「正しい」というわけではない。そちらに共感するということであり、ぼくは自身をそちら側にマッピングするということである。言うまでもなく主観である。)

さて、ぼく自身が語るべきこととは何なのか。自らが主体となって肉感性を伴った言葉が、政治の場にフィードバックされるにはどうしたらいいのか。それは「話し手」の意志を取り戻すことであり、政治のことを、テレビや新聞の中の出来事から、自分の暮らしや身体、いのちの側に引き寄せるということではないかと思う。

「清く正しい」ことばかり喋るのはやめようぜ、ということ。
嘘こいてんじゃねーよと自分の胸に手をあてて聞いてみること。
目の前の家族の顔をじっと見ること。

そこからでないと、はじまらない。

総合こども園という欺瞞と、衰退するマスメディア(子ども・子育て新システムをめぐって)

総合こども園という欺瞞と、衰退するマスメディア(子ども・子育て新システムをめぐって) 2012.03.07 Wednesday [政治・メディア] comments(0)
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