総括原価方式という「おいしいしくみ」

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おいしいものって、みんな好きですよね。ぼくも好きです。
おいしいものって隠しておきたくなるんですね。自分だけのものにしておきたいから。

原子力村というムラがあります。あるとします。
はじめは小さなムラでしたが、せんそうに負けたクニの人たちを豊かにするカガクギジュツを持った、ゆめときぼうをのせたムラでした。だからクニの偉い人たちはムラにとくべつな贈りものをすることにしました。クニの発展のために。その贈りもの「おいしいしくみ」は思惑通りにおいしいものを生みました。おかげでムラは発展してたくさんのお金が集まりました。ムラにはどんどん人が集まりました。ムラのお金のおかげで周辺の人たちも少しお金を手に入れることができました。そうやってお金が行き届いていたので、総体的にクニはしあわせでした。

時が流れました。50年。ムラはだいぶ大きくなり、住人も増えました。むかしムラに与えられた「おいしいしくみ」もそのままあります。時代はめまぐるしくかわりました。ムラのお金によってムラ周辺がおこぼれに預かりクニがしあわせになるというしくみは役目を終えました。おいしいものを知らない世代の人たちが増えました。クニは苦しみ出しています。ムラにはまだおいしいものがあります。ムラの外ではたくさんの人がおいしいものも食べずにジコセキニンでガンバッテいます。ムラの住人たちは、このおいしさをムラの外のみんなとも分かち合おうとは考えませんでした。だって、ムラの外の人に教えてあげたら、なんだおめーらばっかりそんなおいしいものをひとりで食べてたのかふざけんな、つって、おいしいしくみを取り上げられた挙げ句に、もう二度とおいしいものを食べられなくなるかもしれないからです。

ムラの住人は、おいしいものを食べ続けたいと思いました。自分の家族においしいものを食べさせたいと思いました。おいしいものを得るために「おいしいしくみ」を守らなければならないと思いました。その「おいしいしくみ」とは具体的には「チイキドクセン」「ハツソウデンイッタイ」「ソーカツゲンカホーシキ」というものです。ムラの住人は、ムラにそれらの「おいしいしくみ」があることを隠し続けたため、クニに住むほとんどの人は知りませんでした。もっと正確にいうと、クニの人たちを代弁している風にふるまってきたマスめでぃあの住人たちが「おいしいしくみ」のことを伝えなかったので、クニに住むほとんどの人は知るすべがなかったのです。

今年、げんしりょくはつでんしょで大きな事故がおこりました。ほうしゃのうがクニを襲いました。みんな、ほうしゃのうのことはほとんど知らないので、不安の中でどうしたらいいのかわからないままに暮らしています。ムラの中の人はだいじょうぶだと言い、ムラの外の人はあぶないぜと言います。みんな、ほうしゃのうのことはほとんど知らないので、どちらを信じたらいいのかわかりません。クニに住む多くの人たちは、いままで自分たちがなにも知らなかったということを知りはじめました。

このものがたりのつづきがどうなるのか、まだだれもわかりません。もし自分がそのものがたりの渦中にいると思うならば、ムラを作ってきた「おいしいしくみ」を知ることによって、ものがたりを動かすことができるかもしれません。いくら「だつげんぱつ」を叫んでも、具体的な政策がなければものがたりは動きません。「おいしいしくみ」を解体しなければムラは解体されません。原子力村とは、そういうムラです。あるとするならばですが。


自民党の河野太郎氏はこう言っています。
総括原価方式というのは、すぐにでもやめなきゃいけないものの一つと思ってます。今、日本の電気料金が高いのは、一つには地域独占。もう一つは、今の電力会社は発送電一体で他から託送することができない。そして、総括原価方式という国家社会主義みたいな値決めになってる。この3つをやめれば、日本の電気料金はきちんと市場原理で決まってきますから、今よりはるかに安くなります。

「総括原価方式」「地域独占」「発送電一体」この3つが絡み合って、原子力村を形成しているというわけですね。今回はこの中でも特に「総括原価方式」について調べてみようと思います。河野氏はブログで「電力は、総括原価方式で、必ず利益が出るようになっている。」と指摘しています。知れば知るほど、これはなんという「おいしいしくみ」なんだと唖然としてしまいました。

電気料金がどのように決められるのか、そのしくみがテレビ朝日『モーニングバード』にて放送されました。動画は削除されてしまったようですが、文字起こししてくださってる方が何人もいらっしゃるのでそちらを見てみます。
そもそも電気料金どうやって決めてる?総括原価方式とは?

また、こちらもわかりやすくまとめられています。
電力のコスト計算方式 - よくわかる原子力

「総括原価方式」とは、発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに反映させ、さらにその上に一定の報酬率を上乗せした金額が、電気の販売収入に等しくなるように電気料金を決めるもの。

電気料金収入 = 原価 + 事業報酬(原価 × 4〜3%)

電力会社を経営するすべての費用をコストに転嫁することができる上に、一定の利益率まで保証されているという、決して赤字にならないシステムです。電力会社はどんなにコストがかかろうと、法律によってあらかじめ利益まで保証されているのです。

戦後の荒廃の中から経済復興をはかるために、公益性の高い電力事業を基幹産業として保護育成するためにとられた政策ですので、日本が経済発展をするためには一定の歴史的役割があった方式ということもできます。


ざっくり言うとこういう認識でいいと思います。コストをかければかけるほど利益が上がるという魔法のようなしくみ。

『モーニングバード』の解説によると、原価の中には「適正な原価」(コスト)と、事業報酬率をかける対象となる「レートベース」なるものがあるようです。人件費、燃料費、修繕費などは「適正な原価」に含まれ、特定固定資産や核燃料などは「レートベース」に含まれます。「レートベース」に事業報酬率をかけた金額が、電気事業者の利益になるということのようです。

「レートベース」には特定固定資産が含まれていますから、高額の設備を建てたほうが利益が上がるというしくみになっている。だから原発を建てたがるんですね。日本にはすでに55基も原発があり、その内の11基しか稼働していないのに、まだ新規の原発を作り続けようとするのは、作れば作るほど儲かるしくみになっているからなんですね。電力が足りないとかは関係ないでしょう、現実に1/5しか稼働していないんだから。目的があって建てるわけじゃなくて、建てること自体が目的なんだもの。だって、こんな「おいしいしくみ」やめられるわけないじゃないですか。ぼくもその味を知ってしまったらたぶんやめられないです。となると、原発推進派の方々っていうのは、永遠に原発を作り続けるっていうことを目標にしているのかもしれません。

さらにもっとおかしなことがあります。『モーニングバード』の解説によると、「レートベース」の中には使用済み核燃料が入っています。使用済み燃料を持てば持つほど利益が出るというしくみになっている。これはほんとうに驚きました。世界中の国々が、放射性廃棄物の最終処分について憂慮している中で(関連記事1関連記事2)、核のゴミを持てば持つほど儲かるっていうんだから。そんなしくみの中にいる人たちが放射性廃棄物の最終処分について真剣に考えるわけないですよね。ぼくは、原発の根本的な欠陥であり最大の問題点は放射性廃棄物の最終処分だと思っているので、これはほんとうに愕然とした。六ヶ所って、表向きは再処理工場ってことになってるけど、その技術が完成することにはぜんぜん力が入ってなくて、開発のための費用をかけ続けること(その費用もぜんぶ原価に入るわけですよね)、もっというと単純に使用済み燃料を保管しておくだけのために必要な場所なんじゃないかと思ったり。電力ムラが欲しいのは「核燃料サイクル」そのものというよりも、それによって使用済み燃料も資源になるという「言い訳」ですから。


ここでいったん話もどります。原子力村を形成してきた3つの「おいしいしくみ」について。河野太郎氏は「おいしいしくみ」がここまで維持されてきたことについて、以下のように言っています。

要するにこの3つを守るために、一生懸命自民党には献金し、民主党には労働組合が票を選挙で稼ぎ、天下りを経産省から受け入れ、マスコミはお金を出して黙らせ、ということをやってきたわけですから。
もちろん今までも総括原価方式をおかしいと、これがあるから原子力のような、巨大な投資を必要とするものが、むしろ好まれて入ってくるという議論はありましたけれども、それを止めようとする声は、実は、その利権の構造の中でどんどん薄められてきてしまった、ということが現実だと思います。


つまりは「おいしいしくみ」を守るために、お金をバラまいたということなんですが。このお金ってどこから出て来たものなんでしょうか。

ジャーナリストの上杉隆氏が指摘していたことですが、電力会社っていうのはライバルがいないわけです。地域独占ですから。ところが、毎年巨額の広告費が投入されています。電事連(電気事業連合会。国内の電力会社でつくる業界団体)が大手メディアに投じる広告費は年間800億円(東電で昨年116億円)だそうです。これはパナソニック(700億円)やトヨタ(500億円)を抑えて1位。くり返しますが、ライバル企業のいない地域独占の会社が巨額の広告費を使っているんです。いったいなんのためでしょうか。

震災の起きる前まで、原子力行政について関心のある人は少なかった。なぜなら、原子力発電というものが抱える根本的な問題点や実際のコスト、目に見えないコスト、放射性廃棄物のこと、それからこのような危険性があるとは知らなかったからです。原発は経済的でクリーンなエネルギーであるというイメージ戦略があまりにも定着していたから。疑うという発想すらなかった。ほんらい、ものごとにはいい面とわるい面があります。どんなものでも必ずそうです。万人に良い政策なんてあり得ない。ところが原発に関しては、わるい面がいっさいオモテに出てこなかった。それは巨額の広告費を投入して、原発の安全性やメリットをPRしていたからなんですね。くり返しますが、ライバルがいないのに一生懸命にPRしていたんです。そのイメージは、実情がよくわからないままにぼくらの意識下に刷り込まれていました。

巨額の広告費をいただいている大手メディア側は、スポンサー様の不利益になるようなことは言えません。「反原発の人を使わないでほしい。その場合は基本的に広告を取り下げる」という要請が電事連から各放送局にあったという話もあります。東京電力批判をした上杉隆氏は番組から姿を消しました。原発に批判的な意見を言う学者はオモテ舞台には呼ばれず、学内でも冷遇されていました。原発の事故があってからしばらく、東電はテレビで何度もお詫びのCMを流したそうです。上杉氏は、そんな広告を流す余裕があるなら補償にまわすべきだと言っていましたがまったくそうですよね。フリーのジャーナリストらがいなければ、こういった「おいしいしくみ」をぼくたちは未だに知らずにいたかもしれません。

こうやって湯水のようにお金をバラまくことによって、原発の安全性をアピールしてきた電力会社ですが、この広告費っていうのも原価に含まれるわけですよね。「適正な原価」なのか「レートベース」なのかはわかりませんが、いずれにしても電気料金にて徴収できる金額であるわけです。今までさんざん原子力は安全で必要な技術ですってPRしてきた費用は、けっきょくぼくたちが出していたことになります。もしこれが「レートベース」に含まれているならば、広告費をかければかけるほど利益が出るしくみだったと。つまり原子力は必要ですと言えば言うほど電気代が上がるという、一休さんのトンチみたいな話ですね。そして誰もこれをバラマキと批判しない。大手メディアはすでにムラの住人だから、逆に電力不足をアピールして原子力の必要性を訴えています。

さらに、原価の見積を実際よりも高めに設定して電気料金を水増ししていたという疑いも出てきました。ここまでくるともう驚きませんが。
東電の料金、高めに原価設定か 経営・財務調査委が指摘 - 朝日新聞 2011年9月6日


とまあ、打ち出の小槌のような「総括原価方式」ですが、電力会社の「地域独占」によってこれは魔法になります。つまり消費者は多様な事業者の中から電気を選ぶというようなことができません。電気はインフラとして必要だし、それを買う先もすでに決まっている。その価格も決められている。選択の余地がないわけです。ここに市場原理ははたらきませんので、価格競争もサービス向上も望めません。

そりゃあ、こんなに「おいしいしくみ」を持っていたら、それを利用したいと思うのが人間の性でしょう。それを利用して、自分と自分の家族においしいものを食わせたいと思うのが人間の性でしょう。ぼくもムラ側の人間ならそう思うだろうなあ。これはもう、聖人君子でもない限りはどうしようもない。だからこそ、クールにドライにしくみを適時調整して利益分配をするのが政治の役割のはずです、ほんとは。

河野太郎氏のブログより。ベルギーで開催された再生可能エネルギーについての会議に出席し、EU各国やアジア諸国の代表に対して日本の「原子力村」について説明をした時のことを書いています。

日本の「原子力村」の実情を世界に伝える - 河野太郎ブログ 2011年05月28日より
政治、官僚、学会、メディアが電力とどうつながってきたか、それぞれがどう利権に関わってきたか、日本の「原子力村」の現実は、外国の議員にとっては驚きだったようだ。

スイスの議員から、スイスでも同様の利権構造が存在するという話がでた。スイスでは、議会の決定を住民投票でひっくり返したそうだ。

日本に住んだことのあるイギリス人のジャーナリストが、なぜ、地域独占の電力会社があんなにコマーシャルを出すのか不思議に思っていたが、その謎が解けたと笑っていた。

コストに利益を載せて電力料金を決める総括原価方式の説明では会場から笑いが出た。いかに再生可能エネルギーのコストを下げるか、資本コストを削減するかという議論がグループセッションで行われている中で、コストがいくらかかっても利益を載せて料金で回収できるこのようなシステムがあることにびっくりすると同時に、これでは日本の再生可能エネルギーは進展しないねとみんな同情的だった。


ぼくは「脱原発」に賛同します。

そのために自分自身の生活を見直す必要もあると思っています。原発を見直すということは、戦後の日本がずーっと指針としてきた経済成長という指標そのものを見直すことであり、しあわせとはなにかを問い直すことであり、経済といのちを天秤にかけることであり、つまり一度立ち止まって自分自身の生活をふり返り見つめ直すことであるからです。内省することは地味で苦痛です。でもそれをしない限りは、ぼくたちは大人にはなれない。小田嶋隆さんがこのコラム(これ最高の文章ですね)で言っているように、マッチョな中二病から卒業する必要があります。あきらめて捨てなければならないモノもたくさん出てくるかもしれません。優先順位を自分の手で決める必要があります。ひとりひとりがそういった内省をすることがとても大事で、それが「脱原発」を支える基幹になるマインドだと思います。

しかし、「脱原発」は、みんなの覚悟や善意といった精神論だけでは実現できないと思います。「おいしいしくみ」が存在する限り、ムラはムラの利益を守る方向にはたらきます。これはムラの住人が人間的にどうのこうのという精神論の問題ではなく、構造的にそう機能せざるを得ないからです。既得権益側の人間がとくべつ利権をむさぼることしか考えていない人物ばかりが集まっている悪の巣窟であると考えるのは無理があります。こういう構造の中でこういう立場に置かれたならば、誰だってそうふるまっちゃうでしょ、っていうことです。

「脱原発」を実現するには、しくみを変えることが必要です。しくみを担保するのは法律であり、法律をつくるのは政治であり、政治家を選ぶのはぼくたちです。だから、こういうしくみがあるということを知ることがまず第一歩だと思います。このクニのものがたりのつづきをつくるのはぼくたち自身の選択です。そんな当たり前のことも、ぼくはついさいきんまで知りませんでした。


総括原価方式という「おいしいしくみ」

総括原価方式という「おいしいしくみ」 2011.09.09 Friday [政治・メディア] comments(0)
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