鳩山政権をふり返る(1) 序

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鳩山前首相の、「抑止力」は方便だったという発言が波紋を呼んでいるようです。( 沖縄タイムス1 2 3琉球新報1 2

この問題は、とても大事なことなのでじっくりと考えたいと思います。ぼくは沖縄に縁もゆかりもありませんが、沖縄の問題は大事だと思います。なぜか。それは、実質的に沖縄問題が鳩山氏辞任の理由であり、であるにもかかわらず、肝心のその後の沖縄問題の顛末を既存メディアはほとんど報じていないからです。けっきょく、鳩山氏を降ろしたい勢力が彼をバッシングするために、沖縄の人たちは利用されただけじゃないのか。ということから察するに、日本という国の構造的な問題がここに集約しているように感じます。現在、高江ではヘリポートの建設が、地元住民の反対を押し切って行われているそうです(→高江の現状)。手を繋いで侵入を防ぐ市民たちに、作業員らは体当たりや頭突きで突破しているとのこと。沖縄の合意がなければ基地は建設できないと数ヶ月前の沖縄知事選の際にも言っていたような気がするのですが、それはどうなったんでしょうか。そして、なぜこういったことが全国メディアでは報じられないのか。


さてところで、今回の抑止力発言を含めた沖縄の問題を考える前に、鳩山政権とは何だったのか、ということを振り返ってみる必要が先ずあると思います。ちょうど昨年末にふとしたきっかけでそう思い立ち、書きかけていた記事がブログの下書き欄にありましたので、以下それを基に加筆修正していきます。

年末大掃除の最中に、息子が本棚から雑誌をぽんぽんとぶん投げまして、床に散らかったそれらを片付けようとしたところ、鳩山政権時に発行されたクーリエジャポン(ぼくが唯一定期購読している雑誌です)に目がとまりました。そう、2009年に颯爽とスタートした鳩山政権、新閣僚が自分のことばでしゃべる清々しい会見をテレビ中継で見て、なにかが変わる、そう感じたあの夏の夜を、ぼくはいまも忘れることができません。

ところが現在の民主党はマニフェストを全面見直しとの話が出ています。ダム建設中止を止め、子ども手当ても否定し…わずか1年前に総選挙で国民が選んだことが、国民によるなんの意思表示の機会もないままに、反古にされて路線変更されようとしています。これは、政党政治、議会制民主主義の意義を否定することです。つまり、選挙という仕組みの崩壊。なんでもありの無法地帯を意味します。なんでこういうことになっているのか。

本格的な政権交代があった2009年夏。2010年5月に、鳩山首相が普天間迷走の責任を取るという形で辞任。その後、菅氏が首相に就任し、いまの民主党の混迷につながる路線変更がはじまりました。民主党のあり方を考える上では、その総括が必要だと思います。鳩山政権はどこを目指し、菅政権はどのように軌道修正をしたのか。


まずは鳩山由紀夫という人物について。世間的には、ルーピー鳩山という認識がマジョリティのようです。マスメディアはとにかく鳩山氏の無能ぶりを晒すような報道の仕方をしますし、今回の抑止力発言に関しても、なぜそんなことを言うのか、それはアホだからだ(我々には理解できない)、という論調で一蹴しようとします。しかし果たしてそんなに簡単に済ませてしまっていいのでしょうか。たしかに「宇宙人」と称されるように、掴みどころがなく突拍子も無いことを言い出すという印象はあります。しかし、在任中の記者会見などでの映像からぼくが感じてきたことは、間違いを素直に認めて謝る姿勢、ひとの目を見てじぶんの言葉でしゃべる正直な人だということでした。

鳩山氏の人物像について、元外務省主任分析官である佐藤優氏は以下のように述べています。

クーリエジャポン2010年3月号 P126「佐藤優の国際ニュース解説室」より
鳩山氏は、日本の政治史でも稀に見る知識人の首相です。英語にも堪能で、米国のオバマ大統領やクリントン国務長官と正々堂々と議論をすることができる能力と胆力を持っています。(中略) 鳩山氏は39歳までオペレーションズ・リサーチ(OR)を専門とする学者でした。ORとは、高等数学を用い、さまざまな欠陥を含む与えられた条件の中で、もっとも効率的な態勢を構築する実践的学問です。第二次世界大戦中、英国がORを用いてドイツ軍の攻撃を防いだことがよく知られています。鳩山氏はマルコフ連鎖という確率理論を応用して「どのタイミングで決断するともっとも有利か」という研究をしていました。

鳩山氏は、日米同盟を最大限に強化するという目的関数を設定します。ただし、この目的関数にはいくつもの制約条件があります。自民党政権時代に日米両国が合意した辺野古沿岸(キャンプ・シュワブ)への移設を実施した場合の沖縄の人々の反発。合意を撤回した場合の米国の反発。中台関係。米朝国交正常化交渉。東京地検特捜部による小沢一郎への捜査。これらはすべて制約条件です。そして、これらの制約条件は時間の経過とともに変化します。この変化を含んだ方程式を頭の中で組み立てて、日本がもっとも有利になる解を探求しているのです。
 (中略)
2009年11月14日、東京演説でオバマ大統領は「わたしたち二人は、日米同盟を単に再確認するのみでなく、深化することについて合意した」と述べました。「対等な日米関係」という鳩山総理の公約は、「深化する」という合意をオバマ大統領から取り付けたことによって、実現に向けた第一歩を踏み出しました。
 (中略)
沖縄の米軍再編問題についても、米海兵隊のグアム移転は09年に日米間が協定を締結した法的拘束力をもつ合意です。それに対して、普天間飛行場の辺野古への移転は、日米間の政治合意にすぎず、法的拘束力をもたないので、変更が可能です。しかし、長く続いた自民党政権下での過度の対米従属に慣れてしまった日本の政治家、官僚、有識者は、法的拘束力をもつ合意と政治合意の差異に気づかなくなってしまっているのです。論理立った思考をする鳩山氏は、問題の所在をよくわかっていると思います。


佐藤優さん、ちょっと持ち上げすぎなんじゃないかと思ってしまうくらい、報道からイメージされる鳩山氏の人物像とは異なります。(ちなみにぼくは鳩山さんには個人的に親近感を抱いています。ですので、どうしても好意的になってしまうことをあらかじめご了承ください。ただし特定の利権が絡んでいるわけではありません。)ルーピー、ボンボン、親米、反米、と人にレッテルを貼るのは勝手ですが、少なくとも、氏が自身のホームページに公開している「私の政治哲学」という論文を一読してみる価値はあると思います。しかしそれはまた次回に譲るとして。鳩山氏の人物像を詮索することと、鳩山政権の道程を考えることは別なので。

重要なのは、鳩山氏が「対等な日米関係」を掲げていたという点です。それは、戦後50年間続いてきた米国依存の体質から脱却して一国としての自立を目指すということであり、同氏が発言した「東アジア共同体」構想ともつながります。

クーリエジャポン2010年3月号 P86「姜誠のエスニックメディアが見たNIPPON」より
2010年を迎え、鳩山発言がアジアに波紋を広げている。昨年秋、国連総会やそれに続く日中首脳会談で鳩山さんがぶち上げた東アジア共同体に関する主張である。たとえばこんな発言。
「開かれた地域主権を旗印に、東アジア域内各国の連携を強め、安全保障上のリスク軽減や経済の活性化を図りたい。(中略)今日、アジア太平洋地域に深く関わらずして、日本が発展する道はない」
僕の知るかぎり、日本の政治家でこれほどのあけすけに東アジア共同体構想にラブコールを発した政治家はいない。

 (中略)

今世紀、アジアの成長は著しい。アジア各国がその成長力を国内に取り入れ、持続可能な発展を遂げるためにもアジア共同体は必要だ。アジア通貨危機、リーマンショックなどのように、グローバル経済がもたらす厄災に抗うバッファーとしても、東アジア共同体は有効に機能するだろう。その東アジア共同体に、鳩山さんはふたたびスポットライトを当てた。とかく外交発信力が乏しいと批判される日本の首相としては悪くない仕事ぶりだった。


同記事の中で姜誠さんは、こう指摘しています。

総人口が20億人を数え、GDPの総計は世界の20%を軽く上回るという東アジア共同体の構想の中で、日本は中国と並ぶビッグプレイヤーであるにもかかわらず、その影はうすく、共同体作りにかける熱意がさっぱり見えない。その原因はふたつある。ひとつは同盟国、米国への遠慮。歴代の自民党政権は日米同盟と米国が主導するAPECを重視し、東アジア共同体構想にはどこかそっけない態度を装ってきた。もうひとつは、過去の歴史問題。東アジア共同体は過去に日本が植民地にしたり、軍を進めた地域と重なる。

東アジア共同体を目指すことによって、安全保障上のリスクの軽減を図りたいという鳩山さんの発言を考え合わせれば、「ミスター鳩山は日米同盟基軸から、アジア重視に軸足を移そうとしているのか?」と、米国が怒りだしてもおかしくない。政治家として、東アジア共同体構想を熱く語ることは米国と対等に向き合う胆力、そして過去の日本の戦争責任を直視する勇気がないと、なまじっかできないことなのである。

クーリエジャポン2010年3月号 P86「姜誠のエスニックメディアが見たNIPPON」より抜粋編集


鳩山氏は「対等な日米関係」を掲げましたが、それを実行していくだけの胆力が彼にあったのでしょうか。また、総理を支えていく閣僚はどうだったのか?あるいは官僚は?メディアの報道の仕方は? 米国依存という体質を打破するべく既得権益層に挑んだものの、予想以上の抵抗にあった鳩山政権はほどなく潰されたのであろう(沖縄がまさにそれを象徴していた)とぼくは思っていますが、それはあくまで想像にすぎません。鳩山氏の人物像をあれこれ詮索しても、実際にふれたことのないぼくにとってそれは想像でしかないのと同じように、鳩山政権を取り巻くファクターを網羅することなど不可能です。だから想像するしかないわけで、それがすなわち文脈を読むということなのだと思います。

そうして、文脈を読む上での肝になるであろう、たいへん重大な事実を鳩山氏は残しました。彼が、「対等な日米関係」を口だけではなく実際の行動として目指していたということを証明する明確な事実です。

それは、「日米規制改革委員会」の廃止。

この委員会では、毎年日米間で交換される「年次改革要望書」が扱われてきました。日本は、アメリカ側の強い要望に沿う形で建築基準法改正、労働者派遣法改正、郵政民営化などを実施してきたという経緯があります。これらは、いずれもアメリカ企業の日本市場への参入条件を有利にするものであり、アメリカ側からこと細かな要求が毎年出されていました。この要望書こそ、自民党がその政治手法の根底に位置づけていた「対米従属」を具体的に体現するものと考えるのが自然と思います。鳩山氏はこの「年次改革要望書」を明確に拒否した(2009年以降、米国大使館のサイトに年次改革要望書が掲載されなくなっています)。

50年間もご主人の仰せの通りに従うことで漁父の利を得て来たスネ夫が、政権交代によっていきなりNOを示したのであれば、ジャイアンが怒るのも無理はありません。だから鳩山政権は潰された。それを横で見ていた菅さんは、どうしたら潰されないで済むかを学習した(なんせ、総理になること自体が目標であったらしいですから)。そうすると、現政権が2009年のマニフェストを反古にしようとしているのも説明がつきます。…ぼくは、このように文脈を読むのが妥当だと思います。

そして、鳩山政権を振り返るということは、同時に戦後日本を振り返ることであり、自分たちが何者であるかを振り返ることでもあります。たとえば姜誠さんが指摘する戦争責任。いつまで経っても日本人が消化できないこの問題にぼくたち自身はきちんと向き合ってきたのか。日本には戦争責任などない、という人も、憲法9条や非核三原則の理想だけを追求する人も、どちらも現実を見ていないと思うのです。自衛隊が軍事力なのかどうか、その言葉の定義はよくわかりませんが、実質問題として、米国の属軍と考えるのが妥当でしょう。たとえ軍事力はあっても、そこに主権はない。主権のない軍事力が外交で意味をなすわけがありません。自衛隊を軍隊に、なんて米国が許さないでしょう。あるいは日本には非核三原則があり、それを遵守しているのだという認識もイノセンスすぎると思います。自分の足元を見つめないと、自分が何者なのかわからないと、まずはそこを認識しないと、直視する勇気がないと、先に進めないように思います(逆に、無意識のうちにイノセンスを装い、先にすすまないことで戦後日本は成り立ってきたのだと内田樹さんは『日本辺境論』で分析していますね)。

ぼくは徴兵制にも核保有にも反対です。が、いま自分が核を持っているのかどうかもわからないで、臭いものには蓋をし、目を覆っていては、その議論のスタートラインにすら立てないように思います。次回、鳩山氏の抑止力発言をめぐる沖縄の問題について、そのあたりを考えてみたいと思います。

鳩山政権をふり返る(2) 沖縄米軍の抑止力

鳩山政権をふり返る(1) 序

鳩山政権をふり返る(1) 序 2011.02.14 Monday [政治・メディア] comments(0)
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