思想地図β vol.2 -震災以降- 東浩紀 編集長

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合同会社コンテクチュアズ
発売日:2011-09-01



東浩紀氏が編集長を務める言論誌『思想地図β』第2号はずばり震災(もちろん東日本大震災のこと)特集。ずっと気になりつつもなかなか入手できずにいたが、先日ようやく手に入れた。実はまだ全体の3分の1も読み終えていない状況であるが、ちょっとばかり感動してしまったので記しておく。(感動のせいで文体もいつものですます調でなくである調になってしまうことをご容赦ください。どうでもいいことですが。)

これは思想の地図を紡ぐ言論誌であると同時に、ちょっと感動的なものがたりだ。はじめにことわっておくが、ぼくは言論誌というものを生まれてこのかた読んだことが無い。これがはじめてである。元来、小難しい話は苦手なのである。役所が作文した回りくどい文章などまともに読めたためしがない。言論誌なんてのも、そんなふうに何かを難しくこねくりまわすものなんだろうと思っていた。

ところが、この『思想地図β』の記事はどれも驚くほど、すっ、すっと頭に入ってくる。もちろんテーマのせいもあるだろう。震災の影響は半年以上経過したいまでも、ぼくたちの生活の上に重くのしかかっている。3.11の出来事から逃れられる人など日本国の中にだれもいない。それどころか、あの出来事をずっと背負って、あるいは咀嚼できるかどうかはわからないがあの出来事を通過した上で、ぼくたちはこれから生きていくことになる。だれもが無関係ではいられないし、ぼくも日本(東北)に住むひとりだ。

数ある震災のまとめ本の中でも本誌が出色なのは、どれだけ客観的なデータを集めても、様々な寄稿文を掲載しても、東浩紀というひとりの人物が真ん中にいることだ。本誌に掲載されている文章には、明確な主語が存在する。それも現在進行形の。

震災後、ぼくたちはほんとうにいろいろなことを考えた。考えさせられた。考えざるを得ない状況に追い込まれた。いままで当たり前だと思い込み考えようという発想すらなかった事象に、目を向けるということを知った。自分がなんにもわかっていなかったということをたくさん思い知らされた。それは東氏のように言論という世界で言葉を道具にしている知識人にとっても同じであったのであろう。いやむしろ知らないということを知るのが知識人であるのかもしれない。震災以降の東氏のツイートは、決して「ものごとを知っている言論人」としてのそれではなかった。彼自身が初めて知ることがあり、その都度驚きがあり、その都度自己(と家族)を顧みて、ひとりの男として、そして父親として、震災の中での最善の選択を模索しているように見えた。だから、東氏のツイートにぼくは共感した。言論が提示するのは、答えではない。プロセスなのだ。

本誌には東浩紀編集長という明確な主語が存在する。しかし彼とて答えを知っているわけではない。ぼくたちと同じように、とまどったり、悩んだり、立ち止まったり、行ったり来たり、他人の意見を参考にしたり、信じたり信じなかったりしながら、どう生きるのかを選択していく。考えるということは、生きることに他ならない。というか、生きることを前提とせずに考えることはただの言葉遊びにすぎない。本誌の中には、大震災という未曾有の出来事を通過して、東氏自身が身悶えしながら考えるプロセスが刻まれているように思う。つまりこれは東浩紀というひとりの男の生き方なのだ。ちょっと感動的なものがたりなのだ。


まずは東氏による巻頭言。わずか10ページばかりであるが、震災以降にまるで自分が感じてきたさまざまなことが適切な言葉でコンパクトにまとめられているように感じた。東氏のツイートには震災以降とくに共感することが多かったが、ツイッター上での発言の端々から感じていた何かが、ここでいったんの集大成を見たような気がする。巻頭言はこう始まる。

震災でぼくたちはばらばらになってしまった。


3.11に起きた震災直後の日本は、公共心に溢れていた。被害の大小に関わらず隣近所を心配し、ときに助け合い、また遠方から被災地へと手を差し伸べようとする人も後をたたなかった。天災がぼくたちの生活を襲ったときの人々の振る舞いはほぼ善良なものだった。しかし、津波による被害はそのような善意の集まりによって復旧できるほどの規模ではなく、はるかに甚大で、全てをさらってしまった巨大な波の前に立ちすくむしかなかった。そして原発事故、その後の事故対応における政府と東電による人災。放射能の恐怖は被災地のみならず日本全土に及んだ。そんな状況が続く中で、震災直後に存在した(ように見えた)人々の公共心は次第にすがたを消していったように思う。テレビで喧噪される「がんばろう日本」のフレーズだけが空虚に響いた。

被災地の人々は、そんなことを言われなくてもふるさとの復旧、復興を目指してがんばっていた(いまもそうであろう)。しかし被災地から距離のあるぼくは特にこれといってがんばってはいなかった。メディアを中心にして繰り返される「がんばろう」のフレーズがぼくの中では意味を失い空転していた。

原発事故においては、迫り来る放射能におびえながらたいせつな我が子を抱える身としては、けっきょく最終的に家族を守るための判断を下すことができるのは自分でしかないのだということを、様々なメディアの情報あるいは情報の提示のされ方を通して痛感した。被災地の方々には申し訳ないが、自分の家族がなによりも最優先なのだということも確信した。もちろんだからといって被災地のことを全く考慮しないという意味にはならない。しかし優先順位として自分の家族がいちばん先に来るということはぼくは譲れない。だからおそらく「がんばろう」という共同幻想にうさん臭さを感じていたのだ。

事実、原発をめぐる事故対応のまずさや政府・東電の情報開示の問題が明るみに出るにしたがって、ぼくたちは二分されていったように感じる。ツイッターのタイムラインを見ればそれは一目瞭然だ。放射能を恐れる人、恐れない人。恐怖を煽るなと諌める人、安全デマを流すなと言う人。このような甚大な事故を起こしながらもまだ原発推進を掲げる人、原発はもう要らないと言う人。両者が交わることはない。まるでツイッターの夫々のタイムラインのように、分断されているのだ。ソーシャルメディアの登場は、共感の時代だと言われていたが、これではまるで分断の時代である。ソーシャルメディアが分断をもたらしたのであろうか。そうではない。

東氏は巻頭言の中盤でこう述べる。

ぼくはさきほど、震災でぼくたちはばらばらになってしまったと記した。
正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない。
 (中略)
日本人は「みな同じ」でなければ連帯することができなかった。


この巻頭言における核心である。そう、ぼくたちはもともとばらばらだったのだ。ばらばらで何がいけないのかというところから始めないといけない。ソーシャルメディアが分断をもたらしたのではない。ソーシャルメディアはぼくたちの正体を明らかにし、可視化したにすぎない。ぼくたちはもともとばらばらだった(ナンバーワンよりオンリーワンとはそういう意味だろう)し、平等でもなかった。ばらばらだから連帯するのであって、平等だから連帯するのではなかったのだ。「がんばろう日本」とは、本来ばらばらであるはずのぼくたちを無理矢理ひとつのフォーマットに当て嵌めようとする作用をもたらす。それは戦後日本の反映を築く原動力となった一億総中流、みなが平等であるというのと同種の幻想であるように思う。

さて、それではばらばらなぼくたちはいったい「がんばろう」以外にどうやって連帯できるのか。そんなことは誰にもわからない。東氏も「緩慢な死をまえにしたこの国において抽象的な思想の言葉になにができるできるのか、ぼくにはいっこうにその答えはない。だから、おまえはこの特集でなにが言いたいのかと、どのような提案があるのかと、日本の復興にいかに貢献するのかと問われれば、ぼくは口ごもるばかりだ。」と述べている。ある意味では、悲観的かもしれない。けれども、「がんばろう」のようなかりそめのポジティビティよりも、ぼくは東氏の姿勢によっぽど共感する。共感してしまうのだ、どうしようもなく。いったい何ができるのか、という半ばあきらめのような場所から生まれようとする小さな希望をぼくは信じたい。そのほうがずっと誠実だ。東氏はこう続ける。「にもかかわらず、ここに本誌を震災特集号として送るのは、それでも、まがりなりにもそれなりの読者がいるひとりの言論人として、いま震災について語らないよりは語るほうが、言論誌を出版しないよりは出版するほうが、少しは「新しい連帯」の可能性が高まるのではないかと、砕けた物語と錯綜する利害の彼方に新しい意味の可能性が拡がるのではないかと、それだけを素朴に闇雲に信じている、というよりも信じたいからにほかならない。」

ぼくはこの東氏の言葉を全面的に信頼する。というかここでの氏の言葉にちょっと感動した。いや正直に言おう。胸が震えた。

本誌は、東氏が砕けた物語と錯綜する利害の彼方に新しい意味の可能性を見いだそうと、もがき苦しむそのプロセスであり断片集である。つまり現在進行形の東氏そのものである。

ぼくは東氏のことを詳しく知っているわけではない。今年元旦の朝生で見たのがたぶんはじめてで、そのときはおもろいオタクだなあぐらいの認識であったが、震災以降のツイートにはげしく共感することが多く気になり出したという新参者である。思想家としての氏の遍歴もよく知らないし、オタクの世界もよく知らない。だから「あずまん」と呼ばれる彼の魅力というかコアの部分は本誌の中には無いのかもしれない。もしかしたら。ただ、震災以降に氏のツイートに共感することがとても多かった、その言葉を織りなす源となる大事な何かが一貫して本誌を成り立たせているような気がしてならない。

ちなみに東氏によるテキストはこの巻頭言だけであり、誌面の多くは多彩なゲストによる寄稿や対談で成り立っている。ツイッター界の貴公子であり情報ハブを体現する津田大介氏によるソーシャルメディア論、福島の地でことばを紡ぎ続ける和合亮一氏による詩、猪瀬直樹氏と村上隆氏を交えた鼎談、メディアジャーナリスト佐々木俊尚氏によるGov2.0の提言、竹村健太郎氏の文化論、中川恵一氏インタビューなど、かなり読み応えのある内容である。これだけ著名な人を集めて、しかも決して東氏と同じ方向を見ている人ばかりではないわけだから、雑多な内容になりそうな気がするが、にもかかわらず、いや、だからこそ本誌は東氏そのものであるように感じた。

自分以外の思想、場合によっては自分とは相容れないような言葉も、彼はいちど受け止めている。その言葉の端々が、思想家として、あるいは子を持つ父親として、今回の震災とどう向き合っていくかを赤裸々に映しているようにぼくには思えた。東浩紀というひとりの男による、感動的なものがたりであるように思えた。

震災と向き合うとはつまりこういうことなのだ。未曾有の大震災を総括するということは、客観的で定量的なデータを観測することも確かに必要かもしれない。本誌にも様々なデータが掲載されている。しかし例えば、新聞社が編集したようなデータや写真を中心にまとめたような震災特集本には、資料的な価値はあっても主語はない。データそのものには主語がない。データをどのように解釈し、自分の生活と照らし合わせてどのように咀嚼するかは、他ならぬ「ぼく自身」以外の誰もやってはくれない。震災を総括するということはすなわち、自分とは何者であり、これから何を望み、何をしていくのか、を考えることなのだ。

本誌は東氏のものがたりである。東氏が編纂した思想の地図が描かれている。と同時に、「ぼく自身」のものがたりをつくるための羅針盤でもある。「ぼく自身」はぼく自身の地図を描かなければいけない。それは他の誰も描いてはくれないし、他の誰とも同じではない。ぼくたちはもともとばらばらであるからだ。

東氏の言葉を借りれば、年収三億と年収三〇〇万は平等ではないし、東京都民と福島県民は平等ではないし、平成生まれと団塊世代は平等ではないし、独身者と子育て世代も平等ではない。見える世界がそもそも違うのだ。そのことをまず認識しなければ、先に進めないのだ。そのことを認識するのを阻害する要素がいままではたくさんあったのだ。それは消費文化でありイデオロギーであり教育であり。それらを牽引してきたのが新聞テレビといったマスメディアなのだろう。年収三億だろうが年収三〇〇万だろうが、コンビニのお弁当やブランド品などの均一製品の前では同じ貨幣を払うひとりの消費者にすぎない。イデオロギーにも年収の差は関係ない。多様性とは身体性に担保されるという内田樹氏の指摘を思い出す(→生身の弱さについて - 内田樹の研究室)。有限の身体を持っているからこそ、ぼくたちはばらばらであるのだ。そこに多様性が存在する。「可傷性、有限性、脆弱性が「生身の手柄」である。その生身の脆弱性がイデオロギーの暴走を抑止している。そう信じたからこそ、身体を社会関係の基盤にすえることを私たちは求めてきたのである。」と内田氏は述べている。

ところが、日本人は「みな同じ」でなければ連帯することができなかった。だから一億総中流という幻想が必要であり、列強諸国に追いつけ追い越せというスローガンが必要だった。さらには、上記の記事で内田氏が指摘するように「長い自己欺瞞の訓練によって、イデオロギー主導で、ヒステリックになったり、激昂したり、涙ぐんだりできる人間たち」が出現した。そこでは身体さえも「みな同じ」であるというフェイクを演じることが求められた。要は、本来ぼくたちが持っている違いや不平等を超えて、共通して連帯できる何かがあればよかったのだ。

かつてぼくが小学生や中学生だった頃、「昨日のテレビ見た?」というのは定番だった。テレビ番組も現在より酷くなかったし、だいたいみんな同じ番組を見てた。なぜみんなそんなにテレビが好きだったのか。テレビがもたらすのは「連帯感」だったんじゃないか。「昨日のテレビ見た?」っていうのと、現在Twitterのホットキーワードにテレビの話題ばかり出てくるのと、相通じるものを感じる。全国どこでも共通のフォーマットに立つことが出来るということは、それだけ連帯意識を持ちやすいということなのだ。テレビ画面の前では誰もが平等な視聴者であるという事実は、かつて日本が一億総中流という幻想のもとで連帯していた幸福な時代と、「平等」な「連帯」という点で重なる。

つまりそれはどちらも幻想だったということなのだが。誰もが連帯できる最大公約数を追い求めた末に、テレビはけっきょく何も言っていないのと同じになってしまった。いまのテレビは何も言っていない。ただ単に、みんなこれだと連帯できるでしょ?と媚を売るだけのものになってしまった。言い方を変えるとそれをマーケティングと言うんだろうし、政治とカネ(小沢問題)もその帰結なんだろう。テレビがもたらす連帯感は幻想だった。ここ数年、メディアリテラシーについて思いを馳せるうちに、ぼくの中ではそれが明らかになった。ぼくが見たいと思うテレビはこうだ。ぼくたちがばらばらであることをスタートラインにして、その中でほんの一握りの新しい連帯にスポットを当てるような。自分とは何者であり、これから何を望み、何をしていくのか、を考えるための羅針盤となるような。それこそが虚構の連帯意識ではない、新しい連帯を生むのではないだろうか。それはまさに本誌で東氏が試みていることであり、つまりそのような番組を作るには作り手の主語が必要だ。


震災はさまざまなことやものを可視化した。しかし、日本の歴史の中で長らくブラックボックスに覆われていた部分は以前として曖昧模糊としている。これはもちろん政府や官僚がものごとをごまかすことに慣れてしまったからである。と同時に、見ようとしなかったこちらのせいでもある。つまり「ぼく自身」が自分自身から目を背けているからに他ならない。

東氏が本誌で対峙しているのは、未曾有の大震災であると同時に、自分自身でもある。生身の人間として、一児の父として。そこから出てくる言葉にぼくは共感する。そして彼が紡いだ地図を眺めて、ちょっとだけ自らを省みる。

東氏は巻頭言で「思想に何ができるのか」と自らに問うた。この問いが本誌を一貫して貫く姿勢であり、その点において東氏はとても誠実に対峙している。あらゆるものごとを、自分のこととして考えるきっかけを与えてくれるのが思想のちからなのかもしれない。


思想地図β vol.2 -震災以降- 東浩紀 編集長

思想地図β vol.2 -震災以降- 東浩紀 編集長 2011.10.05 Wednesday [読書] comments(0)
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