戦争の記憶

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戦争を知らない世代が人口のほとんどを占める時代になりました。じいちゃんに昔話を聞かされたという人も少なからずいるでしょうが、ぼくなんかは、戦争を実際に体験した人のなまの話を聞いた事すらありません。この国の有り様を大きく変えた出来事が、遠い記憶になっていきます。

戦争を題材にした映画やマンガ、ゲームは数多く作られています。今や、原体験としての肉声よりも、そういった娯楽産業を通して戦争を知ることのほうが多い。べつにそれ自体が悪いことだとは言いませんが、そういった2次情報だけに触れていると、戦争をなんとなくのイメージでしか捉えることができなくなってしまう可能性はあります。湾岸戦争やイラク戦争のニュースに、ぼくたちはテレビ映像で触れましたが、画面の中で行われる銃撃戦は、まるでゲームのように映っていました。

神 直子さんという方が、フィリピンと日本をビデオメッセージで結ぶというプロジェクト(Bridge For Peace)を展開しています。その中で、神さんがビデオ撮影のために、元日本兵の方々に過去の体験を語ってもらったインタビュー映像がありました。下記リンクにて、ひとつ紹介します。



07-07. そういう話には乗らないでほしい―元日本兵の証言02

戦争を実際に体験した方の話を、ぼくははじめて聞きました。すごい。語り口が、その語りの背後にある思いが、なまなましい。体験した人でなければ、決して得ることのできない知見がここにはあります。ぼくは、この映像から、彼らの語る中に彼らにとっての真実があると感じました。

同ビデオメッセージより
戦争が終わったら「本当に馬鹿らしい事した」と。
そう言っちゃ死んだ人に悪いから アジアの国が独立できて、共栄していると、
戦死した人たちの手柄でもあると言っているんだけれども、
現地で実際に、死んでいった人間はそんな事は思わない。
死ぬ時は「天皇陛下万歳」と言うっていうけど、ほとんど珍しい事で、
子どもがいれば子どもの名。新婚早々なら女房の名。独身なら「お母さん」と呼んで死んでいった訳です。


うわあ。特に最後の行。
ぼくはこの言葉に、圧倒的な真実が見えるような気がします。

人は、目に見えない観念的な世界平和や社会正義のために生きることはできません。目の前の家族のためだけを思って、生きることができます。それはエゴイスティックで利己的なことでしょうか。でも、それが真実だと思います。人間は(というよりも自分自身は)本来そういう性質をもっている生き物だということを、まず認識することから始めないと、前に進まないと思うのです。

9条に関する改憲についての国民投票が、いずれ行われるでしょう。改憲を叫ぶ方の中によくあるロジックとして、家族を守るためにこそ、戦わなければならないんだ、というものがあります。「愛する者を守るため」。これは、いかにも男ゴコロをくすぐるフレーズです。でも、守るって、いったい何から?北朝鮮?中国? こんなに狭くて資源の乏しい国に、他国が攻めて来る理由があるんでしょうか。そもそも、愛する家族は、夫が戦地に赴くことを望んでいるでしょうか。

森達也著「日本国憲法」に、森さんと藤原ヒロシさんとの対談が収録されているのですが、この中で藤原さんはすごいことを言っていました。
(日本が国際紛争における軍事介入に加わる必要は無いとした上で)
もしも今、北朝鮮攻めてきたら、その時はあきらめます。男らしくないって批判されるかもしれないけど。(中略)シエラレオネのように最悪の事態になったなら、そりゃその場では可能なかぎりの抵抗はするだろうけれど、でも基本的にはあきらめます。あきらめる覚悟くらいはしようと思っています。


ものすごく無責任なセリフのように聞こえますが、リスク・マネジメントの費用対効果を考えると、たいへん合理的なことだと思います。ぼくも、このくらいのクールさを持っていたい。

そしてまた、あらゆる戦争は自衛(という名目)からはじまる、という見方も踏まえておいた方がよいと思います。恐怖心を煽ることは、既権者が利用するもっとも簡単で有効な手段なのですから。

mammo.tv 伊勢崎賢治インタビューより
『戦争はいつも正義を必要とする』
戦争は、たとえ金銭欲などの利害目的から始まったものでも、それを糊塗し、人々を戦争に駆り立てる正義を必要とします。たとえば「革命」だとか「腐敗した政治を正す」や「イスラム主義への復興」「十字軍による聖戦」といったものです。正義がつくられないと戦争は起こらない。「悪である敵を倒したい」という正義の裏には、「利権を握りたい。この地域に覇権を示したい」というエゴが必ずつきまといます。


そもそも世の中に絶対悪は存在しない、とか、日米安保はアメリカの属国としての国益=アメリカとその恩恵に与る利権集団にしか益をもたらさない、とか、検証していけば改憲について考える点はいろいろとありますが、あまりその手の話にのめり込むと長くなるので、ここでは止めておきます。そんなことよりも、ぼくが戦争に反対する明確な理由があるのです。

ぼくは、戦地に行きたくありませんし、息子にも絶対に行って欲しくありません。
だから自衛隊の軍隊化を前提とした改憲には反対です。

これで十分でしょう。これ以上の理由があるでしょうか。
先に述べたように、人間はエゴイスティックで利己的な生き物なんです。日米安保についての形骸化した議論や、戦争について、まるで他人事のように論じる言説には、ぼくは嫌悪感を覚えます。自衛隊を軍隊として認めるということは、その先にある徴兵制=自分が戦場に立つ姿までを視野に入れた上でないと語れません。どこの国に於いても、戦場で犠牲になるのは何の罪も無い住民であり、実際に戦地に赴く兵士たちです。改憲を訴えるような政治家は、決して自らは戦場に立たない立場の人たちです。自らは戦場に立たないからこそ、他人事のように勇ましいことが言える。

そうじゃない、ちゃんと自分のこととして考えた上で、それでも改憲が必要だと思うんだ、という人もいるでしょう。それはそれで、立派だと思います。そこまで至ってこそ、はじめて「価値観の相違」というものが生まれてくるのであり、だからこそ議会制民主主義が成り立っていくのですから。大事なのは、それがちゃんと自分の生活の中から出てきた思いなのか、ということです。ぼくも常にそこを見つめてこうと思います。

戦争の記憶

戦争の記憶 2010.06.30 Wednesday [妄想] comments(0)
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