革命について(2)國分功一郎『来るべき民主主義』

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革命について(1)はこちら



「政治」というものが「政治家」によって動かされていると思ったら大間違いである。

居酒屋談義ではあたりまえの話かもしれない。政策のほとんどは官僚が決めており、政治家は官僚の作文を読むだけの存在である。そんなことは多くの人が経験的に知っている。だけど、それを言ってしまったら身も蓋もない。民主主義が成り立たないし、政治が成り立たない。民主主義という仕組みは、タテマエで成り立っている。

だから、あの政治家が悪いとか、政治なんてもともと信用していないとか、そんなもんでしょと諦観したり、なんだかんだと愚痴をこぼしながらも(居酒屋で行われる政治談義の99%は愚痴であろう)、ごくたまに行われる選挙の日には投票所に足を運び、一票を投じる。そして、どうせ何も変わらなかったと嘆息する。このくり返しだ。散々愚痴をこぼしながらも、馬鹿正直に票を投じることで、それが民主主義の結果なのであると諦観してしまう。選挙なんかやってもどうせ何も変わらない。それが「民度」の結果なんだよと。

だけど、ちょっと待って。政策のほとんどを官僚が決めているのだとしたら、なんで選挙なんてものが必要なんだ?開票から数秒で結果が出るような、選挙という名のお祭りは、はじめから結果が決まっているようなシロモノなんじゃないのか?お祭りとして、ただのガス抜きとして儀式的に行われているだけじゃないのか?

§



民主主義は、タテマエで成り立っているはずだ。結果としては多数決であるけれども、多数派の意見が絶対であり少数派を無視していいという理屈にはならない。政治家は国民に説明する責任がある。公約は守るものである。そういったタテマエがいまやほとんど蔑ろにされている。前言撤回など当たり前、なんでもありだ。

たとえばTPPでの重要5品目の件。簡単に覆される。その理由としてあれこれ屁理屈をこねるのが政治家の仕事になっている。TPP反対派の多くは、「そんなことはじめから分かっていた」と言うだろう。ぼくもそう思う。だけど、これはしっかりと批判すべきだ。なぜからそれがタテマエだからだ。はじめから分かっていたこととはいえ、タテマエとして公約で守ると言ってたわけで、それを現状追認を理由にこうも簡単に翻していいのなら、議会なんて必要なくなる。タテマエを蔑ろにしたら、民主主義は成り立たなくなる。民主主義はタテマエで成り立っているのに、マスコミはこれを批判しない。多くの無関心層はたぶん知りもしない。

いまや現実の世界では、タテマエなんてものは存在しないに等しいのだ。ぼくらはそういう世界に生きているという事実をまず認識しないといけない。

ひと月ほど前、思想家の東浩紀氏が「民主主義は本当にいいものなのかどうか」と発言していた。彼がどのように民主党に期待し、大きく失望させられ、またそれを取り巻く「大衆」の声に接してきたかを考えると、しごく当然の結果であると思う。

ここで東氏が言っていることは、非常に本質的なことであり、そして実は、革命家である外山恒一氏の言っていることとほとんど同じである。「革命について(1)」と題した過去記事で、ぼくは外山氏について少し書いた。参院選の数日後、朝日新聞紙上に掲載された彼のインタビューは、どんな「知識人」「インテリ識者」の言うことよりも腑に落ちる内容だった。困ったことに。

だって彼、過激派じゃないですか。選挙なんか意味が無い、民主主義を信じるな、ファシズムだ、と言っているわけじゃないですか。「民主主義」を前進させよう、成熟させよう、という土台で話をしようとしているのに、「それは欺瞞だ」「民主主義なんかでは、ものごとが決められない」と答える。困ったことに。

だけどいま、現実は、外山氏の言う通りになってしまっている。まじめに考えれば考えるほど、民主主義を疑いたくなる。「もはや政府転覆しか無い」という彼の言葉が脳内に反響する。選挙なんかやってもどうせ何も変わらない。結果はもう決まっている。民主主義なんて幻想である。選挙をすればするほど、自分がマイノリティであることを痛感させられ、そう思えてくる。政治家に対する不満をくどくど並べ立てて「政治」について語ったつもりになっている人も、実はほんとうのところ、深層の部分では「変わって欲しくない」と思っているんじゃないか。

現在の日本は、「民主主義を疑う」という段階に来ていると思う。

§



ぼくらには、政治に対する不満を延々と並べながら、どうせ何も変わらないと諦めながらも、実は前提となる信頼がある。それは「民主主義」に対する信頼だ。政治が変わらないのは「民度」が低いからなんだよと。つまり「民度」=「民主主義」が高まれば、良くなるはずだと。それはまるで、どこかに「理想的な民主主義」というものが存在している(だけど今はそこに達してないだけ)、という物言いだ。

社民党や共産党の人に聞きたい。圧倒的存在感を誇る自民党に対する野党として、その対抗勢力として長年ぶれずに存在してきたというその意義は分かる。ならば、そのような野党の声によって「民度」は高まったのか。いわゆる55年体制下で、日本の民主主義は高まったのか。一時は自民党に相対する存在であった社会党(民主党も)が息も絶え絶えになったのは何故か。現在の日本で、リベラルな意見を吸い上げてくれる場所があるのか。

カタチとしての二大政党制が、実は不満分子へのガス抜きとして利用されていただけだったとしたら。なんだんかんだで自民党は多数派の信用を勝ち得ていたわけで、本当は選挙なんか必要ないけれども儀式としての選挙があって、不満分子の溜飲を下げるために社会党があった。もしそういうことなのだとしたら、選挙で何かが変わるわけがない。それを甘受している野党側も、表面上は対立してみせながらも、実は深層のところでは自民党への信頼があったのではないか。

いや、正確に書こう。自民党への信頼ではない。日本の統治機構への信頼だ。それを表面上は長年自民党が担ってきたというだけの話である。では日本の統治機構とは何か。それはもうみんな知っているではないか。「政治」は「政治家」によって動かされているものではない。

§



國分功一郎『来るべき民主主義』は、この問いに真正面から向き合い、彼自身が小平市の住民運動に関わることを通して得られた深い洞察と思索に基づいた提言の書である。近代政治哲学を学んできた学徒である氏の「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」という言葉にぐっとくる。




國分氏はまずはじめに、そもそも「民主主義」とは何なのであるかを丁寧に解説してくれている。

近代国家が標榜する民主主義とは、三権分立が機能しているという前提に立っている。数年に一度、ぼくらには立法府に関わる機会が与えられる。それが選挙だ。選挙によって、ぼくらは自分たちの代表(代理人)を選ぶ。政治家はぼくらの代わりに、統治に関わるさまざまな法律を作り、予算配分を行う。行政府は、立法府が決めた予算と計画に従って粛々と事業を遂行する。法的な問題が発生すれば司法府が判断する。3つの権力が分立していることによって、お互いに暴走や癒着を防ぐという、先人の知恵である。

近代政治哲学は、立法権こそが統治に関わるすべてを決定する権力を持つ、すなわち主権であるという考えに基づいている。であるから、ぼくらは政治家に政策決定プロセスを代行してもらうのだ。それが議会制民主主義というシステムである。主権はあくまでも国民にある。近代政治哲学は、この前提をもとに展開される。よもやこの前提が誤っているとは思わない。というか、その前提を排したら議論にならない。國分さんもおそらくそうした前提のもとで近代政治哲学を学んでいた。しかしある日、「バットで頭を殴られたような衝撃」を受ける。

少々長くなるが引用する。

國分功一郎『来るべき民主主義』より
確か2009年あたりのことであったろうか、驚くべきニュースを耳にする。この雑木林と玉川上水を貫通する巨大な道路を建設する計画があるというのである。早速思ったのは、「なんで車が減ると言われ、車が売れなくて困っているこの時代に、わざわざ新しい道路を作るのだ?」ということだった。自分としては、この素晴らしい住環境を道路と車に荒らされるのはたまらないという気持ちだった。酷い話だ、と思った。
ただ、同時に安心もしていた。住民の多くは反対だとも聞いていたからである。道路予定地は雑木林と玉川上水だけでなく、その南北に位置する大きな住宅地を貫通しなければならない。おそらく大変な数の民家に立ち退きを強いることになるだろう。その住民たちが反対しているのなら、土地を売らないから道路は作れない。「まぁ大丈夫だろう」というのがその時の正直な感想だった。
時は過ぎていった。私の頭の中で道路建設計画の話は少しずつ薄れていった。
そんな2010年の初頭、都道建設の説明会があると知る。「行っても行かなくてもどちらでもいいかな…」という気持だった。説明会の日、ちょうど娘と駅前で買い物をしていた。すると、若者が一人、「道路説明会はこちら」と書かれたスケッチブックをもって立っていた。あれは誰だったのか今でも分からないのだが、ある意味では彼が私をこの問題に対する考察に導いてくれたのだった。説明会は中央公園の体育館で行われることになっていた。私は娘に行ってもいいか尋ね、そして会場に向かうことにした。
冬なのでとても寒かった。そのためだろうか、会場に入ると、いきなりカイロと毛布を渡された。それを手渡す都庁の職員が信じられないほど丁寧であった。カイロと毛布をもらって廊下を歩いていくと、開店したばかりの朝10時のデパートのように、職員たちが通路の両側に並んでいて、頭を深く下げながら、「いらっしゃいませ」と大きな声で挨拶してくる。
何かがおかしかった。説明会ごときでなぜ職員たちがこんなに丁寧に振る舞わねばならないのか。どうもあやしいと思った。会場である広い体育館は満員である。どことなく緊迫している。私は後ろの方に座った。
定刻になり説明会が始まった。行政が行う「説明会」に参加するのは初めてだった。そしてそれは想像を絶するものだった。
最初に30分ほどのビデオを見せられた。どうしてこの道路が必要なのかを延々と説明するビデオである。大分お金がかけられているようだった。なお、巨大なスクリーンはわざわざ巨大なトラックで都庁から運んできたとのことである。
ビデオを見終わった後、質疑応答コーナーが始まった。その時に気づいたのは、この会場を満員にしている住民たちはほぼ全員が計画に反対であり、この質問コーナーを待っていたということである。ところが、司会を務めている都庁の職員から突然、次のような「ルール」が会場に課された。質問一人一回。そして、答えに対する再質問は禁止。つまり、都庁の職員が質問に答えたら、それに対して、「でも、それはこうじゃないですか?」とか「だとすると、こうなりますよね」とかいった応答は一切できないということである。つまり、話し合うつもりはないということである。
「ずいぶんお金がかかっていると思われるビデオを先ほど見せてもらったが、これにはいくらかかっているのか」という質問があったが、都庁の職員は答えなかった。「住民はこの計画に納得していない。なのになぜ説明会なのか? おかしいではないか。」という質問も、都庁の職員はこれをはぐらかした。要するに彼らは、「道路を作ることが決まりました。いいですね?」と、都庁のある新宿西口から小平まで言いに来ただけである。
私は呆然として聞いていた。「何が説明会だ」と激しい言葉を浴びせる人たちもいた。司会は「時間になりましたので」と言って会を閉じた。
何と言ったらよいだろうか。私はバットで頭を殴られたような気になった。私たちは民主主義の世の中に生きている。少なくともそう言われている。ところが、自分たちが住んでいる土地に道路が建設されると決まったら、それに対してもの申すことも許されない。質問に対する再質問もできない。行政は道路建設を勝手に決めて、「説明会」を開いて終わりということである。呆然としながらも、だんだんと怒りがこみ上げてきた。
だが、それと同時に自分の中で、ある問いが成立しつつあった。おそらく、このような「説明会」はこれまで何度も、全国で繰り返されてきたのだ。行政が勝手に決めて、住民には説明するだけというこのやり口は、何度も繰り返されてきたのだ。だが、それにもかかわらず、今の社会の政治制度は民主主義と呼ばれている。それはなぜなのか? これは単に行政のやっていることが酷いという問題ではない(確かに酷いが)。どこかにいる権力者がうそぶいて、民主主義でないものを民主主義と呼んでいるということでもない。こうしたことを行っていても民主主義を標榜できるような理論的なトリックがある。そのトリックに切り込まなければ、この行政の横暴を根底から覆すことはできない。
(以上、P32〜34より)


有権者は数年にいちどの選挙で立法権に関わる?それが民主主義の根拠だと?とんでもない。予算配分も事業計画も行政がすべてを決めていたのだ。それも住民の声など聞くこともなく。

小平市の都道328号線をめぐる住民運動については、全国的なニュースにもなったのでご存知の方も多いと思う。半世紀も前に作られた道路計画(雑木林の豊かな緑を壊す)を見直して欲しいという住民の声は、行政に届かなかった。その経緯や顛末については、長くなるのでここでは触れない。要点がまとめられている記事を以下にリンクしておくのでそちらもぜひご覧いただきたい。

「みんな、民主主義に飢えている」 小平市の住民投票に挑む哲学者、國分功一郎さん
東京初、直接請求で実現した小平市の場合―住民投票から考える民主主義の諸問題(1)
「私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」―住民投票から考える民主主義の諸問題(2)


住民投票の直前になって可決された、「投票率が50%未満の場合、住民投票自体を不成立とみなして開票もしない、結果も公表しない」とする小平市長による改正案。どう考えても理不尽きわまりないが、正式な手続きを経て承認されたものであり(むろん住民の意志は関係ない)、これが「現在の民主主義」の結果であるから、それは受け入れるしかないと國分さんは言う。がむしゃらに理不尽さをがなり立てても仕方がないと。学者らしいクールさである。

§



先日、閣議決定され国会に提出された特定秘密保護法案。「公表しない」「説明しない」という国民に対するマインドは、小平市長のそれと地続きだ。おそらく権力とはそういう性質を持つものなのだろう。小平市長も、もともと市民運動に長く関わってきた人物であるそうだ。菅直人氏が首相になってどういう態度であったかを顧みると、「権力が人を変える」というと、なんだか野暮ったいが、「権力の座とは、人をそう動かさせるものである」ぐらいの「構造的性質」はあるんじゃないかと思える。だからこそ、「権力を縛る」方策が必要なのだ。属人的な意味での「権力」じゃなくて、構造的問題としての「権力」。近代国家とは、その試行錯誤のプロセスで発展してきたはず。近代憲法による立憲主義とは、先人の試行錯誤から作られてきた人類学的な知恵の結実であるはずだ。

ぼくらが対峙すべき「日本の統治機構」とは何か。「悪代官」や「闇の勢力」といった分かりやすい権力者が世界を支配していると言うんなら話は早い。だけど、そういう単純な話じゃないとぼくは思う。


國分功一郎『来るべき民主主義』より
東京都が実施する例の「説明会」で、50年前からこの道路計画の問題に取り組んできた2号団地に住むご老人が、大変印象的な一言を東京との職員に向かって言ったことがある。

「私たちはもう50年も反対してきましたよ。だから私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」。

どういうことだかご理解いただけるだろうか? 50年前から今まで、計画を進めているのは「東京都の職員」である。数年ごとに担当者は変わる。説明会のたびに前に座る人が変わる。だから「東京都の職員」は50年前からずっと年をとらない。2号団地の方々は実際に年をとりながら、絶対に年をとることがない行政の職員を相手に、ずっと「私たちの声を聞いてください」と言い続けてきた。それが50年間叶わなかった。今の日本では、行政に対してもの申すとは、絶対に年をとらない「職員」に向かってものを言い続けるということになってしまっているのである。
(以上、P45〜46より)


行政の窓口に行けばわかるけれども、役所で勤める人たちのほとんどは良心的だ。分からないことは訊けば懇切丁寧に教えてくれる。高飛車な態度なんかは滅多に見られない。だがその一方で、いわゆる「役所的」な体質も持っている。担当者が匿名になればなるほど、意固地な体質になる。日本の統治機構は(東電とかもそうだけど)、そういうシステムになっている。

当たり前だと思っている(あるいは認識すらしていない)ことが、当たり前ではないことはたくさんある。鳩山由起夫氏が2010年に実現した首相会見のオープン化が、日本の憲政史上初だったというんだから驚きである。それも彼の退陣とともにすぐ閉じてしまったという事実からも、日本の統治機構とはそういう性質を持つものであるということが伺い知れる。

國分氏によれば、日本の統治機構とは行政機構のことである。政治家の承認を得たというお墨付きを貰って、行政はそれに従う。しかし実際にものごとを決めているのは霞ヶ関の官僚である。さらには(ここから先はぼくの個人的な見解であるが)、実質的に大きな発言権を持つ経済界である。もっと言うと、アメリカである。日本の統治機構とはアメリカである、などと言うと陰謀論のように聞こえる。しかしこの陰謀論を一笑に付すことができないのは、日本では(特にある年代より上では)外国といえばアメリカのことであるし、アメリカの傘下に入ることがまるで空気のように自明なこととして受けとめられているからだ。実は、この前提を疑いもせずに受け入れている日本人のメンタリティこそが、実質的な日本の統治機構なのではないかとぼくは思う。「なにかしら大きなもの」という漠然とした存在に対する無思索な信頼=依存心こそが、この国の統治機構を成り立たせているのではないか。

日本の統治機構とは、カオナシである。だから、長期的な展望については誰も責任を持たない。原子力発電所の放射性廃棄物だって、いまの統治機構が維持される限りは、永遠に誰も責任を持たないだろう。実際に予算組みをするのは財務省であり、霞ヶ関かもしれない。あるいは「政治的」に大きな影響力を持つ経済界かもしれない。それは決して表には出てこない。政治家は大根の腐ったような芝居を続けるだけであり、腐ったら首を替えられるだけだ。そういうシステムを日本は作ってしまった。誰が作ったのかも分からない。たぶんそれもカオナシだろう。

カオナシであるからこそ、このシステムを覆すのは容易ではないとぼくは思う。たぶん今まで多くの人たちが民主主義を前進させようと試み、そして挫折している。それで政治に失望を抱いている人も少なからずいるだろう。一度や二度投票所に足を運んだくらいで、失望したなんてうそぶいてみせるのは甘いかもしれない。それでも、ここ数年の総選挙あるいは首長選の選挙結果には失望を抱かざるを得ない。

§



政治家は只のお飾りで実際には行政がすべて決めているなんてことは、居酒屋談義ではあたりまえの話である。そして、有権者も政治家も体感的にそれを知っている。それが問題であり、それを変えようと考える人も少なからずいる。民主党とは何だったのか。政権交代可能な二大政党制を日本に根付かせる。それも大義名分のひとつであった。「コンクリートから人へ」というのも大事なテーマだった。だけど民主党がいちばん革命的であったのは、官僚主導から政治主導を訴えていたことである。すなわち、國分さんが指摘する「行政がもの決めるシステム」から、「政治家がもの決めるシステム」への転換を目指していたのだ。民主党による政権交代のキモはここにある。「政治家がもの決めるシステム」とはすなわち近代政治哲学が描くところの国民主権である。だからこそ、民主党は「情報公開」に力を入れていた。「行政がもの決めるシステム」ならば、国民にあれこれ説明する必要も無い。民主党が情報公開、情報の透明化に力を入れていたということは、政治主導を目指していたことの表れである。しかし、鳩山政権の終焉とともに情報は再びクローズな方向へ向かった。事業仕分けも、財務省だけが実質的に掌握している特別会計へ切り込んでこそ意味のあるものだった。だが実際には、ムダがどうのこうのというスケールダウンした茶番に終わった。民主党はなぜ失敗したのか。

鳩山由紀夫氏は「首相時代に普天間の移設をめぐって、当事の官僚を含む政府関係者が、私の指示に反し、米側と通じあい、その構想をなきものにしようとしたことがウィキリークスを通じ明らかになってきている。従来の追従型日米関係を絶対に損ないたくない力が情報の撹乱を含め働いたことがわかってきた。」とツイッターで発言している。普天間をめぐる顛末を顧みるに、そのような圧力があったのであろうことは想像に難くない(過去記事)。民主党の「政治主導」は、「行政がもの決めるシステム」に負けたのだ。政治主導を目指す議員は民主党を出て行き、そのほとんどは選挙で破れて政治の現場から去ってしまった。民主党に残った議員は、惨敗の原因を総括できていないのだから、今後に期待はできそうもない。

では有権者はどうか。圧倒的勝利によって民主党の政権交代を選んだのは他ならぬ有権者だ。しかし残念ながら、民主党による政権交代の意義をきちんと理解していた人はごくごく少なかったということは、その意思を受け継いだはずであった生活の党や未来の党の清々しいほどの惨敗を見れば分かる。有権者は国民主権なんか望んじゃいなかったのだ。自民党にいちど「お灸を据えた」だけであって、再びヨリを戻すことが念頭にあったのだ。ほんとうのところでは、変わることなんて望んでいなかったのだ。問題は根深い。ほとんど絶望的ですらある。

特定秘密保護法案が恐ろしいのは、それが権力側に都合よく利用されるからという理由ももちろんあるが、「出る杭を打つ」というカオナシのような国民性と符号するからだ。「自分はこんなに我慢している。だから我慢していない奴が許せない。そう考えて、他の人間に我慢を強いるようになる。声を上げるものを全力で引きずり下ろそうとし始める。」(本書P96より)というような気質は、誰もが少しは持っている心のクセではないだろうか。自らがカオナシの一部を形成していることに気づかずに、出る杭を叩いているつもりになっていると、そのうち自分も呑み込まれることになる。そんな社会がすぐそこまで来ている。

外山恒一氏は、「ある種の「絶望」を経由せずにファシズムに到達するのは困難(たぶん不可能)である」と言っている。彼自身、左翼活動を経てファシズムに転向したことを公言しており、「選挙なんかじゃ何も変わらない」というのは、彼の実感から出る言葉だろう。選挙なんかやってもどうせ何も変わらない。結果はもう決まっている。民主主義なんて幻想である。選挙をすればするほど、自分がマイノリティであることを痛感させられる。そういうことを、おそらく外山氏はもうずっと前から体感していたのだ。

逆らってもしょうがない、どうせ何も変わらない、どうしようもない、という現実にぶつかった時に、人は初めてスタートラインに立つのかもしれない。希望は絶望からしか生まれない。「いのちは闇の中のまたたく光だ」宮崎駿はナウシカにそう言わせている。

くり返すけれども、政治家は只のお飾りで実際には行政がすべて決めているなんてことは、居酒屋談義ではあたりまえの話かもしれない。だけど、政治学者が正面切ってそういうことを言うことはほとんど無かったのではないだろうか。

民主主義なんか嘘っぱちである。だからこそ知恵をしぼりたい。

§



民主主義はタテマエであり、タテマエをタテマエとして守ろうとすらしなくなった現在、現実としては機能していない。であるならば、どうすればよいのか。外山氏の言うように、もはや政府転覆しかないのか。政治哲学はその問いに答えることができるのか。

國分功一郎『来るべき民主主義』より
本書の主張は単純である。
立法府が統治に関して決定を下しているというのは建前に過ぎず、実際には行政機関こそが決定を下している。ところが、現在の民主主義はこの誤った建前のもとに構想されているため、民衆は、立法権力には(部分的とはいえ)関わることができるけれども、行政権力にはほとんど関わることができない。
確かに、県知事や市長など、地方自治体の長を選挙で選ぶことはできる。しかしだからといって行政の決定過程に民衆が関わっているとは到底言えない。そもそも個別の政策には全く口出しできない。それでも「民主主義」と言われるのは、行政機関は決められたことを実行していく執行機関に過ぎないと、つまりそこに民衆が関わる必要などないと考えられているからだ。
ならば、これからの民主主義が目指すべき道は見えている。立法権だけでなく、行政権にも民衆がオフィシャルに関われる制度を整えていくこと。これによって、近代政治哲学が作り上げてきた政治理論の欠陥を補うことができる。主権者たる民衆が、実際に物事を決めている行政機関にアクセスできるようになるからだ。
(以上、P17〜18より)


では、行政権に民衆がオフィシャルに関われる制度とはどのようなものか。國分氏による具体案としての提言は、住民投票やパブリック・コメント等、どこかで聞いたことのある内容ばかりであるし、いささか拍子抜けする。だけど、その聞きかじった程度の具体案の中身をほんとうに知っているのかとよく考えてみると、実はよく分かっていない。改善の余地は大いにあるかもしれない。

パブリック・コメントなんかしてもほとんど意味が無いという意見をよく聞く。実際そうかもしれない。ぼく自身も何度かパブコメを送ったことはあるが、どうせ変わらないけどやらないよりはマシといった程度の気持ちでしかなかった。というか、もの申したいという思いをぶつける場所が他に無かったから、やむにやまれず送ってみたという感覚に近いかもしれない。國分氏の言うように「民主主義に飢えている」人は案外増えているのかもしれないとも思う。

当たり前であるが、國分氏が挙げた具体案はあくまでもひとつの例に過ぎない。民主主義を補強していく強化パーツは多ければ多いほどいいと氏は述べている。これまで議会制民主主義というと、議会という一つのアリーナにあらゆる政治イシューを集約し、そこですべてを決するという一元論的な体制が構想されてきた。それに対し、問題の性格に合わせて様々な制度を活用できる、決定プロセスを複数化した体制を作ったらどうか、というのが本書の提言である。

議会制民主主義がいかにして生まれたか、また哲学やデリダの思想を紹介しながら、デリダなんて名前も知らなかったような門外漢のぼくでも分かりやすく説明してくれる本書はとても興味深かった。とくに、「制度が多いほど、人は自由になる」というドゥールズの考え方は、目から鱗だった。「法」と「制度」をごっちゃにして考えていた自分にとっては、ある意味、革命的な考え方ですらあった。これからじっくり考えてみたい。

「様々な制度」を考えていくのは、國分氏だけの仕事ではない。ぼくら自身も含まれる。自分たちのことを自分たちで考えるという、当たり前のことが根幹になければ、いくら民主主義について語っても絵に描いた餅にしかならない。

もしかしたら、政治家がそれなりの度量と行動力を持っていた時代もあったのかもしれない。だけど、もはや政治家を「先生」と呼ぶ時代ではない。一から十まで政治家にお任せでは済まされない。一切の理由が公表されないという特定秘密保護法案とは、突き詰めればつまり「オレを信じろ」ということになる。これを承認するということは、政府がそんな酷いことをするわけがないという信頼(依存心)が前提にあることを意味する。自民党は基本「オレに任せろ」で中身をぜんぜん説明してくれないが、なぜそれを無思索に信用できるのか、自民党黄金時代を体感していないぼくには理解できない。

本書の中でも提示されているが、津田大介氏の「ツールとしての政治家」という表現がしっくりくる。政治家と住民は、お互いに利用し合う存在でいいはずだ。それとお互いへの敬意は共存し得る。すなわち、住民が自らの住む自治体の行政へ関わろうとする上での橋渡しとなる役割を、政治家が担う。なぜなら彼らは「先生」などではなく、自分たちで選んだ「代議士」なのだから。


§



震災以降この国に暮らして感じてきたこと、そしてこのブログにもぐだぐだぐだぐだと書き連ねてきたことのほとんどが、『来るべき民主主義』には書いてあった。腹の底にストンと落ちる内容てんこ盛りなのだ。

それは國分氏の感性が自分と近いところにあると感じることに由来するのかもしれない。本書の中でも特にぼくが好きなのはこの部分だ。

國分功一郎『来るべき民主主義』より
駅のすぐ脇の中央公園はその小高い丘が樹木で覆われ、駅からはいつも木々が見える。駅の南側には、有名な玉川上水が東西に走っている。その脇には木が生い茂る遊歩道があり、そんな贅沢な道を地域の人たちは当然のように行き交っていた。ここは休日になるとわざわざ遠くから散歩に来る人もいる、そんな「観光地」でもある。玉川上水遊歩道を通って、毎朝、娘を保育園に送っていくのを、私はとても贅沢なことだと感じていた。
もう一つ、大切な緑があった。それは都営住宅の正面にある大きな雑木林である。駅を出るとすぐに中央公園があり、公園を通り抜けるとその雑木林が現れる。都市部によくある保護樹林とは異なり、誰もが気軽に入って緑を楽しめるのがその雑木林の特徴だった。子どもも大人も老人も、なんとなくそこに立ち入り、なんとなくそこで遊び、なんとなく休んでいる。確か月曜日の朝早くは大きな犬を連れた人たちが集まっていた。太極拳をしている人たちもいる。近くの幼稚園・保育園、あるいは小学校からは子どもたちが来る。お弁当を食べて、どんぐりを拾っている。
(以上、P28〜29より)


國分氏が小平市の住民運動に携わるようになったのは、彼自身がそこに暮らす住民であったからだ。彼自身が、雑木林を日常として行き交い、その環境を愛でていた。そういう実体験に基づく理由があったのだ。テレビで報道されるような、全国民が共有可能であると同時にどこか他人事のようなイシューだけが「政治」ではない。むしろ、自分が住む地域の、自分の手が届く周りだけしか知らないようなイシューにこそ「政治」があるのだと思う。政治とは日々の生活に他ならない。自分の肌感覚だけがそれを知っている。

政治学は、学問の中だけでは完結しない。國分氏が直面した、小平市の問題。住民投票をめぐる住民の政治参加への盛り上がりと、冷酷な現実。そこから生じた、「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」という真摯な問いかけ。近代政治哲学が「前提」としている根っこの部分に欠陥はないか。それを考え抜くことこそが、政治哲学に携わる者としての責任だと國分氏は言う。

自らの知識や常識、あるいは派閥といったものに雁字搦めにされる「識者」が多い中、國分氏が本書で示したラディカルな問いとそれに対する提言は、ある意味では地味だし、ある意味では革命的だ。「現在の民主主義を見直し、これからの新しい民主主義について考えることが本書の目的である」と彼は言う。ほんとうの意味での「学者」そのものだと思う。國分氏のように知識と感性を兼ね備えた若き学者が、政策提言の現場に近いところにポジショニングされる未来がくるとしたら、「来るべき民主主義」にも希望を見出せるように思う。

もちろん、「新しい民主主義」について考えるべきは学者だけではない。ほんとうの意味での「自治」をぼくら自身が望むのかどうか。問題はそれに尽きる。もし望むのだとしたら、まず「前提」を疑うこと。革命はそこから静かに起こり得る。




(付記)
なお、「民主的であること」と「民主主義」は、性質の異なる言葉であると國分氏は言う。しかしぼくはまだよく理解できていないので、本稿では敢えて識別せずに、学者ではない一般人の感想として自然に言葉が出てくるに任せて書いた。ご了解いただきたい。
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革命について(2)國分功一郎『来るべき民主主義』

革命について(2)國分功一郎『来るべき民主主義』 2013.10.28 Monday [妄想] comments(0)
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忘れる

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チェルノブイリを取材した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』によれば、事故を体験した現地の人にとっていちばん怖いのは忘れ去られることだという。記憶を風化させないために、かの地が観光地化しているという同書の指摘にははっとさせられた。戦争の記憶も、原発事故の記憶も、語り継がれなければ風化する。忘れる。人間はひどく忘れっぽい。

§



忘れるーーー

映画『風立ちぬ』の中でも特に印象的だったその台詞は、軽井沢のホテルで堀越二郎が出会った謎のドイツ人カストルプが、ウッドデッキのテラスで二郎に戦争について語ったシーンで登場する。

「(ここ避暑地は)忘れるにいい所です。チャイナと戦争してる、忘れる。満州国作った、忘れる。国際連盟抜けた、忘れる。世界を敵にする、忘れる。日本、破裂する。ドイツも破裂する。」

史実によれば、カストルプの言う通り、日本もドイツも破裂した。そして、カストルプの言う通り、忘れゆく。アメリカの庇護という名目の下で、戦争に負けアメリカに占領されたという事実を忘れた。ポツダム宣言を受諾し、本州、北海道、九州、四国以外の土地の主権は「連合国側が決定する」ことに従うとしたという事実(参考)を忘れた。現役の首相や閣僚から世界を敵に回すような言説がとび交い、それを簡単に「撤回」することで無かったことにする技術が横行している。都合の悪いことは「忘れ」ようとする技術だ。2年前に甚大な事故があり、事故を招いた杜撰な管理体制とその場しのぎの体質がなんら改善されていないという事実を忘れようとしているのと同じように。

人間は忘れる生き物であると云われる。もしかしたら、忘れることでかろうじて正気を保っているのかもしれないが(参考)。

§



まず自分自身のことをふり返ってみる。
1976年生まれの典型的な核家族。父親はサラリーマンで、仕事と飲み会に一生懸命。母親は専業主婦であまり表に出ることは少なかった。なにより転勤が多かった。ぼくと弟、育ち盛りの男児をふたり抱えながら、2〜3年毎に見ず知らずの土地で生活するのは大変であったろうと、自分が親になったいまでは、母親の苦労がよく分かる。もちろん当時はそんなことつゆ知らず、クソババアだなんて悪態をついていたわけだが。それはともかく、つまりぼくは小さい頃から転校少年であったわけで、「地元」という感覚が希薄だ。幼なじみという存在も無い。コンプレックスとまでは言わないが、どこか自分は根無し草であるという感覚がずっとある。根無し草であることをアイデンティティと言えるのか分からないけれども、それが自分の感覚を形成していることは間違いない。良く言えば固定概念が無い、悪く言えば世間知らずということだ。

祖父と祖母は、盆と正月にだけ会うものだった(父親は次男)。親にとっては帰省だが、子供にとってはただ遊びに行くという感覚しかなかった。親もあまり特別視していないようで、お盆というものが本来何をするものなのか、今もってよく分かっていない。いわゆる伝統行事というか、風習とかしきたりといったものにぼくが疎いのは、そういうのに触れてこなかったからだと思う。いま思えば、父方の祖父は毎朝仏壇でお経を唱えていたような気がする。夏休みの期間中だけ、その光景を目にするわけだが、なんか難しいことやってるのかなという感じで、あまり気にも留めなかった。祖父は戦争を体験していたはずだが、戦争についての話を聞いたこともない。父も別段、説明してくれなかった。もちろんぼくが聞かなかったからであって、そもそもぼくは戦争にあまり関心がなかった。ミリタリーものに対する憧れもなかったし、トラウマになるような「戦争もの」の映画や本を観たり読んだりしてこなかった。3年ほど前に、ツイッターで長崎の友人と出会っていなければ、そして彼が語る、彼の祖父や祖母が残したという原爆の記憶を知らなければ、原爆忌のことも気に留めないような認識しか持っていなかった。

すごく薄情な人間だと思う。『風立ちぬ』で描かれた二郎のように。いまではそれを自覚している。

§



とり・みき『Mighty TOPIO』という漫画と、宮崎駿『風立ちぬ』には共通項があるという記事を前回書いた。抜粋して再掲する。

『Mighty TOPIO』は、震災と原発事故に真正面から向き合った漫画だ。幾度も幾度もザセツと失敗をくり返してきた、メンマ博士の夢のロボット開発。博士が何度目かの稼働スイッチを入れたその瞬間、大きな地震と津波が研究所を襲う。瓦礫の山と化した街。2年半前にテレビや新聞で目にした、あの光景だ。そんな中、「ある力」によって動力源を与えられた博士のロボット「トピオ」は、復興のお助けをすることになる。

思わず息を呑むラスト2ページ。その8コマには台詞が一切入っていない。あの出来事から何十年後、何百年後の世界であろうか、そこに至るまでのストーリーを、台詞のない8コマが雄弁に物語る。その末に訪れる景色を、モノクロでありながら色鮮やかに描く。想像力が喚起され、読み終わった後には、これほんとうにたったの8ページだったのか?と思わず確かめてしまうくらい、まるで一編の映画を観終わったような余韻に浸ることになる。


『風立ちぬ』についての論評で、内田樹氏は、宮崎駿が描きたかったのは「物語としては前景化しないにもかかわらず、ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの」ではないかと指摘している(参考)。これには大いに共感する。ぼくも映画を観て同じ質感を感じたからだ。

「あの時代」ーーーそう呼ぶしかないくらい、その時代のことをぼくは知らない。実感としてはもちろんのこと、知識としても、語り継がれた物語としても、ほとんど知らない。同じ国なのに、まるで別の国で起きた出来事のように、断片的な情報でしか、知らない。であるはずなのに、スクリーンに向き合っているうちに、知らないはずの、その国の出来事、というか景色が、人々の息遣いや仕草が、まるで子供の頃に記憶した景色であるかのように懐かしく思えてくるのだ。
車窓から見える、里山の萌えるような緑とか、土埃の舞う街並みとか、石ころの混じったぼこぼこの散歩道とか、この時代に生きたことはないのに、そのすべてが有機的で美しくて懐かしかった。全編から立ち上ってくる鮮烈なノスタルジーが、風のように美しく、愛おしさに溢れた映画だった。

『風立ちぬ』を観て感じた「懐かしさ」とは、内田氏の言う「私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのもの」なのだ。
1976年に生まれたぼくは、映画で描かれた「あの時代」の「時間の流れ」は知らない。けれども、少なくとも現在の「時間の流れ」よりはゆったりとしていた自分の子供時代のことを思い出し、映画の景色と重ね合わせていたのかもしれない。あるいは、これからの時代、ゆったりとした「時間の流れ」を味わうことが難しいであろう自分の子供たちのことを頭に浮かべながら。


とり・みき氏が『風立ちぬ』について書いた記事がある。
「風立ちぬ」戦慄の1カット - とり・みきの「トリイカ!」

同記事中でとり氏は、「「風立ちぬ」はエゴイスティックな映画だ」と述べている。「作家や職人の、家人や世の大事や、ときには顧客すら省みない、いや、省みないように見えるエゴ」がそのまま作品に反映されているという点で、とり氏はこの作品に共感すると言う。エゴイスティックであるがゆえに「恐ろしいほど孤独で美しい」この作品が「大好きだ」と言う。

ぼくも共感する。共感すると言うとり氏の文章にも共感する。「大好きだ」と言ってしまうこの人が大好きだと思う。

『風立ちぬ』は、宮崎駿が描きたいものを描いた作品だと、とり氏は言う。それと同じように、ノーギャラで描かれたという『Mighty TOPIO』には、とり氏が描きたいものが描かれているとぼくは思う。とり・みきが『Mighty TOPIO』のラスト2ページで描いたものと、宮崎駿が『風立ちぬ』で描いたものが、同じ質感を持っているのは、偶然ではあるまい。

戦争や震災という、圧倒的に残酷な現実を前にして。それらによって失われてしまった景色を美化したいという、単なる懐古趣味でもない。戦争や事故を殊更に憎むわけでもない。ある意味では、その片棒を担いでいるのだ。大いなる矛盾の中で、ロマンチストだとか、幻想だとか言われようが、それを描かずにはいられない。そういうことだと思う。

彼らが「それを描かずにはいられない」のは、それが既に「失われてしまった」ものであるか、あるいは「失われつつある」ものであるからだ。だからノスタルジーを感じるのだ。もしそれがすでに十分に満ち溢れているものならば、わざわざ描いたりはしない。

§



言うまでもないことだが、なぜ戦争の悲惨さを忘れてはいけないのかというと、「ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの」が一瞬で無くなってしまうからである。だから、どのような正義の下でどのような事情があったとしても、戦争はいけない。そういう理由で、日本は憲法九条を制定したはずだ。いやいや、日本という危険な国に武力放棄させるためという当時のアメリカの意向があったからだという見方もある。たしかに、そうかもしれない。しかし仮に制定された経緯がそうだったとしても、市井の日本人にとっての憲法九条とは「過ちは繰返しませぬから」という皮膚感覚こそが出発点になっているのではないか。たいせつなものを失うのはもうたくさんーーそれが大多数の日本人にとっての暗黙の合意であったはず。

『風立ちぬ』や『はだしのゲン』にまつわる表現規制によって失われるものと、「敗戦」を「終戦」と言い換えることで、知らず知らずに日本人が喪失していくものは重なっている。それは敗戦に至るまでの物語。先に述べたように、ぼくは自分の国で起こった戦争のことをほとんどなにも知らないままに育った。物語を知らないのだ。そこに広がる景色や、人々の息遣いや手触りを知らない。

『風立ちぬ』の、ラストシーン数十秒が描かれるためには、そこまでの2時間が必要だった。あの大きなスクリーンに向き合う時間が必要だった。あのラストは真実である。と同時に、そこに至るまでの物語もまた真実である。そのことを「感じる」ためには、物語と向き合い、あの映画が醸し出す質感を共有する時間が必要なのだ。なぜなら、ぼくはその物語を知らないのだから。

もしかしたら、日本人が忘れてしまいつつあるのは、戦争の悲惨さだけではないのかもしれない。戦争や原発事故を越えた先に見える景色も、いまとなっては「失われてしまった」もの、あるいは「失われつつある」ものであり、忘れゆくものであり、語り継がれるべき物語なのかもしれない。だから表現者は表現し続ける。描かずにはいられないから。

「私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのもの」がかつて存在したということさえ、ぼくらは「忘れ」てしまう。失われて困るもの、そのもの自体を忘れてしまったならば、戦争は悲惨ではなくなり、正義や合理性で語られるものになる。なにせぼくは薄情な人間だ。

§



『はだしのゲン』閉架問題については、ぼく自身が作品を読んでいないので何とも言えない部分はあるが、次の文章がほとんどすべてを言い表していると思う。

小池一夫さんのツイートより
「はだしのゲン」の閉架問題。大人は子どもから、残酷な事実からただ遠ざけるのではなく、この世には信じられないほど残酷な真実がある、しかし、あなたの生きるこの世界はとても豊かで美しく優しい場所でもあるのだと、両方の真実を教えるべきである。(小池一夫)


いや、待てよ。子供たちには「両方の真実を教えるべきである」という言い回しでは、大事な点が誤読される恐れがあるかもしれない。そもそも、ぼくたち大人は「両方の真実」なんてものを知っているのかという疑問だ。少なくともぼくは知っている(だから教えてやる)という立場には立てない。

真実を「教えるべき」というよりは、両方の真実が「そこに在る」というだけでいい。

両方の真実が「そこに在る」という「状態」を、保持し続けること。それがつまり「語り継ぐ」ということの意味なのではないかと思う。すべての子供に一律に語り継ぐ必要はない。読みたい人が読めばいい。ただそれだけのことなのに。例の閉架問題のなにが問題かというと、それを「無かったもの」にしようとしているからなのである。都合の悪いことは隠して「忘れ」ようとする技術に他ならない。

つまりこれは、子供の知性を信じていないという態度だ。

§



史実や文化を知識や教養として身につけていれば、見えてくる物語もまた変わってくる。町山智浩さんの『風立ちぬ』解説を聞いて、ああぼくは分かっていないことがたくさんあるんだと知り、それを殊更に説明しようとしなかった同作品の懐の深さに改めて嘆息した。

作中において分かりやすい説明が少ないというのは、解釈を委ねるということであり、作り手が観る人の知性を信じているということでもある。観る人の知性を信じるとは、観る時点での知性もそうだけれども、その後その人が多様な経験を積み重ねていく中で形成されていくであろう未来の知性に対する信頼ということでもある。

考えてみれば、宮崎駿だって終戦時は4歳である。あの映画で彼が描いた景色は、彼が直接経験した真実というわけではなく、彼が語り継がれたものだったに違いない。「ぼくはこういう物語を見聞きしてきました」という彼の頭の中を提示したのがあの作品なのだとも言える。

もう一編、とり・みき氏のコラムを紹介する。
こどもたちは裸足で夏を駆ける - とり・みきの「トリイカ!」

とり氏は、話題になっている閉架問題について、「見せるべきではない」という意見にも「見せるべきだ」という意見にも、どちらにも違和感を覚えるという。子供の頃に一種のトラウマになった諸作品での原爆の描かれ方。しかし「遠ざけたい」とは思わなかったし、むしろ興味がわいたと言う。「原爆や戦争への興味のスタートは一時期の少年が抱く「恐いもの見たさ」やグロテスクなものへの興味と、さほど変わらなかった」と。

同記事より
自分の経験からいえば、そもそも子供は誤解や誤読をしながら、あるいは大人から見れば不健全な興味から作品に入るのだ。そうして年月をかけて学習をし、ここは正しくここは間違いだった、などと吟味しながら、それでもなぜ自分がその作品を好きになったのか、を突き止めていくのだと思う。


すばらしい見解だと思う。

人間は忘れる生き物である。そして、人間は学習する生き物でもある。「見せるべきではない」あるいは「見せるべきだ」という態度は、人間は学習するというそのこと自体を忘れてはいないか。わざわざ「教え」たりせずとも、ただ「そこに在る」だけで、子供たちは勝手に学習する。

『風立ちぬ』の主人公は語らない男である。ストーリーも時代背景も、作中での説明が極端に少ない。『Mighty TOPIO』は抑制された筆致で、台詞も必要最小限だ(ラスト8コマに至っては一切の台詞が無い)。作品に「正解」を求める人にしてみれば、非常に分かりにくい作品なのかもしれない。けれども、語られる物語と対峙する姿勢を持った人に対しては、どんな台詞やキャプションよりも雄弁に物語ってくれる。

戦争を起こすのは、いつだって戦争を知らない人たちだ。だから知らないぼくらは知る人の言葉に耳を傾ける必要がある。そこで語られる物語そのものよりもむしろ雄弁に物語るものーーそれは戦争を経験してきた人の「佇まい」なのかもしれない。仏壇に手を合わせる亡き祖父の佇まいを思い出しながら。しかしよく思い出せない薄情な自分とともに。


忘れる

忘れる 2013.08.22 Thursday [妄想] comments(1)
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革命について(1)坂口恭平、佐々木中、三宅洋平、外山恒一に学ぶ、ぼくらの革命

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海外ならば、暴動が起こってもおかしくはないレベル。
東日本大震災の後、そんな台詞を何度目にしたことでしょうか。福島第一原子力発電所への事故対応。被災地への支援、復興プランと実行。今後の原発政策。ことあるごとに、国民の意志とは壁を隔てた場所で、すなわち住民の声が聞こえず、生命が見えない場所で決定されているとしか思えない日本政府の言動に、幾度となく驚きを通り越した何とも言えないやるせなさを味わいました。ニュースを聞きかじった程度ですらそうなんだから、実際に行政に関われば関わるほど、辛酸をなめる思いをした人がどれほどいるか。

そして、震災後に行われた2度の国政選挙での、目眩がするほどの自民党の圧勝。TPP断固反対を掲げて当選した議員を数多く抱えながら、政権を執ったとたんに交渉参加に乗り出すというジョーク。笑えない。選挙制度そのものへの疑問は大きく膨れ上がり、「どうせ選挙じゃ何も変わらない」と政見放送で言い放ったあの人の言葉が脳内にこだまする。氏の言う通り、もはや政府転覆しかないのか。海外ならば、革命が起こっているのだろうか。平和憲法に長らく守られてきた日本人は平和ボケしてしまい、自らの足で立つ力を失ってしまったということなのか。

ちょっと待って。その前に、「革命」って何なんでしょうか。圧政に苦しんできた民衆が一斉に蜂起して、わーっとなって、政府を転覆する。ときには軍が介入し、血なまぐさい映像が飛び交う。そんなイメージがたしかにあります。「革命」とはそういうものなのでしょうか。「革命」には、暴力的な要素が必須なのでしょうか。自らの命や家族との関わりを犠牲にしなければならないほどの覚悟が必要なのでしょうか。家族で食卓を囲んでおだやかに生活を営みたいという願いを持つ市民にとっては、近寄り難い存在なのでしょうか。近寄り難いといえば、たとえば日本共産党は、いまでも共産主義革命を信じているのでしょうか。もしそうだとすると、それはどういった形なのか。

2010年から2012年にかけての「アラブの春」を象徴するエジプトのデモは、SNSによって繋がった人々が、非暴力に徹して、ときにはユーモアを交えながら体制に挑戦し、30年続いたムバラク長期政権を倒すという、まさに革命的な出来事でした。彼らは、あくまでも民衆運動によって勝利を納めたわけです。
それから、他ならぬこの日本で起きた「脱原発」デモ。その大きなうねりは、それまで「デモ」という言葉を聞いた時に連想してきたような「物騒で」「いかがわしい」「やっかいな」デモとは違っていました。知的エリートが自分のイデオロギーを満足させるための言葉あそびや自己満足じゃなくて、ふだん政治活動にコミットしてこなかったような市井の人たちがデモの主役になった。日本がシフトチェンジする転換点の象徴であるように、そのときは思いました(過去記事)。

しかし、革命によって「民主的に」選ばれたはずのエジプトの新政権はあっという間に幕を閉じます。2012年7月に選挙を経て大統領に就任したムルシー大統領が、それからわずか1年後の2013年7月、軍によって権限を剥奪されたのです。これが、エジプト軍による「クーデター」であるかどうかは見解が割れており、エジプト国内でも世論が二分されているそうです(参考)。立場が異なれば、ものの見え方が変わる。絶対解や絶対正義は存在しない。ということを物語っています。わずか1年しか持たなかったから、「アラブの春は間違いだった」と考えるのは安直すぎると思います。

脱原発デモはどうだったのか。さようなら原発集会から1年後にピークを迎えた毎週金曜日の官邸前デモ。あれだけ大きなうねりはかつて無かったはずです。いわゆるイデオロギー的な要素を感じさせる従来のデモとは一線を画した、暴力的な要素を徹底的に排除した「民衆の声」だったはずです。それまで「政治的」な活動には参加したことの無かったような人たちが、やむにやまれず飛び出した「生命の声」だったはずです。しかし、それだけ大きなうねりとなった民衆の蜂起も、官邸にとっては「大きな音」でしかありませんでした(参考)。その後、唐突に発表された意味不明な「収束宣言」と、それに呼応するように収束していった脱原発のうねり。それが日本の現実でした。

どうせ投票したって、何も変わらない。デモなんかしたって、何も変わらない。政権が変わったって、日本の統治機構は変わらないじゃないか。どうせ・・・。ましてや革命なんて大層なコトは、この国では起こりっこないんじゃないか。そう思えてきます。

しかし。






1. 坂口恭平の場合

「革命」はすでに起こっているーーー。

社会をそのように見ている同世代がいます。自分たちが知覚しているレイヤーとはまったく別次元のレイヤーはすでに存在している、と。

震災の後、熊本県に「新政府」が樹立されたという話を聞きました。「初代内閣総理大臣」となった坂口恭平さん(1978年生)は、『独立国家のつくりかた』という著書でその経緯を述べています。「0円ハウス」というアート活動(もともとは卒業論文だったものがリトルモアから書籍として出版され、海外でも話題を呼んだ)で知られていた坂口さんは、その自由な発想で、「新政府」=独自のコミュニティに100人以上の避難者を受け入れます(最終的に約60人が熊本に移住)。さらに、私版「いのちの電話」とも言える自殺防止のホットラインを開設。年間約2000件もの電話を受けたそうです。

津田大介さんのメルマガ「メディアの現場」vol.80(2013年06月08日配信)に、津田さんと坂口さんの対談が収録されています。それを読むと、坂口さんの自由な発想は、既存のしくみに対する「なんでだろう」というラディカルな問い=カウンターから始まっていることが分かります。

津田マガ80号 “新政府”内閣総理大臣・坂口恭平のつくりかたより
坂口:僕は熊本県で生まれて、生後すぐに福岡へ引っ越すんです。父親は電電公社――現在のNTTで働いていまして、僕らの家族はその巨大な社宅群に住んでいました。都市計画で開発された地域で、建物自体は分離派建築会という日本初の近代建築運動をしていた組織が手がけたものなんですけど、僕はいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですね。

津田:え? 誰に対して?

坂口:地面です。だって森を切り開いて、地面をコンクリートで固めて社宅をつくったわけで、敷地の外にある自然の土と、敷地内の人工的な土は別物だって感覚的にわかったんですよね。だんご虫とかアリとか、生息している虫の数も全然違ってて、そのことに対して「うちの親父がほんとすみません」みたいな感じだったんです。

坂口:童話の『アリとキリギリス』ってあるじゃないですか。俺、昔からアリよりキリギリスのほうが好きなんですよね。だってキリギリスのほうが合理的だし才能もあると思いませんか? みんなの前で楽しそうに歌って、本当だったらそれで対価を得ていいんだけど、虫だから芸術を貨幣化できなかっただけなんです。アリだって夏の間にキリギリスの歌を聞いて楽しんでたはずなのに、寒い季節になってキリギリスがちょっとヘコんだからっていじめんなよ! って話ですよ。


そんな坂口さんは、「建築家」を志して早稲田大学の建築学科に入ったものの、既存の建築法(植物が根こそぎ掘り出された大きな穴にコンクリートを流しこんでいく過程)がどうしても生理的に受け付けられず、大学3年生のときには「建築を建てる」という思考を完全に放棄したそうです。そして大学4年生の時、多摩川沿いをぶらぶら歩いていて見つけた路上生活者、いわゆる「ホームレス」の家に衝撃を受けます。

津田マガ80号 “新政府”内閣総理大臣・坂口恭平のつくりかたより
坂口:庭には畑まであって、なんか野菜が育っている。なんだこれはと思って、「すみませーん」とか言って住人に声をかけたんです。すると、中からおじさんが出てきて、意外と気さくに応対してくれた。話を聞くと、この場所に住んでもう20年以上になるって言うんですよ。小さいけど立派な家があって、野菜を育てたりご近所と物々交換したりしながら普通に生活している。豊かな感じっていうか。自分が抱いていた「ホームレス」のイメージを覆されて、訳がわからなくなったんです。都会で不要になったものを再利用して、お金をかけずに自作した家――これこそ自分が探していた「建築」なのかもしれないという直感があって、その日から毎日彼らの家を調査することになりました。

坂口:路上生活者たちは都会の真ん中に0円で家を建て、電気システムを構築し、コミュニティを築いている。でも、何も所有していない。俺らとは全然別のレイヤーで生きているわけです。


なるほど、坂口さんが熊本に樹立した「新政府」の構想は、ここからつながっていることが分かります。

津田マガ80号 “新政府”内閣総理大臣・坂口恭平のつくりかたより
坂口:路上生活者の家の調査から始まった「建築とは何か」という問いが、次第に「貨幣とは、生活とは、共同体とは何か」という問いに発展していくんです。0円で暮らしている彼らのような生活なんてありえないとハナから思い込んでいる俺らは、実は頭がイカれてしまってるんじゃないか。なんで水や火を使うのにお金がかかるのか。なんで月収18万円の人が6畳のワンルームに月8万円もの家賃を払わないといけないのか。これって、よく考えるとおかしくないですか? 個人が共同体として集まって協力しあえば、生活費が0円で住む生活が実現するんじゃないか。0円ハウスの住人の暮らしを見ながら、そんなことを考えるようになったんです。



しかし、その坂口さんは今年4月、新政府の終了を突如宣言。

「昔からのDIY精神の延長」であると本人も語っていた「新政府」が、なぜたった3年足らずで終了してしまったのか。革命は失敗だったのか。下記のインタビューでその理由が述べられています。

坂口恭平さん(建築冒険家・作家)インタビュー「すでに革命は起きている」 - ハフィントンポスト

坂口さんは、自らが「社会運動家」になることを嫌ったようです。津田マガのインタビューでも、「新政府」は社会活動ではなく、アートの一環であると語っていました。

同記事より
僕の場合、結局は作品をつくることしかできない。だから『何かを変えることは革命ではない、すでに革命が起きていることを思考の転換によって見つけだせ』とずっと言っているんです」


彼自身が、ホームレスから「俺らとは全然別のレイヤー」を見出したように。従来のシステムに囚われない「別のレイヤー」が存在するということに気づくこと、それ自体が「革命」なのだとしたら。

「新政府」を終了し、次に彼が取り組んだのは、小説。「僕はずっと同じことを言っている。『すでに革命は起きている』。じゃあ、ちょっと子供の時のことを思い出してみようぜってことなんです」ということだそう。

坂口恭平さんのツイートより
分裂症としか思えない坂口恭平がこれが自分の幹であると確信するための旅が今回の幻年時代の執筆でありました。これからも僕は分裂した作品を発表し続ける。しかし、幹はやはりテキストだと知覚できた。7月20日。ここからまた次の人生が始まるような気がしている。幻年時代は絶対に読んでほしい。






彼が「新政府」を終了したこと、そして小説を書いたこと。そのことについての是非は、ぼくにはよく分かりません。「新政府」を放り投げたのか、それとも独自のコミュニティとしてスタートした共同体は継続していくのか。今後また何をやらかしてくれるのかも未知数です。けれどもこの小説は、いずれ読んでみたいと思います。





2. 佐々木中の場合

先日、図書館から借りてきた本。



実は「革命」という言葉について意識するようになったのは、この人の文章を知ってからです。作家、哲学者の佐々木中さん(1973年生)。彗星のごとく現れ、思想界に衝撃を与えたと言われる第一作『夜戦と永遠』が気になるのですが、そこで語られている「フーコー」も「ラカン」も「ルジャンドル」も、何一つ知らない門外漢がいきなりミーハー的な気分だけで何百頁もある分厚い本を読もうとするのは無謀だと思い、まずは入門編からと、対談やエッセイをまとめたという本書で初めて氏の文章に触れました。つい先日のことですが。

驚きました。

正直言って、聞いたことのない単語がたくさん出てくるし、フーコー?誰それ。ってぐらいの素養しかないので、たぶんそこで語られている意味も半分くらいしか理解できていないんだろうなあということが自分でも分かる。すなわち敷居が高い。にも関わらず、言葉がすっと入ってくる。なによりドキドキする。

わからないのに、ドキドキする。これって、芸術とか音楽での体験とよく似ています。意味がわからないながらも、リズムに身をまかせて読み進めるうちに、いつのまにか恋い焦がれるように頁を捲る自分を発見する。最初の数十頁を読んだだけでそう言ってしまうのも恐縮ですが、読書でそんな体験ができるということ自体が驚きだったのです。

以下に、ぼくが本書で読んだ最初の数十頁のテキストが掲載されています。

『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー - 保坂和志公式ホームページ

長くなりますが引用します。

『足ふみ留めて』(「永遠の夜戦」の地平とは何か)より
いま、多くの人は恐怖し、怯え、苦しんでいます。「自分」と「現在」が分からないという、「無知」に怯えている。自分が何者なのか、現在はどうなっているのかを知らなければならない、情報を得なくてはならない、それを知らなければ取り残される――そんな脅迫が遍在している。実は「自分探し」と「現在探し」は同じことです。そこに「それを教え、説明してやろう」という人々がやって来る。搾取する側にいると思い込んでいる「彼ら」は世界をパッケージングされた全体とみなし、それを認識する、つまり「見下し」ます。しかし、そのような「全体化された社会」を超越論的な自我として認識する「自分」を保とうとする努力は、それ自体が恐怖に動機づけられている。実は彼らも、自分自身何も分かっていないのかもしれないという不安と恐怖に取り憑かれており、「自分」を、そして「現在」を説明し なければならないという強迫観念にまみれているわけです。だから彼らの多くは常に狂ったように「自分語り」をする羽目になる。
 「自分」と「現在」を説明しなければならない、そのためには知を、情報を得なくてはならない。この強迫観念には実は何の根拠もありません。ジル・ドゥルーズは「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落だ」と言いました。ドゥルーズだけでなくハイデガーも、「情報」とは「命令」という意味だと言っている。つまり、命令を聞き逃していないかという恐怖にまみれて人は動いているのです。命令に従ってさえいれば、自分が正しいと思い込めるわけですか らね。しかし、ここで卒然として「命令など知らない」と言えるはずです。何かを知らなければならない? そんなことは「知ったことではない!」とね。私の現在は私のものだし、私は私のものです。自分も現在もここにあるのです。どこに探しに行く必要があるのですか? 何を知る必要があるのですか? 情報を、つまり命令を聞かなくてはならないだなんて、誰が決めたのですか?
 フーコーも皮肉げに言っています。「哲学者の役割が、いつのまにか現在とは何かという質問に答えることになってしまった」と。繰り返します。われわれに必要なのは「そんなのは知ったことか」と言う勇気です。「社会批評家」たちは、「すべてについてすべてを知っている」という幻想に縋る。だから彼らはいつ何に対しても気の利いたコメントが言えなくてはならないという焦慮に苦しまなくてはならなくなる。そして「専門家」たちは、「ひとつについてすべてを知っている」という幻想に縋る。結局はどちらも幻想に過ぎないのです。こうした幻想に、こうした焦慮に、こうした脅迫に、具体的に抵抗しなければならない。こうしたものは、知らない、わからないという苦しみと悲しみと恐れを、そして諦めを生むだけです。ラカンは、「すべてについてすべてを」そして「ひとつについてすべてを」という欲望は、結局は無難で安全で何も変えない「ファルス的享楽」に帰着するにすぎないと言ったではないですか。
 知らなくていいではないか。知ってどうするのですか。わかってどうするのですか。こうした知と情報をめぐる搾取と恐怖の構図に具体的に抵抗しなくてはならない。たとえ無知を誹られようが、必要ならば自覚的に無知を選び取らなければならないのです。それは政治的な抵抗そのもの「でも」あるはずです。


明らかに、ぼくなんかとは頭脳の解析回路が違って、理路整然と、また文学的な言葉で語られる文章に対して、やっぱり身構えてしまう気持ちはあります。しかし、佐々木さんはそこで言うのです。「無造作に掴みかかるように読めばいい。それだけの話」だと。「フーコー」も「ラカン」も「ルジャンドル」も、何一つ知らないあなたにも言葉は届くのだと。言葉とは、そういうものであるのだと。

そして、実際に佐々木さんの言葉は、ぼくに届いている。

芸術や音楽に触れたときのように、意味がわからないながらもドキドキする、という体験についてもその理由がわかりました。言葉とは本来、芸術であり音楽であったのです。

同記事より
ここで改めて文学とは何かというと、情報に還元できず全体性も構成しえないものである、ということになる。言葉は情報ではありませんからね。ルジャンドルが言う通り、情報化も数値化もされえないテクストの操作やそれをめぐる所作のあり方は、ダンスや料理や絵画など膨大なヴァージョンがありえます。われわれがまだ知らぬ形式も含めて。

現実を言語の外部として実体化してしまう考え方はいまだに跋扈していますが、実に退屈です。言語の外部がありそれは絶対的に語れないというような、もしくは言語の外すらもすべて語りうる、というような考え方もね。実は言語と言語の外を分けた時点で同じ穴の狢です。言語はつねに言語の外を含むし、言語の外においてこそ言語として生成する。僕はこの本で「言語は、滲んで溶ける水溶性の染みでできた、斑の身体を持つのだ」と書きました。言語と言語の外を截然と分ける思考からはもう何も生まれません。


言葉では言い表せないことがある。ぼくはそう思っていました。だから、芸術や音楽、あるいはダンスや武道、芸能といった多種多様な表現方法が存在しているのだと。しかし、そういう考え方は、言葉ですべてを説明できるという考えと表裏一体であると佐々木さんは言います。すなわち、言語と言語の外を截然と分ける思考という点で同じだと。

なんだか分かったような、分からないような、混乱してくるような、それこそ斑のように滲んだ水溶性の染みみたいな頭の中になってしまいます。ぼくは、この感覚をうまく伝えるだけの言葉を持ち得ていない。むりやり言い表すとしたら、こういうことでしょうか。世界は言葉であったのです。


世界が言葉であるように、革命とは言葉によってもたらされてきた。そう思ってしまうくらい、佐々木さんの文章は「革命」という言葉を想起させます。自分が知覚しているレイヤーとは違うレイヤーがある、ということを根源的な部分から突きつけられる。言葉とは、もともと豊穣性を持ち、多種多様な可能性を秘めていた「テクスト」であったと佐々木さんは言います。

なぜラカンとフーコーにルジャンドルを並べなくてはならないのか。それは仰る通り彼が中世解釈者革命について書いているからです。一二世紀中世解釈者革命において、多種多様な可能性を秘めていた「テクスト」は「情報の器」にすぎないものに切り詰められました。客観的な情報だけが規範にかかわるものとされるようになりました。現在の「情報理論」「情報化社会」「データベース」と呼ばれるものの出発点がここにあります。逆に言えば、もう八〇〇年以上もわれわれは「情報革命」を生き、「すべては情報である」などと言い続けていることになるのですよ! それを新しいと思い込んでいる人ばかり蔓延(はびこ)っているのは、さすがに滑稽ではないでしょうか。
 『夜戦と永遠』を読んだある方がこう言いました。「新しいテクストを作り、意味を作り、歌を創り、新しい社会を創り出す――これは当たり前のことではないですか」と。もちろん僕は「当たり前です」と答えました。逆に、いまなぜこうしたことが当たり前のことではないように言われているのかが分からないのです。一言で言えば、革命は可能だということです。しかし、坂口安吾が言うように「次の一回の革命ですべて終わるなどと思ってはならない」。やはり、ここでも「ひとつ」と「すべて」の欲望が問われているわけです。次の「唯一の」革命で「すべて」が終わるなどということはない。それにしても驚いてしまうのですが、革命は可能だなどという当然のことを、なぜ今更大声で言わなければならないのか。ドゥルーズ=ガタリが言うように「なぜ別の革命が今や可能になったと考えないのか」。
 念を押しておきます。暴力革命は革命の数あるヴァージョンの一つにすぎません。書き歌い踊り描く、本来は紛うことなく政治的であり芸術的でもあるさまざまな技芸の果実――これを総称してルジャンドルは「テクスト」と呼ぶわけですが――によって、太古から人は自らを統治してきたのです。ところが、解釈者革命以来、この「テクスト」の意味合いが縮減されていき、「情報」とその運搬機としての「書類」や「データベース」だけが規範や政治にかかわるのだという、 実は歴史的地理的に限定されたものにすぎない観念が出現します。その観念は植民地主義によって世界に輸出された。それから規範や政治は「情報化」されてしまった。だからこそ、逆にそれへの抵抗もさまざまな可能性を縮減されて、単なる「暴力」の噴出でしかなくなったわけです。こうして情報と暴力の二項対立にわれわれは閉じ込められることになった。


たとえば、音楽のもつ力を深いところで信じている人と、音楽を流通産業のひとつとして捉えている人とでは、つくる音楽が違ってきます。やっぱり、それは聴けば分かる。まあ、好き嫌いの範疇になってくるのかもしれませんが。

佐々木さんは、いまこの時代においても「テクスト」が息づくということを、信じている。だから、彼が吐き出す言葉は艶を帯びている。その艶のある言葉に、ぼくはドキドキし、恋い焦がれるように頁を捲ってしまうのです。
そこではニヒリズムは無縁であり、脳味噌は躍動しています。

 ニヒリズム批判の話ですから、ニーチェを引きましょう。彼はこういう意味のことを言っています。いつかこの世に変革を起こす人間が現れるだろう。その者にも迷いの夜があろう。迷い苦しみつつ、ふと手にとって開く本があるかもしれない。そのたった一行から、ほんの僅かな助けで変革は可能になるかもしれない。その一夜の、その一冊の、その一行を編纂するために我々文献学者は存在しているのだ。その極小の可能性、しかし絶対にゼロにはならない可能性に賭けること、これが我ら文献学者の誇りであり、闘いである、と。
 こうしてニヒリズムに抗することは、現在においても可能です。これは「現在を追いかける」ことに汲々としていると見えなくなります。ウィトゲンシュタインが言うように「現在を追いかける者はいつか現在に追いつかれる」。話が一巡りして最初に戻りますが、現在はこうなっているからこうしなければ乗り遅れるとか、こんな時代になってしまったから諦めてこうするしかないなどという抑圧的な言説は、惨めな恐怖と怯えと卑屈の産物でしかない。その一夜の一行を信じることができない惰弱さの産物でしかない。ですからわれわれはこう言いましょう、「そんなことは知ったことではない!」。


どうですか。ワクワクしませんか。

ちなみに、同記事中で佐々木さんは社会的なことについても言及していますので、これも転載します。とても分かりやすいです。

『夜戦と永遠』では、ルジャンドルが言っている「系譜原理」について書きました。「系譜原理」とは、子どもを産み育てることの制度的な保障を行う原理です。ルジャンドルは子どもを産み育てることを保障できない国家の形式は存在を許されない、とはっきり言っている。ごく簡略に言えば、これは二重の再 分配の原理です。つまり再生産=繁殖のための物理的資本の再分配と象徴的資本の再分配です。貨幣も「信用」に基づくものなのですから、この二つは切り離す ことができません。ベーシック・インカムで全住民が月額八万円を与えられるという計算がありますが、それなら三人家族であれば二四万円になります。これは、実は「君たちは生きていていいのだ」という言語的なメッセージを与えることにもなるわけですね。人民に対してこのようなメッセージを与えられない制度的形式は、国家に限らずやはり解消されなくてはならない。
 ご存じの通り、「高等教育の漸進的無償化」を批准していない国は、日本とマダガスカルとルワンダの三ヶ国だけです。象徴的資本の再分配をする気がない、つまり系譜原理を機能させる気がないわけですね。また、女性の働きやすさの指数も国連の機関から発表されていますが、日本は先進国で最低です。女性が大学を出て専門職に就いていたとしても、子どもを産み育てるために一時でも辞めると元の給料は保障されず、再就職しても生涯年収は激減する。言い方は悪いですが「パートのおばさん」になってしまう。大した「先進国」ですね。ドイツで、たとえば働く女性に育児休暇五年の後にも同額の収入を保障することにしたら、それでも他のEU諸国に批判されたと聞きました。休んでいる五年間分の昇給も保障しろ、とね。こうしたことと「少子化問題」が別のことだと考えられているわけです。立場の左右を問わず、子どもを産み育てることができない国家の存立は危ういというのは当然のことだと思うのですが。


「少子化問題」も、こうして語られると文学的ですらあります。というか、文学と政治はもともと不可分なものであり、それは「テクスト」であったということを、佐々木さんは体現しているのでしょうか。「テクスト」とはもともと豊穣性をもったものであったこと、そして読書という行為そのものが「革命」たり得ること、そのことを知ったこと自体がぼくにとっては革命的ですらありました。

最後に、氏の代表作でもある『切りとれ、あの祈る手を』の帯に記載されている推薦文とコピーを紹介しましょう。

「最近の批評は分析的であるがゆえに現状追認の罠に陥っている。ただ佐々木中だけが彼らのはるか上空で語り、その声が真の“革命”を私の心に芽生えさせた。」保坂和志氏

「取りて読め。筆を執れ。そして革命は起こった。」





3. 三宅洋平の場合

「政治のことば」を変えようとしているーーー

三宅洋平さん(1978年生)の「唄う選挙演説」を見て、ぼくが感じたのはそういうヴァイヴでした。こういう選挙演説もアリってこと、それ自体がおもしろい。

「政治のことば」を変えるって、べつに「チャラい言葉」を使うってことじゃないです。ぼくみたいなひねくれ者には、三宅さんの演説は熱すぎて眩しいし、いきなりタメ口っていうのもどちらかというと苦手です。だけど、そういうことじゃない。「政治のことば」を変えるって、そういう表層的な意味じゃない。「政治をマツリゴトに」という彼の主張は、スーツを脱いで、新しい「政治のことば」を紡いでいこうぜ、ということだと思います。

「俺も分かんねえことだらけだからさ、一緒に勉強していこうよ」と三宅さんは言います。アイヌ語で「チャランケ」という言葉があるそうです。なにかもめごとがあった場合、彼らは何日間でも持てる英知を絞って論争を繰り広げる。三宅さんが主張しているのは、徹底的な「対話」なのです。

自分の周辺から少しずつ、小さな「チャランケ」を紡いでいくこと。そのことについて話し合うこと。三宅さんのそういった姿勢を知ったときに、親和性を感じたのは、2011年9月17日にアメリカのウォール街で始まった「OWS(Occupy Wall Street/ウォール街を占拠せよ)」のこと。かつてぼくは、OWSが官邸前デモとも重なって見えました(過去記事)。

「お互いの声を増幅させ、皆の声を聞き合おう」

それは、民主主義を取り戻すための草の根ムーブメントであるように思えます。人間マイクロフォンとして、ナオミ・クラインの言葉をくり返して喋る人々の、祝祭的な雰囲気。それは「よりよい未来を作る」という行為に、自らがコミットしようとしている人だけが持ち得る「喜び」です。

三宅さんが「チャランケ」によって変えようとしているのは、「公」という言葉の概念。「公」を自分たちのマツリゴトとして引き寄せようとしている。「公」という言葉の使われ方と「Public」という言葉の使われ方って、日本とヨーロッパではまるで違うんですね。それらの言葉を聞いて想起するイメージもたぶん違うし、それらの言葉が使われるバックグラウンドもまったく異なっている。

日本では、公務員は既得権益とされてバッシングの対象になります。公務員や議員を減らせという声が世論としての主流です。まるで公務員が多いことが問題であるかのように扱われていますが、日本は公務員の少ない国であり、すべての欧米先進国より少ないというデータもあります(参考)。「滅私奉公」なんていう言葉が美徳としてあることから考えても、日本における「公」という言葉の位置づけは推して知るべしです。

ヨーロッパで「Public」というのは「自分たち」のこと。あなたは自由な意志をもって生き、この世界とルールをつくっていく一人でもあるということ。「公」とは「お上」のことではなく、「どんな社会をつくりたいのか」という、自分の意思を持った「自分たち」のことなのです。

人々の意識下にある「お上にお任せ」は根強い。民主党が崩壊した後の自民党への振れ幅をみていると、そう感じざるを得ません。民主党がダメだったからやっぱり自民党、だなんて短絡的すぎる。知的な逡巡がなにも無い。だけどしょうがない。長いこと「お上にお任せ」でやってきた日本市民のバックグラウンドはそういう文化的土壌なのだから。一度や二度の政権交代で簡単に意識が変わるわけないんです。何十年もかけて、言葉とともに成熟させていかないといけない。


三宅さんが緑の党から全国比例区で出馬した先月の参院選。ぼくは「政治のことば」が変わっていくことに期待して、彼に一票を投じました。そういう投票の仕方もアリってことが自分でもおもしろかったし、結果として、三宅さんは落選でしたが、がっかりはしなかった。選挙制度をよく知ってみれば、無名の政党から比例区で出馬すること自体が無謀であったことが分かるし、そう考えると個人名での17万票という得票は、あの参院選でのトピックのひとつとして挙げていいと思います。

三宅洋平さんは、「全候補中26番目の得票で一人の政治的立場としての存在感は生む事ができた」としつつも、「ルールはルール。それを理解して臨んだので言い訳にするつもりはない。比例で勝つには、強い党を作らなければならない」と言っています。

今回、彼に投票した人々が、それをきっかけにして選挙制度の不備について知ったり、あるいは原発や今後のエネルギー政策について話し合ったり、民主主義について考えたり、、、つまりあの17万票は議席には結びつかなかったけれども、それがもし「お互いの声を増幅させ、皆の声を聞き合う」という「チャランケ」に結びつく出発点になるのだとしたら、それはたった一つの議席よりも、もっとずっと大きな意味を持つものになるかもしれないと思います。

「滅私奉公」から「活私開公」へ、「公」という言葉の概念が変わるとしたら、きっとそれまで無関心だった人たちの政治に対するスタンスも変わります。だいたいにおいて、「政治」という言葉を聞いたときにまずはじめに受けるネガティブなイメージをなんとかしたいですよね。政治家って、本当はクリエイティブな仕事であるべきだと思います。もしそのように「政治のことば」が変わるならば、それは「革命」だと思います。





4. 外山恒一の場合

マルクス主義、アナキズムを経て現在はファシストーーー

さて、これまでの3人とはちょっと様子が違います。なにせ「過激派」です。九州を活動拠点とする革命家、外山恒一さん(1970年生)。まず見た目からして違う。前者3人はイケメンであり、ルックスや佇まい、あるいは著作物や宣伝活動に至るまで「センスがよい」。これは大事なことで、政治を文化運動として捉えるならば、彼らが支持される理由には、政治的なスタンスだけではなく、文化的な感覚があります。彼らは「絵になる」のです。それは「センス」と分かち難く結びついている。センス=美意識と読み替えてもいい。

もしかすると、外山さんの風貌や佇まいも彼なりの美意識の表れなのかもしれない。ものすごく頭のいい人物だと思うんです。そして、誰よりも「戦略的」であると。全部わかった上でやっている、独りでね。それがすごいと思う。

結果のわかっている参院選の選挙期間中、彼は単独で【全国ツアー】を敢行しました。『原発推進派ほめご大絶賛ツアー』と題された活動の様子が動画で記録されています。
外山恒一「原発推進派ほめご...大絶賛ツアー」〜新潟〜 2013.7.5 - Youtube

街宣車の頭上には「こんな国もう滅ぼそう原発で」「私たち過激派は原発推進を続ける自民党を支持します」と書かれた看板。BGMにタイマーズの『原発音頭』を流しながら、外山さん自身がマイクで「こんな国滅ぼしましょう原発で」「私たち過激派は自民党を断固支持します」とくり返し、市中を街宣して周っています。

なんというユーモア。
それを独りでやってしまう度胸。

外山さんは自身のツイッターで、このツアーについて解説しています。
「今回の「自民党ほめご(以下略)」の目的は(1)自民圧勝に決まってる選挙結果で全国の反原発派の士気が下がるのを防ぐ(2)反原発派に選挙以外の方法を追求する方が良いと悟らせる(3)ますます人気者になる…ためにとりあえずなんか面白いことをやる、なんで短期的な“実効性”の類はハナから眼中にない。」

山形にも来たみたいですが、ぼくは街頭で遭遇することが出来ませんでした。実際にどのような「空気」を街に持ち込んでくれたのかを体感することができず、残念です。ついでに紹介しておくと、歌も上手いですね。


そんなこんなで、ツイッター上ではそこそこ話題を呼んでいた氏ですが、参院選が終わった後の7月27日、朝日新聞紙上に掲載された下記のインタビューで、彼の名は一躍(一部の人たちの間で)轟くことになったのではないでしょうか。

(2013参院選)勝ったのはだれだ 活動家・外山恒一さん - 朝日新聞

彼が以前から主張していることのくり返しではありますが、あの参院選を経てしまった現在となっては、そのラディカルな問いかけは真摯に響いてきます。

同記事より
選挙なんか多数派のお祭りだ、選挙で何かが変わると思ったら大間違いだという私たちの主張が、やっと理解されつつあります
 (中略)
選挙では提示された選択肢の中からよりマシな方を選ぶしかない、政治とは悪さ加減の選択なのだと、リベラルな民主主義者はずっと言ってきたじゃないですか。民主主義が機能した結果が、今後3年間は続く自民党1強体制です
 (中略)
選挙によって、人々は意思決定過程に参加させてもらったかのように勘違いしがちですが、体制側の方針なんか最初から決まっているんです。多数決で決めれば多数派が勝つに決まっている。僕は多数決に反対しているんです。自民圧勝を受け、『自民はおごらず、少数意見にも耳を傾けるべきだ』なんて言っている人がいますが、なんてお人よしなんでしょう。傾けるはずありません
 (中略)
民主主義者の人はそう言いますが、ファシストにとってはファシズムの方が、マルクス・レーニン主義の人にとっては共産党一党独裁の方が、民主主義よりもマシな最善の制度です。民主主義者の悪いところは、民主主義もまたイデオロギーであるという自覚がないことです
 (中略)
世論調査をすれば脱原発派が多くても、民主主義の結果、原発はなくならない。あなたの眼前で起きていることは全て民主主義が機能した結果です。だから民主主義そのものを疑うべきなのです


困ったことに、いちいち納得させられます。穏健リベラルおじさんの時代は終焉して、過激派の時代に突入したのかと思ってしまうほど。参院選の後に目にした、耳にした、どんな「知識人」「インテリ識者」の言うことよりも、外山さんの言っていることが、いちいち腑に落ちる。これは、ほんとうに困ったことです。まずいなあ。

だって彼、過激派じゃないですか。選挙なんか意味が無い、民主主義を信じるな、ファシズムだ、と言っているわけじゃないですか。

多種多様なレイヤーが存在するということを認識し、であるからテクストによってそれらを可視化して、徹底的に対話をして、ものごとを暫定的に決めていくという考えは、あくまでも「民主主義」を前進させよう、成熟させよう、という土台が前提にあります。だから「次の一回の革命ですべて終わるなどと思ってはならない」し、何十年もかけて、言葉とともに文化的土壌を成熟させていかないといけない、と思っているのです。

おそらく同じように考えているであろう記者の「将棋の駒を一つずつ進めることを考えた方が現実的では」という質問に、外山さんは「それは欺瞞だ」と答えます。

フランスやアメリカで将棋盤がひっくり返されたから議会制民主主義が生まれたわけだし、戦後の日本だって、アメリカに将棋盤をひっくり返されて生まれているのですから。このゲームのルールでは絶対に自分たちには勝ち目がないのに、それでもゲームを続けようとするのは不真面目です。そもそも日本では、ゲームのルールは書き換えられるんだということすら忘れられている。だから頑固な反原発派の私が、こうやって不真面目に訴え続けているのです


民主主義なんかでは、ものごとが決められないとさえ言っている。

有権者は消費者ですよ。それでいいじゃないですか。今日は何食べようかとか損した得したとか言いながら一生を終える。政治なんかに興味を持たずに暮らせるのはいい社会です。賢い有権者になれなんて余計なお世話です。賢くなれと有権者を叱咤するよりは、選挙権を免許試験制にして、たとえば100点取ったら100票、20点なら20票と賢さによって差をつければいい


「知」に対する態度としては、佐々木中さんとは真逆であるようにも見えます。「知」を持てる者の、持たざる者への傲慢な態度にも見える。彼の言うことを真に受けてしまうのは危険であるようにも思える。
しかしあるいは、「知らなくていいではないか。知ってどうするのですか。」という点では、佐々木さんと同じなのかもと思ったり。「それは欺瞞だ」という発言とは矛盾するようですが、「短期的な“実効性”の類はハナから眼中にない」とも言っていたり。

まだよくこの人のことが分からないんです。だけど、前者3人と並べて語ることがふさわしいのかどうかは分かりませんけれども、「革命について」と題したこの原稿に、彼の名前を取りあげないわけにはいかないという思いに、ぼくは抗うことができませんでした。


ポレポレ東中野で上映中の、映画「立候補」というドキュメンタリー映画が大きな話題を呼んでいます。ぼくも観ましたが、ぐいぐい引き込まれて目が離せませんでした。泡沫候補を題材に、「泡沫候補たちはなぜ300万円も支払って選挙に立候補するのか?その原動力を探ったドキュメンタリー映画」というふれこみですが、映画を観ても、その疑問は少しも解けませんでした。あえて言うならば、分からないということが分かった。マック赤坂という人物について、理解しようとすればするほど、理解できなかった。けれども、もっと大事なことが分かりました。

彼らが立候補する理由。そんなもの簡単に分かるものか。簡単に分かるような理由なんて、ペラペラの嘘っぱちですよ。圧倒的アウェイ環境の中で、ひとり阿呆のように踊り続けるマック赤坂の姿を見て、あるいは嘲笑と罵声を浴びせる群衆を前にして、大きな問いを突きつけられるのは自分自身です。彼ら泡沫候補が存在する理由とは、すなわち、ぼくらが存在する理由でもあったのです(過去記事)。

この映画は、タテ糸となる要素とヨコ糸となる要素が絡み合って出来ています。おもに供託金のしくみ等を取り上げながら、選挙制度への批判、あるいは「政治」そのものへの根源的な問いかけをなすのがタテ糸。このタテ糸の骨子となってるのが、外山さんの東京都知事立候補時(2007年)の政権放送、そしてインタビュー映像なのです。彼の言葉が、この映画を引き締めている。それから、マック赤坂氏をはじめ泡沫候補を取り巻く様々な人間関係、人間模様がヨコ糸となっています。そしてクライマックスでは、タテ糸とヨコ糸が奇跡的な邂逅を果たし、観る者に「革命」をもたらします。まさに、いま観るべき映画だと思います。





0. わたしの場合とあなたの場合

やっとここまで来ました。読んでくれてありがとう。

もういちど、ぼくも、あなたも、自らの投票行為をふり返ってみましょう。

政党選挙の意味自体が問われています。二大政党制は完全に幻と消えました。自民党に対抗し得る政党はどこにもない。リベラルな勢力は徒党を組むことなく空中分解してしまった。マニフェストは形骸化し、いかに相手側が公約を守れないか、あるいはいかに口だけ良いことを言っているか、をあげつらうためのものになってしまった。

今後、選挙という機会があったとして、ぼくらは何を根拠に投票したらいいのでしょうか。政策なのか、人なのか、何を根拠に投票するのか。

たぶん多くの人にとっては「いかに騙されないようにするか」が焦点だったりします。「民主党にはもう騙されない」という有権者の猜疑心の結果が、同党の現在の惨状でしょう。自民党だって信用できないし、じゃあ信用できるところなんてどこにも無いんだから投票しないという選択も出てくる。
これって完全に「消費者マインド」なんですよね。コストパフォーマンスまで考え、誇大宣伝に騙されないように、「いい商品」を手にしたい。いかに賢い消費者になるか、ということを自らに課している。だから、大手代理店と手を組み、マスメディアを巻き込んだ広告戦略を手中にできる「なんとなくやってくれそうな」大手が大勝しちゃう。けっきょくのところ、勝ち馬に乗るという行為と変わりない。

でも、「いかに騙されないようにするか」という基準で投票することは、果たして生産的な行為でしょうか。有権者として政治にコミットしていると言えるんでしょうか。
というか、「騙される」ことってそんなに悪いことなんでしょうか。そもそもほんとうに「騙された」のでしょうか。「騙された気になっている」だけかもしれません。テレビや新聞がこう言っているから、わたしは騙されたのだ、というふうに感じているならば、それは虚像です。

ぼくが、あなたが、休日の時間を割いて投票所に足を運び、投じてきた一票が意味をもつのは、テレビや新聞の中ではありません。ぼくや、あなたの生活の中です。自分の家計を見てみましょう。確定申告で自分の課税率を見てみましょう。パートナーや子供たちの声を聞きましょう。テレビや新聞は、そこまで調べてはくれません。



「革命は子どもの生を「守護する」ことでなくてはならない」
佐々木中さんの言葉です。

本記事に取りあげた4人は、みな70年代生まれでぼくと同世代。「反原発」という点でも一致しています。



坂口恭平、佐々木中、三宅洋平、外山恒一。
彼らの言動に触れたとき、ぼくはドキドキする。あるいはワクワクする。自分の中の直感が、これは自分にとって大事な体験だと教えてくれる。脳味噌が躍動する。

改めて、「革命」とは何か。辞書で調べてみると

かく‐めい【革命】
1 被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。フランス革命・ロシア革命など。
2 物事が急激に発展・変革すること。「産業―」「流通―」
3 古代中国で、天命が改まり、王朝の変わること。
4 陰陽道で、辛酉の年のこと。争乱が多いとされて、改元などが行われた。

とあります。しかし、そんな既存の定義などはどうでもよろしい。
自らの中に眠る被支配意識が、支配意識を倒したとき、それまでの思考の枠組みが根本的に変革される。それは、とってもエキサイティングな体験です。

そのような「革命」とは、絶えず自己の内側に話しかけ「確かめる」という行為を抜きにしては、なし得ない。
JAPANESE SYNCHRO SYSTEMの曲(2006年)を聴いて、そんなことも思いました。



もういちど、確かめよう。
彼らの言動に触れたとき、ぼくはドキドキした。ワクワクした。自分の中の直感が、これは自分にとって大事な体験だと教えてくれた。脳味噌が躍動した。

それが「革命」につながるか否かはさて置いたとしても、「考える」ということは本来そういった躍動感を伴う自由な行為なのであり、それこそが「学び」の源流なのではないかと思う。

彼らになら、騙されてもいいと思う。
ぼくは、その直感を信じたい。



革命について(2)はこちら

革命について(1)坂口恭平、佐々木中、三宅洋平、外山恒一に学ぶ、ぼくらの革命

革命について(1)坂口恭平、佐々木中、三宅洋平、外山恒一に学ぶ、ぼくらの革命 2013.08.08 Thursday [妄想] comments(4)
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山形市報より 戦争の記憶その2

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8月6日 広島原爆忌
8月9日 長崎原爆忌
8月15日 終戦記念日

敗戦から68年。国民の大部分が「戦争を知らない世代」となり、語り継がれることも少なくなりました。ぼく自身も戦争体験者の話を生で聞いたことはありません。

なにげなく市報を眺めていたら、そろそろ原爆忌と終戦記念日が近づいていることに気づきました。そろそろそんな時期だよと他人から言われないと、その日付も、戦争があったという事実さえも忘れてしまっているくらい、ぼく自身の中には戦争というものに対して血肉化した想いがありません。

広報やまがた2013年8月1日号より
山形市平和都市宣言 (全文)

世界の恒久平和は、人類共通の念願である。
しかるに、核兵器拡大競争は依然として行われており、人類の生存に深刻な脅威を与えている。我が国は、唯一の核被爆国として、率先しあらゆる機会を通じて、核兵器廃絶を訴えなければならない。
ここに、山形市は、非核三原則の堅持とすべての国の核兵器廃絶を求め、人類の恒久平和を希求し、平和都市の宣言をする。

(昭和59年3月22日 市議会議決)


これが単なるスローガンだけに終わらないように、憲法改正への動きと合わせて、せめてこの時期くらいは想いを馳せてみようと思います。

同じく市報より、山形市内に住む方の戦争体験談を転載します。

広報やまがた2013年8月1日号より
語り継ぐ戦争体験  遠藤 竹雄さん

 私に召集令状が届いたのは昭和19年7月、26歳のときでした。当時、警察官として長井警察署に勤務していました。召集令状が届いたとき、「まさか自分が戦争に行くことになるとは」という思いがしました。その後、福原村(現尾花沢市)にあった陸軍の訓練場で歩兵としての訓練を受けました。そして、同じ年の 11月、下関から朝鮮半島の釜山(ぷさん)に上陸しました。
 私たちに下された命令は、当時中国の臨時首都であった重慶(じゅうけい)に進軍することでした。私たちは、重慶を目指すため、釜山から北京(ぺきん)を経由し長沙(ちょうさ)まで貨物列車で移動しました。そこから先は歩いて目的地に向かって移動する行軍 (こうぐん) となりました。私が所属したのは「弾(だん)12018部隊」という部隊です。部隊の名前に 「弾」という文字が入っているのですが、これは、鉄砲の弾のように「行ったきり帰ってこない」 ことを表すと聞きました。
 行軍はいくつもの部隊が連なって歩きます。その規模は1000人ほどになっていたと思います。山道は一列、その他は二列で進んで行きます。
 背のう(はいのう。リュックサック)の中には、3日分の食糧、固形燃料、下着などを入れ、外側の上部には筒状に巻いた外套(がいとう。コート)と雨衣を付け、その上に円匙(えんぴ。小型のシャベル)や十字鍬(じゅうじしゅう。小型のつるはし) 、頭を守るための鉄かぶとを乗せていました。さらに短剣や銃弾が取り付けられたベルト、雑のう、水筒を身に付け、手には三八式歩兵銃を持っていました。その他、蚊の媒介によって発症するマラリアが恐ろしいものであったので、頭からかぶる防虫網も備えていました。 全て合わせた重量は、八貫目(約32kg)ほどあったと思います。
 昼間は見つかる恐れがあるため、じっと身を潜め、夜になるとそれらを持ち行軍しました。毎夜重慶を目指し、一日十里(約40km)ほども歩いたでしょうか。それは大変つらいものでした。 「皆に付いていかなければ置いていかれてしまう。置いていかれれば命取りになる」皆そう思い、気を張って歩き続けました。
 山道には比較的隠れることができる所があるのですが、平地ではそうはいきません。平地で昼間を過ごさなくてはならない場合、それぞれの隊員が、地面に人が一人入るくらいの 「たこつぼ」 と呼ばれる穴を掘り、その中に潜んでいました。中国軍の飛行機が来ると、かぶとをかぶり、飛行機が去るまでじっとしていました。その当時は日本が勝つまで戦うという気持ちばかりでしたので、不安になることは不思議とありませんでした。
 中国は広く、何カ月歩いても目的の重慶にはなかなかたどりつきません。そのようなとき、中国軍がまいたとみられる「日本は戦争に負けた」と書かれたビラを拾いました。私は、上官にそのビラを見せましたが、上官は初めは信じようとしませんでした。しかし、確認の結果、その情報が事実ということが判明すると、上官は突然刀を地面に突き刺し、しばらく何かを考えていました。そして一言、 「分かった」と言い、ついに降伏を決意しました。私は、上官が刀を取り出したとき、切腹するのではないかと心配しましたが、自分が死ねば、残った部下たちが困ることになるのではと考え直し、降伏に踏み切ったのではないかと思います。これは、終戦から3日目の8月18日の出来事でした。
 その後、私たちは中国軍の捕虜となり、 武昌(ぶしょう)という都市で捕虜生活を送りました。食糧が乏しいため、腕時計や万年筆を地元住民から食糧に交換してもらったりもする生活を送るなか、私はマラリアに罹患 (りかん) し、苦しい思いもしました。
 捕虜生活を8カ月ほど送り、昭和21年5月、ようやく私たちは帰国することができました。私は、まさかこんなに早く日本に帰ることができるとは正直思ってもいなかったため、 喜びが溢れ出てきました。
 しかし、中国軍の機銃掃射で失った仲間のことや召集される前に現役兵として3年間従事していた満州国境警備に私と入れ替えで赴任した仲間たちが、その後激戦地の沖縄に送られ帰ってくることができなかったことなどを思うと複雑な気持ちになりました。
 一歩間違えば、私もその運命をたどったかもしれないと考えると戦争の恐ろしさが込み上げてきます。
 私は、二度と殺伐とした戦争をしたくはありません。そして、私が戦争で味わった、悲惨で、苦しい思いを私の子や孫、そして戦争を知らない若い世代の人たちにはさせたくありません。
 私は、 この平和な時代がいつまでも続くよう願っています。


実際に戦争の現場を体験された方の話を聞くことは、たいへん貴重だと思います。会議室で司令を下すような人たちの言葉ではなく、ひとたび戦争になれば否応なく現地に駆り出されることになる「ふつうの人たち」の話をもっと聞きたいと思います。

3年前に書いた記事です。

戦争の記憶

いまもこの考えと大きな違いはありません。


人は、目に見えない観念的な世界平和や社会正義のために生きることはできません。目の前の家族のためだけを思って、生きることができます。それはエゴイスティックで利己的なことでしょうか。でも、それが真実だと思います。人間は(というよりも自分自身は)本来そういう性質をもっている生き物だということを、まず認識することから始めないと、前に進まないと思うのです。

改憲を叫ぶ方の中によくあるロジックとして、家族を守るためにこそ、戦わなければならないんだ、というものがあります。「愛する者を守るため」。これは、いかにも男ゴコロをくすぐるフレーズです。しかし、愛する家族は、夫または父親が戦地に赴くことを望んでいるのでしょうか。守るって、何から何を?

どこの国に於いても、戦場で犠牲になるのは何の罪も無い住民であり、実際に戦地に赴く兵士たちです。改憲を訴えるような政治家は、決して自らは戦場に立たない立場の人たちです。そして、「正義」がつくられないかぎりは、戦争は起こりません。「お国のため」の、その「国」の中に、自分の愛する「家族」が含まれているのかどうか、よく考えてみる必要があると思います。


山形市報より 戦争の記憶その2

山形市報より 戦争の記憶その2 2013.08.04 Sunday [妄想] comments(0)
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ちょうちょとButterflyと公とPublic

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「ちょうちょ」って、英語で「Butterfly」じゃないですか。
これがどうもうまく飲み込めない。「蝶」が「Butterfly」と英訳されることは学校で習うわけだけれども、「蝶」=「Butterfly」として処理してしまうことにちょっとした違和感があるのです。


ぼくは蝶の標本にも興味がないような蝶の素人ですので、世界的にどのような蝶が存在してどのように分布しているのかぜんぜん知りません。なので、蝶博士や愛好家の方々からすればもしかしたら見当はずれかもしれませんが、科学的裏付けの無い、単なる印象論として「ちょうちょ」と「Butterfly」の差異について考えてみます。

「ちょうちょ」という言葉を聞いた時に、ぼくはどうしても、「♪ちょうちょ〜」というあの童謡が、まっ先に脳内に流れます。「ちょうちょ」という言葉とちょうちょの歌はワンセットになってる。(ちなみにあの童謡は、欧米各国に伝わる童謡に日本で独自の歌詞を付けた唱歌(参考)だったとは知りませんでした。)
で、その結果、「ちょうちょ」という言葉を聞いた時に想起されるのは、白や黄色の、ひらひらと舞う、かわいらしい蝶のイメージです。モンシロチョウやアゲハチョウ。

 
(画像はこちらこちらから拝借)

たぶんこれが日本人が「ちょうちょ」と聞いて連想するイメージのマジョリティなのではないでしょうか。というよりも、日本に住んでいて日常的に目にするのはこういった蝶であるから、この虫は「ちょうちょ」という可愛らしい語感を持った言葉で表されるようになったんじゃないかと。(いや待てよ、もっと昔は「てふてふ」と呼ばれていたはずだと思い出しましたが、めんどくさいので無視します。)

で、「Butterfly」ですよ。語感からして「ちょうちょ」とはまったく違うじゃないですか。(水泳のバタフライと被ってしまうせいもありますが)なんだか激しそうな、きらびやかな感じがする。モンシロチョウやアゲハチョウに慣れ親しんだ身からすると、これを「Butterfly」なんて名付けることにはちょっとした違和感があるのです。あの童謡も「♪バタフライ〜」じゃサマにならない。

ということは、「ちょうちょ」と「Butterfly」はそもそも指しているものが違うんじゃないか。英語圏に住む人が「Butterfly」と聞いて想起するのは、たぶんこういう蝶なのでは。

  
(画像はこちらから拝借)

ためしに、「ちょう」で画像検索した場合と、「Butterfly」で画像検索した場合を比べてみたのですが、色合いがぜんぜん違います。やっぱり「ちょう」は「ちょう」っぽいし、「Butterfly」は「Butterfly」っぽいんですよね。(こんな説明でうまく伝わっているかどうか分かりませんが、伝わる人には伝わっているという前提で話をすすめていきます。)

何が言いたいかというと、翻訳されることでイコールで結びつくと思っていたものが、実は同一のものを指しているとは限らないということ。同じ言葉だと思っていたものが、実は各々の立ち位置によってまったく違うイメージで使われていることがあるということ。

言葉というものは、絶対的な価値基準としてあるわけじゃなくて、その土地に暮らす人たちの生活文化の土壌に大きく左右されるものです。というか、文化的土壌とかバックグラウンドがまず先にあって、そこから必然的に生まれてくる。



日本という国は明治維新によって、近代国家へと変貌していったと言われています。黒船が海を越えて持ってきたものは、西洋の文化、制度や習慣。いわゆる文明開化です。このときに日本は西洋の文明をごっそりと輸入した。西洋の制度や習慣を輸入するために、それらの概念も、言葉として輸入した。「人権」や「自由・平等」といった概念もたぶんはじめて輸入された。もちろん、それによって日本は近代国家としての道を歩んでいくことになるわけですが。

たとえば「人権」や「自由・平等」といった言葉が、西洋の民主主義で使われているのと同じ意味で認識されているのかどうかは疑問です。人権感覚の欠如した人が政治家になり、大手を振って平気で人権侵害的な発言をしたりしている。輸入されたのは言葉だけで、日本には民主主義が根付く文化的土壌がまだ育っていないというふうにも見えます。

文化的土壌とかバックグラウンドがまったく異なる地に、異文化の「言葉」だけが輸入されたとしても、その真意は伝わらないわけです。字面だけで、自分が理解できる範囲で勝手に自分なりに解釈してしまう。だけど、相手の文化的土壌と自分の文化的土壌を知らなければ、ほんとうには理解できるはずが無いんですよね。


「公」という言葉があります。
公務員は、よく既得権益とされてバッシングの対象になります。公務員や議員を減らせという声が世論としての主流です。まるで公務員が多いことが問題であるかのように扱われていますが、日本は公務員の少ない国であり、すべての欧米先進国より少ないというデータがあります(参考)。

「滅私奉公」なんていう言葉があることから考えても、日本における「公」という言葉の位置づけは推して知るべしです。

nakanemisaさんのツイートより
7〜8年前、diversity MLで「公」の概念がヨーロッパと日本ではまったく違うことを知った時は衝撃を受けた。「公」というのは「自分たち」のことなんだと。

公とは「お上」のことではなく、「自分たち」の総意。教育の捉え方は、この「公」の捉え方で大きく変わる。今ある社会に適応させること。ここ数十年の日本の教育の主な目的はそれだった。でも本当はもう一つの大切な側面がある。どんな社会をつくりたいのか、自分の志向や意志をもつ人を育てることだ。


「公」という言葉の使われ方と、「Public」という言葉の使われ方がまるで違うんですね。それらの言葉を聞いて想起するイメージもたぶん違うし、それらの言葉が使われるバックグラウンドもまったく異なっている。

2009年の政権交代で民主党が、松井孝治参院議員が中心となって打ち出した「新しい公共」とは、つまりこの「公」という言葉を再定義しようという意味でした。いままでの「お上にお任せ」型の政治から、有権者が「自分たちで引き受ける」政治へ。鳩山由紀夫氏が言っていた「裸踊り」もそういう文脈であったわけです。これは日本の政治史において、相当にドラスティックな変化になるはずでした。当時のぼくは、その期待も込めてこんな記事を書いています→「公」と「私」

だけど、そういうことはあまりアナウンスされなかったし、そういう認識は人々の間にほとんど浸透しなかった。民主党の迷走とともに、「新しい公共」はいつのまにか立ち消えて、そして忘れ去られていきました。

3年前の松井孝治さんのツイートより転載します。
日本の文化を語れる政治家を育てなければ。経済も生活ももちろん大切。それらは必要条件。でも十分条件ではない。自国の文化を高めることがその国の教育や経済や政治の一義的な目標なのではなかろうか。

僕が「文化」というとき、狭い意味での芸術文化もさることながら、中央の「官」だけでなく、地域の人々が「公共」をささえるような、社会のありようまで含みます。豊かな日本独自の「文化」を更に深化させたい。前提として経済が大切であることとも、他国の文化を尊重することとも両立すると思います

「人間のための経済」。鳩山演説で問いかけたこと。2000年代、マクロ経済はそれなりには成長した。マクロの成長も必要。ただ、国民生活がどこまで豊かになったか、地域の絆が強化されたか、地方が空洞化していないかを振り返り、今の日本に必要な経済社会政策を立案しなければ。

その議論の中で、思い切った地域主権、「新しい公共」。これらは経済の活性化のためにも重要という方向性を、前内閣(編注:鳩山内閣)では見出しました。


「民主党」という言葉には、もう負のイメージがまとわりついてしまいました。民主党について書くことすら憚れるような雰囲気です。けれども、3年前に政権交代を託したときの「政治が変わる」というあの期待感のすべてが嘘だったとは、ぼくは思っていません。新しい政治の言葉を届けようとしていた人たちが少なからずいたこと、そういう気運が高まっていたことをぼくは覚えています。ぼくたちは政権交代に何を託したのか。何を目指していたのか。何がダメで何がダメじゃなかったのか。検証する必要があります(けれど主要な政治家は誰もしていません)。残念ながら松井孝治さんは政界を引退してしまいました。民主党内に「新しい公共」の意義を理解していた政治家がどれだけいたのかも、いまとなっては疑問です。

人々の意識下にある「お上にお任せ」は根強い。民主党が崩壊した後の自民党への振れ幅をみていると、そう感じざるを得ません。民主党がダメだったからやっぱり自民党、だなんて短絡的すぎる。知的な逡巡がなにも無い。だけどしょうがない。日本のバックグラウンドはそういう文化的土壌なのだから。一度や二度の政権交代で簡単に意識が変わるわけないんです。何十年もかけて、言葉とともに成熟させていかないといけない。

自民党にせよ、民主党にせよ、あるいは共産党にせよ、どれかの政党が「正解」であるはずだ(選挙は「正解」を選ぶレース予想だ)と考えているうちは、「お上にお任せ」の意識から逃れられません。まるで「民主主義」という「正解」が、異国の地にすでに完成系として存在していて、それを輸入すればOKみたいな態度では、民主主義が根付くわけがない。必要なのは、考えるちからです。

だからこそ、教育が重要です。

nakanemisaさんのツイートより
この世界のルールを知って従うことも必要。でも同時に、あなたは自由な意志をもって生き、この世界とルールをつくっていく一人でもあるということ。

意志をもつように育てるための何か特別な方法があるわけではないだろう。ただ言えるのは…子どもと、親や先生(学校)との間に、双方向のやりとりがあり、そのせめぎ合いで状況を変えていける体験することではないだろうか。一方的に押し付けるだけでは、考えない受け身な生き方を身につけさせてしまう。


「教育改革」が必要だと、誰もが言います。
だけど、どういうふうに変えていけば良いのか、その中身はそれぞれの考え方によります。自民党と民主党の教育観はぜんぜん違いました。「教育」という言葉で一緒くたにできない多様性をもっているのが、教育だと思います。言葉の字面通りの定義ではなく、話し手と言葉が含むニュアンスを見ないといけない。

「教育」という言葉を聞いた時に、ぼくたち大人は、自分が理解できる範囲で勝手に自分なりに解釈してしまいがちです。子供は、大人がもつ偏狭な理解や解釈を超えていく可能性をもっています。双方向のせめぎ合いを通して、言葉がもつ意味を再定義していくのも子供たちです。

「好奇心こそ、次の時代を拓く鍵である。これを追求し、果てしない努力をつづけるところに、子供の力がある。」(野口晴哉)

だいたいにおいて、「政治」という言葉を聞いたときにまずはじめに受けるネガティブなイメージをなんとかしたいですよね。政治家って、本当はクリエイティブな仕事であるべきだと思います。

フルタルフ文化堂 より
コトバが変わると人々の気持ちが変わる。政治が変わる。社会も変わる。人々のコミュニケーションのスタイルも変わる。だからリーダーこそが、しなやかなコトバ、自分のコトバで語りかけることは、本当に大切だ


もういちど言いますが、言葉がもつ意味を再定義していく可能性を秘めているのは、子供たちです。
まあ子供みたいな大人でもいいんですが。

ちょうちょとButterflyと公とPublic

ちょうちょとButterflyと公とPublic 2013.07.12 Friday [妄想] comments(0)
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多様性って、肩の力を抜くことじゃないのかな

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よく、こういう議論があります。

日本はどんどん非寛容な国になっている。

生活保護の不正受給へのバッシングを隠れ蓑にした、受給者への目に見えない差別。未婚の母に対する人権侵害的なアンケートを企画する出版社。警察という権力に守られながら、何の罪も無い市井の在日コリアンに侮蔑の言葉を投げつけるだけのヘイトスピーチ。放射能、原発の是非をめぐる同調圧力。

野合とポピュリズム、ギャンブラー的政治家の跋扈に象徴されるような、テレビが流す「風」によって決まる選挙。そういった空気に占拠される政治。メディア・リテラシーの欠落。一億総国民が、ひとつの方向に向かってガーッと極端に振れる「世論」。とにかく、ある方向に対して向けられる同調圧力っていうんですか、それも無意識の正義の押し売り。そういう傾向がありますよね。

森達也さんは、日本の現状を、「今のこの国の状況は(欧米のメディアが指摘するような)右傾化ではなく、 集団化だ」と言っています(森達也オフィシャルサイト巻頭コラムより)。

テレビを付けると、どの局も一律に横並びで同じようなニュースを流しています。だから森さんが指摘するように、徒党を組んでひとつの方向に走りやすい。数の論理に守られた無意識の人たちっていうのは、そこから外れる人を異端視したり敵視したり、しまいには迫害したりしがちです。多数派が徒党を組めば組むほど、その集団は、少数派に対して非寛容になっていきます。

首相自身が、自分の意見に反する人たちを「左翼」などとカテゴライズして、あからさまに見下すような態度を自身のFacebookで公開し、それに「いいね」してくれる賛同者がコメント欄に並ぶ光景は、ちょっと気持ち悪くてぼくは直視できないレベルです。これがどのメディアでも批判されない不思議。

ほんとうに、日本は非寛容な国になっている。あるいは、もともと非寛容な国であったけれども世間体や常識などといった蓋でいままで防護されていたものが、社会情勢の不安定化と、SNSの普及による身体性(イデオロギーを抑制するのは身体だという説)を超えた結びつきによって、その蓋が外れて噴出しているという現象なのかもしれません。

ともかく、日本はどんどん非寛容な国になっている。
この傾向を懸念する人たちは、日本人にはもっと寛容さが必要だと訴えます。寛容さというのはつまり、多様性を包み込む度量のことだと思います。だから、多様性を許容する社会であるべきだと。

そうすると、こういう議論が出てくるのです。

多様性を許容する社会であるならば、ヘイトスピーチのような差別的な発言も、多様な思想の一つであるはず。ヘイトスピーチも、言論の自由に守られるべきだ。

こういうことを言う人が必ず出てくる。
事実、在特会のヘイトスピーチが警察によって守られているのは言論の自由を論拠にしているわけです。
「それは違うだろう」と、思います。ふつうの感覚をお持ちであれば、それは違うだろうと思いますよね。

じゃあ、どこまでを多様性として許容して、どこからを許さないのか。きちんと定義できるのか。誰が定義するのか。そうやって線決めをすることは、多様性に対して寛容な態度だと言えるのか。そうやって考えていくと、頭の中がぐるぐるしてパーンとなります。

めんどくさいですね。定義、定義って。

すべての人に等しく当てはまる定義なんて存在するんでしょうか。定義にこだわることが、非寛容ってことなんじゃないですかね。定義にこだわらないのが、寛容な態度なんじゃないですかね。

コンプライアンスだの、プライバシーポリシーだの、著作権保護だの、なんでもかんでも杓子定規に当てはめようとする風潮がありますが、そういうのもケース・バイ・ケースでいいんじゃないでしょうか。

よく、誤字があったという理由でわざわざツイートを消して再投稿する人がいます。その律儀さは立派だなあと思いますが、少しの誤字くらい読む側が脳内で修正して読めばいいだけの話だとも思います。そんな立派じゃなくていいよと。


「世の中には「正しい」ことより大事なことがある(んじゃない?)」と、漫画家のとり・みきさんが言っています。

とり・みきの「トリイカ!」 - 日経ビジネス・オンラインより
いまのネットは、それが事実かどうか別に検証しなくていいことまで検証したがるシャレのわからない正義感であふれかえっている。冗談ひとつ発するのも気苦労だ。


すごく分かります。シャレのわからない正義感、「定義バカ」の話に付き合っていると、こっちまでおかしくなります。橋下市長の戦術はまさにそうです。別に検証しなくていい定義を追求して相手の頭をパーンとさせて、おかしくさせるのです。

「信を問う」だの、「毅然とした」だの、ほんとうに自分は普段からそういう態度でものごとに接しているのかどうかを考えてみてください。そうじゃないとしたら、それは煽り言葉です。

白か黒か。0か1か。
もうそういうの、疲れませんかね。

それが事実かどうか別に検証しなくていいことはほっとけばいいんです。少し聞きかじった程度で、ほんとは関心が無いのに社会派のフリをして眉間に皺を寄せる必要はないんです。自分にリーチすることだけ取り扱えばいいんです。
自分はめっちゃグレーというかニュアンスカラーな存在だし、0でも1でもない0.23ぐらいの輩であるということを自覚するといいです。0.84ぐらいだとサバを読んだっていい。

眉間の皺をほぐして、肩の力を抜いて、シャレの分かる人たちとおもろいことをツイートしていたいですね。各所にそれぞれの個性が点在して、それぞれが自分の好きなことを展開して、ときには助け合ったり合わなかったりする様子を、神様になって空から俯瞰したときに見える景色が、多様性ってことなんじゃないかなと。それはきっと創造的で、色とりどりなはずです。

多様性って、肩の力を抜くことじゃないのかな

多様性って、肩の力を抜くことじゃないのかな 2013.07.10 Wednesday [妄想] comments(0)
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ショッピングモールとパティ・スミスと漂白される時代

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先日、イオンモールについて思うことをつらつらと書きました。ぼく自身、考えがまとまっていないままに書いたので、何を言いたいのかよく分からない文章になったなあと思います。イオンモールはつまらないと言いながらも、便利なのはたしかであり、実際にけっこう利用しているわけで、そのあたりの矛盾をどう消化したらいいのか自分でも分かりません。

現代において、ショッピングモールの存在は重要であり、若手論客を中心にして「ショッピングモール論」とでもいうべき論考がなされているそうです。震災前に刊行された、東浩紀さんの『思想地図β』創刊号もショッピングモール特集でした。個人的には、『ラーメンと愛国』で抜群の情報収集力と編集力を見せてくれた速水健朗さんのこの本を読んでみたいと思っています。

現代都市と、いまどきのショッピングモールは、少しずつ姿を変えながらにじり寄る関係にあり、近い将来、どこまでが “都市” で、どこから先が “ショッピングモール” なのか分からなくなってしまうだろう。つまり、ショッピングモールについて語ることは、現代の都市について語ることでもある。


ネットの時代だと、書籍を読む前についつい書評を読んでしまうことが往々にしてあるわけで、本書についての書評ブログをいくつか読みました。

ショッピングモールから都市論の深みにはまってみる - 風観羽

上の記事で、筆者は「かく言う私も、ショッピングモールと聞けば、ファスト風土化(大型店やチェーン店などが郊外に進出することで、その地域の個性が失われてしまう現象)の印象が強く、「地域共同体を崩壊させ、地域の特色をなくし、グローバルな大資本の横暴を象徴する存在」というようなネガティブな概念が思い浮かんでくる。」と語っています。ぼくが、前の記事で書いたのもほとんどそういう内容でした。ショッピングモールは忌み嫌われている存在であり、だからあまり真面目に語られることが無いという指摘は、なるほど自分もそうだなと。

しかし、速水さんの言う通り、現代の都市について語るときにはショッピングモール抜きでは語れないという時代になっているのかもしれません。

上記、風観羽の記事より
従来より利便性があがり、賑わいがあり、センスもよい環境につくりかえられている場所が増えていることは間違いない。私自身、胸に手をあてて自らに問えば、その恩恵を十分に感じている自分がいる。(中略)ショッピングモールを中心に開発された場所は、『ファスト風土化』で語られるような荒涼とした風景というよりは、『安全』、『清潔』、『バリやフリー』、『テーマパーク的な面白さ』等のキーワードが似つかわしく、より一層洗練されてきている印象が強い。


イオンモールはつまらないと文句を言いながらも、便利なのはたしかであり、実際にけっこう利用している自分がいるという矛盾がここにあります。グローバル化を嘆きながらも、ユニクロで服を買い、AmazonでCDをポチる自分がいる。

風観羽の筆者は「単なる『グローバル化批判』や『新自由主義批判』で使われる分析装置では、この違和感をすくいとることはできそうもない。」と言っています。そこで「身体的・動物的な共感可能性」なるものが出てくるのですが、まだ速水氏の『都市と消費とディズニーの夢』を読んでもいないので、ここまで理解の範疇が及びません。はたして「グローバル化」以外の視座からショッピングモール問題がクリアになっていくのか、たのしみです。


もうひとつ書評ブログより。

都市と消費とショッピングモール - 町田の独り言

この筆者も、同じように前置きをしながらも、ショッピングモールがもたらす景観の変化についてこう述べています。

私自身は昨今の、何もかもがピカピカ光ったようなショッピングモールの “明るく清潔な空間” というものに、どうしても馴染めないでいる。それよりも、「裏町」 とか 「場末」 と呼ばれるような、 “暗くさびしい” 空間を残している街の方が好きなのである。

(中略)

ショッピングモールというのは、そのような街の再開発の “総仕上げ” みたいなところがある。そして、確かにそれは、新しい 「消費」 と 「雇用」 を生み出す。だが、そこで必ず何かが失われていく ( … と私は思っている) 。
 
一言でいえば、それは 「街の陰影」 である。街というのは、人々に 「安全」 と 「清潔さ」 と 「快適さ」 と 「治安」 を保証しなければならない。しかし、それと同時に、どこか 「いかがわしい」 場所や、ほのかに 「危険な香り」 が漂う場所が残っているという、微妙なバランスの上で街というものは成り立っている。
 
ショッピングモールは、その 「陰の部分」 をきれいに拭い取っていく。だからそこには 「退屈さ」 しか残らない。さらに “美学的” なことをいえば、そこには 「デカダンス」 がない。

そういう “不健全な” 嗜好は、あまり多くの人の共感を得られないだろうと思っているから強く主張する気もないのだけれど、ショッピングモールの景観は、そういう私の嗜好の正反対にあるから、「嫌い」 なのである。


ぼくは、この感覚に「ああ、そうなんだよなあ」と共感します。それはもしかしたら、都市計画というタームでは測ることのできない問題なのかもしれない。この筆者の言うように、「それは、生活感覚や価値観の問題というより、趣味の問題である。生理的な問題といってもいい。」なのかもしれません。いわば性癖ですね。

『都市と消費とディズニーの夢』 では、都市そのものがショッピングモール化しているという事実を、事例を挙げて紹介されているそうです。いくら建築家や学者たちから忌み嫌われようとも、都市がショッピングモール化していくのは、他でもない「消費者」からの要請であり、それは避けられない趨勢なのだと。

それに対する、筆者の見解にも共感しました。詳しくは上記ブログ記事を読んでみてください。たぶん、速水氏が「ショッピングモールの愛好家」であり、このブログの筆者が「ショッピングモール嫌い」であるからなのでしょう。ああ、もうこの書評を読んでしまったら、このバイアス抜きでは本書を読めなくなってしまったな…。


前の記事にも書きましたが、あらゆるものを「消費」文化のものさしで測ろうとする傾向っていうのは、ほんとうに感じるし、想田さんが指摘するように、「おまかせ民主主義」とはつまり「消費者民主主義」であるという観点で、日本の政治のダメさも説明できると思います。

ショッピングモール問題について考えるということは、「消費」文化について考えるということであり、それは「都市景観」はもちろんのこと、それだけじゃなくて、あらゆる問題につながる現象なのだと思います。

フクシマ論』の著者である社会学者の開沼博さんが、下記のような連載を執筆していました。

開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に ダイヤモンド・オンライン

開沼さんは「売春島」「偽装結婚」「生活保護受給マニュアル」「援デリ」など、タブー視される世界を取材することで、私たちがふだん見えないフリをしている「闇の中の社会」を描いています。『「あってはならぬもの」として社会からきれいに“漂白”されてしまった「ムラ」の中にこそ、リアリティはある。』のではないかと。


ショッピングモールは、人々に「安全」と「清潔さ」と「快適さ」と「治安」を保証し、人々の「消費」への欲求を満たすことを徹底的に追及して作られた施設です。それと同時に、ショッピングモールとは「漂白された」場所でもあります。作り手も、売り手も、買い手も、「個人」を見えなくさせることによって円滑なコミニュケーションが成立している世界です。時代は確実に「漂白される時代」へと向かっているというのが現実でもあります。

それが良いことなのか悪いことなのかは、簡単には決められない。「闇の中の社会」がすべてでもないし、「漂白された社会」がすべてでもない。どちらも自分の中にある一部だと思います。イオンモールはつまらないと言いながらも、けっこう利用しているという矛盾の中に自分は生きているのです。そもそも、ぼくはどちらかといえば「漂白された」環境の中で育ってきた。この矛盾は、簡単にはクリアにならないでしょう。もともと自分は矛盾した存在であると認識したほうがいいと思う。


唐突に話が変わりますが、昨夜ツイッターのTL上でパティ・スミスのカバー盤の存在を知りました。『Twelve』というアルバムで、ジミ・ヘンドリックス、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ニール・ヤング、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ジェファーソン・エアプレイン、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ドアーズ、ニルヴァーナ、オールマン・ブラザーズ・バンド、スティーヴィー・ワンダーという錚々たるロック・レジェンドの名曲ばかりをカバーしたという逸品だそうです。ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」のカバーがこちらで聴けます。いいですねー。ロック好きなら感涙なのでは。

で、このアルバムを紹介しているブログの方が、これまた共感することを書かれてまして。

ロック好きの行き着く先は…より
やっぱりパティ・スミスという人は暗くて重い。…が、ロックって暗くて重くないとダメなんだよね


そうなんですよ。ロックって、基本的に暗い奴がやらないとダメなんです。クラスの中で進んで学級委員長になりたがるような明るく元気な優等生がやるものじゃない。落ちこぼれの、鬱屈した、うじうじした少年が、やむにやまれず表出させてしまった音っていうのがロックなのだと、ぼくは思っています。

ショッピングモールがきれいに拭い取っていった「陰の部分」が、ロックにはある。逆に言うと、陰のないロックはロックじゃないと思います。

この記事にも書きましたが、ピート・タウンゼントは、「ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま躍らせるんだ。 」という至言を残しています。永遠のカウンターカルチャーとしてのロックが、ぼくは好きです。蒼臭かろうが、それだけでぼくにとってはロックはロックたり得る理由になる。そのきわめて「個人的な」衝動の中にしかロックは存在しないんじゃないかと、ぼくは思っています。

そして、それはやっぱり「漂白される」ショッピングモールとは相性の良くない存在であるだろうなと。パティ・スミスがイオンモールのひな壇で歌ってたら、ぼくはひっくり返ります。ああいう場所にはAKBが似合う。それって、やっぱり性癖の問題ですよ。生活感覚や価値観の問題というより、趣味の問題。AKBが似合うような「清く正しい」空間っていうのが、落ちこぼれの、鬱屈した、うじうじしたオジさんは苦手なんです。

そんなことをぐだぐだと考えながら、パティ・スミスのアルバムをポチります。ネット通販最大手のあのサイトで…。

ショッピングモールとパティ・スミスと漂白される時代

ショッピングモールとパティ・スミスと漂白される時代 2013.06.26 Wednesday [妄想] comments(0)
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わかりあえないこと(橋下市長の国際感覚と「グローバル化」について 平川克美さんのツイートより)

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話題沸騰中の、橋下市長による慰安婦発言。

橋下氏発言、議論呼ぶ 「慰安婦制度は必要だった」「米軍、風俗業活用を」 - ハフィントンポスト
橋下発言、ツイッター上で批判殺到 石原氏「軍と売春はつきもの」と擁護 - ハフィントンポスト

橋下さんお得意の炎上マーケティングなんでしょうか、その真意はよく分かりませんけれども、こんなもの「議論を呼ぶ」までもなく、ただただ呆れるほかないです。「死の街」発言で一発退場をくらった閣僚が少し前にいましたが、橋下さんのこの失言は致命傷にはならないんでしょうか。対外的に見た「国益」の損なわれ具合は、「死の街」とは比較にならないと思うのですが(「今回の橋下発言は間違いなく日本の国際社会における信頼と評価を大きく損ないました」という内田樹さんのツイート)。けっきょくのところ、「失言」が「政治生命」に与える影響なんて、マスコミのさじ加減ひとつということです。

「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」なんていうことを、公的な場で語ることの異様さ。皆が腫れもののように避ける案件にオレが切り込んでいったと言わんばかりのドヤ顔が嫌悪感に拍車をかけます。その後もぐだぐだと言い訳を続けていますが、墓穴を掘る一方なのでもう喋らないほうがいいと思います。

橋下さんは、世界に通用する「グローバルな人材」を育成するための教育改革をかねがね訴えていますが、その前にまず誰かこの人に、居酒屋でのオナニー談義と公的発言の区別を教えてあげる必要があると思います。教科書が教えない真実の「歴史認識」とやらに拘り、勝手にオナニーやってる分には構いませんけれども、対外的な立場でオナニーを披露された日には、こっちにまで被害が及ぶので黙ってはいられません。「グローバルな人材」とは、グローバルなマナーをわきまえた人のことでしょう。


以下、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』の著者である平川克美さんのツイートを軸に話を進めていきます。

平川克美さんのツイートより
首相にせよ、市長にせよ、都知事にせよ、とても国際感覚があるとは言い難い発言を繰り返している。かれらが推奨する、グローバル化とかグローバル人材の育成って何なんでしょうね。


橋下さんや石原さんの言葉が海外に流布してくのが、ただただ恥ずかしいです。日本男児、だっせーと思う。維新の会が支持される根底には、男性社会のマッチョイズムがあると思います。女性手帳という発想が出てくるのもその延長線上にあるし、亭主関白とは本質的に女性依存(マザコン)の裏返しだと思う。ほんと、その手の「男らしさ」って、だっせーですよ。

橋下さんは「勝てば官軍」というような旨のことを語っています。戦争に負けたから悪いのだと。彼が言う「グローバル化」とは、そういう階層での話なんですね。世界というライバルに立ち向かって勝負に勝つのだと。猪瀬知事は五輪誘致をめぐる失言の後で、これで敵と味方が分かったなどとツイートしていました。橋下さんにしろ猪瀬さんにしろ、政府にしろ、「グローバル化」を推進する人たちは、「勝負ごと」にこだわっている。だけど、世界はそんなに「勝負ごと」ばかりで成り立っているのだろうか。「グローバル化」とは「勝負ごと」の土俵で語られるべき事象なのだろうか。

「グローバル化」という言葉を聞いて人が連想するイメージと、実際に「グローバル化」政策として進められる案件との間に、齟齬があるのだと思います。前者は、インターネットの普及に代表されるような点と点を結ぶイメージ。あくまでも、それぞれのローカルを起点にして、ハブによってそれらが繋がるという現象。後者は、単一の価値観を共有していくイメージ。金融と多国籍企業による市場支配は、アメリカを起点として加速しています。同じ「グローバル化」という言葉によって糊塗されていますが、これらの現象は似て非なるものです。「グローバリゼーション」とは「アメリカという価値観のローカリゼーション」なのだという説明が今はよくわかります。つまり「勝負ごと」とは、アメリカという価値観によって拵えられたルールなのです。(この辺りは内田樹さんの考察が的確だと思いますので、ご参照を。)

「勝負ごと」の世界観だけが突出していくと、橋下さんのようなロジックが出てくる。そしてそのロジックに違和感を覚えない人が増えていく。資本主義市場的にはそれでオッケーなんでしょうけれども、やっぱりそれは違うとぼくは思う。「グローバル化」という言葉を聞いてぼくが連想するイメージは、以下のようなもの。

平川克美さんのツイートより
アメリカの友人はカタコトの日本語、俺はカタコトの英語。お互いに通じない部分があって、その通じない部分がお互いの興味をかきたてる。母語でしか語れないことをお互いが確かに持っている。通じないということが、異文化交流の基本となる。

その母語でしか通じないことが、貧困なものでしかないとすれば、いくら外国語が達者でも異文化交流などできっこない。あたりまえだけどさ。

国際化とは、共通言語を持つということではないだろう。お互いが、翻訳できない母語の世界を持っていることを共通認識すること。そこで初めて、外国語の学びというものが起動する。


英語教育に関しては、TOEFLを義務づければ英語力が付き「グローバルな人材」が育成できる、というこれまた田舎者の考えそうなことが「教育再生会議」で議論されている(参考)というんだから、くらくらと目眩がしそうです。ここで言う「グローバルな人材」が、アメリカという価値観によって拵えられた「勝負ごと」に勝つことができる人材という意味で使われていることは容易に想像できます。

外国語を学ぶって、そういうことじゃないですよね。
たしかに、国際競争で生き残るためという側面もあるかもしれない。けれども、その前にまず身につけておかなければならない力があります。とても国際感覚があるとは言い難い発言を繰り返す日本の政治家たちは、それが欠落しているのでは。そもそも、日本語の読解力も無いような状態で英語力だけが付くわけがないです(参考:山形1区選出の遠藤利明議員と荻上チキさんとのTOEFLについての対話はまるで不条理の世界)。

外国語を学ぶことで、ぼくらは異文化の存在を知ることができます。通じないものがあるということを知る。そこにどう対峙するか、ということが外国語を学ぶスタンスに表れるのだと思います。ぼくは、思春期に洋楽が好きだったから、タイトルや歌詞の意味を知りたいと思って、せっせと辞書を引いたものです。知りたいと思うことからコミュニケーションが始まる。

平川さんの上記のツイートに対して、ぼくは幾分シニカルに以下のようなメンションをしました。外国の文化のほんとうのところなんて、そこに住んでいる人以外には分かりっこないと思っていたから。

『「わかりあえないということ」をわかりあうこと』でしょうか。RT @hirakawamaru 国際化とは、共通言語を持つということではないだろう。お互いが、翻訳できない母語の世界を持っていることを共通認識すること。そこで初めて、外国語の学びというものが起動する。

それに対して、平川さんが返事をくれました。

平川克美さんのツイートより
少し違うんです。かれが伝えられない何かは、わたしが伝えられない何かと同じ種類のものであり、とても大切なことだということはわかるということ。

かれが持っている母語でしか伝えられない何かと、わたしが持っているものを繋いでいるのは、国境を越えた普遍的な価値の共有ということ。それらは、ともにローカルな価値であるけれど、同時に普遍的なものでもあるわけですな。


このお返事にぼくは感銘を受けました。
ぼく自身は人生経験も希薄ですので、“かれが伝えられない何か”と“わたしが伝えられない何か”との間に「国境を越えた普遍的な価値」があるということを実感として持つことはまだできません。でも、そうであったらいいなとは思う。というか、きっとそうであるはずだと、たぶんずっと信じてきた。だけどそんなの幻想じゃないかとも思っていた。だから、年長者である平川さんがこのように言い切ってくれたことに感銘を受けたのです。

そう、だから知りたくなるんですね。うまく伝えられないけれども、「同じ種類のものであり、とても大切なことだということはわかる」から。だから知りたいと思う。音楽やアートもそうだと思います。

平川克美さんのツイートより
そうだと思います。この伝えられないが大切な何かを共有できるかどうかが、グローバルな人材には第一に求められている。しかし、それは「育成」によってできるものではないんですね。@singstyro おおっ。だから知りたくなるんですね。


平川さんや内田樹さんの言葉が腑に落ちるのは、「論理的に正しい」からではありません。ぼくが感じていることと「同じ種類のものであり」、それが「とても大切なことだということはわかる」からです。
橋下さんの言葉に違和感を覚えるのは、たとえそれが「論理的に正しい」としても、ぼくが感じていることとは違う種類のものであり、大切なこととはズレていると感じるからです。言い訳を重ねれば重ねるほど、そのズレが開いていく。

異文化交流とは、外国語でのコミュニケーションのことだけではありません。橋下さんや石原さんはもちろんのこと、自民党の議員の方々をはじめ、それを支持する人たち、特にネット上で熱狂的に対立を煽る人たち。この人とは「わかりあえない」だろうなと思う人がけっこういます。価値観が異なるというのもそうだけど、その前に話がぜんぜん通じないだろうなと思ってしまう。

言葉の壁よりも大きな壁があると感じる。

それをどうすればいいのかは分かりません。そういう人たちとも異文化交流できるのか。たとえば在特会のような人たちとも対話できるのか(したくないけど)。「国境を越えた普遍的な価値」なんてものを共有できるような気はさらさらしません。それでも。

平川克美さんのツイートより
人間の本音が生み出す、敵意、憎悪、差別というものの連鎖をすこしでも緩和するために、先人は民主主義や平和主義、人権といった概念を作り出してきた。そこには、幾分かの「嘘」があある。

しかしだからと言って、「嘘」を暴くことで、ふたたび敵意や、憎悪による殺戮や差別の世界へ戻るべきではないし、戻りたいとも思わない。本音を礼賛することの幼児性とは、この先人の積み上げてきたものが見えていないということ。


平川さんのような大人がいるということに一縷の希望を感じます。「国境を越えた普遍的な価値」とは、もしかしたら「嘘」なのかもしれませんが、その「嘘」によってかれとわたしが繋がるのならば、ぼくもその「嘘」にのっかってみることにしようと思います。


わかりあえないこと(橋下市長の国際感覚と「グローバル化」について 平川克美さんのツイートより)

わかりあえないこと(橋下市長の国際感覚と「グローバル化」について 平川克美さんのツイートより) 2013.05.15 Wednesday [妄想] comments(0)
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資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育)

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ニューヨーク在住の映画作家、想田和弘氏がTPPについて精力的にツイートしています。ぼくもぼんやりと感じていたことと同期する内容で、その分析も鋭くスイングしているので、思わずかぶりついてしまいます。とくに、TPPをめぐる攻防は、「資本主義」と「民主主義」のせめぎ合いであるという指摘には深く頷き、膝を打ってしまいました。

TPPと資本主義と民主主義 - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
各国の国民に交渉内容を極秘にしながら交渉が進められている国際協定であるTPPは、その交渉の仕方そのものが、国民主権に反している。

つまりTPPとは、企業が国民に優越する「企業主権」なのだ。TPPの草案に、企業の代表である顧問600名はアクセスできても、国民の代表であるアメリカの議員が閲覧できないのは、まさに「企業主権」そのもの。

国民主権が無力化された「企業主権」の世の中では、「国民」は解体されて「消費者」や「労働力」になる。実際、そういう変化はもう起きている。現在進行形の変化である。

東西の冷戦構造の中で、西側では民主主義と資本主義を混同する言説がまかり通っていたが、そのすり込みは今頃になってボディブローのように効いている。みんなが混同している間に、だましだまし、資本主義が民主主義を飲み込みつつある。

つまり、いま起きていることは、こうだ。

共産主義と言う強大な敵がいた時代には、資本主義は民主主義を味方にして手を組んだ。しかし共産主義が弱体化し敵でなくなったいま、資本主義は儲けるために民主主義が邪魔になりつつある。だから今度は民主主義を弱体化しようとしている。

「資本主義」の対立軸には、いままで「共産主義」や「社会主義」を想定してきたが、現代においては、それが対立するのは「民主主義」なのである。


TPPの対立軸とは「アメリカ」対「日本」ではなく、「グローバル企業の利益によって潤う1%の富裕層」対「99%の庶民」であると、この記事に書きました。「企業」対「庶民」ということは、言い換えると想田氏の言うように「資本主義」対「民主主義」ということです。

資本主義だの民主主義だの難しいこと言いやがって、資本主義が民主主義を飲み込むとかワケ分かんねえよ。と思ったとしても慌てないでください。親切なことに想田氏が具体的事例を挙げてくれています。ブラック企業の問題など、日本の現状を見回せば頷ける話だと思いませんか。

TPPと資本主義と民主主義 - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
民主主義が、資本主義をどのように邪魔するのか。たとえば、公的保険を作ってすべての人に健康保険を享受できる権利を与えようというのは、個人の生存権を重んじる民主主義の発想だが、健康保険に参入して儲けたい保険業界という資本主義勢力には邪魔でしかない。

あるいは、環境基準。資本主義は、本音では環境なんておかまい無しに工場を安く作って汚染水垂れ流しでバンバン生産したいだろうが、民主主義では個人の生存権を重視するので、環境基準を設けて企業の活動に一定の制限を課して縛る。邪魔だ。

あるいは、労働基準。資本主義勢力にとっては、労働力なんて安ければ安いほど良い。しかし、例えば時給50円だったら労働者の人権、生存権など守れない。だから民主主義では労働法を作り企業の活動を制限し、個人の人権を守ろうとする。これも資本主義にとっては、すんごく邪魔。


原理主義的な人々はいまだに冷戦時代の対立軸を大切にしているみたいで、ネット右翼なんかは、ちょっとリベラルなことを言うとすぐに「サヨク」だのいうレッテルを貼りたがります。彼らからしてみれば想田氏も「サヨク」になるらしい。行き過ぎた資本主義思想に批判的な言説を唱えると、じゃあ共産主義がいいのか、となるのは極論すぎます。「共産主義」や「社会主義」なんてものは、もはや実行力を持っていないわけで、そんなレッテルはもう有効ではない。
たとえば福祉国家として知られる北欧諸国は「共産主義」や「社会主義」なのかというと、誰もそんなことは言わない。社民主義という認識さえも古い捉え方なのかもしれない。どの国も、左右軸を行ったり来たりしながら試行錯誤しているわけで。何十年も前につくられて錆び付いてしまった枠組みを後生大事にしている限り、窓から見える景色はずっと変わらない。その窓では世界を見渡せません。

アメリカにおける左右軸、つまり民主党と共和党という対立軸については、下記動画の町山智浩氏の解説がとても興味深いです。キリスト教的思想がバックボーンにあり、ざっくり言うと共和党=性善説、民主党=性悪説という価値観が、それぞれの経済政策に結びついていると。
博士も知らないニッポンのウラ 第33回 ブッシュ後のアメリカ 第2部

神の見えざる手がはたらくと信じている共和党は基本的に放任主義。自由経済市場。それに対して民主党は、政府による介入によって市場をコントロールするという価値観。これはよく分かります。この経済政策に対するスタンスは、アメリカに限らず世界的な左右軸として存在しています。

だけども、オバマが大統領になってアメリカの経済政策は変わったのか。大統領になる前のオバマは「500万人の失業者をもたらしたNAFTAのような自由貿易協定では雇用を守れない」として保護貿易寄りのスタンスを強調していました。その彼がいまTPPに対しては、どのようにふるまっているのか。アメリカと日本を行き来するジャーナリスト堤未果さんが、その疑問に答えてくれました。

堤未果さんのツイートより
確かに上院議員時代と選挙キャンペーン期間はNAFTA批判の急先鋒でしたが、大統領に就任して最初の仕事はウォール街救済(TARP)、その後は公約を次々に翻しています。TPPは一般教書演説でもわかるように強力に推進の立場ですね。@singstyro #TPP


経済思想の違いによって、民主党と共和党という二大政党制が存在しているはずのアメリカですが、民主党の、それもリベラルを体現しているかのように見えるオバマが大統領になっても、新自由主義の流れは止まらない。財界からの圧力があるのか、オバマの真意は分かりかねますけれども、結果として現在はTPPを推進する立場であると。

保護貿易を唱える立場であるはずの民主党が、自由貿易へと向かっている。これは、日本の民主党もまったくそうで、鳩山政権から菅政権への橋渡しで、民主党の経済思想は左から右に変節した。政党政治の意義が崩壊した。オバマが公約を次々に翻しているという事実は、アメリカにおいても左右の対立軸そのものが機能しなくなっているという現象だと思います。なぜ機能しなくなっているのか。実際に政治を動かしているのが、有権者でも政治家でもないからです。すなわち「企業主権」。

「500万人の失業者をもたらしたNAFTAのような自由貿易協定では雇用を守れない」と言ったオバマが、民衆の意に反してTPPを推進するのは、民主主義よりも資本主義が上位であるという政治の優先度があるからです。
TPPに関する日本の議論が頓珍漢になってしまうのもそこに原因があります。TPP慎重派は民主主義の話をしているのに、TPP推進派は資本主義の土俵で議論を進めようとするから話が噛み合わない。

議論の噛み合なさという点では、原発についても同じことが言えます。

日本国内で脱原発の機運が高まった時に「脱原発に右も左もない」というような台詞をよく耳にしました。原発問題に左右の対立軸は適用しない。原発問題とは、もともと軍事問題からスタートしたものだそうです。小沢健二の『うさぎ!第24話(原発について)』という文章に、その経緯がとても分かりやすく書かれています。

うさぎ!第24話(原発について)より
原発問題とは軍事問題である。「利権優先のビジネス界が原発を生んだ」とか「科学の暴走が原発を作った。ヒトとは悲しいものだ」とかいう、変な幻想を持っていたら、捨てた方が良い。


もともと軍事問題なのにエネルギー問題にされたという出発点からして、ロジックそのものがおかしいのです。おかしいロジックの土俵上でああでもないこうでもないと。

原発が存続しなければならないのは「経済的理由」で、それに反対するならば「対案」を出せ、という現象はまさに、民主主義よりも資本主義が上位であるという思い込みの現われです。「経済的理由」が焦点になるかぎり、人々は資本的ロジックで勝手に分断してくれるので、資本側にとっては都合がいいと言えます。

原発の問題点は、核廃棄物の処理方法が決まっていない、ひとたび事故が起きれば健康で文化的な生活を奪われてしまうような怖ろしい危険性、そして多くの人が望んでいないという「民主主義」的な理由にあるわけです。けれども、じゃあ経済はどうする、対案を出せ、という「資本主義」的な理由で存続してしまう。

っていうか、核廃棄物の処理まで考えれば、経済的にだって採算取れるわけないのにね。そもそもアイゼンハワーが原発政策を始めようとしていた40〜50年代には、原発は経済的にも採算がとれないと科学界もビジネス界も意見が一致していたそうです。「原子力の平和利用」というキャンペーンが始まっても、一貫して原子力政策にそっぽを向いていたビジネス界が参入するようになったのはなぜか。それについては、前述の小沢健二の文章をお読みください。

いずれにしても、原子力産業というものが意図的に作り出されることによって、そこに利権が生まれ、そこに従事する人が生まれ、それなしでは生活できない人が生まれる。現在の原子力政策が、「経済」を隠れ蓑にした「企業主権」によって成り立っていることは、東京電力に対する政府のふるまいを見ても明らかです。選挙という民主的な手続きを経て、民衆によって選ばれた政治家が政治を動かす、のではない。そんな手続きをすっとばして財界が政治を決めているのだという現実。それが、原発事故があぶり出した日本の姿であるとぼくは思っています。

なぜそうなってしまうのか。想田氏はこう続けています。

TPPと資本主義と民主主義 <その2> - 観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Sodaより
すでに資本による権力の乗っ取りは進行している。

でもいま進行中の状況は、資本主義が強権を発動して民主主義をねじ伏せようとしているわけではない。そういう局面もたまにあるけど、基本は違う。むしろ人々は進んで民主主義を捨てようとしている。

ここのところを勘違いすると理解が浅くなる。民主主義を浸食している力は、民主主義の外部にあるのではない。民主主義とは人々によって構成されているわけだが、その人々自身が、資本主義の価値観に染められ、民主主義を放棄しようとしている。

その点を理解することが肝心だ。


想田氏はこれを「資本主義的価値観が人々の骨の髄まで浸透している事実」と指摘しています。まったく同感です。

TPP交渉の問題点は、それが秘密裏に行われている点にあります。自民党は公約にある6項目をあっさりと反故にしようとしている。原発についても、「ほんとうの情報が開示されない」という政府に対する信頼の無さがデフォルトになるくらい、政治の対応はちぐはぐしている。政治というものが「民主的な手続き」で決定していくとはとても言えないような状況です。

それと同時に、「じゃあ経済はどうする」というロジックに嵌ってしまう罠。女性が脱原発の意見をもつだけで、「経済をどうするつもりか」と子ども扱いする男の人がいるそうです。おいおい、あんたが日本経済を背負ってるのかよと。それを市井の一般市民相手に詰問してどうするのかと。民主主義の話をしているのに、資本主義の土俵で議論を進めようとするから話が噛み合わないのです。

それと、たとえば教育の問題。日本の「教育」は、学びの場ではなく単なる競争の場となってしまったという指摘はよくなされます。穴埋め問題に象徴される暗記型のテストが勉強の基準となり、自分の頭で考えるということがおざなりになってしまったと。その通りだと思います。けれども、じゃあどうすればよいのか。安倍首相や橋下市長が唱えるような「教育改革」によって、子供たちの「考える力」、また「学ぶたのしさ」を取り戻せるとはぼくには思えません。彼らが言っている「教育」は、「規律」であり「しつけ」であり、それは大人にとって都合のいい人材を作ろうという姿勢の現れです。

彼らは、子供たち自身の「学び」について何も言及しません。そもそも「学ぶ」って何ですか、という自己煩悶がまったく無い。彼らは「教育」について語っているわけじゃないのです。それは橋下氏がよく使う「マネジメント」という言葉に象徴されています。自分の思う通りに、目に見える結果がすぐに欲しいという態度は、資本主義的な価値軸です。

そして「マネジメント」というビジネス語で「教育」を語る橋下氏の言葉に、多くの人が根本的違和感を感じていないということに、この国が抱える教育の根源的な問題があるのだと思います。どっちが良い悪いという話じゃなくて、教育とビジネスは元来そぐわないという話。そこを混同してしまっている。

民主主義よりも資本主義が上位であるというような優先度で、実際に行政が動いてしまう。それは、市井の人々の中にそのような価値観が刷り込まれているからです。まあ、ぼくなんかもそういう価値軸のまっただ中で育ってきた世代であって、「コスパ」というものの見方が染み付いている。それどころか、資本主義的な価値観を「道徳」なんかと混同しているふしもあります。ということについ最近気づいたばかりで。そういう視点で世の中を見渡してみるといろいろとおもしろい。


いつの時代も民主主義は弱者の立場からその権利を勝ち取ってきたわけで、瀕死になってもしぶとく生き延びると信じたいですけど…、先の選挙結果を思うと絶望的な気分になります。政治=景気という第一義的な投票原理が、資本に毒されていることの証ですしね。


資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育)

資本主義と民主主義のせめぎ合い(TPP・原発・教育) 2013.03.14 Thursday [妄想] comments(0)
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小沢健二『うさぎ!』第24話(原発について)を読んで 言葉の使いかたについて

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伝わる言葉と伝わらない言葉

「マスゴミ」っていう言葉がありますよね。あの言葉が持つ独特の強さみたいなものが苦手なんです。だからぼく自身が使わないようにしているのはもちろん、その手の言葉が使われている界隈には、あまり近づかないようにしています。

言わんとしていることはよく分かるんです。マスコミの報道は偏向している。記者クラブの談合で作られる画一的ニュース。都合の悪いことは報じずに、どうでもいいことばかりを垂れ流している。テレビは自分の頭で考えることを止めさせる馬鹿製造機である。洗脳である。その通りだと思います。ぼくも日本のマスコミが度を超えて偏向していることには同意します。

けれども、「マスコミは本当のことを言わない」という物言いには微妙な距離感があって。本当のこと?「本当のこと」なんていうものは誰にも分からないわけで。公正中立という概念は幻想の中でしかあり得ない。報道とはそもそも偏向しているものだという認識も必要だと思うのです。

「マスコミは偏向しているものだ」という認識とは、たとえば産経が右寄りで朝日は左寄りという時代遅れで定型的な認識のことでは無いのです。フジは韓流ばかりを優遇する在日企業であるという思い込みでもない。「マスゴミ」という言葉には、そういったイデオロギーとは関係なくマスコミを激しく非難する意味合いが込められている。罵倒とも言える。その気持ちは分かるんですけれども。

左右のイデオロギーはもちろんのこと、報道される情報とは、カメラというフレームを通した時点で、その中に入ったものだけを切り取ってしまいます。つまりその外側にある大きな景色を切り捨ててしまう。編集作業とは、切り捨てる作業のことです。報道とは、必ず誰かの手を通した情報であり、意識するとしないとに関わらず、必ずその人の主観が入る。情報とはそもそも、そういうものでしか存在し得ない。

「マスコミは偏向しているものだ」という認識とは、報道とは必ず「編集」という作業を介するものであるという認識を持つことです。そのことを主題にした、森達也氏の『世界を信じるためのメソッド』や、想田和弘氏の『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』を読むと、メディア・リテラシーの基本が理解できます。マスコミが発する情報をそのまま信頼する人の割合が、先進国の中では日本が群を抜いて高いといいます。「マスコミは本当のことを言わない」という物言いは、「本当のこと」がどこかに存在するという前提であり、けっきょくはマスコミに依存する態度の裏返しに見えます。「そんなこと言うけど、じゃあどうすればいいのか」という類いの批判もそう。それは自分で考えることなのです。

情報とはそういうものだと認識した上で、自分はどういう立ち位置で、どう付き合っていくかというだけの話なんですね。当たらず障らずでほど良く距離感を保つのがいちばん賢いやり方なのでしょうが、なかなかそう上手くもいかない。関わらないようにするのもひとつの手だし、悪口や愚痴を言うのもまあいいでしょう。ただし、相手が間違っているからと相手を押さえ込んで、自分の意に沿うように変身させようと思うと、これは相当に大変です。マスコミに対して、偏向するな、公正中立に本当のことを言え、と要求するのは無理な話です。

「マスゴミ」という言葉には、そういった思考の過程を丸ごとすっとばしてしまうような強さがある。それがくり返し使用されていくことで、安易なレッテルと化してしまう。レッテルと化した言葉を使うことで、ものごとを「分かったつもり」になってしまう。伝わるものも伝わらなくなる。そういう危険性を孕んでいると思います。


小沢健二『うさぎ!』第24話(原発について)を読んで

季刊誌『子どもと昔話』にて連載されている小沢健二氏の寓話『うさぎ!』。2011年7月に発表された第24話は原発について書かれた作品であり、2012年の7月にネット公開されました。原子力発電という存在が、どのようにしてスタートして現在に至るのかについて、各種文献にあたって解説してあります。ぜひ多くの人に読んでもらいたい内容です。


うさぎ!第24話(原発について)ネット公開によせて 小沢健二


うさぎ!第24話より
「原発問題」は、エネルギー問題ではない。
そりゃあ、この世のどんな問題も、全て繋がっている。けれど、原子力発電がある理由は、エネルギー問題とは、第一には関係がない。
代替エネルギーとやらに興味を持つのは良いけれど、それと原子力発電の存在は、あまり関係ないことは、確認しておいた方がいい。


アイゼンハワー元大統領が提唱した「アトムス・フォー・ピース(核の平和利用)」という言葉がキーワードになっています。(ぜんぜん関係ないですが、最近同名のバンドがデビュー・アルバムをリリースし、フロントマンであるトム・ヨークがインタビューで原子力発電についての考えを語っています。音楽つながりということで。)

1940年代や50年代には、採算が合わないために実現可能ではないとされていた原子力発電。)榲のコストが高すぎるし、他の燃料であと15世紀は発電できるし、事故が起こったら「想像するだけでも身の毛のよだつことになる」という意見は、ビジネス界も科学界も一致していたそうです。アイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」を訴えても変わらなかった彼らの態度を変化させ、強固に閉ざされていた原発産業への扉を開く鍵となったい箸浪燭。それはぜひ小沢健二氏の原文を読んでみてください。あまりにバカらしい鍵ですが。

うさぎ!第24話より
そう。「利権優先のビジネス界が原発を生んだ」とか「科学の暴走が原発を作った。ヒトとは悲しいものだ」とかいう、変な幻想を持っていたら、捨てた方が良い。
灰色は、幻想を与える。
今どき、なまじっか考えて頭に浮かぶようなことは、だいたいは灰色が頭の中にねじこんだ、安っぽい幻想、安っぽい考えにすぎない。
悲しいけれど。


ともあれ、小沢健二氏は「原発問題ってのがあるとしたら、それは軍事問題のように思える」と言っています。彼のこの文章を読んでみて、ぼくもその通りだと思います。たいへん深く納得し、原発問題を考える上での指標をまたひとつ与えられたような気がしました。

そして、こういったことを、いわゆる反核団体や反原発活動家たちが言うのではなく、小沢健二が言うってところにたいへん感銘を受けます。あの『ラブリー』を歌ったオザケンが。自分の意見として。

小沢健二の文章といえば、官邸前デモが盛り上がった時に話題になった「金曜の東京」が記憶に新しいところ。ぼくはあの文章を読んで、彼が10年以上も前から、社会の中の「灰色」を見ていたということを知りました。(過去記事:「金曜の東京」から知る小沢健二

ぼくはと言えば、震災と原発事故を通してようやく、自分たちの暮らすよのなかが「灰色」で出来ていることを知った。ほんとうは「灰色」で出来ているのに、見えないように蓋をして知らないふりをしてきたことがたくさんあったのだということを知った。原発だけじゃない。震災があぶり出した、日本が抱える構造的な問題。「金曜の東京」という文章を読んだときに、ああ時代のほうが彼に追いついてきたということなんだなあと思ったのです。

渋谷系の「王子様」ともてはやされた頃のオザケンと、こうして社会的なメッセージを投げかける小沢健二は、一見すると、まるで別人であるかのように映るかもしれません。でも、ぼくはあまり違和感を感じない。反グローバリズムを根幹にしているとはいえ、彼の文章からは、そんなに極端な原理主義的な主張は感じない。彼はたぶん昔もいまも変わっていない。自分に正直なだけなのだろうと思います。

彼の文章からは、彼が活動家や思想家であるといった言論闘争的な匂いはまるで感じられません。子どもに聞かせるかのように、すごく丁寧にやさしく書かれています。誰かを論破するために社会のことを知るわけじゃない。ぼくたちは、自身の生活そのものを愛でるために、社会のことを考えるのです。そのために、生活そのものを犠牲にする必要はありません。誰かを貶める必要もない。


反核団体や反原発活動家たちの使う言葉は、ときに先鋭化します。原子力発電という存在そのものが批判されるべきであるにも関わらず、福島から非難せずに現地で生活するという選択をした人たちに対しても侮蔑の言葉が投げられるときもある。この手の煽り言葉や、レッテルと化した言葉を使う人って、啓蒙的なんです。押し付けがましい。真実を知ってしまった我々には、まだ知らない子羊たちにそれを伝える義務がある、みたいな正義感。あの「感じ」がどうも苦手で、「うわあ」と思ってひきますよね、ふつう。「マスゴミ」という言葉が持つ強さが、「俺たちは分かっている」という押し付けがましさにあるのと似ています。「反日」とか「売国奴」といった定型句と大差ない。よく文脈を読んでみれば、ぼくも原発には反対だし、言わんとしていることはわかることが多い。だからこそ、もったいないなあと。伝わるものも伝わらなくなる。

ネット公開によせての寄稿文(上記リンク)で、小沢健二も「そんなことはもう分かっている」という言い回しについて言及しています。たとえば、小沢健二の『うさぎ!』第24話を読んだ人から「そんなことはもう分かっている」という反響が来たとして、書いた側は「で、だから?」としか返しようがない。「分かっている」人に対して「俺はもう分かっている」ということを宣言するのはナンセンスですし、「分かっていない」人に対して「俺はもう分かっている」ということを宣言してそれが何になるんでしょうか。ほんとうに「分かっている」人は、わざわざそんなこと言いません。


かといって、シニカルに構えていれば事が済むかというと、ぜんぜんそんなことは無くて。マジョリティ(為政者側)はいつも現状維持を願います。世の中の民主主義を動かしてきたのはマイノリティ(庶民)の声だったはずです。マイノリティが声を上げない限りは、マジョリティは「聞こえないふり」をするに決まっている。そのどちら側にも属することなく、どちらに対しても冷めた視線を投げかけることが「冷静な態度」だとでも?自分が絶対的に公正中立だと?

くり返しますが、公正中立という概念はあり得ません。「原発とはそういうものだ」ということを認識した上で、自分がどのように社会と関わっていくのかという問題です。

待機児童の問題では、杉並区、足立区、大田区で母親らが区に対する異議申し立てを行いました(出典)。これは「ヒステリック」な行動でしょうか。薬害肝炎問題で矢面に立ち続けた福田えりこさんは「売名」行為だったのでしょうか。人って、自分が見たくないものは何かしら理由をつけて見ないようにしてしまうものです。

母親らの訴えを受けて、さっそく杉並区では定員が増員されるそうです。薬害肝炎問題は明るみに出ることによって薬害肝炎救済法が成立しました。震災後に、共産党やフリーのジャーナリストらがいなかったら、情報はいまよりも公開されておらず事故後の対応はもっと酷いものになっていたでしょう。

それぞれが、それぞれの立場から、それぞれ見える景色を、描けばいい。自分の言葉で、考えればいい。自分のリズムで、歌えばいい。それは自分だけの歌であり、他人がとやかく口出しするものではないのです。


小沢健二の『うさぎ!』第24話(原発について)を読んで、そういうことに思いを馳せながら。彼が残した、のほほんとした歌を聴く。


小沢健二
EMIミュージック・ジャパン
発売日:1996-10-16



これがまたいい。

ぼくたちは何のために社会のことを知ろうとするのかといえば、彼がこうして歌ったような、あの抱きしめたくなるような、ラブリーな毎日を、自分の生活の側にたぐり寄せたいからに他ならないのです。そうですよね。

小沢健二『うさぎ!』第24話(原発について)を読んで 言葉の使いかたについて

小沢健二『うさぎ!』第24話(原発について)を読んで 言葉の使いかたについて 2013.03.08 Friday [妄想] comments(0)
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