「はたらく」の語意を拡大解釈するってのどう?(いや、あの「働きたくない」ということではない…たぶん)

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はたらかざるもの食うべからず、って言葉があります。ある意味ではそうだし、ある意味ではちょっと違うと思いました。3.11以降とくに顕著になったことですが、ぼくたちは「はたらく」ということの意味をリセットして考えないといけないかもしれません。

「はたらく」ことは大事です。それを通じて社会とコミットするところに、はたらくよろこびがあるのだと思います。社会と何のコミットもせずに、食える人はいないでしょう。だから、はたらかざるもの食うべからず、というのはその通りだと思います。その一方で、日本には「働く」ことが美徳とされる素地があります。それこそ滅私奉公的に働く「おしん型」、とにかく勤勉で深夜残業や付き合いのお酒も厭わない「サラリーマン型」、いいことをすることで社会の役に立ちたい「ボランティア型」など、自分(あるいは家族)を犠牲にしてまでも「がんばって働く」ことが尊いことだという認識がわりと普通にあるように感じます。それはそれで立派なことなんですが、他人にまでそれを強要して値踏みするような陰湿さも同時に含まれていることが多いようにも感じます。「働いてない」人への視線がとても冷たいんですね。むかしは、何をしているのかよくわからないようなアヤしい人がそこら辺をふらふらしている光景ってわりとあったように記憶していますが、たぶんいまはそういうのは許されない。人は見た目じゃないと口では言いながらも、実際には名刺の肩書きが、その人の人格までを決めてしまう雰囲気があります。

気づいた方もいるかもしれませんが、前段落であえて「はたらく」と「働く」を分けて書きました。いままで(とくに戦後の日本を支えてきたメンタリティだと思いますが)は、自国の経済の発展に貢献することが「働く」こととされてきました。「経済」とは、市場経済を指していました。働かざるもの食うべからず、という言葉が使われるのはおもにそういった経済活動を通じた日本の発展のため、という文脈で語られることが多かったように思います。わりと政府寄りの言葉ですよね。欧米列強に追いつけ追い越せで。で、本来はそういう経済の問題なのに、働かざるもの食うべからずという標語によって「働く」ことが道徳とか精神論にすり替わって語られ始めたことで、「働いてない」人への蔑視が始まったのではないでしょうか。

たしかに市場経済は、ぼくたちの社会をかたちづくる上で重要な要素です。それの無い社会はちょっと想像できない。だけども、それが“全て”じゃなくて(行き過ぎた市場原理は、堤未果さんが伝えるアメリカの実態が示している通り)、「経済」ってほんとはもっと広い意味を含んでいるんだと、ぼくは最近ようやくわかりました。金を落とさなくても「はたらいて」いる人はたくさんいる。ある人が何かを行うことによって社会とコミットするならば、社会の形成に少しでも影響を与えるとするならば、かたちがどうあれ「はたらいて」いることになるのではないか。「はたらく」ことって、もっと許容範囲を広く考えたほうがいいんじゃないか。市場原理から逸脱したところで「はたらく」人たち【も】、保障するのが広い意味での「経済」にあたり、その「経済」をつくるのが政治であり、つまりはぼくたちの選択であるのだ。ということをいまなんとなく考えています。

だいたい、市場経済においても実務(実際の働きぶり)とその給与は必ずしも比例しないわけで、市場原理だけに頼っていると最終的にはいかに効率よく利益を上げるかという部分にしか行き着かないということは多々あります。閉じたムラの中で要領のいい奴ばかりが出世していくような日本企業体質からイノベーティブなものが生まれるはずもありません。ま、それはさておき。

「働かない」ものの例として、たとえば小さい子どもを挙げてみましょう。小さな子ども“それ自体”は、お金を稼がないし、経済活動もしない(親がするけど)し、電気も作らないし、どぶさらいもしません。でも、子ども“それ自体”は、めっちゃ「はたらく」のです。自分が親になって、ぼくはこのことを痛感しています。


うーん、ほんとはこれ以上説明するのは野暮なんだけど、子どもがめっちゃ「はたらく」ということの意味をもう少し補足しておきます。結論から言うと、子どもが側にいることで社会とコミットする機会が増えるし、社会とのコミットの仕方も変わってくる、ということです。

今までは近所に誰が住んでいるのかもよく知りませんでしたが、子どもと一緒に散歩をするようになってから、よく挨拶をされたり、声をかけられるようになりました。「おはよう」、「かわいいね」、通りすがりのおばさんも笑顔を向けてくれます。こちらまで嬉しい気持ちになります。なんだ世の中って言うほど殺伐としていないじゃん、と大げさかもしれませんが世界が明るく見えてきます。子どもが生まれる前は、駐車場でのトラブル等で関係がよくなかった近隣の夫婦とも、お互いに子どもが生まれたことで付き合いが生じ、関係が融和しました。親に対する気持ちも変わりました。親は親で、いままで見たことのないような笑顔を孫に向けてくれます。孫の顔を見せるだけで親孝行になるのだと身にしみています。世の中の親御さんたちへの視線も変わりました。いままでは街を歩く子どもを見ても別になんとも思わなかったし、たとえばレストランやデパートで泣き叫ぶ子どもに対しては「うるせーなあ」というぐらいにしか思っていなかった。ところが自分が子育てに携わるようになってからは、街を歩けば子どもにばかり目がいくし、泣いている子どもがいると「しょうがないよね」から「だいじょうぶかな」と心配する気持ちまで出てきました。人って、自分と関係がなくて興味の無いものには冷たいけれども、自分が経験したことにはやさしく見守る気持ちが出てくるものなんですね。親業をやっているというだけで共感するし、多少のことは「まあいいじゃないか」という気持ちになる。他者への寛容さが生まれる。自分たちもまわりに迷惑をかけざるを得ないんだから、多少の迷惑ぐらいは当たり前じゃないかと思える。つまり子どもは、大人と大人をつなぐ「橋渡し」の役目をしてくれる。笑顔の連鎖をはこんでくれる。そういうことを、ぼくは実際に子どもと一緒に生活するようになってから多く感じるようになったんです。

おいなんだそんなことか、と言われるかもしれません。たしかに、世界を股にかけてはたらく大企業から見れば屁みたいなものかもしれません。でも、家族をかたちづくって、町内をかたちづくって、地域社会をかたちづくって、つまりは「共同体」をかたちづくるのは、実はそういったひとつひとつのちいさな個人的な営みだと思うんです。かつてのウーマンリブ運動で「パーソナル・イズ・ポリティカル」という言葉が使われたそうですが、いまこそその言葉の意味を考えてみたいです。

子どもを育てるということは、ほんとうは個人的な営みであると同時に社会的な営みでもあるんですね。子は宝、というのは個人レベルでもそうだし、国のレベルでもそう。だから国はここにもっと財を投じてもいいはずだと思います。たとえばイクメンブームで育児休暇の取得率が上昇しているとの話を聞きますが、あれ休暇っていうけどのほほんとあそんでるわけじゃないですからね。ある意味では職場の仕事よりもしんどい「子育て」という仕事をしているわけです。子どもは国の財産になります。日本は子育てという仕事をしている人に対しての扱いが低いんですね。それは育児・教育に対する公的資金の投入額が先進国の中でもきわめて低いことにも表れています。そう考えると、育児休暇期間中に国からの補助金が支給されるのは大事なことだと思います。


ぼくはいま子育てをしている中で感じることが多いので子どもを例に挙げましたが、金を落とさなくても「はたらいて」いる人というのは、子どもに限ったことじゃありません。ある行為によって社会とコミットするのならば、それは「はたらいて」いると言ってもいいのでは。家事手伝いだって立派に「はたらいて」いることですよ。そういった、一見役に立たない、直接的にはお金を落とさない人たちも「はたらいて」いるんだから「食わして」あげる、つまりそういった人たちの生活を支えるのもまた「経済活動」なのだと理解されるようにならなければ、北欧のような高福祉社会は成り立たないでしょう。

でもこれは高所得世帯の人たちには理解され難いかもしれません。オレが稼いだ金をオレが使って何が悪い。なんでオレが稼いだ金を貧乏人に取られなきゃならないんだ。至極もっともな理屈です。市場経済の観点からすれば、それはごく当然の権利と言えるでしょう。でも実はそうやって富を独占することで得られる利益っていうのは、わずかな世代だけの打ち上げ花火みたいなもので、後には残りません。そうすることで自分の子どもが幸せになるのかどうかさえもわからない。執着心は、森羅万象の原理である「流れ」を滞らせ、澱みを生みます。

市場原理以外のところにも「経済」はあるのだということに“気づく”ことがない限りは、この観念からは逃れられないでしょう。つまりこれはひとりひとりの内面の問題で、どれだけ他者に対して寛容になれるかということなのだと思います。市場原理からドロップアウトした「落ちこぼれ」を、すくい上げるのではなくてそのまま許容すること。それが出来るかどうかっていうのが、その国の民主主義の成熟度に関わってくるのではないかと…まだはっきりとはわかりませんが。

資本主義国同士の競争社会から一足先に降りて、独自の道を歩き始めたオランダが、かつて「オランダ病」と揶揄された時期を経ていまは「オランダの奇跡」と呼ばれるほど「豊かな」国になったのは、ワークライフバランスを見直し、子どもたちの「育ち」を大切にしたところにあります。興味深い先例だと思います。


「はたらく」の語意を拡大解釈するってのどう?(いや、あの「働きたくない」ということではない…たぶん)

「はたらく」の語意を拡大解釈するってのどう?(いや、あの「働きたくない」ということではない…たぶん) 2011.08.09 Tuesday [妄想] comments(0)
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