「公」と「私」

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最近、ツイッターのTL上で「公」について考えさせられるツイートを目にすることが多く、「公」について考えてみました。特に、「新しい公共」について。

ぼくは、若い頃はロック好きだったので「公務員」をどこか小馬鹿にしていました。安定した給料への羨望と同時に、ルーティンワークをこなすだけの味の無い職業だという(これって偏見ですね)冷めた視線。だから長らく、「公」はどこか遠いところにいる人がやっていて自分の「私」生活とは関わりのないものだという概念に捕われていた。

「公」と「私」が不可分だと知ったのは、つい最近、子どもが生まれてからです。子どものこと、子どもの将来のことを考えていった時に、どうしても「公」の問題につきあたる。それは、自分だけで好き勝手にロックンロールしていれば済む問題ではなかったことに、気づいたんです。ひとりひとりの「私」こそが「公」を作っている、と。ぼくはインテリではないので難しいことはよくわからないけれども、バカはバカなりに自分のことは自分で考えて、自分の言葉を持ちたいと思います。


先日、高橋源一郎さんの何気ない子育てツイートから「公」の文字が出てきました。

高橋源一郎twitterより
同感。キャンプで長男は「よその大人たち」のお世話になりそれが良かった。「自分のもよその子どももまとめて面倒みる大人」が減ってしまいました RT @so_suck わかります。ただ最近思うのは、親だけでは子育てってできないなと。なんかみんな親だけで育てようとしすぎてるような。

れんちゃんを預かってくださったお家のおばあさま(といっても、ぼくよりお若いのですが)は、れんちゃんを自分の孫と同じように叱ってくださり、それから、預かっていただいた間の、れんちゃんの良かったところ、直すべきところのレポートをいただきました。おそろしいほどによく見ていただいて感激。

おばあさまにとって、れんちゃんは、「孫の友だち(それも、ふだんそれほど交流があるわけでもない)」にすぎません。なのに、そこまでしていただいた。ぼくは、ほんとうの「公」を担っているのは、こういう方だと思います。かつて「近所」というのは、そういう働きもしていたんですが。


この、かつての近所が持っていたという“相互扶助”は「新しい公共」のヒントになる気がします。

その前に、今までのぼくが「公」について抱いていたイメージについて振り返ってみます。
かつて「公」は〝滅私奉公〟のイメージでした。自分の生活を犠牲にしてまでも、国民のために尽くす。そういう志が無いと政治家にはなれないし、そういう志を持った政治家だけが国を作っていく。政治家とはなんともツラく、やりがいのある職業。立候補する人たちは自分とは違う人種。…今まではそれを当たり前に思ってたんだけど…ちょっと待てよと。

今まではそうやって「公」の部分は、政治家に全てをお任せしてきたわけです。自分で考えるのめんどくさいから。「公」と「私」は別世界だ(と思ってた)から。そうしたらどうなったか。有権者であるぼくは「公」について何も知らないバカになったし、政治家は選挙の時だけ滅私奉公を謳う嘘つきばかりになってしまった。そうやって当選した政治家は、滅私奉公どころか官僚の手のひらで泳ぎ互いに利権を共有する。実際は〝利私奉官〟〝利官奉米〟になってるわけです。

考えてみれば、そもそも〝滅私奉公〟なんて神様みたいなことを人間が出来るわけがありません。それを前提にしている時点で無理があったわけですね。政治家にだって官僚にだって有権者にだって同じように家族がある。どの立場であろうが、仕事のために家族をないがしろにせざるを得ないのでは、仕組み自体に問題がある。

ぼくはボランティアという概念が嫌いなんです。仕事とはきちんと対価を受け取るもの。対価を受け取って、仕事に責任を持つ。ボランティアではそこが曖昧になるような気がします。さらに困るのは、ボランティア精神を持つ人は、他人にもボランティア精神を要求しがちなこと。他人を許せなくなること。これはちょっと違うぞと思います。ボランティア精神が前提になっているような事業は、おそらく続かないでしょう。

というわけで、政治家には〝滅私奉公〟という考え方はもう捨ててもらっていいと思います。結果として、ぼくらの暮らしがよくなるならば、多少金に汚かろうが、裏でのやり取りがあろうが、構わないとぼくは思っています。というより、そういう利害調整を図ることこそが政治家の仕事だと。〝滅私奉公〟ではなく〝喜私喜公〟のやり方があるはずです。

いままでの「公」は、はじめに予算ありきでやりっぱなしの事業が多くありました。あるいは、八ツ場ダムのように、やること自体が目的となっているようなもの。このような事例では、いかにして予算を取るかが先にあって、そのために、さまざまな理想論や美辞麗句で事業が飾られてきました。須く国の発展のためだと。そこに「私」が介在する機会はありませんでした。その結果、「私」にとって要らないハコが数多く存在し、天下りの温床となっていることを、ぼくらは先の事業仕分けで知りました。

そろそろ、政治家だけが「公」を作るという考え自体を変える時期かもしれません。

たとえば、高橋さんのツイートでは知り合いのおばあさんがキーマンでしたが、母親が子育てにほんとうにくたびれた時に孤独に陥らないような(そういうのを、精神論だけで片付けるのはもうやめましょう。精神論を語る人ほど自分のことを棚上げにしがちです。)相互扶助の仕組みを「公」として作れないものでしょうか。

ツイッター上にたくさん点在するママたちの「私」的なつぶやきこそ、本当に必要な「公」をかたち作るもととなる、大事な資産だと思います。マスコミによる世論調査なんかよりも、利権にまみれていない「ほんとうの声」がたくさんあります。「私」と「公」をつなぐツールとして、ツイッターは非常に有効だと思います。選挙期間中のツイッターを認めないような公職選挙法は、びっくりするぐらい古い体質。これでは「新しい公共」が生まれるわけがありません。「私」たちひとりひとりの声が、真摯に反映される「公」こそが、新しい公共なのではないかと思います。鳩山さんは「裸踊り」の連鎖を、新しい公共のかたちになぞらえました。新しい公共が具体的にどういう形で実を結ぶのか見当つきませんが、方向性としては同意します。


公共哲学の専門家である山脇直司さんのツイートも転載しておきます。

山脇直司Twitterより
昨晩は都内某所で、さまざまな現場におられる方々と、公共哲学の基本理念について語りあった。そこで、「公共性」とは「公益性」「公正性(正義)」「公開性」「共有性」などの意味を持つ複合的概念であること、また「個人の尊重」を前提とした「活私開公」という人間観を前提とすべきことを強調した。

さらに、現場と理念と政策をリンクする学問としての公共哲学は、「冷徹な現状分析論(ある論)」と「理想や規範の追求(べき論)」と「変革のための政策論(できる論)」の三つの次元を必要とすること、それによって「理想VS現実」という二項対立を打破し、現実的理想主義の道を採ることも強調した。

ただし、これらの事柄は学者のお説教では全くない。これまでもつぶやいたように、公共哲学の担い手は、「現場で公共的問題と真剣に取り組んでおられる一般市民」の方々であり、学者の任務はそうした方々の手助けとなるような概念や理論の枠組みを提供することに尽きる。


やっぱり、「公共哲学の担い手は、「現場で公共的問題と真剣に取り組んでおられる一般市民」の方々」なんですね。それじゃあ一市民として実際なにをしたらいいのかはわからないんだけど。具体的な行動はさておき、ぼくにできるとしたら、まずはマインドセット(OS)を新しく入れ替えることかな。このブログで自分の思考を整理することで、少しずつ。



最後に、参考として。北欧の社会には、新しい公共のマインドセットに近いものを感じます。北欧の政治や社会についてはとても興味があるので、今後、書籍などを読みたいと思っています。まずはWEB上にて、スウェーデンの政治について書かれていたものを転載します。
http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/sweeden.htmlより
『スウェーデンの政治 〜デモクラシーの実験室〜』 (岡沢・奥島編、早稲田大学出版部)からの引用・要約
スウェーデンでは地方分権が徹底している。 国は外交・防衛・経済など必要最小限を担当。 医療は県、教育・福祉・保育などは自治体(市町村)に 多くが任されている。地方分権の理念は、『行政の決定は、できるだけ住民の身近で行われるべきだ」というものだ。

「スウェーデンは大きな政府」と言われるが、正確には「小さな中央政府と大きな地方自治体」と言える。スウェーデンの地方政治家のほとんどが「政治家」とは別にそれぞれの職業をもっている。つまり、兼業議員が多い。(国会議員は半分がフルタイムで働く) 政治家としての給料は、公的な会議へ出席した時間で計算される。市議会は月に1度、各委員会の会議が毎週あるとしても、政治家だけの給料ではとても生活できない。 

「スウェーデンで、地方政治家にとって一番必要なことは何ですか」。ベクショー市の市会議員、スベン・オケ・アンダションに尋ねたことがある。「仕事を持っていることです。政治家はそれぞれの職業に従事する人たちの声を政治に反映させることが大きな役割です。そのためには、政治家も現場で一緒に汗を流していなくてはならないと思います」とスベン・オケさん。

「日本では三権分立という大原則から、公職にたずさわる人、たとえば、教員が政治家になることは考えられません。もし、教員が政治家になろうとすれば、まずは教員の仕事をやめなくてはなりません」と重ねて言うと、「もちろん、理論はそのとおりです。しかし、この国は地方政治のきわめてアマチュアの精神を大切にしています。『素人の政治』なのです。『素人』がやっているからこそ、 現場の声、市民の声が議会に届くという大きなメリットがあります。地方政治家に必要なのは、理論うんぬんよりも生活実感ではないですか」とスベン・オケさんは答えた。

さらに「市職員が同時に政治家になるのは行政の中立性に反しませんか?」との質問には、「もちろん、職場では政治的に中立に職務を行います。しかし、あらゆる職種の現場の人が政治になることが大事なので、市職員であろうと政治家になることは問題ありません」とスベン・オケさん。スウェーデンでは福祉や教育の現場職員のほとんどが市の公務員だ。

日本のように個人に投票する選挙ではなく、政党に投票する比例代表選挙なので、福祉現場の人が簡単に比例代表リストに載り、政治家になる。各政党の比例代表リストを見ると、福祉、教育、医療などの現場代表、高齢者、障害者、女性、学生、移民代表など、さまざまな顔ぶれが並んでいる。

また「長老支配政治」の日本とスウェーデンでは対照的だ。スウェーデンでは、政治家の主役は40代。50代の政治家は少し高齢というイメージがある。たとえば、65歳以上の 国会議員は2%しかいない。スウェーデンでは、退職年齢に達すれば、政治家も引退し、後進に道を譲るのが一般的だ。


3年ごとの9月の第3日曜日が、スウェーデンの選挙日である。国政選挙と地方選挙は同日に行われる。その結果、「地方政治の国政からの独立は一層高まった」といわれる。

日本では、4年に1度の統一地方選挙の争点が、たとえば湾岸戦争という防衛・外交問題になるなど、とかく国政選挙と地方選挙の争点を混同してしまう。同日選挙はこれを避けることができる。たとえば、「国政選挙には経済政策に力をいれるという党に」、「地方選挙には福祉サービスの充実に 熱心な党に」投票するというように、国政と地方で政策をわけて選択をすることができる。市議会選挙の争点は、保育制作と高齢者福祉政策、小学校教育の問題、住宅環境問題に集中する。

スウェーデンでは、地方選挙も比例代表制で行われている。比例代表選挙では、贈り物を配ったり、有権者に頭を下げて頼んだり、候補者の名前をスピーカーで連呼するというような「投票お願い合戦」にはならない。きわめて静かな政策選挙である。有権者は政策を選び、政党に投票する。各政党は男女比、年齢、職業などができるだけ均等に割り振られるように候補者を比例代表名簿に載せる。若者票を獲得するために、各政党はその青年部のリーダーを名簿に載せることが重要な選挙戦略となる。

選挙キャンペーンでは、政策論争を中心にした物静かな討論、対話集会が一般的である。それでも、投票率はズバ抜けて高い。どんなときも、85%から90%前後の投票率を記録する。選挙ではテレビや新聞がよく使われる。ローカルニュースの時間には市議会議員の候補者たちが登場し、毎日決められたテーマに基づいてディベートを行う。新聞には毎日、政党間の政策の違いが一目でわかるような記事が掲載される。投票日前々日の金曜日の夜8時から3時間行われる、各党党首による最終のテレビ討論会は、翌日には手話と文字放送がつき、二度も再放送されるので、トータルの視聴率80%、ほとんど全国民が見ていることになる。

各政党の候補者は多くの中学や高校を訪れ、選挙前に公開政策討論会を行っている。中学校や高校の授業の中でも、生徒がグループにわかれて、各政党の政策を勉強し、教室や廊下に掲示したり、美術の時間に政党のポスターを描いたりする。

私が立ち会った高校では、各党の代表が一人5分ずつ自分の政党の政策を説明、その後1時間30分にわたって19名の学生が質問した。質問する学生が堂々としていることに驚いた。「あなたの党では 減税を主張しているが、それで環境政策はおろそかにならないか?」などという質問が矢のように飛ぶ。

また女子学生の政治への関心の高さも注目に値する。半分以上の質問は女性からなされた。この政策討論会を踏まえて、翌日には「模擬選挙」が校内で行われた。実物の投票用紙を使って、図書館で投票する。選挙の立会人も学生。翌日には、模擬選挙の結果が掲示される。日本と違って、スウェーデンの教育では、選挙そのものが生きた社会教育。スウェーデンでは「政治は大切なもの。住み良い社会をつくるには、政治参加が必要」という若者たちのコンセンサスが形成されている。



「公」と「私」

「公」と「私」 2010.08.21 Saturday [妄想] comments(0)
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