鳩山政権をふり返る(2) 沖縄米軍の抑止力

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前回の記事では鳩山政権がなにを目指していたのか、その方向性について振り返りました。その中でぼくは、鳩山政権が「日米規制改革委員会」を廃止し「年次改革要望書」を拒否したという事実をもって、鳩山氏(と小沢氏)は戦後50年間自民党政権の上で続いてきた米国依存の体質から脱却して、ふつうの国としての自立を目指していたのだ、という推論にたどり着きました。

さて、そこでいま物議を醸している「抑止力は方便だった」発言について。

普天間問題 海兵隊の抑止力「方便だった」 鳩山氏は「政権最大の難敵」 - 産経新聞
鳩山氏、抑止力発言「方便」認める 普天間移設断念 - 朝日新聞

全国紙ではだいたいこのような報道です。この記事だけで、文脈を読むことは困難です。産経新聞が鳩山氏を責めるのは旧来構造の中でもまだわかりますが、朝日新聞のこのあまりに簡潔な記事からはなんにも読みとれません。あえて言うならば、沖縄問題を鳩山氏個人の資質の問題に矮小化しているという点で、どの全国紙も一致していると言えるでしょう。ここから読みとれるのは、鳩山はバカだなあということだけ。だって、それだけしか情報が掲載されていないのだから。敢えてそうしているのか、紙面の都合なのかは知りませんが。

なぜ、わざわざ鳩山氏は、いま、このような発言をしたのか。
ルーピー扱いをされることなどわかりきっていたはず。それは、鳩山がそんなこともわからないほどのバカだからだよ、と一笑に付すのもひとつの考え方だと思います。でもぼくは鳩山さんが自身のホームページに掲載している「私の政治哲学」という論文を読むかぎり、彼がそんなバカだとは思えません。(前回の記事にも書いたように、キャラ的にも親近感を抱いているもので…)ですので、理由を想像することにします。
なぜ、わざわざいま、このような発言をしたのか。
いや、そもそもなぜ普天間の問題が迷走し、挙げ句の果てに「抑止力がわかった」という発言に至ったのか。あるいはそう言わざるを得ない何かがあったのか。日本が抱える、構造的な問題がそこにあるのではないかとぼくは思います。

はじめにことわっておきますが、ぼくがここでやりたいことは、問題を解決するために犯人を「推理」することではありません。犯人を見つけてハイ解決、ということではない。そういうことではなく、大きな流れというか、文脈を想像することが目的です。そのためにスポットが当てられるのは、自分の塀の外側にある、自分とは無関係な「犯人」ではありません。永田町の政局、人物相関図を知りたいわけじゃない。だいたいぼくは1年ちょっと前まで政治のことなんか無関心でしたので、政界の事情に詳しくもありません。詳細な分析など出来るわけがない。そうじゃなくて、大きな文脈の中で、日本はどういう現状であり、その中で自分はどういう立ち位置にあるのか、自分とは何者であるのか、そういったことを見つめたいと思うのです。日本で暮らして、税金を払ってその庇護下にいるかぎり、日本がどのような国であるかを知る必要があると、ぼくは親になってはじめて思うようになったからです。そういうことをこの歳になるまでまるで知らなかったと思うからです。知らなかったけれども、様々な報道に接した時に感じてきた違和感などが蓄積しています。ぼくは、そういったじぶんの肌感覚を大事にしたい(だから公正で客観的な記事などではなく、極めて個人的な、バイアスのかかった日記です)。それは今までことばにできない類いのものでしたが、ツイッター等を通して同じような感覚を抱く人たちのことばに触れ、言語化されつつあります。こうしてブログを書き付けることで、それまでことばにできなかった違和感を少しずつことばにすることができるようになり、今までグレーだったものごとが少しずつクリアに見えてくるような気がしています。

というわけで、まずは、今回の発言の出典元であるインタビューの内容をきちんと知ることが先決です。以下に掲載されています。
鳩山前首相一問一答 - 琉球新報
全転載するのも何なので、ぼくが気になった箇所をピックアップしていきます。

―外務、防衛両省に新しい発想を受け入れない土壌があったのでは。

 「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦って行くから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと」

「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する存在の当然視があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう」


―県内移設理由として在沖縄米海兵隊の抑止力は唐突感があった。

 「徳之島も駄目で辺野古となった時、理屈付けをしなければならなかった。海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。それを方便と言われれば方便だが。広い意味での抑止力という言葉は使えるなと思った」

「残念ながら沖縄の皆さんに理解してもらえる案にはなっておらず申し訳なく思っている。政府と沖縄との信頼関係が大きく毀損したのは事実で本当に申し訳ない。大変残念だ」


―決着時期を昨年5月とした理由は。

 「米国として(09)年内の決着を期待しているものを1年は延ばせない、せいぜい半年という思いがあった。3月までは予算で動けない。社民党の党内事情もあった。普天間を争点にしたら7月の参院選を戦えない。ゴールデンウイークに米国に行き、(オバマ氏と)直接交渉しようと思っていたが、(政府案が)まとまっていなかった」


―昨年3月の韓国海軍哨戒艦沈没の影響は。

 「現実に北朝鮮の脅威を感じた。ある意味で戦争行為。(移設先が)辺野古に舞い戻らざるを得なくなって来る時の現実の脅威が、てこみたいに働いてきた」


―県内移設の最終判断は。

 「徳之島をあきらめざるを得ないと結論を出した時。4月28日に(元衆院議員の)徳田虎雄氏と会い、(理解を得られず)完全に徳之島が閉ざされた」

 「沖縄と日本政府と米国との3者が協議機関をつくり、政府原案を議論する舞台ができれば乗り切れると思った。5月に仲井真知事と2回目に会った時に、知事選まではできないと言われ、沖縄の理解を得るところまで行かなかったと基本的に観念した」


―今後の交渉は。

 「普天間の移設先も固定化してはいけない。未来永劫(えいごう)、米国の基地として使わせるつもりで造ってはいけないという話は平野官房長官との間では認識していた。沖縄は納得していない。理解を得るためには日米合意には入っていないが、(基地としての使用に期限を設ける)暫定しかない(ようにする)とか、交渉のやり方はあってしかるべきだ」

「(沖縄から)ある程度の距離があっても(米軍が)ワンパッケージであれば、十分、抑止力という言葉で成り立つ」

「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった。オバマ氏も今のままで落ち着かせるしか答えがないというぐらいに多分、(周囲から)インプットされている。日米双方が政治主導になっていなかった」


この人はほんとうに、人がいいというか、それこそバカのつくほど正直な人なんだなあと感じます。これだけあけすけに言っちゃっていいんでしょうか。政治家としてはどうなんだと言われるのももっともですし、ぼくがこの人に惹かれるのもそういった点にあるのだと、得心がいきました。まあそれはともかくとして、当時者である沖縄の新聞はさすがに、このインタビューの内容を踏まえた記事となっています。鳩山氏の軽すぎる発言への不快感を示しながらも、「抑止力」そのものの存在意義を問い、海兵隊の抑止力が方便であるならば、それを基にした日米合意を見直すべきであるという、しごくもっともな論調を展開しています。

「軽い」前首相に怒り 後悔するより日米合意見直しを - 沖縄タイムス
「抑止力は方便」断念理由後付け 鳩山前首相、普天間で証言 - 琉球新報

地元紙と全国紙のこの温度差はなぜか。沖縄の人たちにとってそれは自分たちの問題であるからです。自分たちが暮らしている郷土の、生活そのものだからです。それに対して、本土の人にとっては対岸の火事的な問題であり、既存マスメディアやテレビに出るような評論家や一部の政治家にとっては、政治の道具になればいい問題であるからです。他人事だからです。沖縄のメディアと全国紙の温度差というか、論点のズレはそこにあるでしょう。もっと言うと、沖縄の問題が、ほんとうは日本国民全体にふりかかる問題であるということを、メディアは本土の人間に認識させたくないからでしょう。だから他人事を装ってる。鳩山氏個人の無能に問題の焦点を帰して、それを不満の吐け口にしておけば、日本が抱える構造的な問題から目をそらすことができる。そのほうが都合のいい人たちがいるからです。その先鋒となるのが、今までそのようにして情報を独占してきた「記者クラブ」が発するところの既存メディア。そうやって、政治に失望するような報道ばかりを繰り返すことで、問題の本質を覆い隠し、無関心層を生み出すことに成功してきました。かくいうぼくも無関心でしたから。

これはとても大事な問題です。ぼくは沖縄に縁もゆかりもありませんが、なぜ沖縄のことが大事だと思うのか。それは、沖縄のメディアと全国紙の論点のズレに象徴されるように、日本という国の構造的な問題がここに集約しているように感じるからです。だからこの問題は、あらゆる局面で同じような構図でもって、ぼくたちにふりかかってくる問題であると思うからです。鳩山氏の失言を糾弾するならば、その「抑止力」という言葉がもつ存在意義をなぜいちから問い直さないのか。同盟の基となるアメリカとの関係がなぜクリアに見えてこないのか。

そしてこれがいちばんひっかかる点。沖縄の合意がなければ基地の建設はできないと言っていたはずなのに、現在、高江ではヘリポートの建設が地元住民の反対を押し切って行われている(→高江の現状)のはなぜか。手を繋いで侵入を防ぐ市民たちに、作業員らは体当たりや頭突きで突破しているとのこと。沖縄の基地問題を語る上で、そんな大事なことがどうして報道されないのか。全国紙のどこの一紙も。そこのテレビも。どう考えてもおかしいとぼくは感じます。しかしこのズレは、ずっと長いあいだ続いてきた構図です。内田樹さんは、2010年05月付のブログでその本質的な問いを提示しています。

なぜ、日本国民が結束して米政府に対して「基地は要らない」という要求をなすための合意形成を支援するといういちばん常識的な仕事をメディアは選択的に放棄するのか。
メディアはこの問いに答える義務があると思う。
まだ誰も答えてくれない。

アメリカから見る普天間問題 - 内田樹の研究室より


そう、まさに「選択的に放棄」しているとしか思えません。なぜ、メディアは「基地は要らない」というひとつの選択肢を敢えて放棄するのか。鳩山氏の発言の中にその答えはあります。
「本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。」
米国との間のベースを大事にしたいのは、官僚だけではありません。現状に安住することで自分たちのポジションを保っている人たち。すなわち変化を嫌う人たち。いわゆる既得権益(エスタブリッシュメント)と呼ばれる層です。もちろん電波利権で守られている既存のマスメディアもこの中に入ります。自分たちが変化を嫌うから、政治に関心を持って欲しくないのです。だから、選択的に放棄する。

鳩山政権と菅政権の政策を為す根幹が正反対であるのは、対米姿勢のちがいに原因があるということを前回の記事で述べました。沖縄の問題は、まさにそれを体現するものです。日本の政治的問題、すなわち日本という国が抱える構造的な問題の原因はほぼすべてそこにあるとぼくは思います。鳩山氏は、おなじく日本人の真の自立を目標とする小沢氏とともに、アメリカと霞ヶ関と官邸をつなぐ壁に穴を開けようとした。しかしその壁は予想以上に高く厚く、ほどなくして潰されてしまった。普天間の迷走はまさにそれを象徴する出来事であり、鳩山氏は先のインタビューでそのまんま正直に言っています。

そしてこの構造がやっかいなのは、これがアメリカ側の陰謀によるものである、というわけではなく、日本政府が自らすすんでその道を選んでいるのだという点。それが自民党政権の政治手法における知恵であったのと同時に、いまとなっては日本人の哀しき性であると言えます。


で、ここでようやく「抑止力」について。
軍事評論家でも軍事オタクでもないので、米軍海兵隊の軍事的意味であるとか、北朝鮮や中国の脅威であるとか、そういった具体的なことはわかりませんし、分析するつもりもありません。「抑止力」についてのさまざまな言説に触れる度に、どうもキナ臭いなあとか、よくわからないと感じるばかりで、ぼくにとってはグレーゾーンでした。そのなかで唯一、腑に落ちたのは内田樹さんの論考です。

「それ」の抑止力 - 内田樹の研究室

なぜ、鳩山氏は迷走の果てに「抑止力がわかった」という発言に至ったのか。ぼくは以前にこの内田さんの論考を読んで、心の底からなるほどと思いました。というか、いままでこんなふうに説明してくれる大人はいなかった。既存メディアの枠組みの中では絶対に考えもしなかったでしょう。ほんとうは全部読んでいただきたいのですが、少しだけ抜粋します。

「基地の県外移転」の主張が一気にトーンダウンしたのは鳩山首相が沖縄を訪れたあとの5月4日に記者団に対して述べた次の言葉がきっかけである。
「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」
この言葉に対してマスメディアは一斉に罵倒を浴びせた。
いまさら抑止力の意味がわかったなんてバカじゃないか、と。
私はこのコメントを「不思議」だと思った。
アメリカ軍の抑止力や東アジア戦略のだいたいの枠組みについては、官邸にいたって専門家からいくらでもレクチャーが受けられたはずである。
しかし、そのときのレクチャーでは「分からなかった」ことがあった、と首相は言ったのである。
「抑止力の実態」について、首相は沖縄で米軍当局者から直に聞かされたのである。
聞かされて「あ、『抑止力』って、そのことなのね。あ、それは政権取る前は知るはずがないわ・・・」とびっくりしたのである。
だとすれば、そのときの「抑止力」という語が意味するのは、論理的には一つしかない。
  (中略)
「それ」が抑止力の本体であり、「それ」が沖縄にあるということを日本政府もアメリカ政府も公式には認めることができないものが沖縄にはあるということである。
そのことを野党政治家は知らされていない。
政府の一部と外務省の一部と自衛隊の一部だけがそのことを知っている。


想像力とはすごいものです。文脈を読むとはこういうことを言うのだと思います。
ドンキホーテのように壁に挑み、無惨にも玉砕した鳩山氏の普天間の迷走。迷走が可視化されることによって、このように本質的なはなしがはじめて表に出てきたということは、ある意味では、政権交代がもたらした功績でしょう。未熟であるが故に、ようやく問題の本質が見え始めた。

冷戦下の状況ならばいざ知らず、アメリカ軍が軍備配置的にどうのこうのって本気で考えてる時代なんでしょうか。米軍が日本を守ってくれるなんてイノセンスに考えている人はもう日本にもあまりいないと思いますが、ほんとうに、米軍と日本側の利害が一致した上での日米同盟なんでしょうか。あるいは日本のごく一部側にとっての利害構造なのでしょうか。
必要の無い戦争をすることで、アメリカの軍需産業は潤います。戦争の是非を差し引いてもこれは事実です。イラク戦争の大義名分がフェイクであったことを、その後の世界の人々は想像するようになりました。ウィキリークスの登場はそうした流れの中で必然だったとも言えるでしょう。沖縄に米軍が留まることがアメリカにとっては甘い汁であることは間違いありません。思いやり予算までもらっているのだから。

今回の鳩山発言によっていちばん困るのは、海兵隊の抑止力が方便であることを「選択的に放棄」してきた人たちであるはずです。方便ではないということを正当化するためには、その発言をたんなるバカな鳩山氏の失言であるという事実に矮小化することが得策であるということを、彼らはその経験から知っているのでしょう。だから相変わらず「選択的に放棄」し続ける。鳩山氏の発言に対して、沖縄は怒っていると伝えながら、実際の沖縄の現場は伝えない。現場の声というもっとも重要な事実と、日米合意や抑止力そのものの存在意義への「問い」を、全国紙は「選択的に放棄」しているように思います。そうして怒りの矛先をフェイクに向けることで基地は建設されていく。

これが今までの日本のマスメディアの構図でした。しかし、2011年の現在、情報を独占するような今までのやり方は通用しなくなる時代に入っています。ツイッターやフェイスブックといったSNSが牽引する、パラダイムシフトとでも言うべき大きな変化が起こっている。既存のマスメディアが一定の法則もとに情報をコントロールしていることに気づく人が増えています。このことを直視できない既存のマスメディアには、エジプトのデモも総括できないでしょう。

沖縄の上原良幸副知事はこう述べています。

「鳩山氏個人の問題ではない。民主党全体でマニフェストに『基地のあり方の見直し』を書いた」「国家戦略室はまさにそのための組織だと期待したが議論がない。自民党も含め、日本自身の安全保障戦略を考えて来なかったツケが沖縄に押し付けられている状況は変わっていない」

上原良幸副知事の発言 沖縄タイムスより


上原さんの言う通り、長いこと日本人は自分とは何者であるかを、見つめてこなかった。めんどくさそうなことについては、とりあえず、見ないようにして、先送りしてきた。それがいまの沖縄の現状を生んでいます。
なぜ沖縄に米軍基地が必要なのか。内田さんが想像したように、沖縄には核があるのか。あるいは、核があるということにしていることによって抑止力たりえていたのか。そもそも抑止力などというものは、誰がどのように測定するのかよくわからないシロモノです。ほんとうに存在するのかどうか、けっきょくのところは誰にもわからないものなんじゃないでしょうか。というか、日本には自衛隊という軍事力があるのに、それは抑止力にはならないのか。ぜんぜんよくわかりません。そういった点がきわめてうやむやにグレーのまま、なんとなくなし崩し的に、沖縄の米軍は存続してきました。

内田樹さんの著書『日本辺境論』にそのような日本人の思考パターンについての記述があります。

衛隊の「矛盾」について、日本人が採用した「思考停止」はその狡知の一つでしょう。九条も自衛隊もどちらもアメリカが戦後日本に「押し付けた」ものです。九条は日本を軍事的に無害化するために、自衛隊は日本を軍事的に有効利用するために。どちらもアメリカの国益にかなうものでした。ですから、九条と自衛隊はアメリカの国策上はまったく無矛盾です。「軍事的に無害かつ有用な国であれ」という命令が、つまり、日本はアメリカの軍事的属国であれということがこの二つの制度の政治的意味です。
この誰の眼にも意味の明らかなメッセージを日本人は矛盾したメッセージにむりやり読み替えた。九条と自衛隊が両立することはありえないと、改憲派も護憲派もお互いの喉笛に食らいつくような勢いで激論を交わしました。アメリカの合理的かつ首尾一貫している対日政策を「矛盾している」と言い張るという技巧された無知によって、日本人は戦後六十五年間にわたって、「アメリカの軍事的属国である」というトラウマ的事実を意識に前景化することを免れてきました。
 (中略)
「非核三原則」もその典型的な事例でしょう。政府は「核兵器を製造せず、装備せず、持ち込ませず」という原則を掲げているけれど、米軍艦は無視して、核兵器を装備したまま、日本の港湾に入って来ている。それを日本政府は「入港前に核兵器だけはずしている」というようなふつうに考えればありえない説明で言い逃れてきた。政治家も官僚もメディアも、みんな核兵器が「持ち込まれていること」を知っていて、知らないふりをした。「アメリカにいいように騙されているバカな国」のふりをすることで、非核三原則と、アメリカによる核兵器持ち込みの間の「矛盾」を糊塗した。ふつう、こんなことはしません(というより、できません)。仮にも一独立国家が「他国に騙されているのがわかっていながら、騙されたふりをしていることで、もっと面倒な事態を先送りする」というような込み入った技は。でも、日本人にはできる。

内田樹『日本辺境論』P68〜69より


このような視点も。
大相撲に八百長があることは、多くの人が知っていながら、同時に勝負を楽しんでいた。「日本には核を持ち込んでいない」というアメリカの説明を「信じたふり」をして事を荒立てないのと似ている。欺瞞とも言えるし、「現実的」対応とも言える。大相撲だけの現象ではないだろう。

上田紀行さんのTwitterより


ここで最初の問いに戻ります。
なぜ、いまになって、鳩山氏は「抑止力は方便」などという発言をしたのか。
もういちど、インタビュー部分を見てみます。

「徳之島も駄目で辺野古となった時、理屈付けをしなければならなかった。海兵隊自身が(沖縄に)存在することが戦争の抑止になると、直接そういうわけではないと思う。海兵隊が欠けると、(陸海空軍の)全てが連関している中で米軍自身が十分な機能を果たせないという意味で抑止力という話になる。それを方便と言われれば方便だが。」

「抑止力」という言葉が、一般的にどのような意味で使われるものなのかを、ぼくはよく知りません。核兵器のことなのか、在日米海兵隊の軍事力のことなのか。上記の発言の中で「抑止力」という言葉は2度出てきます。まず、海兵隊の存在そのものが抑止力となるわけではないということ。それから、全てが連関している中であるならば抑止力であり得ると。インタビューの最後のほうでは「(米軍が)ワンパッケージであれば、十分、抑止力という言葉で成り立つ」とも言っています。後半の部分をどのように読み取るかは意見のわかれるところでしょう。ぼくは、内田さんの意見に納得しつつも、まだよくわかりません。

しかし、いずれにしても前半部分は明確です。「海兵隊」には、抑止力がないということを言っています。すくなくとも「海兵隊」が、日本を守るためということはあり得ないのだと。なぜなら海兵隊とは、「一朝有事のときに米国人を救出する役割だから、存在自体が直接、戦争の抑止、攻撃の抑止になるわけではない」からだそうです(こちらの記事を参照)。さらに本家アメリカでも、国防費削減の中で、海兵隊の在り方自体が問われていると、孫崎享さんは指摘しています(海兵隊削減論が米では支配的)。

だとするならば、日米同盟を金科玉条のように妄信的に崇める位置に戻し、「アメリカの軍事的属国である」ことは決して認めずに、実態としてはアメリカの軍事的属国に「自ら」ならせてくださいと言わんばかりの態度を体現する菅政権はあまりにも滑稽だと言わざるをえません。まずは自分の立ち位置を見つめましょうよ。日本とアメリカの関係を、現状を冷静に見つめましょう。その上でどうするのかを表明すればいい。「今までありがとう。ぼくたちは卒業します。」と言えるようになったときに、はじめて大人同士の付き合いが始まるのではないかと、ぼくは思います。

というようなことを、日本人であるひとりひとりが、考えていかなければ、戦後日本に長らく横たわってきた構造的な問題はひっくり返らない。鳩山氏も小沢氏もそのことはよくわかっているはずです(小沢氏は最近の会見で、日本人ひとりひとりが自立することではじめて自立した日本の民主主義がなりたつとくり返し語っています)。既存メディアに捕われない、ひとりひとりが自分の肌感覚でものを考えて、ツイッターなどでその知を共有することのできる機運が高まっているこの時期だから、鳩山氏は敢えて自らの失態を蒸し返すような発言をしたのではないでしょうか。だから、この沖縄の問題を、ぼくたちひとりひとりが、よく考えてみることがほんとうに大事だと思います。ちょうどそのようにして、自立した市民がソーシャルネットワークでつながったエジプトのデモが親米独裁政権を倒したように。

とぼくはいまはこのように思いますが、あくまでもぜんぶ想像です。


次回は、民主党のキモでもあった情報公開(ディスクロージャー)について。
鳩山政権をふり返る(3) 記者会見のオープン化

鳩山政権をふり返る(2) 沖縄米軍の抑止力

鳩山政権をふり返る(2) 沖縄米軍の抑止力 2011.02.15 Tuesday [政治・メディア] comments(0)
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