鳩山政権をふり返る(3) 記者会見のオープン化

 このエントリーをはてなブックマークに追加 TOPSY
日本には世にも珍しい記者クラブというものがあります。それはいったいなんなのか、ひと言で言うならば、情報の独占機関です。官邸や各省庁での会見はすべてが記者クラブ主催ということになっています。記者クラブに所属していなければ、会見に参加することすら認められません。この記者クラブというものは、大手メディアが構成している組織であり、他社間との競争もない独占機関ですから、身内による馴れ合いの場になっており、そのくせ自分たちのシマに入って来るよそ者には厳しいのです。各社一斉に横並びで共犯関係にあるため、そのことを市民が知る由もありません。本来、権力を監視し、情報を広く市民に開示するはずのジャーナリズムが、日本では情報を自分たちで独占する既得権益になっている。

ツイッターをインプットメディアとして活用している人は、このことをすでにご存知の方が多いでしょうが、茂木健一郎さんが、2月16日朝の連続ツイート「ひしっ」にて記者クラブ問題について言及していましたので紹介します。

ひしっ(1)上杉隆さん( @uesugitakashi )に最初にお目にかかったのは、波頭亮さん( @ryohatoh)主催の研究会だった。記者クラブ問題をとりあげている方とは聞いていたが、日本のメディアの実態を聞いて、あきれるとともに怒りが込み上げた。

ひしっ(2)小渕首相の時、上杉さんは外国メディアの記者として、インタビューを申し込んだ。小渕さんはいいよ、と言った。ところが、当日になって、「内閣記者会」が、「そのインタビューは認められない」と言ってきたのだという。

ひしっ(3)ぼくは意味がわからず、「何でですか?」と上杉さんに聞いた。「本人がいいと言っているんでしょう?」「それがダメなんですよ。そもそも官邸に入れないんですから」「はあ? 記者クラブというのは、官邸の鍵も管理しているんですか!」

ひしっ(4)上杉隆さんから聞く日本の記者クラブの実態は、カフカの不条理世界だった。「だから、外国通信社の仲間たちはみな、日本にはジャーナリズムがない、と言っていたんですよねえ。」上杉さんは、空は青い、というのと同じ自明の理であるがごとく、ぼそっと言った。

ひしっ(5)ジャーナリズムとは何か。まずは、権力の横暴に抗することだろう。だから、英米の新聞は、ウィキリークスと共同して、国家の暗部を描いた。ところが、日本の新聞は、権力と一体となっての「空気製造器」となっている。上杉さんの言う「記者クラブ」の問題に、それが象徴される。

ひしっ(6)空気製造機と化した日本の新聞は、なぜ、小沢一郎さんに対する一連の攻撃に反発する人たちがいるのか理解できない。だから、「親小沢」だとか「脱小沢」とかレッテルを貼って喜んでいる。自分たちが品性下劣だからと、他人も同じような動機で行動していると思っている。

茂木健一郎Twitterより


上杉隆氏は、10年近くにわたって日本の記者クラブ制度の問題点を指摘し続けて来たジャーナリストです。官房機密費に踏み込んだあたりから、その姿をテレビでは見られなくなりました。都合の悪い人物は出さない、テレビの基本ですね。ぼくは、氏の著書『ジャーナリズム崩壊』を読み、記者クラブという存在をはじめて知りました。1年ほど前のことです。茂木さんと同じように、なんとバカバカしい制度なんだろうと思いましたし、これを大多数の人は知らないのだと思うとおそろしくなりました。詳しく知りたい人はぜひ著書を読んでみてください。

政治報道がわかりにくいのはなぜなのか、わかりました。
政治に何の期待も持てないのはなぜなのか、政治に関心が持てなかったのはなぜなのか、わかりました。記者クラブは、市民の声を代弁しているようなフリをしていますが、けっきょくは自分たちのことしか言ってなかったからです。右だの左だのって自分たちが作り上げた土俵の上での話しかしない。それはぼくにとってぜんぜんリアルじゃない。どうでもいいようなことばかりあげつらって、揚げ足の取り合いばかりで、ほんとうにバカじゃないかと思う。たぶんそう感じている人たちが無党派層と呼ばれ、政治にはなんの期待もしていない。ぼくもそうでした。しかしそれこそ、思うツボ。既得権を守りたい人たちにとっては、現状維持がいちばん都合がいいので、革命なんか起きちゃこまるわけです。だから、政治でなにかが変わると思ってほしくないし、関心をもって欲しくない。だから、政治家個人の無能ぶりをあげつらって構造的問題を矮小化する。決して本質を論じようとはせずに、犯人探しだけに躍起になります。そうやって溜飲を下げることでお茶を濁すだけ。だからメディアが取り上げて来た問題っていうのは、けっきょく何も解決していない。これはどの場面にも当てはまる、メディアがくり返してきた手法です。ふり返ってみるとわかるはずです。

2009年の8月27日、衆議院選挙の直前に書いた記事がありました(→衆議院選挙)。ビデオジャーナリストの神保哲生さんによる著書『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』(政権交代の直前に発行されたものです)を読み、民主党を語る上でのもっとも大切なキーワードは「情報公開(ディスクロージャー)」であると感じたことを覚えています。政府は市民に情報を開示していく。市民は、お上に任せっきりではなく、開示された情報をもとに自分のあたまで国の未来を考えていく。「まかせる政治」から「引き受ける政治」へ、と神保さんは言っていました。この本に出会ったことは、ぼくが政治への関心を高めたきっかけのひとつです。

政権交代を成し遂げ、発足した鳩山政権。閣僚による記者会見は、いままでの政治報道からは感じることのできなかった、新しい風を十分に感じさせる初々しいものでした。官僚の作文ではなく、政治家が自らの言葉で喋り、質問に対してメモを取り、自分で答えていく。政治主導の歴史がここから始まる、そう感じて心躍ったことを、その空気を夫婦で共有したことを、ぼくはとてもよく覚えています。

民主党はその後、記者クラブ以外のジャーナリストにも記者会見を開放する方向を少しずつ実現させていきました。岡田元外相や亀井大臣などが積極的にオープン化をはたらきかけていたことも記憶に新しいところです。フリーライターの畠山理仁さんは、裸一貫で記者会見への参加に挑み続けました。同氏による著書『記者会見ゲリラ戦記』には、政権交代後の記者会見オープン化をめぐる動きが克明に記されています。貴重な資料ですのでこちらもご一読をおすすめします。

そうしてオープン化の気運が高まる中、鳩山政権は歴史的な日を迎えます。
2010年3月26日、鳩山前首相は憲政史上初めて、首相会見をオープン化したのです。条件付きではありましたが、完全オープン化への第一歩であったことは間違いないでしょう。会見内容は首相官邸HPに掲載されています(鳩山内閣総理大臣記者会見)。

上杉隆氏はこの出来事を、2010年日本の政治とメディアに起きた「5つの革命」の中のひとつに挙げています。

3月、鳩山由紀夫前首相が憲政史上初となる首相官邸での記者会見のオープン化に踏み切った。これが二つ目の「革命」である。

 首相会見のオープン化を阻んできた日本のメディアは、いまや中国人ジャーナリストからですら、「反社会的態度」(安替)と名指しで非難されている。そうした世界中からの批判的な目は、日本だけにしかない「記者クラブ制度」の限界を示す、象徴的言葉である。
 (中略)
 首相会見のオープン化は、国民の大部分にとっては、まったくどうでもいいことかもしれない。だが、将来の日本、また日本人にとっては極めて重要な改革の一歩である。

2010年、日本の政治とメディアに起きた「5つの革命」を回顧する - 週刊・上杉隆より


既存メディアがこの出来事を大きく報じることはありませんでした。いままで自分たちが独占していた記者会見がオープン化したことは、彼らにとっては旨味の無い、おもしろくないことだったのでしょう。くり返し確認しておきますが、記者クラブメディアにはジャーナリズムは存在しませんので。

ところで上杉氏は、はじめてフリーの記者に与えられた質問の機会に、敢えて首相に質問をせず、公約を守った鳩山氏に対して御礼を述べるだけに留めました。
「(前略)戦後65年、これまで国民の知る権利、情報公開の立場、会見のオープン化に向けて努力をしてきたすべての人々、それから世界中のジャーナリストに代わって御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。質問はありません。以上です」
なぜ質問をしなかったのだという批判の声もあったようですが、上杉氏は後にその真意を明かしています。

確かに、筆者は「質問」をしなかった。最初に記したように、それは本来ジャーナリズムがすべきことを、内閣総理大臣という権力側の人間に代行してもらっているという点で、何より「御礼」を述べたかったからだ。世界中で、ジャーナリズムが公権力に情報公開を進めるよう圧力を掛けつづけている。ところが日本だけは、公権力側がオープンにしましょうと言っているのに、メディア側がそれを妨げているというまったく異常な状態に置かれ続けている。見事に本末転倒している。

 告白しよう。その本末転倒を知らしめるために、筆者は首相会見の「質問」を確かに利用した。もちろんそれは戦略的に行なったものであり、記者クラブ側の反応も予め想定していたものであった。

 まず「質問」をしないことで、NHKの生中継を観ている国民に、この世の中には「記者クラブ」という問題が存在させることを狙ったのだ。多くの日本国民は、所詮「記者クラブ」はメディア自身の小さな問題でたいした事柄ではないと「洗脳」されている。

 だが、記者クラブ問題は「メディア」の問題ではなく、霞が関および日本の統治機構全体の問題であることは、本コラムの読者であるならば説明は不要であろう。日本のメディアではタブーとなっている「記者クラブ」という文言を、あえて「質問」しないことで浮き上がらせたかったのだ。

オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった筆者の思い - 週刊・上杉隆より


いまや、ツイッターの普及によって、記者クラブの問題は多くの人が知るようになりました(まだまだ拡散の途上かもしれません)。上杉氏をはじめ、長年にわたって記者クラブの構造と闘い続けた人たちの苦労があって、いまぼくたちは様々な情報を得ることができます。上杉氏の言うように、あの「質問」は戦略的であったかもしれません。しかし、その場において鳩山氏と上杉氏の間で交わされた、お互いに対する「敬意」に、ぼくは感動します。「敬意を持って批判せよ」というジャーナリズムの基本を、上杉氏自身が体現していることがよくわかります。ものごとに対する批判と人格批判はべつもの。これはジャーナリストだけではなく、ぼくたち自身の人間関係においても当てはまる、本来当たり前のことだと思います。

鳩山氏は、会見後3月28日のブログでこのように述べています。

今後も、より開かれた官邸、開かれた政権を目指していくために、記者会見の場をより積極的にオープンにしていきます。私や各閣僚の声が、世の中に直接、明確に伝えられていくことを願っています。

記者会見のオープン化について - 鳩山由紀夫 公式ブログ「鳩cafe」より


新しい扉が開かれたーーー
あの時はたしかにそう思えました。いま考えると幸福な瞬間でした。

その後を引き継いだ菅政権の体たらくや片山総務大臣の認識をいちいち指摘していくと暗鬱な気分になるので、ここでは割愛します。もはや自ら変わることの期待できない既存の記者クラブを批判することに見切りをつけて、2011年2月に発足された「自由報道協会(仮)」が、日本におけるジャーナリズムの黎明期となることを願います。

鳩山政権をふり返る(3) 記者会見のオープン化

鳩山政権をふり返る(3) 記者会見のオープン化 2011.02.25 Friday [政治・メディア] comments(0)
このエントリーをはてなブックマークに追加TOPSY









url: http://yamachanblog.under.moo.jp/trackback/218
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...