中央と地方と原子力行政

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ロッキンオンの渋谷陽一氏がつくる総合誌『SIGHT』。季刊なので、ようやくという印象ですが、今号はいよいよ原発特集。保坂展人氏や飯田哲也氏、藤原帰一氏、上杉隆氏などのロングインタビューはなかなか読み応えがあります。



同誌の中でもぼくが毎回楽しみにしているのが、内田樹×高橋源一郎による対談。内田さんは「源ちゃんとの床屋政談」といっていますが、想像力(妄想力?)豊かに政治的イシューの背後を読み取るおふたりにいつも脱帽しています。今回は震災のこと、とりわけ福島原発のことについてのはなしがメインでした。その中でも、他ではあまり聞かれないようなおもしろい捉え方をされていた箇所に目からウロコだったので、ちょこっと転載します。

内田 まず何で東京電力の原発が遠い福島にあるんだと思うでしょう。
高橋 そう。それも問題だよね。
内田 震災直後に、ロジティクスがガタガタで被災地に救援物資が届かないという話が出たときも。そう言えば、東北新幹線が通ったのだって、ごく最近なんだよね。高速道路も整備されていない。物流のためのバイパスもない。そういうのは、震災が突き付けた「問題」ではなくて、震災以前から続いていた、この地域の社会的インフラの未整備という政策の「答え」なんだよ。他の地方に比べて東北はほとんど半世紀遅れてる。インフラ整備でずっと中央政府から冷や飯食わされてきたから。
それに今回の被災地って、戊辰戦争のときの東北の列藩同盟とだいたい重なるでしょう。特に会津藩は徹底的に迫害されて、下北半島の斗南に移された。その斗南藩に今、六ヶ所村があるんだよ。
高橋 すごいよねえ
内田 つまり、戊辰戦争以降の150年の、日本の中央政府の東北差別の歴史があって、福島の原発もその中にある。原発があるところって、だいたい明治政府から冷遇されてきたところでしょう。戊辰の戦いで徳川幕府の側に回ったか、官軍についたかは、そのあとの公共投資にずいぶん大きな差別をもたらしたと思うよ。原発があるところって、要するに地場の産業が育っていない、雇用がないところでしょう。産業がないから、原発でも誘致する以外にないというところまで追いつめられたところに選択的に原発がある。
高橋 いや、まったくそう。小熊英二さんが「東北は米どころというが、これは最近のことだ」っていうんですね。米は熱帯地のものだから、東北や北海道は稲作に適していない。じゃあどこで米を作ってたかというと、台湾とか。
内田 へえー、そうなんだ
高橋 つまり、植民地で作っていた。でも戦争で負けて植民地を失ったので、東北で作るしかなくなった。
内田 ひどい話だねえ…だから必死で品種改良したんだ。
高橋 そう。こういった問題はどれも、日本近代150年の歴史を踏まえて考えなきゃならない。敗戦の66年前あたりまで遡ればいいと思ったら、150年くらい前に遡らないと、本当にはこの震災の話はできないってことに、だんだん気がついてきた。

 (中略)

高橋 責任者がいるんだよね。だから、その責任者は誰かって話をしていかないとダメなんだ、って気づくのに少し時間がかかった。たとえば、今回の震災まで、印刷用紙って東北で作ってるって知らなかった。そういう工業もみんな東北で、先端工業も結構東北なんだよね。でも、そういうシステムになっていることを、東京に住んでいる僕たちはほとんど知らなかった。
内田 テレビのニュースでさ、震災直後にニュースキャスターが「意外なことに日本のさまざまな産業の基幹部分は東北に工場があるんですよね」って言ったの。そしたらテレビ画面の中でもみんな、「へえ、そうだったんですか!」ってリアクションするわけよ。意外なんだよ。それは前提として「東北に近代的な工業なんかないと思っていました」って僕たちが思っていたからでしょう。
高橋 (笑)。「米つくってるぐらいでしょ?」っていう。
内田 そういう本音がこういうときに無意識のうちに露出するんだよね。それがあまりに自然な言い方なんで、そういうとらえ方そのものが差別的だということに誰も気づかない。僕だってそのときは気づかなかった。しばらくしてから気づいたの、「…おい!」って(笑)。いかに我々が日本の中の地域差別を自明のものとして受け入れているか。
高橋 軽んじている意識があったかってことだよね。これって基地問題の沖縄に似ててね。

(SIGHT 2011年 08月号 総論対談 内田樹×高橋源一郎 より)


ほんとうはこの後も、すごく興味深くておもしろくて、めっちゃ核心をつく対談が続くのですが、中央と地方の関係について考えたいので抜粋はここまで。

さて、原発の立地が戊辰戦争での負けた側に多いという記述は、実際の立地状況と照らし合わせてどうなんだろう。とぐぐってみたら、ブログでまとめてくださっている人がいましたので紹介。
原発のある場所 - aki's STOCKTAKING
原発の場所 - ミサイルがウィンナーだったなら

100%そうだとは言えませんが、そういう傾向があることは確かなようです。それが偶然なのか意図的なのかはぼくには分かりませんけれども。「原発があるところって、だいたい明治政府から冷遇されてきたところ」などと言うと、いや、こことここと官軍側にも原発はあるじゃないか。と反論する人が必ず出てきます。でも問題なのはその点での完璧な整合性じゃなくて。原子力行政において、政治家や経産省、電力会社がわざと戊辰戦争で負けた側だけを差別的に選択してイジワルしているのだ、ということにこの話の本筋があるわけではありません(それもあるけれども)。それはひとつの象徴であって、話の本筋は「産業がないから、原発でも誘致する以外にないというところまで追いつめられたところに選択的に原発がある。」ということと、「いかに我々が日本の中の地域差別を自明のものとして受け入れているか」ということ。だから、原発を設置するために中央政府はわざと地方を冷遇していったという陰謀説的な話ではなくて(それもあるけれども)、政府にしろ市民にしろ「無意識の冷遇」が積み重ねられた結果として、かの地の産業は先細り、結果として、原発でも誘致する以外にないというところまで追いつめられた、ということだと思うんです。差別は、ぼくたち自身の中に無意識のうちに内在しているんだということ。そっちのほうがこの論点を考える上での本質だと思います。

実際に福島に暮らす人たちは、いまそれを肌で感じているのかもしれません。「差別」という言葉とはすぐには結びつかないかもしれないけど、いままで覆い隠されてきた、当事者である自分たちでさえ気づかないほど、ぼくたちの一部となって広がっていた「根」に。ジャーナリストの堤未果さんのツイートです。

堤未果Twitterより
福島市の高校の先生に話を聞いた「原発事故が起きてから、沖縄の位置づけと自分達が重なるように。関東の水道水から放射性物質が出た時、思わず「これで関東も他人事じゃなくなる」と呟いた自分がいた」被災者とひとくくりにせず、同じ当事者目線で寄り添う事の大切さを改めて胸に刻む。


当たり前のように、自明のものとして、そこに在る差別。
汚い言葉で相手を罵ったり、石を投げたりするような「能動的な差別」だけではなくて、目の前で起こっているものごとを他人事だと思い込むことによる、無知であったり無関心であったりというような「受動的な差別」も、ぼくたちの無意識の中に巣食っているのかもしれません。むしろそっちのほうが、いろいろな問題の根幹を成している根深い原因であるのではないかと。沖縄の基地問題をぼくたちはどれだけ自分のこととして捉えているか。沖縄の基地建設に反対するのは、沖縄の人たちへの同情じゃなく、自分たちのためだと言えるのか。

震災以来、マスメディアで連呼されてきた「がんばろう」のフレーズに、ぼくはずっと違和感を覚えていたんだけど、その理由がさいきんようやくわかりました。「がんばろう」には、寄り添う感情がないからです。どこか高いところであったり、被災地の外側に自分を置いて、そこから叱咤激励しているようなイメージがあって。「日本はつよい国」だとか「日本の力を信じてる」だとか、ほんとうに余計なお世話だと思う。そんなのは自分で勝手に思っていればいいだけのはなしで。いや、もちろん「がんばろう」の言葉にふさわしいくらいに粉骨砕身のはたらきをされている人もいることはわかります。そういう人たちが発する「がんばろう」はじんわりと意味をもつと思う。ただ、ぼくはそこまでできない。だから、もしぼくが同じように「がんばろう」という言葉を安易に口にしたならば、それはウソになるような気がするんです。ただでさえ他人事であったものが、さらに他人事になるような気がする。「日本はひとつ」とか言ってるけれども、それが実は自分の生活とは切り離したところで鳴らされる美麗字句であるならば、それはそういうことを言っている自分に酔っているすぎないし、その字面だけに同調するのも、それだけでなにかいいことをした気になっているにすぎないような気がします。

「日本はひとつ」と言えるほど日本は一枚岩じゃありません。むしろ、多様性こそが成熟社会をかたちづくっていくものだとぼくは思っています。多様性を認めることがすなわち、寛容であることにつながります。寛容であることが、大人が子どもに身を以て示すことのできる「すがた」なんじゃないかと、さいきん思っています。

ところが実際の日本のよのなかは、どんどん寛容さが失われていっています。「日本はひとつ」の大号令のもとに、本来人々がもっている豊かな多様性を封殺しようとしている。その行き着く先は、互いが不信し合って密告し合うような、息苦しい監視社会であることは、アメリカが先んじて実証しているはず(参考:堤未果著『アメリカから<自由>が消える』)なんですが、政府もメディアも一緒になってそういった方向に向かおうとしている。それってなぜなんだというと、明治政府から続く国づくりのマインドがあるからなんですね。ふたたび、先ほどの内田樹×高橋源一郎対談の続きより抜粋します。


内田 前回の地域政党論でも、地域政党の首長たちが、東京・大阪・名古屋にすべての資源を集中せよ、没落しかかっている日本を救うのはこの3都市だっていう主張をしていたでしょう。大都市圏に人も金も物も情報も全部集めて、そこが一点突破で日本を引っ張っていく。それ以外の「田舎」はそれに奉仕すればいい、と。一点突破が成功して、日本のリーディングカンパニーが国際競争力を回復したら、他の地域にもいずれ余沢が及ぶんだから。それまでは過疎化にも産業の空洞化にも耐えろ…っていうのはまさに「中華思想」なんだよ。小平の「先富論」とほとんど変わらない。
高橋 っていうか、第二次世界大戦末期の大本営みたいだよね。
内田 ほんとだよね。だから、前号で話した地域政党の突出と、今回の震災問題における、日本に存在している巨大な格差の問題って、実は同一の構造の裏表だと思うんだ。

(SIGHT 2011年 08月号 総論対談 内田樹×高橋源一郎 より)


原子力行政の根幹をかたちづくっているのは、このマインドですよね。
中央による一点突破と、そのおこぼれにあずかる地方という図式。それはそれでひとつのやり方であるから、それ自体が悪いわけじゃない。実際に戦後の経済成長期においてはそれでうまいこといってたわけです。ただ、あまりにも成功しちゃったので、その成功体験をすべてだと信じてしまった。いいから俺たちに任せておけよ、シロートが口出しすんじゃないよ、っていう。中央にはそういった驕りがあるし、地方はそれで自分のあたまで考えるのをやめちゃった。選挙の結果なんて実際にはなんの効果もなくて、だって政策っていうものは官僚だけが考えるものになってしまっていたから。有権者はずっと負け犬で貧乏くじを引かされていたんですね。このマインドを変えないかぎりは、いくら政権交代したってなにも変わらない。というか、そのマインドを変えるための政権交代だったわけです。これをくり返して、少しずつ変わっていく、はず。

ではそういった地域差別の呪縛から解き放たれて、中央と地方が有機的に絡み合って互いに機能するようなことなんて、可能なんでしょうか。そのための答えはもうわかっています。お互いが自立することです。それは小沢一郎(彼も東北の出身ですね)が言っていたことでもあります。

分権国家の樹立
明治以来の中央集権制度を抜本的に改め、「地方分権国家」を樹立する。中央政府は、外交、防衛、危機管理、治安、基礎的社会保障、基礎的教育、食料自給、食品安全、エネルギー確保、通貨、国家的大規模プロジェクトなどに限定し、その他の行政はすべて地方自治体が行う制度に改める。
また、中央からの個別補助金は全廃し、すべて自主財源として地方自治体に一括交付する。それにより、真の地方自治を実現し、さらに中央・地方とも人件費と補助金にかかわる経費を大幅に削減して、財政の健全化にも資する。
- 小沢一郎ウェブサイトより


つまり、地方のことは地方でやんなさいよ、ということです。すべてを中央政府がコントロールできる「ひもつき補助金」をやめて、自主財源として地方自治体に一括交付することで、あとのことは地方の自主性にゆだねるというのが、小沢氏の言う地方分権の主旨だとぼくは理解しています。そして、そのやり方は地方自治体の自主性を育てるものであり、またその土地に暮らす一市民ひとりひとりの自主性をも育てるものになると思います。いままでは、中央政府までの距離が遠いがゆえに、お金がどのように動いているのかよくわからなかったし、だから生活実感がともなわず、興味も持てなかったし、お上におまかせ、になってしまいがちでした。用途を自分たちで決めることが出来るお金をあずけられるということは、責任が生じます。また、その土地に暮らす人にとっては、その使途が自分たちの生活に直結するという感触を得ることになり、そのお金がどのように使われているのかを見届ける気持ちが出てくるんじゃないでしょうか。そうやって市民から監視されることで、自治体はより有用な使途を考えるようになるでしょう。

逆に言うと、責任の所在を見えないものにして、誰も責任をとらなくても動いてしまう経済至上主義というシステムをつくってきたのが戦後日本の行政であり、それを推進してきた立法府であり、ほんとうに大きな責任については裁かない司法であり、それらを保護して見えないように覆い隠してきたマスメディアであって、それらをすべて含んだ社会構造を象徴するのが原子力行政であったのだと言うことができると思います。それは驚くほど広く病巣のように根をはった構造だった。

脱原発とは、それらの「原子力行政的なる構造」に対するカウンターカルチャーです。
自分たちのことは自分たちでおとしまえをつけること。そういう当たり前のことができるような大人になることです。そういう当たり前のことができるんだよと、次世代の子どもたちに身を以て教えてあげることです。その狼煙は地方から、そして自分の足下からしか生まれません。精神論ではなく、構造的にそうでしかあり得ない。だから、地方分権こそが、脱原発への道になるでしょう。そこからようやく、自分のことを自分で考えるという、ほんとうの民主主義がはじまるんだろうなと思います。それっていうのは、堅苦しくてこむずかしい(だから知らないやつは口をはさむなという)ものではなく、責任があってしょうがなくやるようなめんどくさいものでもなく、自分の手の届く範囲でものごとを考える、ほんとうの意味で創造的で、たのしくておもろくて、持続可能なものになるんじゃないかなあ。そういうよのなかを、そういうよのなかの空気を、次の世代に残したいとぼくは思います。

中央と地方と原子力行政

中央と地方と原子力行政 2011.07.11 Monday [政治・メディア] comments(0)
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