おれ、これからもヘラヘラしてよう

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昨日ブログに書いた「子どもを産み育てるという女性の本能を信奉する女系社会」において、男というものはどういう存在であるのか。昨日の記事の最後のほうに、「じゃあ男ってなんなのさ、と拗ねる必要はありません。バカはバカでも愛されるバカでいればいいんです。いい加減にいいかげんで。なんだかそのほうが楽しそうな気がするなあ。」そう書きました。そういった「かっこいい大人」のロールモデルとしてぼくは、このブログでも度々記事にしているユニコーンや電気グルーヴなどが頭に浮かびます。そして今回は、笑福亭鶴瓶さんについて。

今年のお正月に、ほぼ日に掲載された「新春おいわい対談」を読んでみます。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 鶴瓶さんと。ネアカ元気で、へこたれず。

鶴瓶さんのことを知らない人はいないと思いますが、いつもヘラヘラしてるおっちゃんです。いや、ぼくもたまにテレビで見るくらいで詳しいことはよく知りません。ただ、この対談はとてもおもしろかった。というか、たのしかった。対談を活字にした文字を読んでいるだけなのに、なんでこんなたのしい感じがするんだろうなと思ったら、文字を追いながらも、鶴瓶さんのあのヘラヘラした顔が目に浮かんでいるからなのだと気づきました。

このおっちゃんは、いい歳してこんなにヘラヘラして、テレビを観てるだけではなんだか軽薄な感じも受けたりしますが、そんなことなかった。なんでこんなヘラヘラしていられるのか、その秘密が語られていました。

鶴瓶 この前なんか、ぼくね、あるひとに、えっらい怒られたんです。
糸井 ほう。
鶴瓶 来年60でっせ、ぼく。えっらい怒られたんです。
糸井 え? なぜ‥‥
鶴瓶 怒られた。
糸井 な、なんでですか?(笑)
鶴瓶 ‥‥いやいや、ものすごい怒られたんです。
一同 (笑)

(中略)

糸井 あれですよね。誰にも迷惑かけず、ただ踊っているだけでも、
   自分が腹が痛いときはその踊りに腹が立つじゃないですか。
鶴瓶 そうですね、腹立ちます、こっちが具合悪いときは。
糸井 だから、鶴瓶さんは踊ってる人なんですよ(笑)。
鶴瓶 踊ってる人なんやね。もう‥‥えっらい怒られて。
糸井 笑いながら踊ってる人なんですよ。
鶴瓶 うん。笑って踊ってるから、「なめとんのか!」と。
一同 (笑)
鶴瓶 「人がこんな必死やのに何しとんねん!」ということなんでしょうね。
   こっちはヘラヘラ笑ってるから、そりゃあ、怒られますよ。
糸井 それは、おれも同じなんですよ。
   「あなたはいいですね」ってしょっちゅう言われるんです。
   でも、それは‥‥言われても困るんですよね。
鶴瓶 うん。やっぱり、ヘラヘラが腹立つんでしょう。
糸井 そうですね、根本はそれですね。
鶴瓶 「何ヘラヘラしとんねん」と。
糸井 つまり、全員がよろこんでる社会って、ないんですよ。
   笑ってる人がいて、悲しんでる人がいて、なんですよね。
鶴瓶 悲しんでる人にとっては、笑ってる人のよろこびなんて
   「おれには関係ないんじゃ!」でしょ?
   となると、「すんません」てなってしまう。
糸井 ぼくは、そういうときにどうするか、一生懸命、考えました。
   で、結論が出たんです。
鶴瓶 どんなんですか。
糸井 「おれ、これからもヘラヘラしてよう」って思うことです(笑)。

- ほぼ日刊イトイ新聞 - 鶴瓶さんと。ネアカ元気で、へこたれず。第九回より


あ、よく読み返してみたら言ってるのは糸井さんでしたね。
まあでもどっちでも一緒です。これってすごいことじゃないですか?ぼくはすごいことだと思います。「男らしさ」とか「強さ」を装って、持論をぶつことで自己正当化して満足する男社会(集団心理)とは対極にある、一個人としてのつよさだと思います。「わたし」が自立していないと出来ないし、しかもその「わたし」に執着していても出来ない。自立した「わたし」同士がかかわり合う「関係性」の中でこそ、偶有性に満ちたおもしろさがある。この偶有性をたのしむことを知っている大人のふるまいは、かっこいいと思います。で、こういうKY的なふるまいは、わりと男のほうが得意だったりするような気もします。

「わたし」として自立することと、「わたし」を追い求めることは似ているけれども微妙に違います。多くの人は、○○らしくありたい、とまずは理想像を固め、そこに近づくように努力します。それは人として、とても大事なことのように思います。でもちょっと待てよ、と。鶴瓶さんや糸井さんのような大人は、「わたし」として自立していながら、「わたし」には固執していません。「わたし」そのものよりもむしろ、「関係性」の中に重きを置いているように見える。だとするならば、「わたし」というものは、自分でがんばって作り上げるものというよりもむしろ、他者との「関係性」の中で必然的に形成されていくものなのではないかと、ふと思いました。だって、「わたし」がいくらがんばって、これこそが「わたし」なんだと主張しても、周りの誰からもそう見られないとしたら、それってほんとうに「わたし」なんでしょうか。他者からどう見られているかも含めて、その関係性の中での存在そのものが「わたし」なのではないかと。だから「自分探し」なんてしなくても、みんなそのままでじゅうぶん個性的なんですよ、きっと。ヘラヘラと、焦らずいきましょう。


おれ、これからもヘラヘラしてよう

おれ、これからもヘラヘラしてよう 2011.06.21 Tuesday [妄想] comments(0)
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