yamachanblog

日々思いついたことを忘れないように、ぐだぐだと書きなぐっています。
山澤健一のブログ

息子がマダニに刺された

2,3日前、息子とじゃれ合い後頭部を触った際に、なんかゴミみたいなものが付いてるなあと気づいたのですが、息子が遊びに夢中でちゃんと見せてくれなかったのと、なんかくっついてて取れなかったのでかさぶたか何かだろうと思い、そのまま失念していました。

昨夜、妻からも同様の指摘を受け、ああ、あのかさぶたかと思いながら、息子が寝た後にふたりでよく見てみました。じっくりと観察してみると、なにやら米粒大の白い肉塊のようなものが、皮膚に刺さっているのか皮膚から浮き出ているのかわかりませんが、くっついているようでした。引っ張ってみると頭皮も一緒に引っ張られて取れそうにありません。いちばん気になったのが、頭皮と肉塊の境目あたりから髪の毛のような触手のような黒いものが見えていて、それが動いたような? 気持ち悪い、なにこれ、ムシ? と疑う気持ちと、まさかそんな訳ない、そんなものが2歳の息子の頭に刺さって寄生しているはずがないと思いたい気持ちが交錯して。じゃあ脂肪瘤みたいなもの? だとそのうち取れるのかな、どうなんだろ、あわわわわ、となりつつ、とにかく明日の朝、かかりつけの小児科に行って診てもらおうということで就寝しました。
ちなみにその時撮った写真がこちら(キモいのでリンクにしました。見なくてもいいです。)あ、そうそう、当の息子は自分で見えないせいもあるのでしょうが、ぜんぜん気になっていない様子だし、すこぶる元気です。

翌朝さっそくかかりつけの小児科へ。いちばん乗りで到着するも、なんと奇遇にも昨日からネット予約が始まったとのことですでに10人待ち。セブンイレブンに行きたいと言う息子をなだめつつ、ようやく診察の順番が回ってきて診てもらうも、先生は「なんだこれ?」と。ダニかもしれないねぇと言いつつもよくわからないので、専門の皮膚科で診てもらった方がいいと紹介状を書いてもらい、市立病院へ行くことに。

セブンイレブンに行きたいと言う息子をなんとか誤摩化しつつ市立病院へ。紹介状の患者を優先して診察しますとの表示があったものの、たっぷり待ち時間があり、おとなしく待ってなどいるはずのない息子は小児科の待合室で流れるアンパンマンのビデオに目もくれず走り去ろうとします。仕方がないので院内併設のドトールでソフトクリームを食べたり(隣席のおばちゃんにかわいいねと言われる)、正面玄関の外に出てタクシーを眺めたり(警備員のおじいさんに二コっとされる)、駐車場まで散歩したり、なんとか息子の機嫌が悪くならないように時間を潰しながら付き合う間も、ぼくはあの米粒がムシかもしれないという疑惑が大きくなり、いち早く診てほしいと不安でいっぱいでした。

けっきょくお昼近くになり息子が眠たくなってきた頃にやっと診察の順番が。皮膚科の先生は、米粒を見るやいなや、開口一番「あ、これはマダニだね」。それから図鑑みたいな図版でマダニについて説明してくれました。マダニは、宿主の皮膚を刺した後にギザギザの歯を差し込み、吸血する数日間は簡単には離れないようにするのだそうです。そりゃあ取れないはずです。これを無理に取ろうとすると、一見取れたように見えても皮膚内に口器が残ってしまう場合があるとのこと。マダニに刺されること自体はそれほど危険ではないけれども、そこから派生する感染などの合併症が危険なのだそうです。昨晩、無理に引っ張らなくてよかった。なんかすごい独特のノリでオヤジギャグをちょいちょい挟んでくる変なおじさん風の先生でしたが、さすが専門職は違うなあと感心し、ちょっと安心しました。

ぐぐったらその辺りのことが書いてありましたので紹介しておきます。

吸血されたときの対処(ヒトの場合) - Wikiより
一度口器を差し込んだマダニは、吸血が終わるまで1 - 2週間程度は体から離れない。そこで無理にマダニを引き抜こうとすると、体液の逆流を招いたり、体内にマダニの頭部が残ってしまう可能性がある。細菌感染の恐れがあるため、マダニを発見したら出来るだけ早く皮膚科を受診したほうが良い。場合によっては、切開してマダニを除去するほかないが、それが一番確実である。また、マダニが体から自然に脱離した場合でも、マダニを捨てずに保存し、念のため皮膚科を受診する。皮膚科以外を受診すると、上記感染症の症状をインフルエンザなど風邪の症状と誤診される場合があり、大変危険である。


その後さっそく処置することに。
患部周辺の髪の毛を切り、局部麻酔、マダニ除去、周辺皮膚切除、縫合という流れのようです。髪の毛を切られて何事が始まるのかと訝る息子に「ムシさんをやっつけるんだよ」と教えると、わかってるんだかわかってないんだか、なにやら機嫌はよい様子。息子の頭にムシが刺さってるだの、局部麻酔だのという現実を目にして、親のほうが切ない気持ちになってきちゃって。ママが抱っこして「すぐ終わるからね。先生もパパもママもいるから大丈夫だよ」と言うと、「ケイタ、がんばるね」と息子。その健気な台詞に、ママ涙。パパも涙。

そしていよいよ局部麻酔。パパがしっかりと抱っこして、看護士さん3人と先生が取り囲み、患部である後頭部やや下部へ注射。さすがにその瞬間は大泣きで力が入り暴れようとするので思いきり抱っこで固定。注射が終わってもしばらく泣き続けると思ったけど、ママが抱っこして看護士さんが新幹線とアンパンマンのおもちゃを持ってきてくれるとすぐに泣き止んだ。けろっと遊んでる。あんたすげえな。

その後、しっかりと虫の除去、皮膚の切除、縫合が完了、息子は飴玉をもらった。除去したマダニも見せてもらったが、息子は興味のない様子で、もっと飴玉よこせと言ってる。あんたすげえな。なんだか親のほうがハラハラドキドキしちゃってるようで、今日の息子はとてもたくましく見えたのでした。抱っこしてほっぺすりすりしたいです。

同じ時間を共有したママのツイートも転載しておきます。

今日は大変な一日でした…。

昨夜家族に教えられて気づいたのですが、息子の後頭部に米粒大のニキビ?おでき?脂肪瘤?の様なものがくっついている。

色は白くて、皮膚にめり込んでいる。息子が眠ったあとに夫と2人でひとしきり観察したあと、その部分を引っ張ってみたけれどガッチリくっついていて取れない。息子も痛そうな様子なのでそのままにしてかかりつけの小児科に朝イチで行くことに。

で、今朝朝イチで小児科に見てもらったけれど、先生が判断できないとのことで、総合病院の皮膚科に紹介状を出してもらい、そちらで診てもらうことに。

あっちでもこっちでも長い待ち時間に耐えつつ、専門医にみてもらった結果はなんと…、マダニ。虫が息子の頭にかじりついて寄生していた…。

私はまさかのその診断に鳥肌と恐怖で固まってしまった。医師によるとここ数日で同じような患者が数人続いたと。

そして、何はともあれ虫を切除する処置を行うことに。頭に局所麻酔の注射を打って、患部の虫を引っこ抜き、周辺の皮膚を切除すると。

その局所麻酔の注射は大人でも痛いというシロモノで、先生以下5人の大人で息子を抑えつけて注射することに。30秒の辛抱だとはいえ、あまりに不憫で不覚にも私は涙が出てきた。

私は息子の手を握ってやるしかできない中、処置は始まり、息子はママ〜と泣き叫びながら痛みに耐えた。

その後、虫の除去、皮膚の切除、縫合と続き、時間的には15分程度で全てが終了。

息子は先生方の予想よりもはるかに我慢強かったようで、みんながよく頑張ったとほめてくれた。我が子ながら、ほんとによく耐えたと思う。

あとは抗生剤を飲んで、来週に抜糸すれば治療は終わるようだけど、ほんとに即日に処置してもらえて良かった。迷わず医師に診せて良かった…。



ちなみにマダニで画像検索すると、グロ画像がわんさか出てきます。いやいやいやいや、刺さってるお姿がまるでSF映画のCGかと思うくらい現実離れしていて気持ち悪いです。いろんな種類のマダニがいるんですね。興味のある方は覚悟してご覧ください。これらに比べたら、息子の頭に付いていた米粒はかわいいほうかもしれませんが、あの夜に観察した患部の映像がフラッシュバックのように思い出されて気分悪いです。てめえこの米粒野郎、よくもうちの子に!という気持ちになります。

皮膚科の先生によると、最近マダニに刺された患者が多いんだよねとのこと。うちの子の場合、最近とくに山に行ったわけでもないのですが何処で被害に遭ったことやら。とりあえず、山に行く時には長袖ということと、米粒がくっ付いて取れない時は無理に剥がさないで皮膚科へ行くということを学びました。

息子がマダニに刺された

息子がマダニに刺された 2012.05.18 Friday [食・生活]

太陰太陽暦

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原発の問題を考えるには、150年前まで遡る必要がある。1年ほど前の『SIGHT』に掲載されていた内田樹さんと高橋源一郎さんの対談の中にそんなことが語られていました(中央と地方と原子力行政)。原発の問題は原発の問題だけではなく、近代日本の構造が出来上がっていく中で形成されていったという大きな視座はたいへん説得力があると思います。そういう視点で考えていくと、原発というブラックボックスが何を養分にして育ってきたのかが少しずつわかってくるような気がします。

と同時に、150年前の歴史をぼくはほとんど知らないということに気づきました。というか、もともと歴史が苦手なので年号やら人物名やらもあまり知らないし、日本という国がどういうストーリーを辿ってきたのかもほとんど知らないままに年をとっていました。今にして思うと、ぼくが歴史を覚えられなかったのは、年号の暗記なんていう受験対策に象徴されるように、歴史というものが教科書の中だけの出来事で、それが実生活と線で結ばれていなかったからなのだなと。それが、たとえば原発の問題に端を発して150年前の歴史をひも解いていくと、歴史っていうのは現在と地続きであることがわかってくる。歴史の教科書に出てくるような有名人も、その時代に暮らすその他大勢の庶民たちも、ぼくたちと同じ人間であることがわかってくる。だから歴史を学ぶんですね。

先の対談を読んで、ぼくは明治政府による富国強兵の国づくりというものに興味がわいてきました。日本が近代国家の仲間入りをするために、列強に追いつけ追い越せというスローガンで国民一丸となって右肩上がりの経済成長へのアクセルが入ったのがこの時期だったんですね。そのスローガンが現実に即さなくなった現在も、その幻想をもとにした経済政策を政治家が改めようとしないのは、歴史というものを大きな流れで捉えることができないからでしょう。

日本が近代国家としての体裁を整えた明治維新。西洋の文化、思想、学問を取り入れることのすべてが間違いだったとは思いませんが、あまりにハイスピードで急激な変化の中で、ほんらい日本が持っていたものを見過ごしたり、捨て去ったりしたこともたくさんあったんじゃないかなあと、ちょっと思います。具体的な事例は勉強不足でよくわかっていませんので、これから少しずつ気が向いた時に学んでいくつもりです。


「暦」の歴史

「暦」というのも、そういった明治維新における急激な変化のひとつであると、とある方からコメントをいただいて知りました。明治5年12月3日、日本の暦は世界標準暦(グレゴリオ暦)に変わりました。それは、和暦から西暦へという単純なものではなく、太陰太陽暦から太陽暦へという大きな変化だったんです。…と言うものの、ぼくも太陰太陽暦とかわかっていないので、まずは暦についての基礎をぐぐってみます。

暦について/暦の発見 - 巌松堂webマガジンより
暦には大きく分けて3種類あります。一つが人類最古の暦法といわれる太陰暦。二つ目が太陰暦に太陽の運行を加味した太陰太陽暦、そして三つ目が現在私たちが供している太陽暦です。

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太陰暦とは、人類にとって太陽と共にもっとも身近な月の運行、つまり月の満ち欠け(朔望)をもとにした暦です。身近な存在である月の満ち欠けの周期は、日を数えるには格好の素材であったに違いありません。新月から次の新月までの周期、いわゆる朔望月を通し、1カ月という区切りを編み出したのでしょう。しかし、月の満ち欠けの周期は太陽の動きとは関係がないため、12回朔望月を繰り返しても約354日しかならず、1太陽年に対して約11日足りません。このため、太陰暦では3年で一ヶ月強、十数年たつと春が秋となり、夏が冬になってしまいます。この純粋な太陰暦はイスラム暦など一部の地域で現在でも使用されています。

太陰太陽暦とは、月の運行(太陰暦)と太陽の運行(太陽暦)の周期を組み合わせ季節が大きくズレないように工夫された暦で、古くはもっとも広範囲に使われていた暦です。特に農耕民族にとって、季節は種を蒔いたり収穫する上でも重要で、暑さ寒さの予測、その繰り返し、陽の照射角度の変化、天候の変化などの規則性から、太陽との関連性で1年が365日強という概念に気づきます。太陰暦での季節のズレを修正するため、3年に一度、正確には19年に7度ある月の後に1ヶ月、閏月として加え、その年は13ヵ月とし暦と季節が大きくズレることを防いでいます。古代バビロニアやユダヤ、古代ギリシャ、古代中国でほぼ同じころに生まれたといわれています。しかし、それでも太陰太陽暦の1年は354日から384日と変動し、季節感は毎年11日から30日近く変動します。太陰太陽暦とあるように、月の運行(月の満ち欠け)をもとにしつつ太陽の運行を加味した暦ということができます。

太陽暦は、古代エジプト(紀元前2900年頃)で生まれました。この古代エジプト暦は太陽の1年365日を30日1ヶ月として12ヵ月、余った5日を13月とした変則13ヵ月の太陽暦でした。太陽暦には基本的には一カ月の概念がありませんから一カ月を30日としたのは当然月の満ち欠けから生まれた概念をそのまま太陽暦に応用したのです。この暦はかなり正確に太陽を観察していたようで、すでに一太陽年は365.25日と認識していて、4年に一度閏日を置き、その年の13月目は6日としていました。

この暦法に目をつけたジュリアス・シーザーは、紀元前46年頃、古代エジプト暦をもとにユリウス暦を制定しました。この時、古代エジプト暦にあった余分な13月の5日分を他の月に振り分け、1年を12ヵ月としました。ユリウス暦はキリスト教と一体となりヨーロッパ各地、地中海沿岸の地域に広まり、キリスト教徒の手によって週(7曜)の制度も導入されました。

このユリウス暦は欧米を中心に広く用いられていましたが、16世紀ころには10日ほど狂いが生じてしまいました。このため、欧米諸国でもっとも大切な復活祭(春分の日の後の満月の次の日曜日)を算出するのに不便が生じ、1582年、ローマ法王グレゴリオス13世によって改暦されました。このグレゴリオ暦への改暦は宗教的要因が強かったため、世界標準暦になるにはいささか期間を必要としました。カトリック系では比較的速くグレゴリオ暦に移行しましたが、イギリスやアメリカは18世紀半ばであったし、ロシアやギリシャは20世紀に入ってからのことでした。


大雑把にいうと、月の満ち欠けからはじまり、そこに太陽の運行が加味され、やがて太陽がメインになり、宗教的要因も絡んできたというのが、世界で扱われている暦についての大まかな流れのようです。

さて、日本ではどのような暦が使われていたのか。(参考:日本の暦法の変遷
明治5年に世界標準であるグレゴリオ暦が導入されるまで、ってけっこう最近まで日本独自の暦を使っていたんですね。そしてそれは太陰太陽暦をもとにしたものだったようです。

旧暦っていうと、ぼくはなんだかよくわからない過去のもの、というイメージしかありませんでした。旧暦の何月とか言うけど、なんの意味があるんだろう、いちいち西暦に換算しなきゃなんないからめんどくさいだけじゃん、と。ところが最近、旧暦が見直されているという話を聞きます。とくに農業をしている人にとっては、種を蒔いたり収穫する季節を知るために工夫されてきた太陰太陽暦のほうが相性がいいそうです。

日本古来の太陰太陽暦 - 畑仕事の楽しみより
うちの畑でも、花の咲く時期、虫や鳥の出現は、新暦にはまったくあてはまらず、旧暦の太陰太陽暦の方でぴったり合います。日本で自然と向き合うには絶対旧暦です


ぼくは農業をしていないので旧暦のありがたみが実感としてはさっぱりわかりません。ただ、今までは考えもしなかった暦のなりたちや変遷にも、いろいろな背景があるということに、なるほどと思ったし、古来日本の文化風土と旧暦のマッチングというのも確かにあるかもしれないなあと思うようになったので、記しておきました。


元格闘家で、現在はWORLD ORDERというパフォーマンス・アートで活動している須藤元気さんの著書『風の谷のあの人と結婚する方法』に、こんな文章がありました。
そもそも「時間」というものは単なる幻想…つまり、人間が便宜的に作り出した「基準」でしかないのです。時間やスケジュールうんぬんよりも、まずは「自分の好きなことをやりながら生きているかどうか」を再確認することが大事だと思います。

 (中略)

今、僕らが使っているカレンダー「グレゴリオ暦」も人間が便宜的に作った暦なので、それに束縛されると人工的なサイクルで生かされてしまいます。知らず知らずのうちに、自然のあるべき姿から遠ざかっていきます。
そもそも大昔の人たちは自然のリズムに従って生きていました。動物もそうです。例えば月の満ち欠けにあわせてサンゴが一斉に産卵をしたり…。地球上の生物には自然のリズムというものが体内に存在しています。でも、それを無視して生活していると、いつしか見えない「抵抗」が生じて、何もしていないのに疲れたりするのです。
とはいえ生活するうえで今使われているカレンダーを手放すのは難しいことですので、それと併用しつつ自然のリズムを感じることをおすすめします。毎晩、夜空を見上げて月の満ち欠けを眺めているだけでも、人生は少なからずいい方向へと変わっていきますし、自然界や生き物のリズムに逆らわずに生きると、いろいろな意味で楽になります。


日本に太陽暦が導入されたのは、明治維新で日本が近代国家になるためでした。列強諸国に追いつくためには、世界標準の暦に合わせる必要があったのでしょう。暦に限ったわけではなく、グローバル経済の中では共通のフォーマットが必要になります。世界を相手にビジネスするのに、使っている暦や時計の単位が違っていたら、おちおち待ち合わせもできません。世界のグローバル化とは言い換えると世界の均質化に他なりません。世界中のどこでもマクドナルドのハンバーガーが食べられるということです。世界中のどこでも同じ味を提供するには、決められたマニュアルがなければならない。各国のマクドナルドがてんでバラバラな調理をしていたら、それはマクドナルドである意味がなくなってしまう。

でも、ふと考えます。世界ははたしてグローバル化=均質化する必要があるのでしょうか。もちろん企業の側から見れば、世界にマーケットを広げるためにはグローバル化は欠かせません。企業目線で見ればグローバル化は必然であるし、そのための競争原理や人材育成も必至です。でもそんなにマクドナルド食べたいですか?いや、食べたいってのはいいんです。そういう世界標準のグローバルな商品があってもいい。ただ、往々にして、グローバル化の波が打ち寄せてきた地方のローカルなものは消えていく運命にあります。

全国どこでも同じようなものが安く買えるショッピングモールが定着することで、地元商店街は消えていきます。グローバル市場の競争原理から言うと、それは当然の結果です。ただ、それってなんか寂しくないかい、とも思います。経済って、昔は、おたがいさまの循環で成り立つものでもあったんじゃないかなと。

安心と信頼、おたがいさまの経済

暦と関係ない話になってきたので強引にまとめます。
ローカル、スモールな単位で循環していくこと。ある意味閉じた範囲で循環していくことが持続可能ということかもしれないと最近思っています。そう考えるならば、その土地に即したその土地ならではのやり方があっていいんですよね。暦だって、自然界や生き物のリズムに逆らわずに育まれたきたのが旧暦であるならば、そのことをちょっと知ってみるのも悪くないなと思いました。

太陰太陽暦

太陰太陽暦 2012.05.17 Thursday [食・生活]
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