2012.01.26 Thursday
世界のパン
ふと疑問に思ったこと。
うちの近所にヤマザキの工場があるので、散歩なんかしてるとヤマザキパンのトラックをよく見かけます。で、そのトラックの側面に、外人の子どもがパンをかじってるイラストと共に「世界のパン」っていうコピーが入ってるんですね(これ)。そういや昔からヤマザキといえばそんなキャッチコピーのイメージだなあと思いながら、ん、「世界のパン」っていったい何が「世界の」なんだろう、はて。と考えてしまいました。
ぐぐってみると同じようなことを質問している人が。
ヤマザキパンはなぜ「世界のパン」なんでしょうか? - Yahoo知恵袋
回答者は、香港やタイなどアジアへの店舗展開の経緯を説明されています。ふーん、要は日本から世界に進出する大企業なんだよということでしょうか。と思ったらこの文章は山崎製パンの自社サイトからの引用だったようです。
ヤマザキの海外進出は1981年にはじまったとあります。でも考えてみると「世界のパン」というコピーはそれ以前から使われていたような気がします(正確な記憶はありませんが、たとえばこの看板なんか時代を感じるよなあ)。だとすると、「世界のパン」っていうのは実績に基づいたコピーというよりも、むしろ「そうなりたい」という当時の企業目標としてのコピーだったんじゃないかと。
というよりも、実績があるかどうかを抜きにしても、自分で「世界の」なんて冠を付けることが、ぼくはどうもこそばゆく感じるんです。受け手の解釈に委ねられる曖昧なコピーであり、なんか、あざといんじゃねえかと。その違和感をしたためておきたくて今これを書いています。ただ勘違いしないでほしいのは、もしぼくの想像するように「世界のパン」というコピーが、実績に基づいた表記ではなく当時の企業目標にすぎなかったとしても、そりゃインチキじゃねえか、などとdisるつもりはありません。そういう切れ味の鋭い記事は他のブロガーさんにお任せするとして、ぼくはそもそも企業に公平性や倫理を求めてもしょうがないと思っているので。
山崎製パンのホームページに掲載されている社長のメッセージを読んでみます。
山崎製パン株式会社社長あいさつより
昭和23年3月9日、ヤマザキパンは飯島藤十郎社主によって創業され、戦後の食糧難の中で良品質の提供と顧客本位のフレッシュサービスを実践して大繁盛いたしました。その後ヤマザキパンは積極果敢に技術革新に挑戦し事業の近代化をすすめ、欧米の先進機械設備を導入するとともに世界各国の優れた製品を日本の市場に導入し、日本の食生活、食文化の向上に寄与することを願いとして事業を推進してまいりました。
同社は、食糧難の時代に創業して安価なパンを多くの人に提供していったようです。モノの無い時代にそれは貴重なことであったのであろうと想像します。「技術革新」「近代化」「欧米の先進機械設備」といった単語から察するに、同社も戦後日本の経済成長を担ってきた典型的な「世界にはばたけ体質」の企業であったという認識でおそらく合っているのではないかと思います。勤勉で実直な日本人が作るメイドインジャパンの製品は海外でも好評を博し、高度経済成長の時代を迎えたのは周知の事実です。あの頃は誰もが「世界のソニー」を目指していた、その時代の空気が「世界の」というコピーに表れているのではないかと。
「世界のパン」になるためには、近代的な先進機械設備を投入した技術革新が必要になります。自動車や家電といった工業製品のような。マクドナルドがそうだったように(参考:『フード・インク』)。だからヤマザキのパンは、手作りではなく「工業製品」の味がします。
コンビニにはなぜヤマザキのパンしかないのか。コンビニだけじゃなくて、大手のスーパーでも昔ながらの個人商店でもパンといえばヤマザキばかり。これって、同じように添加物食品であるカップ麺ならいろんなメーカーのものが並んでいるのに比べると、ずいぶんと選択肢がないよなあと思っていました。
そりゃあアンタ、「世界の」ヤマザキだからでしょう。以前ならばそれで納得していたかもしれません。テレビのCMもさかんに流れていますし、なんせ大企業なんだから。
震災後は完全に崩壊してしまった概念ですが、ぼくは以前は「大企業」という冠だけで、なんとなく安心だというイメージを抱いていました。みんなが買っている有名な大企業ならばヘンなものは売れないだろうという根拠のない信頼があった。それはいま考えると信頼というよりも依存だったのですが。
保存食でもあるカップ麺と違って、ほんらい日持ちのしない「パン」を全国に物流させてコンビニに陳列させておくには日持ちするような処理をしないといけません。そりゃ手作りのパンと違ってあたりまえです。パン屋さんが焼いたパン(幸いにもうちの近所には美味しいパン屋さんがあるので)を食べると、ヤマザキパンの不自然さがわかります。もっと単純にいうと、ぜんぜん美味しく感じない。
パンに含まれる添加物の中でも「臭素酸カリウム」というのが問題になっているようです。発癌性の危険があるとのことで、EUをはじめカナダや中国などの国では食品への使用は禁止されています(臭素酸カリウムWiki)。ちなみに飯島社長も自社製品を食べないという噂もあるようです(あくまで噂ですよ)。で、ぼくは知らなかったのですが数年前に『ヤマザキパンはなぜカビないか』という本が出版されて、それで添加物のことが話題になったようですね。
これに対しては以下のような反論もあるようです。
「ヤマザキパンはなぜカビないか」論に見る一般人に対する騙し行為 長村洋一
なんかこれ、放射能をめぐるエンドレスな論争と似てますね。ただちに健康に影響はない…量の問題…この手の科学的な話になると、ぼくの頭では理解の範疇をこえてしまうので正誤の判断がつきません。というか、「カビ」と「臭素酸カリウム」の科学的な関連性とかはどうでもいい話です。ましてやヤマザキという企業が社会的に正しかろうが正しくなかろうが知ったこっちゃない。
つまるところ、「知る」っていうことは「信じる」ってことと同じなんですね。過去記事にもそんなことを書きましたが、原発事故があって以降そのことをさらに強く感じています。収集した情報をもとにして最終的な判断は自分でするしかないし、ソース元となる情報の信頼感っていうのも、自分が尺度になるしかない。よのなかの「正しさ」を測れる定規なんて存在しないということ、その気持ち悪さを受け入れるしかないんですね。
えっと、なんだかんだでけっこうdisったことになってしまったかもしれませんが、ヤマザキパンは添加物だらけだと暴露して憂さを晴らしたいわけではなかったんです。食べるなとも言わない。
ぼくの個人的なスタンスとしては、危険性が指摘されているものが少量でも入っているならば、それを子どもに食べさせたいとは思えないし、もっと単純に美味しくないから食べたいとも思わないってだけです。それは単に好みの問題でもあります。カップ麺は好きでよく食べるし。
じゃあなんでこんな記事を書いたのかというと冒頭にもどって、「世界の」っていうコピーが実は知らず知らずヤマザキ=大企業=なんとなく安心、というイメージづくりに寄与していたとするならば、それは広告宣伝マーケティングとしては成功かもしれませんが、それと同時に、「世界の」なんて意味不明で曖昧なコピーを、なんの疑いもなく受け入れていた(というか無意識のうちに刷り込まれていた)自分があったんだなあと思ったので。それを覚えておこうと思って。
なんか、この手の「世界の」症候群に日本人はずいぶん慣れ親しんでしまったんですね。現在も経団連なんかでは主流で、「世界に追いつけ追い越せ」から「世界にはばたけ」になって、いまや「世界に取り残されるな」(TPP推進派はそういう物言いですね)、なんだかスケールが小さくなってる気もしますが、基本となるマインドは一緒です。世界に出ることが、豊かになることだと思っていたし幸福につながると思っていた。経済は右肩上がりの成長を永遠に続けるものだという、よく考えればおかしな論拠をなんの疑問ももたずに受け入れ、そこに依存していた。その一方で足下を見つめることを随分と怠ってしまったのかもしれません。「世界の」ってことばにはそういう危うさもあるなあと(2012年のいまとなってはもうそんなことばのマジックも喪失してしまったかもしれませんが)。
ことばって、曖昧で抽象的であればあるほど、受け手の想像力や解釈に委ねられる部分があるので受け取る側によって受け止め方が違ってたりするわけで。それって案外「あたりまえ」と思われていることばでも、気づかないうちに行き違いがあるんじゃないかと。ん、そういう話だっけ?まあいいや。
うちの近所にヤマザキの工場があるので、散歩なんかしてるとヤマザキパンのトラックをよく見かけます。で、そのトラックの側面に、外人の子どもがパンをかじってるイラストと共に「世界のパン」っていうコピーが入ってるんですね(これ)。そういや昔からヤマザキといえばそんなキャッチコピーのイメージだなあと思いながら、ん、「世界のパン」っていったい何が「世界の」なんだろう、はて。と考えてしまいました。
ぐぐってみると同じようなことを質問している人が。
ヤマザキパンはなぜ「世界のパン」なんでしょうか? - Yahoo知恵袋
回答者は、香港やタイなどアジアへの店舗展開の経緯を説明されています。ふーん、要は日本から世界に進出する大企業なんだよということでしょうか。と思ったらこの文章は山崎製パンの自社サイトからの引用だったようです。
ヤマザキの海外進出は1981年にはじまったとあります。でも考えてみると「世界のパン」というコピーはそれ以前から使われていたような気がします(正確な記憶はありませんが、たとえばこの看板なんか時代を感じるよなあ)。だとすると、「世界のパン」っていうのは実績に基づいたコピーというよりも、むしろ「そうなりたい」という当時の企業目標としてのコピーだったんじゃないかと。
というよりも、実績があるかどうかを抜きにしても、自分で「世界の」なんて冠を付けることが、ぼくはどうもこそばゆく感じるんです。受け手の解釈に委ねられる曖昧なコピーであり、なんか、あざといんじゃねえかと。その違和感をしたためておきたくて今これを書いています。ただ勘違いしないでほしいのは、もしぼくの想像するように「世界のパン」というコピーが、実績に基づいた表記ではなく当時の企業目標にすぎなかったとしても、そりゃインチキじゃねえか、などとdisるつもりはありません。そういう切れ味の鋭い記事は他のブロガーさんにお任せするとして、ぼくはそもそも企業に公平性や倫理を求めてもしょうがないと思っているので。
山崎製パンのホームページに掲載されている社長のメッセージを読んでみます。
山崎製パン株式会社社長あいさつより
昭和23年3月9日、ヤマザキパンは飯島藤十郎社主によって創業され、戦後の食糧難の中で良品質の提供と顧客本位のフレッシュサービスを実践して大繁盛いたしました。その後ヤマザキパンは積極果敢に技術革新に挑戦し事業の近代化をすすめ、欧米の先進機械設備を導入するとともに世界各国の優れた製品を日本の市場に導入し、日本の食生活、食文化の向上に寄与することを願いとして事業を推進してまいりました。
同社は、食糧難の時代に創業して安価なパンを多くの人に提供していったようです。モノの無い時代にそれは貴重なことであったのであろうと想像します。「技術革新」「近代化」「欧米の先進機械設備」といった単語から察するに、同社も戦後日本の経済成長を担ってきた典型的な「世界にはばたけ体質」の企業であったという認識でおそらく合っているのではないかと思います。勤勉で実直な日本人が作るメイドインジャパンの製品は海外でも好評を博し、高度経済成長の時代を迎えたのは周知の事実です。あの頃は誰もが「世界のソニー」を目指していた、その時代の空気が「世界の」というコピーに表れているのではないかと。
「世界のパン」になるためには、近代的な先進機械設備を投入した技術革新が必要になります。自動車や家電といった工業製品のような。マクドナルドがそうだったように(参考:『フード・インク』)。だからヤマザキのパンは、手作りではなく「工業製品」の味がします。
コンビニにはなぜヤマザキのパンしかないのか。コンビニだけじゃなくて、大手のスーパーでも昔ながらの個人商店でもパンといえばヤマザキばかり。これって、同じように添加物食品であるカップ麺ならいろんなメーカーのものが並んでいるのに比べると、ずいぶんと選択肢がないよなあと思っていました。
そりゃあアンタ、「世界の」ヤマザキだからでしょう。以前ならばそれで納得していたかもしれません。テレビのCMもさかんに流れていますし、なんせ大企業なんだから。
震災後は完全に崩壊してしまった概念ですが、ぼくは以前は「大企業」という冠だけで、なんとなく安心だというイメージを抱いていました。みんなが買っている有名な大企業ならばヘンなものは売れないだろうという根拠のない信頼があった。それはいま考えると信頼というよりも依存だったのですが。
保存食でもあるカップ麺と違って、ほんらい日持ちのしない「パン」を全国に物流させてコンビニに陳列させておくには日持ちするような処理をしないといけません。そりゃ手作りのパンと違ってあたりまえです。パン屋さんが焼いたパン(幸いにもうちの近所には美味しいパン屋さんがあるので)を食べると、ヤマザキパンの不自然さがわかります。もっと単純にいうと、ぜんぜん美味しく感じない。
パンに含まれる添加物の中でも「臭素酸カリウム」というのが問題になっているようです。発癌性の危険があるとのことで、EUをはじめカナダや中国などの国では食品への使用は禁止されています(臭素酸カリウムWiki)。ちなみに飯島社長も自社製品を食べないという噂もあるようです(あくまで噂ですよ)。で、ぼくは知らなかったのですが数年前に『ヤマザキパンはなぜカビないか』という本が出版されて、それで添加物のことが話題になったようですね。
これに対しては以下のような反論もあるようです。
「ヤマザキパンはなぜカビないか」論に見る一般人に対する騙し行為 長村洋一
なんかこれ、放射能をめぐるエンドレスな論争と似てますね。ただちに健康に影響はない…量の問題…この手の科学的な話になると、ぼくの頭では理解の範疇をこえてしまうので正誤の判断がつきません。というか、「カビ」と「臭素酸カリウム」の科学的な関連性とかはどうでもいい話です。ましてやヤマザキという企業が社会的に正しかろうが正しくなかろうが知ったこっちゃない。
つまるところ、「知る」っていうことは「信じる」ってことと同じなんですね。過去記事にもそんなことを書きましたが、原発事故があって以降そのことをさらに強く感じています。収集した情報をもとにして最終的な判断は自分でするしかないし、ソース元となる情報の信頼感っていうのも、自分が尺度になるしかない。よのなかの「正しさ」を測れる定規なんて存在しないということ、その気持ち悪さを受け入れるしかないんですね。
えっと、なんだかんだでけっこうdisったことになってしまったかもしれませんが、ヤマザキパンは添加物だらけだと暴露して憂さを晴らしたいわけではなかったんです。食べるなとも言わない。
ぼくの個人的なスタンスとしては、危険性が指摘されているものが少量でも入っているならば、それを子どもに食べさせたいとは思えないし、もっと単純に美味しくないから食べたいとも思わないってだけです。それは単に好みの問題でもあります。カップ麺は好きでよく食べるし。
じゃあなんでこんな記事を書いたのかというと冒頭にもどって、「世界の」っていうコピーが実は知らず知らずヤマザキ=大企業=なんとなく安心、というイメージづくりに寄与していたとするならば、それは広告宣伝マーケティングとしては成功かもしれませんが、それと同時に、「世界の」なんて意味不明で曖昧なコピーを、なんの疑いもなく受け入れていた(というか無意識のうちに刷り込まれていた)自分があったんだなあと思ったので。それを覚えておこうと思って。
なんか、この手の「世界の」症候群に日本人はずいぶん慣れ親しんでしまったんですね。現在も経団連なんかでは主流で、「世界に追いつけ追い越せ」から「世界にはばたけ」になって、いまや「世界に取り残されるな」(TPP推進派はそういう物言いですね)、なんだかスケールが小さくなってる気もしますが、基本となるマインドは一緒です。世界に出ることが、豊かになることだと思っていたし幸福につながると思っていた。経済は右肩上がりの成長を永遠に続けるものだという、よく考えればおかしな論拠をなんの疑問ももたずに受け入れ、そこに依存していた。その一方で足下を見つめることを随分と怠ってしまったのかもしれません。「世界の」ってことばにはそういう危うさもあるなあと(2012年のいまとなってはもうそんなことばのマジックも喪失してしまったかもしれませんが)。
ことばって、曖昧で抽象的であればあるほど、受け手の想像力や解釈に委ねられる部分があるので受け取る側によって受け止め方が違ってたりするわけで。それって案外「あたりまえ」と思われていることばでも、気づかないうちに行き違いがあるんじゃないかと。ん、そういう話だっけ?まあいいや。
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