「共」と「個」

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経済とは「国民経済」であるということを、こないだ発見しました(国益からみるTPP)。国民経済とは、日本国という「共同体」が存続していくためにどうやって食べどうやって生きて行くかという問題であると。じゃあその共同体ってなんぞやっていうと、町内会でも地方自治体でも国もなんでもいいんですが、「東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい」(宮沢賢治『雨ニモマケズ』より)っていう類いのものではないかと、同記事の中で書きました。このことに関して、「共同体」って何なんだろうということをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

先日、雨模様の日曜日。蔵王みはらしの丘公園内にあるはらっぱ館に息子と二人であそびに行きました。雨の日って公園に行くわけにもいかず、小さな子どものいる家庭にとって行動範囲がぐっと限られてしまいます。市町村にひとつぐらい大型の屋内施設もありますが、雨の日はだいたい混雑しており2歳に満たない子を連れて行くにはちょっと…という感じ。はらっぱ館は子ども用の施設というわけではなくて、市民交流の場(公民館に近いのかな)なんですが、その一角にキッズ・スペースがあります。認知度もまだ高くないようで、あまり人が来ないのでぼくはよく利用しているのです。その日は先客が一組。うちの息子よりもすこし大きな男の子と、そのおじいちゃんが大きなブロックで秘密基地を作ってあそんでいました。「こんにちは」と声をかけ、じゃまにならないようにままごとセット(プラスチックの野菜をナイフでぶった切るのが息子のお気に入り)をいじり始めると、どこからともなく「一緒にあそぼ」というおじいちゃんの声。「ほら、一緒にあそんでもらいな」と息子をつっつきながら、徐々に交わってくるあそびの輪。息子は3歳のソウタくんに持参したミニカーを貸してあげ、ソウタくんはぶった切った野菜の半分を息子に「どうぞ」と渡してくれました。そうして秘密基地を巡ったり小さいブロックを出したりしているうちに、いつのまにか選手交代。息子はおじいちゃんとままごとあそび、ぼくはソウタくんと小さいブロックでサーキット場を作っていました。ふだん接している息子とはまた違う月齢の子と接するのはぼくにとっても新鮮でしたし(やさしくていい子でした)、なんというか、他者と交わる息子のすがたをあまり見たことがなかったので、とても胸がいっぱいになってしまいました。純粋に嬉しかった。



このときのソウタくんのおじいちゃんの距離感がとても心地よかったんです。無視するわけでもなく、かといってベタベタするわけでもなく、「一緒にあそぼ」っていうのがごく自然で。何をよく食べるのかとか、子どもを連れて外食なんてできないよねえとか、子育てトークで共感できたのもなんだかほっとして。そういうことがわかるのは、お孫さんのことを普段からよく見ているからなんですよね。なんだかそういう「やさしさ」が行動や言葉の端々に表れているなあと、感心してしまいました(もちろんダメなことはダメと言うけじめも含めて)。イクメンならぬイクジイ、かっこいいなあ。

なんでこんな話を書いたかというと、この体験を通して「共同体」ってこういうことだよなあとしみじみ思ったからです。「東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい」という詩が示すのは、助け合いです。相互扶助、おたがいさま。ただそれって、かわいそうな人がいるから「助けてあげる」という類いのボランティア精神とはちょっと違うと思うんです。

ソウタくんのおじいちゃんは、べつに父子で来ているぼくらをかわいそうだとか思って構ってあげたわけではないでしょう。もっと自然に、ふつうに、一緒にいるんだからあそぼうよっていう、それだけのことだと思います。もしかしたらぼくらのことはもう覚えていないかもしれない。でもそういう態度によって、いやたぶんそういう態度だからこそ、ぼくは嬉しかったし、偏狭になりがちな核家族での子育て生活の中でなんだか救われたような気持ちになりました。

助け合いって、こころの問題っていうよりも、ただそこに「在るもの」なんじゃないか。「共同体」って無理に作らなくてももともとそこに「在るもの」なんじゃないか。

いや、もともと「在ったもの」がなくなったのか。
戦後の経済成長の中で、あるいは失われた20年の中で、共同体は崩壊したのか。

・・・

宮台真司さんと小林武史さんの対談の中に「共同体自治」という話が出てきました。
(ぼくの世代的に小林武史といえば、飛ぶ鳥を落とすヒットメイカー/音楽プロデューサーでした(いまぐぐってはじめて知ったんだけど新庄市出身だったんだ、へえ)。ミスチル、マイラバ、スワロウテイル…。なんかニヒルな人っていうイメージでしたが、さいきんは、というか震災後はこんなことされてたんですね。)

宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな」 - エコレゾウェブより
宮台:
社会学者として言わせていただくと、脱原発・脱化石・自然エネルギーは、単なる電源種の話じゃなく、「エネルギーの共同体自治」の動きです。それが広がった契機は、1986年のチェルノブイリ原発事故で、〈システム〉への過剰依存の恐怖が主題化されました。それに先だって、ヨーロッパでは、1980年代に入るとスローフードの動きがありました。これもオーガニックやトレイサビリティの話じゃなく、「食の共同体自治」の話でした。それが広がった契機は、福祉国家体制の破綻で、やはり〈システム〉への過剰依存の恐怖が主題化されたわけです。

スローフードについて言えば、オーガニック&トレイサビリティは派生的な帰結で、本質は「顔が見える相手に作って売るから、悪いことをする気になれない」「顔が見える相手から買うから、多少安いからといってスーパーで買う気になれない」。難しくいうと「近接性による動機づけで自立的経済圏を回す」。

「食の共同体自治」も「エネルギーの共同体自治」も日本では別物に変形して、「安全な食べ物」や「安全な電源種」の話になる。「自治と共和」ならざる「統制と依存」の話に縮小してしまうわけ。「安全な食べ物」も「安全な電源種」も「もっとちゃんと統制しろ」という馬鹿話にしかなりません。


「共同体自治」っていうのはつまり「顔が見える」同士によるおつきあいっていうことなんですね。当たり前すぎるくらい当たり前のはなしなんだけど。でも現在の日本で共同体が機能しなくなってきているのは、その当たり前が当たり前じゃなくなってしまったからなのかもしれません。
宮台さんが言うには、「自治と共和」が「統制と依存」の話になっちゃう。たとえば、安全な環境を担保するために個人情報を保護するという観点が先に来るような発想からは、事件や犯罪が起こるのは規制が足りないからだという話になって、どんどんセキュリティを締める方向にはたらく。刑は厳罰化の方向に行き、間違いが許されない空気が醸成されていく。個人情報が保護されるから、互いに顔も見えない。そうやってどんどんシステムに依存する体質になり、結果としてとなり近所に誰が住んでいるのかもよくわからないような「共同体のようなもの」が出来上がる。というふうに考えると、そこまで保護して守っている「個人情報」って何なんでしょう。

たとえば、スウェーデンではすべての公文書が公開され世界中の人がアクセス可能であるほかに、個人の名前、住所、生年月日、所得情報なども公的なものとみなされ、公開されているそうです(参考:スウェーデンの情報開示 - ルンルンルンド日記)。フィンランドも個人情報の取り扱いはオープンなようです(参考:フィンランドとー日本の個人情報に関する考察 - かもめノート)。江戸時代の長屋には、どの程度のプライバシーがあったのかわかりませんが、共同生活をおくる上では個人情報保護という概念は生まれ得なかったのではないかと思います。まあ長屋はともかく、北欧の情報公開がなぜ徹底しているかというとそもそも情報は開示されているもので、それをどのように受け取りどのように使うかは個人の選択次第だというコンセンサスが浸透しているからだと思われます。逆になぜ隠す必要があるのかと。

ぼくらが何かを行動しようと思った時に、それに関する情報が必要になります。情報にアクセスしづらいということは、それだけ自分たちで何かを行動しづらいしくみだということです。堅くて丈夫なシステムがあるから大丈夫だろうという「日常の自明性」。原発の安全神話もそうでした。宮台さんは日本の根っこの問題は「自明性への依存」にあると指摘します。

自分たちの生活を自分たちでコントロールできるようにする。そうしないと、どんなにエネルギーやモノを消費できても、僕らの幸福度は上がりません。ギリシア時代から唱導されてきたように、依存ならざる自立の感覚がない限り、人は幸せになれないんです。


もうほんとうにその通りで、震災をきっかに露呈した日本の問題点はすべてこの点に集約されるといっても過言ではないと思います。

バブル崩壊後の「失われた20年」で、日本人の依存体質やきずなの崩壊というものが異様に浮かび上がってきています。それらを憂い、分析し、数えきれないほどの日本人論が語られました。どれもそれなりに説得力のあるものですが、繰り返される「日本人とはかくあるべし」型の言説に、ぼくはさいきん飽きてきたし、胡散臭ささえ感じるようになりました。すべてを自己責任で片付けようとするお説教型の言説では、よのなかはちっとも良くならないということがわかったてきたから。
かつて日本に存在した共同体はどのようにして機能を失ったのか。「失われた20年」のあいだに日本人はたいせつなものを失ったのでしょうか。ぼくは、これは戦後の経済成長に端を発する問題なのではないかと思います。欧米型の自由な競争による市場原理がもたらした帰結といってもいい。

経済成長を続けるためには、市場の拡大が必要です。昨日よりたくさん売ることが資本主義経済の発展だから。たくさん売るためには市場を開拓しないといけない。たくさん買ってもらうためにあの手この手を使うのは、資本主義経済の正当な要請です。日本で戦後に核家族化がすすんだのはなぜか。ライフスタイルの変化や人々の意識の変化が先にあったのではないように思います。日本人はそこまで主体的ではないし、自らの意思で選択した変化であるならばもっとうまくいってるはず。長屋や大家族といった共同体に代わるなんらかのかたちでの共同体が生まれていたはず。でもそうなっていない。

核家族化っていうのは、市場の拡大だと思うんです。「共」よりも「個」のほうが、たくさん売れるから。マイカーや洗濯機や冷蔵庫は一家に一台。テレビは一人に一台。単純な数の論理です。「個」をたいせつにするとか、自分だけの個性とかいう精神的なイメージ付けは、市場の開拓と相性がよかったということじゃないでしょうか。個人主義が蔓延するようになったのは、欧米型の競争原理が市場を席巻するようになったのとリンクしているのではないかと。

市場原理っていうのは数の論理ですし、明晰でわかりやすいものです。白黒はっきりしているし、すぐれたものが残り良くないものは淘汰される。論理的に考えていくと、かならず正しい。日本もその正しさに沿って経済成長を遂げてきました。ただ、その一方でわかりやすくないもの、たとえばぼくがソウタくんのおじいちゃんから受け取ったようなうまく言葉にできないギフトは勘定に入りづらい。ただそこに「在るもの」だなんて曖昧なものは電卓やホワイトボードには書けないから。「正しさ」を追い求めていくと、そういった曖昧なものは淘汰されていく。その結果が、能力主義や個人主義の台頭であり、共同体という機能の崩壊なのではないかと思います。

でもやっぱり人間って群れたがる生き物なんですよね。いくら個人主義だとか言ってもなにかに帰属しないと不安でしょうがない。それが新しいタイプの「共同体のようなもの」を生みます。市場原理(マーケティング)の帰結として、テレビは「みんなこうしてますよ(だからこれを買いましょうね)」と宣伝します。そのアナウンスを共有することでぼくたちはまるで共同体の中にいるような幻想を抱きます。「みんなこうしてる」「みんなと同じだから安心」「みんなが使ってるから大丈夫」…空気を読むことで生まれる共同幻想です。

「共同体」と「共同体のようなもの」を隔てるのは何か。「身体性」だと思います。テレビや雑誌、広告の中で展開される共同幻想は身体をもっていません。身体をもたないので、イデオロギーは際限なく肥大化していきます。マーケティグという名の下で、消費者の意向におもねることを重ねているうちに、発信される共同幻想は主語さえも失ってしまいました。誰のことばなのかぜんぜんわからない。わからないのにそういった「共同体のようなもの」にしかアイデンティティを見いだせなくなってしまった。それが宮台さんの言う「自明性への依存」なのかもしれません。

・・・

311震災後に日本中の至るところに溢れた「がんばろう日本」というキャッチフレーズに違和感を覚えた人が少なからずいると思います。「日本はひとつ」「信じてる」とか真顔で言うCMがぼくは気持ち悪くてしょうがなかった。被災地の当事者にしてみれば、遠いところから自分の手は汚さずにきれいごと言ってるようにしか聞こえないんじゃないか、言ってるほうも自分の善意をキャッチフレーズに投影して自己満足してるだけなんじゃないか、という薄気味悪さをずっと感じてて。そうこうしている間に原発問題が明らかになって日本中が放射能汚染の当事者になっちゃって、それとともに「がんばろう」もフェードアウトしちゃいましたが。

けっきょく「がんばろう」なんていうキャッチフレーズが必要だったのは、被災地以外に住む人たちだけです。それまで依存していた「自明性」や「日常」が、震災による非日常の中で効力を失ってしまったときに、それらに取って代わる共同幻想が必要だったんです。たぶん「ひとつになる」という類いの共同幻想にすがらなければ不安で仕方がなかった。ぼくはそう感じるし、ぼくの中にもそういう気持ちはあった。そのことを認めないと先にすすめないような気がします。身体活動を伴った共同体が助け合いや相互扶助の機能を果たした場では、身体(主語)をもたない共同幻想はウソにしか聞こえないでしょう。

実際の被災地では、ごく自然に助け合いや相互扶助が生まれたというはなしをよく聞きます。震災の直後においてはそういう空気が日本を包んでいました。山形もそうでした。避難所には純粋に善意によるボランティアや炊き出しや支援物資が届きました。被災地の現場では、身体性を担保したローカルなネットワークで、かつて日本にあったようなおらが村の共同体が自然に生まれたということです。

このことは、『思想地図β vol.2』に収録されている津田大介さんのルポタージュがとても参考になります。「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」をテーマに、今回の震災において被災地でソーシャルメディアが果たした役割、これからの関わり方を考察されています。津田さんは震災以降、気仙沼、陸前高田、女川、荒浜、七ヶ浜、相馬などの被災地に足を運び、現地で多くの人々の声を聞いてきたそうです。

ぼくもそうでしたが、地震直後に電話が通じない状況の中、ツイッターで家族の安否確認ができた人もかなりいました。津田さんは「ソーシャルメディアが緊急時の連絡手段として有効に機能する十分に証明された」としています。また様々なデータを踏まえた上で、情報伝達のツールとしても「デマや誤情報の流通はあるものの、マスメディアとは違う情報を入手できる一時情報として、あるいはマスメディアの情報を補完する情報取得源として、ソーシャルメディアが一定の役割を果たしたことは疑いのない事実と言えそうだ」と述べています。

また、東北地方で復興速度が遅く、不満度が高いのは、総じて「平成の大合併」で巨大化した市や町だという津田さんの指摘はとても重要だと思います。合併により肥大化した行政が、被災地住民の細かいニーズをくみ取れず、機能不全を起こしている、と。これは震災前後に限らず、ぼくたちもいろいろな場面で少なからずそういう事態に遭遇したことがあり、実感としてわかるという人が多いのではないでしょうか。

そんな中、市などの行政区よりも小さな地区単位に存在するローカルコミュニティが中心となって、復興プランを作り具体的に動き出しているところもあるそうです。

伊里前地区では高台に山林を所有する住民らが10万平方メートルにも及ぶ土地を地域に提供し、山林を切り開いた高台地区を住宅地として再開発し、集落全体で移住する計画を立てている。この計画を作ったのは、行政ではなくこの地区で強い影響力を持つローカルコミュニティである「伊里前契約会」だ。
伊里前契約会の歴史は古い。元々は江戸時代の元禄六年、この伊里前地区に移り住んだ五人を中心として、お互いの生活を互助し合う「契約講」を作った。そもそも「講」とは、この単語が生まれた平安時代には、同一の信仰を持つ人々による結社・集団のことを指す単語で、この単語や概念が中世に民間に浸透する過程で、様々な信仰集団や相互扶助団体に転用されるようになる。伊里前の契約講もそうした相互扶助団体という位置付けだ。
(p66)

いわき市の豊間も伊里前地区と同様、高台を切り崩して住民ごと移住するという独自の復興プランを掲げ、進めている地域だ。(中略)この復興プランを中心となって進めているのは、豊間地区の鈴木区長だ。伊里前地区のような「講」ではなく、市よりも小さい、自治会的ローカルコミュニティからこの案が生まれた。(p68)


これらはかつての日本に存在した「講」や「消防団」のようにローカルの結びつきが強い共同体であり、震災の直後に生まれた(というか呼び起こされた)、助け合いや相互扶助を基盤とした共同体のかたちです。市民の中から自発的に生まれたローカルコミュニティが、自発的に行動をしようと計画を立てる。しかし、これらの計画を実現するには資金が必要になります。現在の日本では地方自治体、にも大した裁量権が与えられていないから、けっきょくは国の管轄になる。そういった中で行政の反応はやはり鈍いそうです。

行政にまったく頼ることなく、具体的な地域復興の青写真を示し、地権者や住民の了解も取り付ける。震災からわずか二ヶ月でそこまでこぎつけた伊前里地区だが、実際にこのプランが進められるかどうかは不透明な状況だという。(p67)


行政の反応が鈍い。市民の要望に応えてくれない。行政の機能不全は、そこに暮らす人たちのいのちに関わるレベルになってさえも改善されないということが今回の震災で多くの人のもとに明らかになりました。放射能に対する国の対応をみているとあきれるのを通り越して諦めの心境にしかなりません。国が何もしてくれないから地方自治体が独自に動かなきゃならないし、さらにきめ細やかな対応をしようと思ったらもっと小さな単位で動かなきゃならない。

今回の震災をきっかけに、最終的には自分の子どもを守るのは自分しかいないのだという結論に至った親御さんは多いでしょう。それは自分の子さえよければいいという個人主義とは異質のものだと思います。それは自分の選択や行動に責任を持つということです。持たなければならないということに気づくことです。宮台さんの言葉を借りれば「自分たちの生活を自分たちでコントロールできるようにする」ということで「依存ならざる自立の感覚」を持つということです。自立した個が集まることでしか、成熟した民主主義は成り立たちません。それは小沢一郎もずっと言っていることです。自立した個が集まることで、はじめて自立した共同体が生まれます。ソウタくんのおじいちゃんのさり気ないやさしさは、自立した個から生まれるた類いのものであるようにぼくには思えてなりませんでした。


行政に頼れない状況が続く限り、ローカルコミュニティに求められる役割は大きくなると津田さんは指摘します。ローカルコミュニティがローカルコミュニティのまま自立、復興していくためには資金や情報、知恵が必要です。津田さんは、これを実現して行くために、ローカルコミュニティにソーシャルメディアを組み合わせていくことを提唱しています。

物事が決まっていくプロセスがすべて公開されることで透明性が確保され、人々の興味が喚起されていくソーシャルメディアは、ローカルコミュニティを再定義する際に大きな力になる。筆者が東北取材を通して感じたのは、ローカルコミュニティの持つ従来の資産をオープン化した上で、その資産をソーシャルメディアを通じて最大化させることの重要性だ。ローカルコミュニティの再定義とソーシャルメディアを利用した広範囲な情報共有。それこそが、「情報」によって東北復興を実現するための唯一の道だと筆者は信じている。(p72)


身体活動を伴ったおらが村の共同体が解体し、情報流通が大手マスメディアに独占されている状態で、ぼくらが「ひとつになる」ためには、それら大手メディアから発信される共同幻想が必要でした。だから必死で情報を消費した。そうすることでしか、つながっているという安心感を得る術がなかった。ツイッターやフェイスブックといったSNS(ソーシャルメディア)が現れるまでは。

ぼくはフェイスブックをあまり使っていないのでツイッターに限って考えてみますが、タイムラインを流れてくる言葉は、他のメディアに比べるとかなり身体的です。だいたいの人は、その場で思いついたことをつぶやくから。はらへっただの疲れただの。おはようございますとかいう他愛のない挨拶でも、なんだか相手の顔が見える気がします。もちろん思考的なツイートもありますが、それにしても語り手の主語が見える。テレビや新聞のように主語のないツイートを個人がしても意味がないし淘汰されます。これはおもしろい。身体にちかい場所でつながるという感覚が、ツイッターでのつながりにはあるような気がします。これはいままでにはなかった種類のつながりです。

ぼくの場合、こうしてブログを書くようになったのもツイッターをはじめた時期と重なってます。ブログに書くという行為は、ある程度時間をかけて頭の中で考えるっていう行為なんですが、それは日常生活の中で感じたりふと思い浮かんだことをツイッターでつぶやいたり、タイムラインを流れてくることばだったりが起点になっています。つまり、出発点は身体に近いところにある。そうやってブログに書きなぐることで思考が整理され、それはまたつぶやきにフィードバックされる。巡っているなあと実感します。

ツイッターでは、発言主の社会的な権威やステータスはあまり関係ありません。誰をフォローして誰をフォローしないのか、どういった情報につながるか、すべて「わたし」の選択次第です。そこでは宮台さんの言う「依存ならざる自立の感覚」が必須です。あるいは北欧のように、情報をどのように受け取りどのように使うかは個人の選択次第だというコンセンサスが優先される。経済成長を自明のものとして設計された社会からは生まれることのなかった、いままでの日本にないタイプの「場」であると感じています。

津田さんの言う「ソーシャルメディアによるローカルコミュニティの再定義」がもたらすのはどのような共同体なのか、ぼくはまだうまく具体像がイメージできませんが、もしそういった共同体がうまく実現したとしたら、なんだかゆるやかで楽しそうな社会になるんじゃないかと思ってます。ただそこに「在るもの」を、引き出してくれるような…。直感です。

・・・

追記(10/27):
朝日新聞朝刊の論壇時評に掲載された高橋源一郎さんの記事に惹かれました。
祝島からNYへ 希望の共同体を求めて ・高橋源一郎 ほか/朝日新聞より

背負いきれなくなった市場や家族や国家から、高齢者や障害者を筆頭とした「弱者」たちは、ひとりで放り出される。彼らが人間として生きていける社会は、個人を基礎としたまったく新しい共同性の領域だろう、と上野はいう。
それは可能なのか。「希望を持ってよい」と上野はいう。震災の中で、人びとは支え合い、分かちあったではないか。
その共同性への萌芽(ほうが)を、ぼくは、「祝の島」とニューヨークの路上に感じた。ひとごとではない。やがて、ぼくたちもみな老いて「弱者」になるのだから。

「祝の島」とニューヨークの「Occupy Wall Street」デモの中に、源一郎さんが見たものとは。ぼくもその質感を、身体で知りたい。ひとごとではないから。

「共」と「個」

「共」と「個」 2011.10.25 Tuesday [妄想] comments(2)
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愚樵 (2011.10.26)

はじめまして。愚樵と名乗っているものです。記事、興味深く拝見しました。

>「共同体のようなもの」にしかアイデンティティを見いだせなくなってしまった。それが宮台さんの言う「自明性への依存」なのかもしれません。

その通りだと思います。典型はテレビでしょう。テレビは日本国民の「茶の間」に鎮座したよね。身体性を失った「共同体のようなもの」は茶の間を中心に形成されたのだと思います。

一方で、身体性の方は、会社共同体に吸収されていったわけですよね。

昔、日本の共同体では労働は二種類に明確に分離されていたらしいです。すなわち「稼ぎ」と「仕事」(もしくは「務め」)です。現在、労働=稼ぎ=仕事です。

震災で復活したのは、昔の意味での「仕事」でしょう。共同体を維持するための労働です。戦後の日本人は、戦後復興のためもあって「稼ぎ」に集中し「仕事」は行政へ丸投げした。そして「仕事」から得られたはずの「絆」は、茶の間のテレビに吸収されていった。あるいは会社に持っていかれてしまった。

日本に「共同体」を復活させるには、こうした戦後の構造からの依存を断ち切らなければなりません。ソーシャルメディアは果してその役割を担えるのか? 期待はしていますが、私は懐疑的でもあるんです。

いきなりの長文コメント、失礼しました。

山やま (2011.10.26)

愚樵さんはじめまして。
書いてるうちに長くなって自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた記事なのでコメントありがとうございます。

そうか、そうですね、テレビって「茶の間」に鎮座したんですね。
家族って共同体の最小単位だとぼくは思うんですが、「茶の間」っていうのはお母さんが作ってくれたごはんを囲んで家族がぞれぞれの身体を以て集う共同体の場であったわけですよね。そこにテレビが登場して、主役顔をするようになっていくことと、それに伴って家族間の会話が身体性を失っていくことは、もともとあった「共同体」の喪失と「共同体のようなもの」が形成されていくこととリンクしますね。「茶の間」って重要だったんですね。

労働が「稼ぎ」と「仕事(務め)」に分かれるというご指摘はなるほどなあと思いました。共同体を維持していくための「務め」よりも、「稼ぎ」にしか価値を見いだせなくなったということですね。たいへん重要な点だと思います。
やはり、経済成長を自明の前提にした社会構造のデザインが制度疲労を起こしているということだと思いました。ソーシャルメディアだけで社会構造を変えることは無理だと思いますし、デモだけでも変わらない。消費行動の変化をともなう市民運動が必要だと思います。もしかしたら、その中でソーシャルメディアはクチコミ的な役割を担ってくれるかもしれません。テレビを筆頭にするいままでの大メディアはマス的な価値観しか生まなかったけれども、ソーシャルメディアはもっと小さい規模での連帯意識を生むのではないかと。

ツイッターって、ぼくみたいなものぐさな人間にも情報がどんどん入ってきます。ウェブ上であれこれ検索して情報収集するような甲斐性がないので、なるほどこういう考え方もあるのかというような新しい視点が次々と得られるのがぼくにとっての魅力です。それって、多様性への理解を生むと思うし、そうすると小さな単位での共同体への理解(異なる他者への寛容さ)も生まれるように思います。それが直接的に社会構造の変化に結びつくかどうかはわかりませんが、民主主義的な素地の形成には寄与し得るんじゃないかと思ってます。

身体活動を伴うローカルコミュニティにソーシャルメディアがどのように絡み合っていくのか、ぼくにもよくわかりません。ただ、ほんの10年前にはiphoneの存在どころか現在みたいなネット上のネットワークなんて想像もしなかったし、こうしてweb上のコメント欄で他人とやりとりするなんて思いもしませんでした。これからどんな世界が広がっていくのか、未知なだけにわくわくしちゃいます。










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